第42話「ふきだまりにつばさ、かぜ」

 その場所は、潮騒しおさいも感じず波の音もしない。

 ただ、砂の海から吹く熱した風がほおかすめる。

 ラムちゃん達が降り立ったのは、砂漠の外れにある大きな港町だった。そこでは、様々なネズミ達が行き交っている。活気に沸き立ち、誰もが生き生きと往来おうらいを歩いていた。

 船から降りて船長と別れると、ラムちゃんはルナリアとラグナス、そしてアノイさんと歩き出す。

 勿論もちろん、借りたネズミの着ぐるみで全身を覆って。


「大丈夫なのでしょうか、見つかってしまうような気がします」


 声をひそめてラムちゃんがつぶやくが、ルナリアとラグナスは気にした様子が見られない。

 そして、アノイさんは着ぐるみで身を包んでいても堂々としていた。彼女は物珍しそうに周囲を見渡し、うんうんと大きくうなずいて歩き出す。慌ててラムちゃん達が追いかけるが、アノイさんはマイペースで露天商ろてんしょうを冷やかしたり、屋台やたいのぞいたりと唯我独尊ゆいがどくそんだ。

 だが、アノイさんはただ気ままに歩いていた訳ではないらしい。


「姉者、この先に酒場がある。まずは情報を収集しよう」

「は、はい……そうだったんですね、アノイさん。酒場は情報と人が集まる場所。酒場の場所を聴き込んだりしてたんですね!」

「ん、いや? のどが乾いただろう、姉者。さあ、早く行こう」

「は、はあ」


 アノイさんは、どこまでも大物オーラ全開なのだった。

 やがて、一同が歩く先へと不思議な建物が見えてくる。周囲には廃材を利用したて小屋や屋台、あとはその場に敷物を敷いた出店が無数にある。

 その建物だけは、比較的しっかりした作りでネオンが昼から灯っていた。

 そっとラムちゃんの耳元で、ルナリアがささやく。


「ラム姉様、ここが酒場でしょうか……? あのネオン、サイリウムですね」

「あっ、そういえば! ……確か、吹雪優フブキユウさんや市川流イチカワナガレさん、小原雄斗コハラユウトさんが食堂で言ってました。アイドルアニメ布教用のサイリウムが、何本か紛失したって」

「雄斗さんは確か、フラン姉様達のマスターですね」

「うん。あ、凄い……この酒場、全体は物資運搬用の小型コンテナです」


 アノイさんが堂々と入っていくので、一同そのあとに続く。

 扉を開けば、薄暗い中ではムーディーな音楽が流れていた。部屋の照明は必要最低限で、そこかしこでネズミがくつろいでいる。誰もがチラリとラムちゃん達を見たが、怪訝けげんに思うでもなく酒やカードに戻ってゆく。

 ラムちゃんはルナリアと一緒に、アノイさんの背中にひっつくようにして進んだ。

 あとをふわふわ追ってくるラグナスも、勿論見た目はネズミのような何かである。

 やはり、この着ぐるみの出来はひどい。

 ネズミに見えなくもないが、それには好意的な拡大解釈を総動員する必要がある。


「なんでばれないんでしょう……ひょっとして、アークさんの作る着ぐるみには秘密が? ……いえいえ、そんなこと……ないとも、言い切れないですね」

「それより、ラム姉様……あれを」


 ルナリアの耳打ちで、ラムちゃんは目をらす。

 向かうカウンター席の近くに、大きなテーブルを占領する一団がある。全員、鎧姿よろいすがたのネズミで武器を持っている。剣や手斧ておのがメインだが、中にはライフル銃を持っているネズミもいた。

 全員、鎧の胴に同じマークが描かれている。

 それは恐らく、カーバンクルの兵隊であることを現す紋章もんしょうだ。

 九尾の狐ナインテイルを象ったモチーフが、真っ赤な色できざまれている。

 しかし、アノイさんは平然とその横を通り過ぎて、カウンター席にドッカと座った。


「御主人、われには冷たい麦酒ビールを。姉者達もさあ、隣へ。なにを飲む? 我のオススメは……よく冷えた麦酒だ」

「ちょ、ちょっとアノイさん。……お金は持ってるんですか? 確かネズミさん達は」

「フッ……我のおごりだ。御主人、これで足りるな?」


 アノイさんが一粒のビーズを取り出す。酒場の少ない光を拾って、キラキラと金色に輝くビーズだ。それを見たバーテンのネズミは、黙って大きなジョッキに麦酒を注いでくれる。

 よく見れば、缶ビールがそのままサーバーとして立てられていた。

 ネズミの目線の高さに、蛇口がつけられているのだ。


「アノイさんが飲みだしちゃった……えっと、ルナリア? どうし、よ、う……って、ルナリア? あっ、ラグナスまで。ちょ、ちょっと、あのですね!」


 流石さすがはあのアノイさんの姉、そしてその守護騎士しゅごきしである。

 気にした様子もなく、ルナリアとラグナスもまたカウンターに座った。二人が手招きするので、結局ラムちゃんも座ることにする。

 しかし、飲酒はいいのだろうか?

