第64話「がらすのくつの、まほうがとける」

 こうして奴と対峙たいじするのは、何度目だろうか?

 積み上がったコンテナの上に、シュンが笑みを浮かべて見下ろしてくる。

 メリッサは自然と、握る拳にギリリときしむ音をにじませた。

 メリッサの視線を受け止め、恍惚こうこつにも似た表情でシュンは目を細める。


「ほらぁ、何をしてるんだい? アーク……大事な物を、大切な者を守るんだろう? だったら、躊躇ちゅうちょしている余裕はないはずだけどなあ? アハハッ」


 瞬時にメリッサは察した。

 アークは今、シュンに何かしらの弱みを握られている。

 戦わせられているのだ。

 そして、それはずっと前からそうだった。

 彼女は幻獣げんじゅうカーバンクルの魔力がまだ及んでいないネズミ達を避難させ、小さな隠れ里を守っていた。そこでメリッサやひょーちゃんをかくまってくれたのだ。

 何より今、間近で見やる彼女の苦悶の表情が如実に語っている。


「オレはっ、メリッサを倒す! これは武人同士の両分っ! シュン、お前の出る幕ではないっ!」

「あれー? そう言ってさあ、キミ……母様に、カーバンクル様に隠し事、してたよねえ?」

「クッ、それは!」

「どうしよっかなあ? ボクの一声で、あの隠れ里は――」


 シュンは片手を開いて爆発を表現し、「ボンッ!」と顔をゆがめる。

 どうやら、まともなネズミ達が避難している隠れ里がバレたらしい。しかも、その命運をアークはシュンに握られているのだ。

 そうと知った瞬間、メリッサの中で何かが撃発した。

 胸の奥、心の底に沈めた感情が爆発する。

 それは、憎悪。

 怒りといきどおりで敵意を燃やす、憎しみの暗い炎だ。

 全ての妹達の姉として、自らをいましめてきた。

 怨恨えんこんで戦ってはならない……そう己を律してきた。

 だが、咄嗟にメリッサはコンテナの壁を駆け上がっていた。金切り声をあげるレッグスライダーが、火花をちらして彼女を垂直に押し上げる。


「シュンッッッッッ! お前はあ!」

「アハハッ! 怒った? ねえ、怒ってる? フフフ、その顔……凄くいいよ。解体バラしてあげる。その間ずっと、そういう顔でいて欲しい、なっ!」


 鞘走さやばるヴァイブレードが、高周波を響かせる。

 シュンは両手でグラスヒールを振り上げ、叩きつけてきた。

 当たれば致命打を免れぬ一撃同士が、激しい音を奏でてぶつかる。

 そのままシュンの前に立ったメリッサは……目を疑った。

 彼女がドスン! と地に突き立てたグラスヒールには、直視に耐えられぬ少女の姿があった。それは、例えどんな立場であれ、メリッサの妹……皆と同じ姉妹の少女だ。


「……う、ああ……メリッサ、姉様」

「サンドリオン!」


 巨大なグラスヒールの刀身に、はりつけになったサンドリオンの姿があった。

 彼女のアーマーパーツは、無残にも砕かれ脱がされている。明らかに、拷問のあとが見て取れた。そして、素体の手足も傷だらけである。鎖で縛られたその姿は、まさに断罪される殉教者のようだった。

 そんな彼女の髪を掴んで、シュンがニヤリと笑う。


「コイツはさあ、メリッサ。お前達と同じエンジェロイド・デバイス……そう思うだろう? 母様の魔力の余波で、……そう思うだろう! ハハハッ!」

「……何が言いたい、シュンッ! その手を……その手を、放せっ!」


 再びメリッサが斬りかかる。

 だが、躊躇なくシュンはサンドリオンを盾にした。

 そして、悲痛な叫びが響く。


「やめてくれっ! メリッサ……シュンも。やめてくれ……もう、これ以上は!」


 見下ろせば、アークが立ち尽くしている。

 常に泰然たいぜんとして揺るがず、圧倒的な力で立ち塞がってきた強敵……アーク。カーバンクルの下僕しもべとして振る舞いながらも、常に気高い武人の挟持によって彼女は戦ってきた。その清冽なまでの意思は、優しさで弱者を守るための修羅の仮面だったのだ。

