第61話「さるめがみ、きたるめがみ」

 メリッサは目を疑った。

 圧倒的に優位な状況で、ウォー子は攻勢に出ていた。

 あのピー子が……ピー子を支配するマスター・ピース・プログラムが押されていたのだ。

 だが、その状況が一変する。

 ピー子に片手でくびりあげられたウォー子は、身を強張こわばらせていた。その細い首を締め上げるピー子にも、異変があらわだ。


「ウォー子! ピー子も!」


 ぼんやりと闇の中、宙に女神と悪魔が浮かぶ。

 そして、両者は震えながらゆっくりと降りてきた。

 その頃にはもう、アイリスの双子も動きを止めている。ラムちゃんも光学迷彩マントから顔だけを出して、ラティに声をかけている。

 何が起こったのか?

 それはわからない。

 だが、何かが起こった。

 もしかしたら、マスター・ピース・プログラムに異変が?

 しかし、心ばかりせいて馳せるメリッサを、カドやんの手が無言で制した。


「えっ? 先生、何……危険、だって?」


 ふらふらと降りてきたウォー子が、よろけながらも床に立つ。

 そして、その首を締め上げていたピー子が足元に崩れ落ちた。


「ラム姉様! ウォー子さんがピー子姉様の動きを封じたです!」

「……待って、ラティ。様子が、変。いや、これはむしろ……!」


 カドやんに警戒をうながされて、メリッサは身構える。

 その時、ゆっくりとウォー子がこちらへ振り向いた。

 その瞳には、無邪気で無垢むくな幼子にも似た光はなかった。代わって、心胆を寒からしめる凍えた輝きが放たれる。

 ウォー子は、不意に左右非対称の歪な笑みを浮かべた。


「ふっ、ふふ、ふは……ふはははははっ!」

「ウォー子? どうしたの、ねえ!」

「メリッサ……私は」

「私? ……君は、誰だ! ウォー子じゃないのか!」


 ウォー子は、いつも屈託くったくのない顔で笑う。

 自分のことを『あたし』と呼ぶだ。

 だが、今のウォー子は違う。そしてそれは、周囲の妹達も感じ取ったようだ。


「警戒を、サバにゃん! ラムちゃんも! メリッサ姉様、奴は……まさか!」

「くくっ! そのまさかだよ、カムカちゃん……私は、ウォー子。そう――」


 戦慄に皆が震える中、ウォー子は身震いに自分を抱き締める。

 まるで、湧き上がる力を制御しきれぬかのようだ。

 そして彼女は、見るも醜悪な哄笑こうしょうと共に叫んだ。


「私はウォー子、!」

「え……ウォー子、ねえ、ウォー子!」

「お前達の知っている、ウォーバットのウォーこなど、もういない。私はウォージオン……マスター・ピース・プログラムの完璧な姿。よりふさわしい肉体へと、己をインストールすることで完成したのだ!」


 ゆらりと怪しげに身を揺らしながら、ゆっくりとウォー子の身体が浮いてゆく。

 その身体に塗られた、灰色の塗料が煙を上げ始めた。今、ウォー子の全身が強烈な発熱で燃えている。沸騰ふっとうしながら、塗料が溶け落ちてゆく。

 そして、再び漆黒しっこくの悪魔付きとなったウォー子が、その手に巨大な剣を構えた。

 刹那せつな、光の刃が周囲を薙ぎ払う。

 咄嗟とっさにメリッサは、消耗の激しいカムカちゃんとサバにゃんをかばった。

 ヴァイブレードの刀身が震えて、巨大なE・クレイモアーの一撃を辛うじてそららす。


「ははあ! 今のをはじいてさばくかあ……いいねえ、メリッサア!」

「クッ! この力……今までのウォー子じゃないっ!」

「この躯体くたいの方が、ピー子よりポテンシャルが高い……つまり! 上出来な人形ってことだよおおおおっ!」


 ラムちゃんからの援護射撃が、辛うじてウォー子を下がらせる。

 しかし、その間隙かんげきに飛び込んできたラティが、ウォー子の笑みに挑発された。


「はははっ! 全員でたばになってかかってこい!」

「ラム姉様の大好きな、姉様達はっ! 誰一人として、私がやらせません!」

「来るかい? チビドラゴン風情が!」

「このっ……ウォー子ちゃんをっ! 返して、ちょう、だいっ!」


 繰り出されるソードブレイカーが、巨大な剣を右に左に流して無力化する。だが、粒子の光が舞い散る中で、ウォー子の笑みが恭悦きょうえつ愉悦ゆえつに濁っていった。

 この戦いを、楽しんでいる。

 苦戦の中、押して来るラティをも愛でて慈しむような、そんな瞳が見開かれいてた。


「この調子なら……ウォー子ちゃん、今すぐ助けますっ!」

「ハッ! 馬鹿が! この身体はもう、私のものなんだよ! ……ソードブレイカーのぉ、使い方ぁ!」


 不意にウォー子が左手をかざした。

 瞬間、メリッサが走り出す。彼女の左手に内蔵された、それは奇しくもラティと同じ武器。姿なき刃の破壊者が、金切り声と同時に光をほとばしらせた。

 そして、叫ぶメリッサに呼応するように、カドやんが地を蹴って飛ぶ。


「なっ……これは!?」

「E・ソードブレーカーだ! 実体剣すらも弾く粒子フォトン障壁しょうへき……さあ、押し潰されちまいなあ! ヒャハハッ!」


 邪悪なる黒き女神付き、ウォージオンの化身へとした今も……ウォー子には、ウォーバットのウォー子だった時の武器が生きている。

 体勢を崩されたラティは、かばって飛び込んだカドやんに救われた。

 瞬速の抜刀術が、居合となって放たれる。

 だが、既に光剣ですらないカドやんの刀を、いとも簡単にE・ソードブレイカーが防ぐ。まさしく、最強の矛と無敵の盾……マスター・ピース・プログラムゆえに、その全てが完璧に調和して運用されている。

