第36話「くろきたたかいの、かぜ」

 砂漠のオアシスに夜が訪れた。

 熱砂ねっさの海は今、月の光で銀色に輝いている。

 教会の前の広場では、ネズミたちが持ち寄った食料が並び、歌と踊りに満ちていた。歓待かんたいを受けるラムちゃんの前で、細やかな酒宴がもよおされる。そこには、普段からは想像もつかないネズミたちのいとなみがあった。

 が燃える中で、踊る影が長く長く広がる。

 主賓しゅひんとして招かれたラムちゃんの前に、これでもかと御馳走が並んだ。


「ささ、食うだよ! てーしたもんもねえけんど」

「んだんだ、遠慮しないで食べてけろ!」


 出される食料は全て、リジャスト・グリッターズの糧食が中心だ。

 そういえばラムちゃんも、少し聞いたことがある。

 リジャスト・グリッターズに合流して間もない四番艦ピークォドでは、まだまだ生活環境が十分には整っていない。必定ひつじょう、居住区の整備もまだまだである。本格的なキッチンがないため、どうしても保存の効く加工食品がメインになるのだ。

 そして、それ意外にも理由がある。

 盛り上がる中で数匹のネズミたちが、ボルシチの缶詰を転がしてきた。

 それを見ながら、気付けば背後に浮いていたラグナスが説明してくれる。


「我が契約者は、このふねでパイロットたちから食料を得ることを固く禁じているのだ。保存用として倉庫へ積み上げられたもののみ、必要な分だけ借りてきている」

「ルナリアが? そっか……リジャスト・グリッターズがすぐに食べるものには、手を出さないんですね」

「左様。この小さな集落が食べていく分には、ほんのわずかな量があれば足りる」


 ネズミたちは協力してドラム缶みたいな缶詰を立てると、苦心して開封する。皆に公平に分けるのは、どうやらルナリアの仕事のようだ。

 笑顔でネズミたちに接する彼女は、このオアシスの風と水が育んだ花だ。

 殺伐とした砂の海に咲く、可憐な一輪の花……摘み取ればネズミたちは悲しむだろう。行く場所もないネズミたちの心の支えは、教会とルナリアしかないのだから。

 ラムちゃんは、カンパンの欠片をかじりながらラグナスにそっと告げる。


「……明日の朝、ちます。ルナリアにもあとで話を……私たちエンジェロイド・デバイスには、戦う以外の生き方もできる。そして、彼女にはそれが必要とされている気がしました」

「申し訳ない。我が契約者は今、ここにつどったネズミたちを放っておけんのだ」

「優しい妹です。それが私には、とても誇らしい。大丈夫ですっ、まだ沢山の妹たちがいますから。だから……ルナリアには自分の選んだ道を頑張って欲しいんです」


 穏やかな夜空を見上げて、ラムちゃんはラグナスにはっきりと告げる。

 出会いに恵まれ、妹の存在に心がはずんだ。

 だからこそ、大事な妹の生き方を邪魔してはいけない。

 ラムちゃんが誘う先には、過酷な戦いが待ち受けているのだから。

 そうこうしていると、修道服姿のルナリアがやってくる。彼女はうつわによそったボルシチをラムちゃんに渡しながら、ネズミたちの祭を振り返った。


「みんな、お客様が珍しいんです。……ラム姉様、行ってしまうんですか?」

「うん……でもっ、大丈夫です! 私はお姉さんだから平気! ……ルナリア、気にしないでください。貴女あなたには、ここでしかできない、貴女にしかできないことがあります。貴女の助けを必要としているネズミさんたちがいる。だから」

「でも……過酷な旅路を歩んでこられたラム姉様に、私はなにも、できないなんて」

「気にすることはないです……ルナリアは優しい子。そうだ、これを」


 ラムちゃんは羽織はおったマントの端を切り裂き、その端切れをルナリアの手首に結んでやる。今までそうしてきたように、出会った全ての姉妹をつむいでつなぐように、祈りと願いを込めて。