 今、彼女がメリッサには小さく見える。

 そして、自分達と同じに見えた。


「さ、そういう訳さ。アーク……早くメリッサを倒すんだ。そうじゃないと、あの隠れ里の前に……サンドリオンが、ほらあ!」

「ああっ! ……だ、駄目……アーク、いけ、ない、わ……メリッサ姉様、と」

「いい声……もっと泣いて、なげいて、わめいてよ! 悔しい? だろ? ねえ、悔しいんだろう? アハハッ! その美貌が歪む様を、もっと無様にさらしてよ!」


 サンドリオンの頭部を掴む手に、シュンが力を込める。

 今にも泣き出しそうなサンドリオンの表情に、無数のひびが走った。

 どこか儚げな細面が、ピシピシと音を立てて崩れつつあった。

 だが、サインドリオンは悲しげに言葉を漏らす。


「シュン……貴女あなたは、かなしい人」

「ん? なんだい、それは……バカ言ってると殺しちゃうよ?」

「戦うことも、従うことも……こうして振る舞っている瞬間でさえ、貴女はカーバンクルという邪悪の延長線上、末端まったんでしかないわ」

「……聞き捨てならないなあ? ボクは母様の最高傑作、一番なんだ! だから、母様とは一番強い魔力で繋がってる! そのことのなにをあわれむ? ええっ!」


 シュンがグラスヒールの鍔元つばもとから、ハンドガンを引き抜く。

 彼女は迷わず、左の弾丸をサンドリオンに浴びせた。

 胸から腹にかけて、無数の弾痕が穿うがたれてゆく。

 悲鳴を噛み殺して震えるサンドリオンが、身悶えジャラジャラと鎖を鳴らした。

 そして、いよいよアークは表情を凍らせる。


「よせ、シュンッ! 望み通り、オレは戦う! メリッサを倒す! だから――」

「なら、さっさとやりなよ。見世物はまだ途中、最後のクライマックスが楽しみなんだ……もし、つまらなかったら……わかるよねえ? アークゥゥゥゥ?」


 だが、その時だった。

 頭上から声が降ってきた。

 同時に、通風孔へのメンテハッチが蹴破られる。


「アークッ! 迷うな……手前てめぇの敵を見失うなっ! それでも戸惑とまどうってんなら……アタイが! ブン殴ってでも! 目ぇ、覚まさせてやるっ!」


 それは、姉妹ならざる少女で、確かに皆の末妹いもうと

 だれもが同じエンジェロイド・デバイスと認めた、白亜の乙女の絶叫だ。

 メリッサは見た。

 人を装う人の形、それより生じて起つ姿。

 神なる器を満たすは涙か、流れる血潮か、流した汗か。

 真っ白く燃える少女は、アルタだ。

 行方不明のアルタが、腕組みゆっくりと降りてくる。


「アルタッ!? 無事だったんだね」

「メリッサお姉ちゃん! ……そうだ、メリッサお姉ちゃんが……みんながアタイを妹にしてくれたんだ! お姉ちゃんって呼んでいいって、みんなが!」


 メリッサの横に降り立ったアルタは、言葉を失い立ち尽くすアークへも叫ぶ。


「何やってんだよ、アーク! 隠れ里のネズミ達は、全員逃したっ! ……お前はそのために、アタイを見逃し逃したな? そうやって……いつまでも一人で戦ってる気でいるなっ!」

「アルタ、オレは……」

「オレは、じゃないっ! オレ達、だ……アタイ達は、メリッサお姉ちゃん達と一緒、一つなんだよ!」


 その言葉に、シュンが片眉をピクリと震わせる。

 左右非対称の笑みが、どこまでも醜悪に歪んでゆく。

 堪らぬ様子で彼女は、ハンドガンをアルタへ向けて発砲した。

 だが、ビームの弾丸をアルタは手で止め、握り潰す。以前に会った時より、格段に強くなっている……確か、ラムちゃんが旅をしている中、皆を行かせるためにアークとの激闘に消えた筈だ。だが、彼女は信じる姉達を裏切らず、こうして帰ってきた。

 それも、何倍も強くなって、戻ってきたのだ。


「何だよ、もぉ! クソッ、イライラさせてくれる! ……ハハッ、ならもう、決まりだねえ? お前達の眼の前で、サンドリオンをバラバラにしてやる!」


 シュンは無慈悲にも、先程サンドリオンに刻まれた弾痕へと指を這わせる。

 苦痛に表情を歪めて、メリッサの前で妹がはずかしめられていた。

 無数の穴はシュンの指と手で、負荷がかかって白くなってゆく。プラスチックが熱を持ち、じれよじれて千切れそうになる。

 傷口をえぐり続けながら、シュンは興奮にほおを上気させていた。


「あは、我慢してる? いいんだよ……叫んでも。泣き叫んでさ、アークに助けを求めなよ……ねえ? お前達、人形の癖に愛し合ってたんだろう? ええ?」

「ひぎっ! っ、ぐ……あぁ、んくぅ!」

「ほーら、もう大穴が空いちゃった。今からコイツを突っ込んで、中から蜂の巣にしてあげるね……あは、かわいいじゃないか。アークをたらしこんだだけあるねえ、サンドリオン!」


 銃を手に、必死で耐えるサンドリオンの頬をシュンが舐めた。

 真っ赤な舌は、彼女をむしばむ毒蛇のようだ。

 だが、その時だった。

 メリッサにとっても想像だにせぬ結末が訪れる。

 それは、シュンが一線を超えた証拠……そして、犯してはならぬ領域を踏みにじった瞬間への代償だった。

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