 流石のカドやんも、焦りに表情が強張った。


「くっ、ウォー子! 私が……でも、やるしか……ないの? いや、あきらめないっ!」

「諦めろ、メリッサ! 既にもう、私の中にウォー子はいない。奴の人格と記憶は消え去ったんだよぉ! そして、私がマスター・ピース・プログラムを統べる者、マスター・ピース・プログラムそのもの……! 全ての武力を支配する超越者だ!」


 静かにウォー子が両手を広げる。

 そのまま宙へ舞う姿は、まさしく全能神の威厳。

 だが、その笑みはあまりにも冷たく禍々しい。


「さあ、下僕しもべの星達よ……忠実なる我が手足、アイリスの双子よ。再び私の敵を討てぇ! 終わりだぁ、エンジェロイド・デバイス共ぉ!」


 大見得を切って、ウォー子が両手を振り上げる。

 だが、静寂が洗濯室を支配した。

 ただ静かに、待機電力で動く機器の小さなモーター音が響く。

 ウォー子はその時初めて、異変を感じて不愉快そうに顔を歪めた。


「どうした! このグズ共がっ! 呼んだら飛んで来るんだよ、奴等を殺せェ! どうした、アイリ! リース!」


 だが、その声に返事を向けたのは、アイリスの双子ではなかった。

 闇の中、突然室内の照明が一箇所だけともる。そのスポットライトの下に、それぞれアイリとリースを抱き上げた一組の少女が立っていた。

 その姿に、メリッサは目を見開く。


「あ、あれは……! ! !」


 二人一組のエンジェロイド・デバイスが、そこには立っていた。

 優雅に、そして神々しく毅然きぜんと。

 輝く銀髪に、蒼雷玉トルマリンのような双眸そうぼう凛々りりしい眼差し……名は、トレア。

 そして、きらめく金髪に、紅焔玉ルビーのような燃える瞳……もう一人は、ティア。

 アストレアとユースティアをモデルに造られた、No.022のトレアとティアだ。二人共、腕に姫君のようにアイリとリースを抱きかかえている。

 そのまばゆい姿に、ウォー子が激昂げきこうの声を叫んだ。


「何ぃ……新手だと! 貴様等ぁ……まあいい、心身をクラックして、新たな下僕としてくれよう!」


 だが、トレアとティアは互いに典雅てんがな微笑みを交わす。

 まるで、戦いの中にあって戦いを感じさせない雰囲気だ。それはどこか二人の従者を従えたフランにも似ている。気品に満ち溢れ、決して動じず揺るがない。

 メリッサが驚きに固まっていると、二人はそっとアイリスの双子を卸した。


「ウォー子さん、今すぐ抵抗をやめてください。さもなくば」

「ええ、そうでしてよ! わたくし達が、いえ……このっ! ユースティアの、ティアが!」

「ええ……ティアさんが」

「そう、わたくしが……って、ちょっと? トレアさん? 何を――」

「ティアさんの空戦能力、甘く見ないでもらいましょう。ですね? ティアさん」

「え、ええ! 勿論もちろんですとも! ……で、何でわたくしを、あ、ちょっと! トレアさん!」


 トレアは突然、片手でひょいとティアを持ち上げた。軽々とティアを猫のようにつまみ上げて……次の瞬間、腕ごと回転させながらウォー子をにらむ。


「いきます! ティアさん! ヴィブロナックル・アンド・ティアさんです!」

「ちょ、ま……え? ええっ!? ふ、ああああああっ!?」


 トレアは、ティアを投擲とうてきした。

 それは、ウォー子を支配するマスター・ピース・プログラムには、思いもよらない攻撃だった。相棒を投げつけてくるなど、誰も想像しないのである。

 メリッサも呆気あっけにとられる中、ティアは最初こそ狼狽うろたえていたが、その両手から鋭い刃を現出させる。咄嗟のことで、防御もできずにウォー子は床へと叩きつけられた。


「やったの?」

「いえ、まだです!」

「トレア……君、無茶するね」

「おめに預かり光栄ですわ、メリッサお姉様」

「……褒めて、ないけどね」


 空中でキラキラと決めポーズを取るティア。

 だが、怒りの表情でウォー子は立ち上がる。その手は、倒れていたピー子のひたいの女神像を握り締め、もぎ取っていた。そして、彼女の頭部の悪魔像が、今の攻撃で転げ落ちた。


「クッ、エンジェロイド・デバイス共ぉ!」

「女神の加護なき闇のピージオン……戦争の影を背負う貴女に私達女神の力は負けません! さあ、ウォー子さんを解放なさい! マスター・ピース・プログラム!」

「そうですわ! さもなくば……あ、でもトレアさん? 投げるのは今後はナシにして頂戴ちょうだいな。よくて? ……お返事! よ・く・て?」

「考えておきましょう。さあ、覚悟なさい!」


 ウォー子は、方位をせばめるメリッサ達に舌打ちして、宙へと舞い上がる。

 ラムちゃんの狙撃を二度、三度と身に受けながら、その姿は闇の奥へと飛び去った。急いでピー子を抱き上げ、息があることにほっとするメリッサ。

 だが、シンボルである女神像を奪われたピー子は、目を開けてはくれないのだった。

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