第65話「おやすみ、こいびとたち」

 誰もが目を疑っただろう。

 メリッサも、目の前の光景に絶句した。

 自らの武器であるグラスヒールにはりつけにされたまま、サンドリオンはシュンになぶられ、陵辱りょうじょくの限りを尽くされていた。

 エンジェロイド・デバイスは血を流さない。

 涙も流せない。

 だが、その痛みを感じることができるのだ。自分の痛みも、親しい者の痛みも……ゆえに今、メリッサは周囲の音が消え去る錯覚の中で絶望した。

 ただただシュンの声が、その哄笑こうしょうだけが響き渡る。


「あははっ! あーあ、サンドリオン壊れちゃった……ほら、返すよ」


 シュンが投げ捨てたのは、サンドリオンのひび割れた頭部だ。

 無理矢理力ずくでむしり取られた首が、コンテナを弾みながら落ちてくる。

 咄嗟とっさに飛び出したアークが、それを受け止め……その場に崩れ落ちた。圧倒的な覇気に満ちた、偉大な武人がひざくっした瞬間だった。

 そんな姿は、メリッサだって見たくなかった。

 だが、アークの震える声に、この場の誰もが奥歯を噛み締める。

 口元をいびつに釣り上げるシュン以外の誰もが。


「ああ……サンドリオン。オレが弱い、ばかりに……サンドリオンッ!」


 だが、すでにあの優しげな声は失われていた。

 一瞬で。

 永遠に。

 シュンは我が物顔でグラスヒールを引き抜き、鎖で縛られていたサンドリオンの亡骸なきがらを解放する。巨大なひつぎにも似たグラスヒールを肩にかついで、シュンは指で挑発の手招き。

 激昂げきこうに震える身を、辛うじてメリッサは制御した。

 ここで冷静さを欠けば、それこそシュンの思うつぼである。

 必死で理性を保つメリッサに、シュンの声が降ってきた。


「キミ達さあ、母様の魔力で人間の心を手に入れたよねえ? でも……サンドリオンが手にれいたのは、人間であって人間ではない……そう、

「な、なにっ!?」

「弱い弱いサンドリオンは、そのことにずっと悩んでた。ハハッ! 喜ばしいことなのにね? あの冷徹れいてつな、精密機械みたいな殺意のかたまり……パラレイドって素晴らしいじゃないか」


 これ以上、言わせてはいけない。

 言いたい放題を許してはいけないのだ。

 だが、そんな時……不意に絶叫が迸る。

 それは、メリッサ達姉妹の妹、みんなが妹と認めた少女の慟哭どうこくだった。

 涙がほとばしるのは、彼女がエンジェロイド・デバイスを超えた存在だから。


「シュンッ! やめろ……それ以上っ、サンドリオンお姉ちゃんをはずかしめるな! お前は……サンドリオンお姉ちゃんの命を奪って! その心も魂も奪うつもりなのか!」


 アルタが絶叫と共に拳を振り上げる。

 放たれたマニューバ・フィストが、あっさりシュンに片手で止められた。

 やはり実力差は歴然で、シュンに力を込めた素振りは見られない。

 また、強くなっている……以前よりも、段違いにパワーアップしている。それはメリッサだって一緒で、だからこそはっきりと感じることができるのだ。

 だが、泣き叫ぶアルタを異変が襲う。


「おやおやぁ? アルタ、お前……アハッ! 泣いてんの? ばっかみたい!」

「うっ、うるさい! アタイが泣けんのは……泣いてんのはぁ! お姉ちゃん達の……エンジェロイド・デバイスのい代わりに泣いてんだっ!」


 その時だった。

 シュンがつかむマニューバ・フィストから、突然……黒い炎が吹き上がる。

 そして、ゆっくりコンテナの上のシュンへと、アルタの身体が浮かび上がった。

 まるで、マニューバ・フィストと腕とが、見えない糸で繋がっているかのようだ。

 白亜に輝くアルタの身体が、徐々にドス黒く染まってゆく。


「シュン……お前は、ここでアタイが……っ! ……われが、めっする!」


 アルタの声が豹変した。

 同時に、シュンは両手でマニューバ・フィストを抑え込む。

 しかし、回転を再開した小さな拳は、唸りをあげて燃え上がった。

 滑るように飛ぶアルタが、放った拳へと腕を合体、そのままシュンへと押し込む。

 あっという間に二人は、壁に激突して部屋が揺れた。

 均衡きんこうが崩れた間隙かんげきを縫って、メリッサはコンテナを駆け上がる。一度だけ振り返れば、まだアークはサンドリオンの首を抱き締めうずくまっていた。

 彼女はメリッサの視線に気付いて、肩を震わせながら呟く。


「オレは……弱いな、メリッサ。自分の女一人、守れない……なにも、してやれなかった」


 だが、メリッサは切り立つ壁の上で止まると、首を左右に振って叫ぶ。


「本当に強い人なんて、いないっ! ……いないんだ、アーク。みんなが等しく、同じく弱いんだ。弱いからみんな、強くあろうとする。弱いからみんな、強くなれるんだ」


 弱々しく立ち上がるアークは、メリッサを見上げる。

 アークもまた、泣いていた。

 彼女も、トヨトミインダストリーの織田竜華オダリュウカが作った存在……エンジェロイド・デバイスとは規格の違う者だから。オーバーテクノロジーの産物である故に、彼女とアルタは涙を流す。

