第37話「せいなるほのお、よるをさく」

 かくして、戦端せんたんは開かれた。

 ステーギアたちが向ける銃口の先で、アノイさんはゆっくりと舞い降りる。腕組うでぐみ胸をらしたまま、彼女は決して動じず揺らがない。

 ビームの奔流ほんりゅうが放たれる中で、ラムちゃんは見た。

 ほとばし紅蓮ぐれんの炎は、アノイさんを包んで燃え盛る。

 粒子りゅうしつぶてはじいて消し飛ばしながら……炎の魔神は地面に降り立った。


「彼女も……私の妹。アノイさん」


 ラムちゃんは今、逃げ惑うネズミたちを守りつつ……その場で動けないルナリアを背にかばう。彼女は今、恐怖に震えながらうずくまっていた。寄り添うラグナスも、かける言葉が見つからずに無言を貫いている。

 小さなオアシスの聖地は今、鉄火の舞う戦場と化していた。

 その悲劇を演出した黒き風が笑う。


「反乱分子は、これを全て鎮圧ちんあつする。全てはカーバンクル様のために……エンジェロイド・デバイスは破壊する。常闇とこやみのフェンリル三姉妹の名にかけて」


 ディエストは手にしたライフルを捨てると、両手に大型のダガーナイフを抜き放つ。ステーギアたちが無言の殺意で取り囲む中、彼女とアノイさんを閉じ込めた円形の闘技場コロッセオが浮かび上がった。

 逆手さかてに握った左右のダガーナイフを構えて、ディエストが静かに腰を落とす。

 だが、アノイさんは相変わらず腕組み黙ったままだ。

 ラムちゃんも気付けば、固唾かたずを飲んで見守るしかできない。

 ディエストは冷たい殺気を放ちながら、じりじりとアノイさんに迫った。


「どうした、アノイさん……怖気おじけづいたか? 私と戦え。構えろ!」


 アノイさんは黙って動かず、腕組み見下みおろすようにディエストを一瞥いちべつ。その右肩に燃え盛る真っ赤なほむらが、静かに揺れているだけだ。全身すきだらけ、ただ黙ってディエストを見詰めている。

 だが、ディエストはなにかを悟ったのか、周囲を円の動きで回りながらも攻め込まない。

 見守るラムちゃんの肌を、ひりつくような緊張感ががしてゆく。

 アノイさんはただ静かに、身動き一つせず言い放った。


「我に構えろと? フッ、遠慮は無用だ。構えるに値する敵かどうかは、我が決めること……どこからでも掛かってくるがいい」


 不遜ふそんにさえ思える、圧倒的な自信。

 そして、アノイさんから迸る闘気がそれを裏付けていた。

 ディエストにもそれがわかるのか、彼女もまた一定の距離を取ったまま動かない。

 いな……

 腕組みたたずむアノイさんが、ラムちゃんには何倍も大きく見えた。圧倒的な威圧感を発散する妹が、この上なく頼もしい。そして、同時に少し恐ろしい。戦慄の炎をくゆらす妹は、涼し気な笑みをたたえたままディエストをにらんでいた。

 緊迫の膠着状態こうちゃくじょうたいが続く中、そっとラムちゃんはルナリアの肩を抱く。


「ルナリア、しっかりして。ネズミさんたちを……ルナリア?」

「……ラム姉様、私は……」

「大丈夫です。私が、私とアノイさんが教会を守ります。ルナリアはネズミさんたちを逃してあげてください。ラグナス、お願いできますか?」


 ルナリアの隣で、宙に浮かぶ相棒がうなずく。

 こんな時、ビームライフルとシールドだけの武装では少し心もとない。接近戦用のビームサーベルと、この三つだけが今のラムちゃんの全てだ。

 だが、羽織はおったマントを砂漠の夜風に遊ばせ、ラムちゃんは周囲に視線を振りまく。

 既に百、二百と増えたステーギアは、まるで精密機械のように無駄のない動きで包囲してくる。この小さなオアシスの集落は制圧され、黒き殺意の中に圧殺されようとしていた。

 だが、そんな窮地きゅうちで声を発したのは……意外にもアノイさんだった。


「我は己の認めし強者きょうしゃとのみ、戦う。その自信があるのなら遠慮なく掛かってくるがいい。もっとも……我を燃やして焦がす熱がなくば、ただ炎の中に消し炭と消えるのみ」


