第2話

俺らがみんなそう思った時遠くの方から、ほんと遠くの方から旅してきたみたいな風が吹いてきた。なんで遠くの方から吹いてきたって思ったかって、今まで吹いていた風と匂いが違ったからだ。

 冷たくてとがった今までと違う、やわらかくて何かの花の香りがするような風。

 泳ぐ髪を手でかきあげながら、笑ったように思えた。

 そうして、向きを変えると歩道橋にトンと足をつけた。長い髪はやわらかい風に吹かれて、彼女はじっと立っている。彼女の周りから危険な気配が消えた、そう思わせるぴんと張ったまっすぐな背中。

 俺らは止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。しばらくは大丈夫だろうと思った。


 まだ日が落ちきっていない空は淡い紺色になりつつあって、白い月が張り付いている。その方向に顔を向けて少女は、手を伸ばす。長い髪がさらさらと流れていく。

 そこだけ切り取って、箱に入れておきたいようなワンシーン。


 振り向いた俺にツバサがドラムのスティックを叩いて見せた。ベースのナオトはかっこいい顔でウィンクなんかしながら親指を立ててみせる。かっこつけすぎだぜ。

 安心して俺らは、もう一度最初から演りなおした。


 広い駅前のロータリー。

 ここに立って俺の頭の中を、いろんな言葉がくるくるまわっている。

 息を吸い込んで、腕を振り下ろす。


 ギャンという音が、思ったより大きく高く空に舞い上がった。

 俺のギターの音はあたりにぱぁっと散っていく。

 会社帰りのサラリーマンは急ぎ足で通り過ぎる。

 俺たちのことをちらっと横目で眺めながら、興味もなさそうに家路を急いでいる。

 振り返るやつもいるけれど急ぎ足は立ち止まる事が許されないようだよね。意思とは関係なく家路に向かってロボットみたいに四方に消えていく感じ。

 そう、この時間。地球のすべての時計が動き出したような忙しい夕暮れ。アップテンポに時計の針が回っているような気がするのは俺だけなんだろうか。

 闇に暮れる前にどこかに隠れなければ、飲み込まれてしまうようなあせり。


 まわりの急いでいるそいつらの身体をすりぬけて、小さなシャボン玉のようにあちこちで俺らの音が破裂している。

 立ち止まった、何人かの人。いくつかの拍手の音。それも、すぐに消えて誰もいなくなる。          

 次の電車が着くまではしばらくの間人影も消える。

 それでもなんだか、心地良い。俺らの身体から何かが、最大のボリュームになって駆け抜けてゆく。自分の音が意思を持って、羽ばたいているような気がする。

 冷たい風も音に合わせてるみたいに聞こえてくる。

 ふと、横を見るとベースギターも満足そうだし、後ろのドラムは微笑がこぼれている。みんな、いい顔してるじゃんか。

 そして、歩道橋の少女は空を見てる。


 路上ライブをやろうと言い出したのは、もちろんベースギターのナオト。

『人に聞いてもらうって、どんな事なのかわかんないうちは音の本質がわからない』そう兄貴に言われたからと、はりきった企画。俺も反対する理由もなかったので、話に乗った。

 三曲目の終わりごろ、少し周りを見渡して音の行方を見つめてみた。

 たまに立ち止まる人もいるけれど、ロータリーには俺たちだけで頭の上を寒い北風が通り抜けていく。

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