 かなしみに沈んで、泣くアーク。

 怒りに燃えたぎって、くアルタ。

 それは、メリッサ達と同様に人の心がある証拠だ。


「アーク!」

「オレは……オレはッ!」

「待ってて、アーク……私がアルタを止めてくる。そして、シュンをっ!」


 見上げてくるアークが、驚きに目を見開く。

 メリッサはうなずき、再度コンテナの上へと駆け上がろうとした。


「メリッサ……オレに戦えと言わないのか」

「誰だって、悲しみの中では戦えない。そして、その悲しみに無理にあらがわなくてもいいんだ。アークの分まで、私が戦うっ!」

「……メリッサ、お前は」


 コンテナの上へと飛び出て、ヴァイブレードを構える。

 眼帯のせいで視界は狭いが、強烈な殺意が二つ感じられた。

 アルタにいたっては、その殺気が形となって全身からほとばしっているかのよう。真っ黒く変色したアルタの肉体から、ゆらりと不気味な波動が滲み出ている。それは黒い炎となって、彼女自身をも燃やし尽くさん勢いで揺れていた。

 そして、グラスヒールを構えるシュンも狂気に笑う。


「いいよ、お前っ! 一気に強くなった……それならボクを倒せるかもね!」

「さえずるな……我の一撃にて、滅せよ! その因果いんが未来永劫みらいえいごうの果てまで消し飛ばす!」


 アルタの荒ぶる力、それは危険な強さだ。

 それは強さなどではなく、ただただ力でしかない。

 だが、メリッサは二人の戦いに割って入るタイミングが掴めない。あまりに高次元、そして高レベルな戦いだからだ。互いに暴力の奔流ほんりゅうと化して、アルタはシュンと危険な一撃を繰り返す。

 双方、当たれば致命打はまぬがれぬ攻撃の中で、防御を捨てて削り合っていた。

 意を決して、メリッサは身構え切り込む。


「アルタ、そんな力で戦ってはいけないっ! その力は、危険だ!」

「……メリッサ、邪魔をするな。我の怒りは既に怒髪天どはつてん……シュンを滅殺めっさつする!」


 無邪気な笑顔で、少年のように屈託くったくないアルタではなかった。

 そこにはまさに、修羅しゅらがいた。

 吹き出す漆黒の闘気にまみれて、アルタはシュンを狙い続ける。必死に止めようとするメリッサを弾き出すように、ゆらゆら揺れる暗黒の気迫が渦を巻いていた。

 そして、流石さすがにシュンが表情を凍らせる。


「ちょっちヤバい、かな? ふふっ、このスリル……本物だねっ!」

「シュンッ! お前は許せない、けど、今は退いてっ! アルタにこんな形で、お前を倒させてはいけないんだ!」

「メリッサ、ボクが憎いだろう? 殺してやりたいんじゃないの? アルタは未熟だから、力をコントロールできない。けど、自分ごとボクを殺すかもねっ!」

「お前に殺すだけの価値なんかあるものか……アルタの未来をぶつける価値なんて!」


 メリッサは必死に走った。

 逃げるシュンを追い、シュン共々アルタの攻撃にさらされる。

 そんな状況を嘲笑あざわらうように、シュンがまたしても蛮行ばんこうに走る。

 シュンの逃げ道を丁寧に潰しながら、アルタの鉄拳が引き絞られた。

 そして……シュンはその瞬間、首を失ったサンドリオンを拾い上げ、たてにする。

 憎しみに燃えるアルタの一撃が、迷わず放たれた。


「アルタッ!」


 メリッサの叫びもむなしく、砕けて割れるプラスチックの音が響く。

 だが、それはサンドリオンが無慈悲むじひに破壊された音ではなかった。

 ことん、と小さく鳴って転がるのは……サンドリオンの首だ。その安らかな死に顔が、先程まで抱いていた者の涙に濡れている。

 まるで、サンドリオンが泣いているかのようだ。


「……正気を取り戻せ、アルタ。お前にはそれが、できる」


 そこには、深々と胸を打ち貫かれたアークが立っていた。

 アルタの拳は、アークを穿うがって……その背後のサンドリオンにも、シュンにも届いてはいなかった。一瞬でアークは、極限バトルの中へと飛び込んできた。

 既に死んだ恋人の死を守るために、その命を使ったのだ。

 アルタの表情が徐々に感情を取り戻し、黒い炎が消えてゆく。


「我は、我、は……アタイは……アーク? あ、ああ……」

「うろたえるな。気持ちを強く持て。怒りに身を委ねるな……その怒りを胸に沈め、勇気に変えろ。お前になら……できる」


 バキバキと音を立てて、アルタの拳が引き抜かれる。

 振り返ったアークは、驚きに固まるシュンへ手を伸べた。あのシュンが萎縮いしゅくし、サンドリオンの死体を手放す。

 そのままアークは、サンドリオンを抱き締め動かなくなった。

 慌てて首を拾って駆け寄るメリッサ。

 そこにもう、荒れ狂う闘争の空気はなかった。そして、アークの眼光に怯えたように、シュンも闇に溶け消え逃げてゆく。

 そこには勝者など存在せず、恋人達は二人で物言わぬ彫像と成り果てていたのだった。

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