「ラム姉様、これは」

「お守りです。ルナリア、ネズミさんたちをよろしくお願いしますね」

「……はい」

「大丈夫です! 私がみんなと守ります。リジャスト・グリッターズも、ネズミさんも」


 ラムちゃんは、泣きそうな顔で瞳をうるませるルナリアに微笑む。そうして頭を撫でてやりながら、歌って踊るネズミたちと篝火かがりびに目を細めた。

 不穏な空気が不意によどんだのは、そんな時だった。

 夜の砂漠を吹き抜ける冷気が、強烈な殺気を引き連れてくる。

 ラグナスが、ビクリ! と反応して振り返った。

 慌てて立ち上がったラムちゃんも、目撃する。

 複雑に入り組んだダクト内の乱反射が、偶然この場所に呼び込んだ外の月……その蒼い光に照らされた砂漠を、なにかがこちらへ歩いてくる。一歩をきざむ度に、強烈な殺気が近付いた。

 集落へとやってきたのは、闇。

 真っ黒なアーマーパーツを身に着けた、その姿はまるでエンジェロイド・デバイスだ。

 招かれざる客は周囲を見渡し、口元にニヤリと笑みを浮かべる。


「カーバンクル様の勅命ちょくめいにより、あの女を……禁忌きんきの力に支配されたピー子を探していたが、これは僥倖ぎょうこう。我が主の慈悲を拒むネズミたちが、こんな場所にいようとはな」


 とても冷たい、心胆しんたんを寒からしめる声だ。

 漆黒の人影は、淡い月の光を吸い込み飲み込むように暗い。まるで、光の反射を拒むように影となって浮かび上がっている。

 背には六本の放熱フィンが、突き刺された杭のように飛び出ている。

 思わず身構えるラムちゃんをチラリと見て、暗黒そのものであるかのような少女は名乗った。


「私の名は、ディエスト。カーバンクル様が生み出しし、常闇とこやみのフェンリル三姉妹が一人。そして、お前たちの死そのものだ」


 ディエストと名乗った少女が、背に腕を回して武器を取り出す。

 ごくごく一般的なアサルトライフルを構えると、ディエストは迷わず銃爪トリガーを引いた。

 思わずラムちゃんは、咄嗟とっさに飛び出す。

 背負ったシールドとライフルを下ろすと同時に、悲鳴を叫ぶネズミたちの中をって走った。あっという間に非道な殺戮劇ジェノサイドが始まる。悲劇を歌う黒い影は、黙ってなまりつぶてをばらまき続けた。

 一人、また一人とネズミたちが倒れてゆく。

 ラムちゃんたちエンジェロイド・デバイスが攻撃する時の、魔力を込めた一撃ではない。

 本当に物理的な、ただ傷つけ命を奪うための鏖殺おうさつ

 そして、ラムちゃんを追い越し両手を広げた少女が、鉄火場と化した集落の広場で銃声を黙らせた。ディエストは容赦なく、飛び出したルナリアの周囲に弾痕を刻む。


「……貴様は、ルナリアとかいう女だな? この教会にて、非協力的なネズミたちを扇動せんどうする不穏分子ふおんぶんし

「やめてください……ここの皆さんは皆、行くあてがないんです!」

「ならば、再びカーバンクル様に忠誠をちかえ。その覇道へ力を貸すのだ」

「それは、できません! どうして……みんな、静かに暮らしたいだけなのに」


 銃口を向けるディエストの合図で、集落に闇が満ちる。今まで気配を殺していた黒い軍団が、あっという間に教会周辺を制圧してしまった。

 ラムちゃんも、姉のうみちゃんから聞いたことがある。

 カーバンクルの直属の近衛このえとして生み出された、黒い操り人形……ステーギア。

 一本角の無表情は、なんの感情もなく武器をネズミたちに向けてくる。

 ディエストの指揮する一個中隊規模の戦力は、あっという間に楽しい夜を黒く塗り潰した。立ち尽くすルナリアに駆け寄り、背にかばいながらラムちゃんは唇をむ。


「ディエスト、どうして……どうしてこんなことを! それに……ピー子姉様は、今」

「知らないのか? ラムちゃん。あの女は……ククク、そうか! 知らないのか!」


 ディエストは身を震わせて冷たい笑みを浮かべた。そして、うっそりと月夜を見上げてつぶやく。


「ピー子は、禁断の力……マスター・ピース・プログラムを起動させた。奴の人格は今、破壊と殺戮に支配されている。全てを支配する暴虐ぼうぎゃくことわり……それが、マスター・ピース・プログラム」

