第36話「くろきたたかいの、かぜ」
砂漠のオアシスに夜が訪れた。
教会の前の広場では、ネズミたちが持ち寄った食料が並び、歌と踊りに満ちていた。
「ささ、食うだよ! てーしたもんもねえけんど」
「んだんだ、遠慮しないで食べてけろ!」
出される食料は全て、リジャスト・グリッターズの糧食が中心だ。
そういえばラムちゃんも、少し聞いたことがある。
リジャスト・グリッターズに合流して間もない四番艦ピークォドでは、まだまだ生活環境が十分には整っていない。
そして、それ意外にも理由がある。
盛り上がる中で数匹のネズミたちが、ボルシチの缶詰を転がしてきた。
それを見ながら、気付けば背後に浮いていたラグナスが説明してくれる。
「我が契約者は、この
「ルナリアが? そっか……リジャスト・グリッターズがすぐに食べるものには、手を出さないんですね」
「左様。この小さな集落が食べていく分には、ほんの
ネズミたちは協力してドラム缶みたいな缶詰を立てると、苦心して開封する。皆に公平に分けるのは、どうやらルナリアの仕事のようだ。
笑顔でネズミたちに接する彼女は、このオアシスの風と水が育んだ花だ。
殺伐とした砂の海に咲く、可憐な一輪の花……摘み取ればネズミたちは悲しむだろう。行く場所もないネズミたちの心の支えは、教会とルナリアしかないのだから。
ラムちゃんは、カンパンの欠片をかじりながらラグナスにそっと告げる。
「……明日の朝、
「申し訳ない。我が契約者は今、ここに
「優しい妹です。それが私には、とても誇らしい。大丈夫ですっ、まだ沢山の妹たちがいますから。だから……ルナリアには自分の選んだ道を頑張って欲しいんです」
穏やかな夜空を見上げて、ラムちゃんはラグナスにはっきりと告げる。
出会いに恵まれ、妹の存在に心が
だからこそ、大事な妹の生き方を邪魔してはいけない。
ラムちゃんが誘う先には、過酷な戦いが待ち受けているのだから。
そうこうしていると、修道服姿のルナリアがやってくる。彼女は
「みんな、お客様が珍しいんです。……ラム姉様、行ってしまうんですか?」
「うん……でもっ、大丈夫です! 私はお姉さんだから平気! ……ルナリア、気にしないでください。
「でも……過酷な旅路を歩んでこられたラム姉様に、私はなにも、できないなんて」
「気にすることはないです……ルナリアは優しい子。そうだ、これを」
ラムちゃんは
「ラム姉様、これは」
「お守りです。ルナリア、ネズミさんたちをよろしくお願いしますね」
「……はい」
「大丈夫です! 私がみんなと守ります。リジャスト・グリッターズも、ネズミさんも」
ラムちゃんは、泣きそうな顔で瞳を
不穏な空気が不意に
夜の砂漠を吹き抜ける冷気が、強烈な殺気を引き連れてくる。
ラグナスが、ビクリ! と反応して振り返った。
慌てて立ち上がったラムちゃんも、目撃する。
複雑に入り組んだダクト内の乱反射が、偶然この場所に呼び込んだ外の月……その蒼い光に照らされた砂漠を、なにかがこちらへ歩いてくる。一歩を
集落へとやってきたのは、闇。
真っ黒なアーマーパーツを身に着けた、その姿はまるでエンジェロイド・デバイスだ。
招かれざる客は周囲を見渡し、口元にニヤリと笑みを浮かべる。
「カーバンクル様の
とても冷たい、
漆黒の人影は、淡い月の光を吸い込み飲み込むように暗い。まるで、光の反射を拒むように影となって浮かび上がっている。
背には六本の放熱フィンが、突き刺された杭のように飛び出ている。
思わず身構えるラムちゃんをチラリと見て、暗黒そのものであるかのような少女は名乗った。
「私の名は、ディエスト。カーバンクル様が生み出しし、
ディエストと名乗った少女が、背に腕を回して武器を取り出す。
ごくごく一般的なアサルトライフルを構えると、ディエストは迷わず
