第36話

うんうん、って由梨花はうなずいた。

「いいのいいの!その後、わたしは天国を体感しちゃうんだからさ!」

 そうか、『DIGGIY ZOON』のボーカルはピンクの綿あめみたいな頭をしてたっけ。あたしは、由梨花がどうしてあのライブハウスにいたのかも、どうしてこんな頭になっちゃってたのかも、その時理解したんだ。あの時なんで急いでたのかも、時間がなかったのかも。

「でね、でね。わたしギター始めちゃったのよ。これが好きでやるのって上達が違うんだわ。わたし、結構いけてるのよ!」

 気がつかなかった。由梨花はギターケースをかついでいたの。

 そうして、由梨花はびっくりすることを言った。

「私をね、一緒のバンドに入れて!」

 え?一緒のバンドって、リュウたちの事?だって、由梨花のギターなんて聴いたことないよ。

 それにあたしだって、とりあえずのメンバーだっていうのに。

「あ?ギターなんてできるの?って顔してるわね。ああ、心配ないよ。ピアノは練習して練習してようやく更紗に追いついてたけどさ。ギターはさ、私天性のものがあったんだと思うよ。なかなかのもんだから!」

 隅っこのほうで話を聞いている美奈がくすくす笑い出した。

「なにがおかしいのよ!だいたいあなたなんかに音楽なんてわかるわけないわよ!」

 由梨花は知らないんだ。美奈が一通りの音楽に優れてること。なんでもできちゃうってこと。

「そうね、あなたの好きなバンドは知らないけど、本当にもういい子ちゃんはやめたんだね。昔のあなただったら『一緒のバンドに入れて』なんて言わなかったかもしれないわね」

 由梨花は美奈をにらみつけて言った。

「そうよ。八方美人はやめたのよ。自分の気持ちに素直になることに決めたんだから。もう人の気持ちばかり考えてる私はおしまいにしたのよ!文句ある?」

 由梨花は自分の気持ちに素直になることが今、一番のことなんだ。それが自分を大切にできることだって思ってるんだ。

 自分のこと嫌いで変えたくてどうしたらいいかわからない気持ちが、まるで自分のことのように感じちゃって、あたしは唇をかんだ。

「由梨花、学校は?学校はどうするの?」

 ふと、あたしは思いついたことを聞いてみた。

「な~にを気にしてるのかと思えば。更紗も知ってるでしょ?前の家のすぐそばにおばさんが住んでるじゃん?私ってば、いい子ちゃんやってたから思いっきり可愛がられてたでしょ?あそこ、子供いなくてさ、一緒に住んでもいいって言ってくれてるんだよね」

 美奈がうなずいた。

「あなたみたいに素直ないい子を嫌う大人なんていないと思うわ。じゃ、中学を卒業したらこっちに来るのね。面白くなるわ」

 ほめてるとは思えない言い方だけど、由梨花はにっこり微笑んだ。

「そうそう、それまで待っててね、更紗。美奈には関係ないと思うけどね」

 二人のバトルについていけてないあたしは、とりあえずうなづいた。

 由梨花があたしのそばに帰ってくる。それだけで、すごく幸せな気がした。

 ピンクの綿菓子はうれしそうにゆらゆらと目の前で弾んでた。なんだか、他にも問題があるような気がしたけど、由梨花が帰ってくることだけがあたしの心を暖かくしてたんだ、その時。

「私だって、信じないだろうけどすごく喜んでるのよ」

 柳美奈は、ぽつりとつぶやいた。

 それから由梨花は、そのおばさんの家に行くといってあたしの家を出て行った。柳美奈は連絡するように念押しして、手を振った。

 めまぐるしい朝がすぎてもうすぐお昼になろうとしていた。日の光が眩しくて小春日和だなって思うときゅうに眠気が襲ってきた。

 あたしは、ママが置いていったみんなの分のサンドイッチまで食べて布団にもぐりこんだの。もう何も考えられなくなっちゃってたあたしの頭の中をリセットするために。


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