 自分達はプラモデルだから、酔っ払うことはないだろうが。


しゅはパンとワインをおめぐみくださるのですから、大丈夫です。さ、ラム姉様も。ラグナスは私と同じワインでいいかしら?」

「我が契約者よ、それで構わんが……ラムちゃんは」

「え、えっと……じゃ、じゃあ、牛乳で」


 全く緊張感がないのが、あきれるどころか一周回って頼もしい。

 アノイさんは着ぐるみの頭部を上手にずらして、麦酒を飲み出した。ごくごくのどを鳴らして半分ほど飲むと、美味しそうに溜息ためいきこぼす。

 不意に背後でネズミの声がしたのは、そんな時だった。


「……おう、ちょいと待ちな。お前だよ、お前……見るからに怪しいだろ? ああ?」


 ラムちゃんはドキリとした。

 あんまりびっくりしたので、冷えた牛乳のグラスをつかむ手が震えた。

 だが、冷静に……努めて平静をよそおい、じっと動かない。

 背後の声に、誰も振り返らなかった。

 そして、ルナリアがいつもの静謐せいひつな声を震わせささやく。


「ラッ、ララ、ラム姉様。だっ、だっ、だいっ、じょじょじょ、じょうぶ……大丈夫です、おっ、おお、おっおっ、落ち着き、ましょお」

「うん、まずルナリアが落ち着こうね。ラグナス、彼女を守って」

「やるか、姉者? ならば我が、灼獄しゃくごく業火ごうかで町ごと」

「待って、アノイさん待って。と、とりあえず麦酒飲んでて……二人共落ち着いて」


 背後でネズミ達がざわめき出した。

 そして、先程の兵隊らしきネズミの声が野太く響く。


「おう、シカトしてんじゃねえよ! このっ、着ぐるみ野郎っ!」


 心臓が止まるというのを、初めてラムちゃんは実感した。

 勿論、エンジェロイド・デバイスに心臓はないし、人間だけが使う比喩表現ひゆひょうげんだ。だが、有りもしない心臓が喉の奥から飛び出てくるかに思えた。

 ここで戦うとしたら、それはしかたがない。

 だが、この港町には普通のネズミも沢山いる。

 洗脳されたネズミだけを倒しても、その余波が被害を広げて酒場は壊滅してしまうだろう。そして、そのまま暴れ続ければ、この港町自体が大きな損害を被るのだ。

 なんだか、ネズミ達のことも考慮に入れてる自分が少しおかしい。

 だが、ラムちゃんには確信があって、それを信じることを迷わない。

 もし、姉達が……そしてメリッサがいたら、絶対に戦いを避けるである局面だった。


「隊長ぉ! こいつ、びびってんじゃないスか?」

「へいへーい、そのイカした着ぐるみ脱がしてやろおか? ええ?」

「なんとか言ったらどうだっ! この――」


 次の瞬間、ラムちゃんは耳を疑った。

 そして、妹達と同時にそろって振り返る。


「このっ、!」


 そう、ペンギン。

 南極に住んでるペンギンだ。

 どういう訳か、ネズミ達と同じサイズのペンギンが、酒場の中で酒を飲んでいた。ボトルにはスコッチと書かれてある。

 怪しい。

 というか、怪しさ全開である。

 ペンギンはじろりとネズミの兵隊達を見て、やれやれと肩をすくめる。寸胴体型ずんどうたいけいで肩はないが、短い両の翼でそういう仕草をしてみせたのだ。


「君達、酒ぐらい静かに飲めないのかね? ああ、すまない。酒の楽しみ方がわからないのか。そうであれば、人生の半分とちょっとを損していることになる」

「なんだ手前ぇ……どこのどいつだ! ええ、おいっ!」

「君は私が同じネズミに見えるとでも? 失礼だが眼科か脳外科に行きたまえよ」

「ッッッッッッ! 言わせてっ、おけばあああ!」


 その時、ラムちゃんは思い出した。

 彼女は――そう、ペンギンは落ち着いた女性の声で喋っていた――確か同じエンジェロイド・デバイスの仲間。つまり、ラムちゃんの妹だ。惑星"ジェイ"の暗黒大陸、レオス帝国のとある冒険小説家が書いた創作上の登場人物……その作品とコラボして作られ、どういう訳かバカ売れした妹がいたのである。

 驚き固まるラムちゃんは、そっと隣のルナリアに耳打ちする。


「えっと、ルナリア……あのペンギンさん。妹、かもです……私の」

「待ってください、ラム姉様……正しくは、あれは鳥綱ちょうこうペンギンもくペンギン科オウサマペンギン属、コウテイペンギンです」

「いや、そういう話じゃなくて」

「しかも、ラム姉様! あの子……テンガロンハットを被ってます!」

「そうですね、でも大事なのはそこじゃないです、けど――」


 ふと逆の横を見れば、アノイさんは着ぐるみの中で震えていた。


「か、かわいい……我は今、初めてペンギンなる動物を見たが」


 すかさずルナリアが「ペンギンは鳥です、アノイさん」と言葉をはさむ。

 だが、アノイさんはうっとりしたようにペンギンを見詰めて固まっていた。


「姉者、あれがペンギン……我は今、猛烈に感動している! なんて愛らしい!」


 だが、ラムちゃん達が呑気のんきにカウンターから見守っていられるのも、それまでだった。兵隊のネズミ達が武器を取り出すと、客達が混乱しながら逃げ始めた。

 バーテンダーはすかさず、カウンターの影に隠れて念仏ねんぶつとなえ出す。

 そして、ペンギンはゆっくりスコッチを飲み干すと、椅子を降りた。

 それは、よく通る声が叫ばれるのと同時だった。

 見れば、人の波に逆らい一人の少女が現れた。

 そう、少女……人の姿を模したエンジェロイド・デバイスに見えた。


「オレ、見付けた! オマエ……悪いネズミ! 教えろ……カーバンクル! 居場所! 教えろ!」


 たどたどしい言葉が、清冽せいれつなまでにんだ怒りをはらんでいた。

 一人の少女が、まるで封印されたように包帯で覆われた大剣を背から下ろす。赤いアーマーを着込んだエンジェロイド・デバイス……ラムちゃんの妹がまた一人。彼女は、額のバイザーに六つの眼光を並べて輝かせると、気勢を叫んで地を蹴った。

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