思わずラムちゃんは、
背負ったシールドとライフルを下ろすと同時に、悲鳴を叫ぶネズミたちの中を
一人、また一人とネズミたちが倒れてゆく。
ラムちゃんたちエンジェロイド・デバイスが攻撃する時の、魔力を込めた一撃ではない。
本当に物理的な、ただ傷つけ命を奪うための
そして、ラムちゃんを追い越し両手を広げた少女が、鉄火場と化した集落の広場で銃声を黙らせた。ディエストは容赦なく、飛び出したルナリアの周囲に弾痕を刻む。
「……貴様は、ルナリアとかいう女だな? この教会にて、非協力的なネズミたちを
「やめてください……ここの皆さんは皆、行くあてがないんです!」
「ならば、再びカーバンクル様に忠誠を
「それは、できません! どうして……みんな、静かに暮らしたいだけなのに」
銃口を向けるディエストの合図で、集落に闇が満ちる。今まで気配を殺していた黒い軍団が、あっという間に教会周辺を制圧してしまった。
ラムちゃんも、姉のうみちゃんから聞いたことがある。
カーバンクルの直属の
一本角の無表情は、なんの感情もなく武器をネズミたちに向けてくる。
ディエストの指揮する一個中隊規模の戦力は、あっという間に楽しい夜を黒く塗り潰した。立ち尽くすルナリアに駆け寄り、背に
「ディエスト、どうして……どうしてこんなことを! それに……ピー子姉様は、今」
「知らないのか? ラムちゃん。あの女は……ククク、そうか! 知らないのか!」
ディエストは身を震わせて冷たい笑みを浮かべた。そして、うっそりと月夜を見上げて
「ピー子は、禁断の力……マスター・ピース・プログラムを起動させた。奴の人格は今、破壊と殺戮に支配されている。全てを支配する
「違う……違うっ! ピー子姉様の力は、そんなことに使うためじゃ――!?」
完全に包囲された中で、ラムちゃんはディエストを睨む。
だが、真っ直ぐな眼差しを吸い込み、ディエストはフンと鼻を鳴らした。
周囲には銃口を向けるステーギアが、無駄のない連携で抵抗を許さない。
そんな中で、堂々と歩み出て声をあげたのは……ふわりと浮いたラグナスだった。
「問おう、旅人よ……
「フン、アーマーパーツ風情が……まあいい。私は勅命を帯びて、ピー子を探し破壊しなければならない。知る限りを話せ。この近くにいることは確かなのだ」
「知らぬ! ここは争いや
「……貴様の守る契約者とやらに、その身体に直接聞いてやってもいいのだぞ」
ジャキッ! と銃を構える周囲のステーギアへ、目配せをしながらラムちゃんは焦れた。ビームライフルとシールドだけでは、戦っても防戦に徹するしかないだろう。
本来ならラムちゃんには、換装型のバックパックを用いた高い
だが、肝心のバックパックをまだ、マスターの
だが、避けられぬ戦いから逃げはしない。
妹を、妹が守りたい者ごと、守る。
真っ直ぐディエストを睨み返すラムちゃんは、焦れる中で集中力と精神力を研ぎ澄ませる。まだチャンスはある……現状を打開する方法がある
無情にも包囲の輪が狭まる中で、ラグナスと共にルナリアを守る。
その時、不意に空気が震えた。
重苦しい沈黙に響き渡るのは、教会の
「ん? なんだ、この音は……はっ! 貴様は誰だっ! そこのぉ!」
ディエストが銃口を向ける先に……ラムちゃんは、見た。
教会の屋根に輝く十字架が、巨大な月の光に浮かび上がっている。鳴り響く
「
「だ、誰だっ! 名乗れ!」
「
「おのれぇ、アノイさんっ!」
「フッ……知っているではないか、我の名を」
ラムちゃんは、十字架を見上げて思い出した。
自分がこの砂漠で行き倒れた時、頭の中に響いてきた声を。
その姿は、確かにラムちゃんの妹……No.025、アノイさんだった。
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