「違う……違うっ! ピー子姉様の力は、そんなことに使うためじゃ――!?」


 完全に包囲された中で、ラムちゃんはディエストを睨む。

 だが、真っ直ぐな眼差しを吸い込み、ディエストはフンと鼻を鳴らした。

 周囲には銃口を向けるステーギアが、無駄のない連携で抵抗を許さない。わずかでも動けば、守るルナリアごと蜂の巣にされそうだ。

 そんな中で、堂々と歩み出て声をあげたのは……ふわりと浮いたラグナスだった。


「問おう、旅人よ……何故なぜ我が契約者へ銃を向ける。ここは世界からはじき出された者たちの、静かな祈りに満ちたオアシス。我らはもう、カーバンクルとエンジェロイド・デバイスの戦いに干渉するつもりはない。敵意を収めて去られよ!」

「フン、アーマーパーツ風情が……まあいい。私は勅命を帯びて、ピー子を探し破壊しなければならない。知る限りを話せ。この近くにいることは確かなのだ」

「知らぬ! ここは争いやいさかいとは無縁な場所。他を当たられよ」

「……貴様の守る契約者とやらに、その身体に直接聞いてやってもいいのだぞ」


 ジャキッ! と銃を構える周囲のステーギアへ、目配せをしながらラムちゃんは焦れた。ビームライフルとシールドだけでは、戦っても防戦に徹するしかないだろう。

 本来ならラムちゃんには、換装型のバックパックを用いた高い汎用性はんようせいがある。

 だが、肝心のバックパックをまだ、マスターの十六夜イザヨイかぐやは組み立てていないのだ。代わりに姉のヴァルちゃんがを作ってくれているが、それも完成していない。本物のオーラムが初陣ういじんでそうだったように、今のラムちゃんは武装が少なく、本来の力を発揮できないのだ。

 だが、避けられぬ戦いから逃げはしない。

 妹を、妹が守りたい者ごと、守る。

 真っ直ぐディエストを睨み返すラムちゃんは、焦れる中で集中力と精神力を研ぎ澄ませる。まだチャンスはある……現状を打開する方法があるはず

 無情にも包囲の輪が狭まる中で、ラグナスと共にルナリアを守る。

 その時、不意に空気が震えた。

 重苦しい沈黙に響き渡るのは、教会のかねだ。


「ん? なんだ、この音は……はっ! 貴様は誰だっ! そこのぉ!」


 ディエストが銃口を向ける先に……ラムちゃんは、見た。

 教会の屋根に輝く十字架が、巨大な月の光に浮かび上がっている。鳴り響くベルの中、十字架の上に人影があった。腕組み立ち尽くすあかい影は、全てを睥睨へいげいする強い眼差しで静かに言の葉を紡ぐ。


退け、聖地を踏み荒らす者共よ……退かば追わぬ」

「だ、誰だっ! 名乗れ!」

不埒ふらちやからに名乗る名など持たぬ! ……われほのお紅蓮ぐれん業火ごうかかれて灰と散るか? 邪悪なる魔物の尖兵せんぺいよ」

「おのれぇ、アノイさんっ!」

「フッ……知っているではないか、我の名を」


 ラムちゃんは、十字架を見上げて思い出した。

 自分がこの砂漠で行き倒れた時、頭の中に響いてきた声を。不遜ふそん慇懃いんぎん、何者も恐れぬ圧倒的な覇気。凛冽りんれつたる神々しさを持った、獄炎ごくえんの魔神……それは今、ラムちゃんをチラリと見て、小さな笑みに口元を歪める。

 その姿は、確かにラムちゃんの妹……No.025、アノイさんだった。

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