第16話

 そう言いながらこの間俺たちにした話をした。更沙はナオトを瞬きもせずに見つめた。そして、ため息をついた。

「そんな事、あたし知らなかった。なんで話してくれなかったんだろう?」

 唇をかんで本当にくやしそうにうつむいた更沙は、痛々しくてみんなな何て言っていいかわからなかった。突然、ツバサが目を輝かせた。

「会ってくれば、会って来ればいいよ」

 どもらなかったけど、二度言った。

「知らない。住所知らないもの」

 でっかい口開けてナオトが笑った。渋い男目指してたんじゃなかったっけ?ひでぇ崩れた顔してるんだけど。

「はははぁ、親父に聞けばわかるぜ、たぶん絶対わかると思うぜ!」

 ふだん世話にはなりたくないとか何とか言ってる割には、簡単に頼るのね、ナオト。

「ほんと!?」

 更沙は、今日一番の輝いた表情で立ち上がった。

「おう!」

 下あご出して親指たてて、ナオトかっこいいじゃんか。


 それから、俺らはスローな曲、アップテンポの曲と、この間より充実した空間を泳いだ。

 音の洪水の中、泳いで泳いで泳ぎ疲れて、スタジオから出るころには、いい気分でびっしょり汗かいたシャツを着替えた。更沙はトイレで着替えてたっけ、あいつもいい汗かいたみたい。

 その日は次回の予約をして、解散した。まあ、みんなバイトやら大学の講義やら忙しいからね。

 次の回までに、由梨花の住所を持ってくるというナオトの顔を食い入るように見てたっけ、更沙。

 汗かいた後に吹く風が、しめった春の風のように感じたのは俺だけだったかな。

 もうそろそろ、春一番がふくのだろうか。


 次のスタジオでナオトは、住所の書かれた紙を更沙に渡した。

「うそ、福島県?都内じゃないの?みんなには都内だって言ってたのに」

 どうも、そんな感じだろうな。由梨花ってやつは、家の事情がそんなだからかっこつけたんだろう、都内って言ったのかもね。

「行ってみるの?遠いぜ福島って」

 俺が聞いたら、ちょっと黙った。

「ひゃははは、いいニュースがあるんだぜ!」

 なんだこいつは、ってみんな思った、多分絶対に。またまた、顔一杯口にしてナオトが声をあげてたからね。ひどいよ、この顔、だれか鏡見せてやれよ。

「なんなんだよ!ニュースって。早く言えよ、もったいぶらねぇで!」

 ちょっと、むかついて俺が言うとナオトはあわてて

「ああそうなのよ、兄貴がさぁ、福島のライブハウスでなんかライブやるのよ。で、俺らも出てみないかって二三曲やらしてもらえそうなんだけど、どう?」

「わ~~、わ~~やる、出る出る~」

 もちろん、ツバサが騒ぐ騒ぐ、小学校の遠足かっつうの。俺もさすがににっこり微笑んだけどよ。

「オ~ケ~、いつよ?」

 日にちは一ヶ月くらい先だったけど、更沙は福島にいける事を喜んでいるみたいだったからみんな一致で出る事になった。

 そこからは、ハードスケジュールでがんばる事を誓ったのよ、全員。俺は、メンバー唯一宿題を出された訳。一曲でも新曲を作ること、オリジナルだ。

 これは、ちょっとやばかった。大学の講義も福島なんか行く訳だからして出られないし、代返頼める講義ばかりじゃないのよね。ってことは、大学も行かなくちゃなんないから時間が足りない。

さて、いつ曲作れっつうのかね。まあ、腹をくくってがんばりますか。


 その日のスタジオの帰りは、春一番が吹いていた。背中に背負ったギターが風にあおられて持って行かれそうになって、ふらついた俺を見て更沙が笑った。

 いつも張りつめた表情ばかりの更沙が、まるで菜の花みたいな顔で笑った。

 風に吹かれて長い髪がゆれた。菜の花がまちわびたようにゆれたように思えた。

 こんな顔をいつも見ていたいね。俺もちょっと見とれて、照れて笑った。

 春を待つ、わくわくした期待と予感の入り混じった不思議な思いが胸いっぱいに広がっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る