 ディエストは無言で動かない。

 だが、彼女たち二人を取り囲むステーギアに異変が伝搬でんぱんしていった。

 ラムちゃんも、肌をひりつかせる強烈な気迫に武者震いが止まらない。

 ステーギアの軍団は徐々に、一糸乱いっしみだれぬ統率力に波紋を広げていった。アノイさんが発する無言の圧力が、過度な緊張の中で機械人形たちを狂わせる。

 それを察したのか、唯一冷静さを保つディエストだけが声を荒げた。


「どうした、なにを動じているっ! 包囲は完璧だ、現状を維持しろ。奴は私が――」


 次の瞬間だった。

 アノイさんから発する熱にあぶられ、ステーギアたちが混乱の中で統制を見出した。

 すぐにラムちゃんにはわかった。

 それは、圧倒的な敵を前に広がった、恐懼きょうく恐慌きょうこう

 アノイさんの圧倒的な覇気にあてられ、ステーギアたちは普段は見せない顔で絶叫を張り上げる。絶対的な戦場の支配者を前に、恐怖に負けた者から突撃を開始した。

 個にして全、全にして個……それがカーバンクルの作り出したステーギアの姉妹。ただただ感情もなく、無言で任務を全うする黒き機械人形。それが今、恐怖にかられて武器を振り上げる。アノイさんを前に、戦わずにはいられないのだ。

 そして、アノイさんは広がる恐怖の渦中で小さく鼻を鳴らす。

 彼女の右肩に揺れる炎が、大きく膨れ上がるや幾重いくえにもぜた。

 言葉にならない悲鳴をあげて、無数のステーギアが消し飛ぶ。

 文字通り、骨も残らず燃え尽きる。

 殺戮さつりくですらなく、戦いの成立せぬ鏖殺おうさつ……ディエストもたまらず焦りを口にした。


「くっ、静まれ! 落ち着くんだ! 奴は一人だ、統制を乱すな!」

「無駄だ。我は降りかかる火の粉を払うまで……我が姉の聖地を汚す者よ。我が浄戒じょうかい業火ごうかちりと消えるがいい」

「おのれっ! ……ふっ、そうか。ステーギアたち!」


 ディエストは不意に、冷徹な指揮官の表情を取り戻した。

 そして、油断なく雌雄一対しゆういっついの刃を構えたまま声を張り上げる。


「ステーギアたち、ネズミ共とそこの修道女しゅうどうじょを狙え! アノイさんは私が抑えよう」


 混乱の中で潰走かいそうしつつあったステーギアが、瞬時に統制を取り戻す。

 そして、圧倒的なアノイさんの存在感を前に、ディエストだけは全く動じずに身構えた。鋭い刃は月の光を反射し、ゆらゆら揺れるアノイさんの炎を映す。

 すぐにさっしたラムちゃんを、ずらりとステーギアが取り巻いた。

 だが、背後でラグナスに守られたまま、ルナリアは動けない。

 彼女が守りたかったネズミたちは、一匹、また一匹とオアシスを逃げてゆく。彼らにとって唯一の安息の地は、不当な暴力で全てを奪いつくされようとしていた。

 ラムちゃんは放たれるビームをシールドで受けつつ、背のルナリアに語りかける。


「ルナリア、立ってください! このオアシスを守らなければ。……ううん、私が守ります! ラグナス、彼女をお願いしますね」


 冷たい砂漠の空気を灼いて、無数の火線が走る。

 シールドで受け損ねたビームが、アンチビーム用クロークの上で、ジュウ! と音を立てた。ラムちゃんは周囲の被害に気を配りつつ銃爪トリガーを引く。威力を絞ったビームライフルから、光が線と走ってステーギアを穿うがった。

 だが、数が違い過ぎる。

 圧倒的な物量差の中で、オアシスの集落は炎に包まれようとしていた。

 そして、肩越しに振り返れば……腕組み動かぬアノイさんが、ラムちゃんを見ている。ラムちゃんを通して、その場に動かずへたりこんだルナリアを見ている。

 自分を素通りする視線に、ディエストはわずかに声を苛々いらいらと張り上げた。


「アノイさん! 構えぬばかりか、私を見ようともしないのか。どこまでも馬鹿にしてくれる!」

「……姉者あねじゃ。姉者はこのままで良いのか? この地は、姉者を頼って多くのネズミたちが集った聖地。安住の地ではなかったのか」

「私を無視するなっ!」


 ディエストは不満もあらわだが、動けぬままに構えを維持する。そんな彼女の前で、静かにアノイさんはルナリアへと語り掛けていた。

 彼女の右肩で今、燃え盛る炎が集束してマグマのように燃え盛る。

 アノイさんはゆっくりと、ルナリアを見て言の葉をつむぐ。

 その落ち着いた声に、ルナリアは初めて顔をあげた。


「わ、私は……もう、戦えない。戦いたく、ない……」

「姉者がそう望むなら、我がラムちゃんと共に戦おう。だが……それでよいのか? 祈りと願いだけで、ネズミたちが救えるのか。それは、姉者が一番よく知っているはずだ」

「ネズミさんたちを……守りたい。でも、私は」

「……姉者、ならば! 我がともそう……偽りの聖衣ころもを脱ぎ捨て、戦う時は今! その胸に今、勇気の灯火ともしびを!」


 アノイさんから一際苛烈かれつな炎が舞い上がった。夜空を煌々こうこうと照らす巨大な火柱が、宙でひるがえって紅蓮の竜となる。真っ赤に燃える烈火れっかは、ディエストをかすめて飛ぶと……ルナリアの身を包んだ。

 呆気あっけに取られるラムちゃんは、見た。

 炎に包まれ修道服が燃え散る中……ゆっくりとルナリアが立ち上がる。

 その少女はもう、モチーフとなった人気漫画『起源回帰きげんかいきのラグナス』に登場するヒロインではなかった。燃え盛る炎は彼女を焼くどころか、優しく包みながら修道服だけを消し飛ばしてゆく。

 そして、妹の炎に清められた少女は、隣に浮かぶラグナスに静かに言い放った。


「……夢を、見ていました。私は、誰かのオアシスになりたかった」


 ゆっくり、白い肌を炎で包んで彼女が歩み出す。

 周囲のステーギアが、先程のアノイさんとは違う迫力を感じて静止した。ラムちゃんも息を飲み、呼吸を忘れて押し黙る。

 そこにもう、ルナリアという名の優しい修道女はいなかった。

 このオアシスで誰をも許してやす少女は、選択した。

 神の祝福を脱ぎ捨て、その教えを胸に戦いを選んだのだ。


「己の元となった物語のように、守りたかった……そして、その想いを今、力に。……ラグナス!」


 叫ぶ少女の気迫が、全身で燃え盛る炎を掻き消す。

 同時に、そのしなやかな裸体が光だした。それは、宙を舞うラグナスが少女の影となって寄り添うのと同時。ラグナスは少女の発する光の中で、無数のパーツへと分解して舞い散る。


「我が契約者けいやくしゃよ、今こそ力を! 一つになりて魔をたん!」


 己を取り巻くアーマーパーツの中で、彼女はしっかりと己の名を叫んだ。

 そこには、一人のエンジェロイド・デバイスが生まれ直していた。その力を封じて捨てた少女は、己の元となった物語の少女を名乗った。優しく強い、巡礼の旅の中で祈りを捧げる聖女……その名でこのオアシスに、ネズミたちの聖地を築いたのだ。

 だが、再び彼女は選択した。

 自らが生み出した居場所を守るため……ネズミたちの居場所を探すため。

 光が収束すると、そこにはラグナスと一体化したエンジェロイド・デバイスが立っていた。


「私は……No.024、ラグちゃん。アノイさんが思い出させてくれました……今、本当の自分として、全てを守るために戦いましょう」


 とても静かな、清水しみずが流れるせせらぎのような声だった。

 ラムちゃんの前で今、聖火に包まれた中から……不死鳥フェニックスのように妹が蘇った瞬間だった。

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