第8話
俺は話を肝心なところに持っていくことにした。
「更沙、お前さぁ~キーボードやらない?」
みんなが、いっせいに黙って手を止めて俺の顔を見つめた。
いいね。話題変更、大成功。
ってもともと俺は更沙をバンドに誘おうと思ってたわけだから、なんにも後ろめたいところはないんだけどさ。
あの時。路上で最後の曲を奏でた時。
更沙は歩道橋の上で、身体中で耳を澄ませているようだった。
空に向けた両手が、月をつかもうとしていた。そして、その指は俺たちの音にあわせて、キィを叩いているように見えた。曲が終わるまで、音が消えるまで。
俺たちの元いたキーボードは、ナオトと衝突して辞めた。いいやつだったのか、と聞かれればまあそこそこと答えるけど、実は俺らがバンドを始めるとすぐ入れてくれと言って来たやつで、入れない理由もなかったのでオーケーした。
いさかいがなんだったのか、俺もツバサも知らない。けど、辞めたいって言うやつに辞めるなっていうほどやつの事を知らなかった。
キーボードがあるのとないのでは、音を出していてもまったく違う。メロディの厚くない音は、安っぽかったしつまらなかった。
今、俺らの音を作るのには、キーボードが不可欠なんだ。
「だからさ、もう一回言うけど一緒にバンドやんない?」
更沙もぎょっとした顔をしていた。
誰も何もいわなかった。うつむいて考えている更沙。
ナオトは何かにうなずきながら、まだなんか食うつもりだろうか、手を上げた。
「すいませ~ん、ここ、アイス四つもってきて~」
こっちに顔を向けると
「まあ、デザートは俺のおごりってことで!おい、ツバサよろこべよ」
「ご、ごちそうさま、う、うれしいな。デザート」
ツバサの半べそかいたような笑顔を見ながら、更沙が立ち上がった。
「ごちそうさま、あたし、帰る!」
まあ、腹も一杯になったから変な気は起こさないな。いや、でもこいつは死のうなんて思うだろうか。表情は、かたくなだけれど意思の強さとしなやかさが感じられるのは俺だけかなぁ。
「おい、土曜の五時からエムハウスのスタジオで練習するから来いよ!」
俺の言葉は更沙の後姿に届いたふうだったが、そのまま何も聞こえなかったようにドアを開けると夜の冷たい風の中に消えていった。風が更沙の髪をなでていた。
残された俺たちは、一つ残ったバニラアイスを手もつけずに溶けるのを見つめていた。
凍るような風の音がビリビリと伝わってくるみたいで、暖かい店の窓ガラスは結露した雫がツゥーっと幾つも筋を立てて流れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます