第35話「いのりよ、さばくにみちて」

 夢を、見ていた。

 混濁こんだくした意識がまどろむ中で、ラムちゃんが見る、夢。

 まだ昨日のことのように思い出さるのに、ひどく遠い過去に感じて懐かしい。まぶたの裏に浮かび上がるのは、もう会えない姉の笑顔だ。


『ラムちゃん、いいから休んでろって! オレがここは見ててやっからよ!』


 黒いパーカー姿の少女が微笑む。八重歯やえばが印象的な、勝気で強気な笑顔だ。

 フードを目深めぶかに被って、彼女は黒い尻尾をゆるゆると揺らしていた。

 その名を呼べば、姉はバシバシとラムちゃんの背を叩いてきた。


『オレの方が姉なんだ、だから……姉貴あねきの言うことはきかないと駄目だぜっ! ここはいいから、早くマスターのとこに戻ってやんな。腕も作ってもらわなきゃいけねえしよ』


 もう、会えない。

 二度と会えない。

 光の中へと消え去った彼女は、最後の瞬間までラムちゃんの姉だった。みんなの姉で妹で、姉妹の大切な一人だった。

 わずか一瞬で永遠に失われてしまった。

 そのきずなと思い出だけを残して。

 閃光の中、メリッサをかばった彼女の輝き……シュンの放った禍々まがまがしい光条を押し返す、煌々こうこうと燃える魂の叫び。それは今も、忘れられない。ずっと忘れないだろう。


『いいか、ラムちゃん! ぜーったいに、勝つぞ! カーバンクルなんかに負けねえ……オレのマスターだって負けねえからさ。みんなで、勝つ。必ず勝って――』


 消え行く声が去りかける中、ラムちゃんは再度姉の名を呼んだ。

 だが、覚醒しつつある意識の奥底、心の深い場所へと面影は去った。

 ついにはラムちゃんは、目覚めると同時に叫んでしまった。


「シン姉様っ! ……夢? ここは……そう、たしか私は砂漠で」


 目覚めたラムちゃんは、ベッドに寝かされていた。周囲を見渡せば、簡素な部屋には調度品のたぐいは少ない。ベッドの他には小さな椅子とテーブル、それだけだ。つつましい部屋主の生活が自然と知れて、そっとラムちゃんは身を起こす。

 枕元には、外されたアーマーパーツが綺麗に整頓せいとんされていた。

 素体のままでベッドを抜け出せば、歌が聴こえる。

 窓の外を見ると、白い十字架の建物、そして見渡す限りの砂漠。だが、教会と思しき建造物の周囲は緑であふれ、すぐ近くにオアシスの泉が広がっていた。

 部屋を出ると、砂混じりの風が歌を運んでくる。

 不揃いな賛美歌さんびかは、それを導き支えるような主旋律とリーボボーカルが強く響いていた。


「不思議な声……まるで合唱に寄り添うような。こっちでしょうか」


 裸同然の姿だったが、ラムちゃんは自分のことも忘れて歩き出す。

 砂の海にぽつんと浮いた孤島のようなオアシスは、教会を中心に小さな集落を形成しているようだ。だが、十軒前後ある家屋の周囲に人影はない。

 恐らく皆、あの教会に集まっているのだろう。

 荘厳そうごんな扉を開いて、そっとラムちゃんは教会をのぞき込む。

 そして、絶句。


「こ、これは……ここは、いったい!?」


 教会も質素なもので、手作りらしいステンドグラスから陽光が注いでいる。その中で賛美歌を歌っているのは、ネズミたちだ。

 見渡す限りに、無数のネズミたちが熱心に歌声を響かせている。

 お世辞にも上手いとは言えないが、不思議と熱心な気持ちがこもったハーモニーだ。そして、破綻はたん寸前の歌をつむいで束ねる声は、全てを包み込むようにたゆたう。

 見れば、オルガンを弾く少女が歌っている。

 修道女シスターの服を着た少女の美声が、全てを包んで束ねるように響き渡っていた。

 思わずラムちゃんは、呆然と教会の光景に目を瞬かせる。

 ネズミたちは皆、幻獣カーバンクルの魔力によって洗脳されたと聞いている。独自に文明を築き、科学技術を発展させながら人間たちに牙を剥こうとしている。たかがネズミといえども、群れなし襲えば人間たちの生活はおびやかされる。それを防ぐために立ち上がったのが、ラムちゃんたちエンジェロイド・デバイスだ。

 だが、ここにいるネズミたちの表情は穏やかで、信仰心に満ちた敬虔けいけんな信徒のようだ。


「これはいったい……どういうことでしょうか」


 ラムちゃんは混乱した。

 今までずっと、ネズミたちは敵だと思っていた。望まぬ戦いの連続だったが、戦わねばならないと信じていたのだ。ネズミたちの洗脳は、同じく魔力で人格と意思をもったエンジェロイド・デバイスが攻撃すれば、呪縛から解放される。一度洗脳を解かれたネズミたちは、カーバンクルの魔力に対して免疫めんえきがつくため、再洗脳されにくいそうだ。

 では、ここに集まるネズミたちはなんなのだろう?

 その答を知る者が、突然ラムちゃんの背後で声を上げた。


「目が冷めたか、旅人よ」


 突然のことで、思わず身構えながらラムちゃんは振り向く。

 そこには、不思議な存在が浮かんでいた。そう、黒衣を風に遊ばせ浮かんでいる……漆黒の鎧を身にまとって、黒いマントを羽織はおった異形。まるで守護騎士のようであり、冥府の悪魔にも見える。

 鋭い目付きの、男とも女ともとれぬシルエット。

 だが、声音に敵意はない。

 便宜上彼と呼ぶこととなった存在は、ラムちゃんが警戒心を解くと小さく屈んだ。


「無礼をお詫びしたい、旅人よ。我が名はラグナス……ルナリアを守護する者」

「ルナリア、とは……あの金髪の修道女さんですね。ルナリア、確か――」

「いかにも。慈愛に満ちた我が契約者は、行き倒れたお主を助けた。奇妙なことに、このオアシスの誰もが見たのだ。逆巻く炎がうずとなって、お主をここに運び込んだのを」


 ラグナスの言葉に、ラムちゃんは記憶を紐解ひもとく。

 確か、この四番艦ピークォドを訪れ、砂漠を旅する中……消耗し、倒れてしまったのだ。そして、確かに声を聞いた。

 それは、ぜる炎が火の粉を巻き上げるような声。

 威圧感はないのに、圧倒的な存在感で染み渡る言葉。

 揺らぐほのお化身けしんに助けられ、ラムちゃんはこのオアシスに辿り着いたらしい。

 そのことを問うと、ラグナスは大きくうなずいた。


「奴はまだ、この砂漠を彷徨さまよっている。己のマスターとも会わず、ずっと」

「マスター……では、あの方は」

「左様、我が契約者、そしてお主と同じ……エンジェロイド・デバイス」

「私の、妹……私を助けてくれた。あっ、ルナリアって」


 そうこうしていると、教会でのミサは終わったらしい。

 出口からぞろぞろと出てきたネズミたちは、清々すがすがしい笑顔をしている。皆、清らかな心が洗われたかのように、こざっぱりとしていた。口々に会話を弾ませながら、仕事に戻ってゆく。

 その中の一匹が、道をゆずったラムちゃんとラグナスに気付いた。


「あんれま、ラグナス様! その娘っ子は……目覚めたんだな?」

「おお、こないだ運び込まれた子でねえか。どんだ? 腹ぁ減ってねえか」

「皆の衆! 旅人さんが目覚めただよ。ほれ、急いでもてなさねばあ」


 あっという間にラムちゃんは、ネズミたちに囲まれてしまった。

 呆気あっけにとられて、思わずおろおろとしてしまう。

 だが、敵意は感じない。

 そして、血走る目をぎらつかせていたネズミとは違う。戦場で出会うネズミたちは、最近では完全武装で銃を使う。フリントロック式のマスケットを使ってくるが、最近はまれにボルトアクションライフルを持つ個体も確認されていた。

 姉妹たち全員で戦う敵、それがネズミ。

 しかし、この場のどこにも敵意はなく、害意も殺意も存在しなかった。


「おめんど、ちょぉ待てやあ。旅人さんも驚いてるでねえか」

「んだんだ! とにかく皆の衆、少しずつ持ち寄って旅人さんさ飯ばまんず」


 不思議と親切なネズミたちが、代わる代わる交互に声をかけてくれる。ラムちゃんはあまりに突然のことで、目を白黒させるだけだった。

 だが、背後で清らかな声が響いて、ネズミたちは一斉に振り返る。

 まるで清水のせせらぎのごとく透き通った声だった。


「皆さん、姉様が混乱してしまいます。でも、お気遣いに感謝を……よければ教会に食料を持ち寄って下さい。私からも振る舞わせていただきます。姉様の無事を皆さんで祝いましょう」


 金髪の修道女が現れると、そのあおい瞳にネズミたちは平伏した。

 自然と広がる貞淑ていしゅくな雰囲気は、汚れを知らぬ乙女そのものだ。

 そして、ラムちゃんの前に初めて会う妹がやってくる。

 ニコリと微笑んだ少女は、ラムちゃんの手を取り、そこに自分の手を重ねる。


「はじめまして、ラム姉様。私はルナリア、この集落で教会を開き、皆さんの心の安らぎを祈っています」

「はじめまして、ルナリア。私の妹……第三弾の、No.024。たしか名前は」

「はい。お会い出来てよかったです。メリッサ姉様たちのことは聞きました……でも、私には祈ることしかできない」

「ううん、えっと、ルナリア。大丈夫! ルナリアは私を助けてくれたし、ここのネズミさんがいい人たちばかりで、私も驚いています。きっとこれは、ルナリアが彼ら彼女らの心のどころだからです!」


 少し寂しそう顔をして、ルナリアは微笑んだ。

 どうやらこの集落は訳ありのようだ。

 ネズミたちは祭だとばかいりに、銘々めいめいに自分の家や店に戻っていった。その背を見送るラグナスは、ルナリアを気遣うように一定の距離を保ちながら守っている。

 奇妙な一人と一体との出会いが、ラムちゃんにこのふねの世界を教えてくれた。


「ラム姉様、ここは……ピークォドはリジャスト・グリッターズに参加して間もない中、まだ艦内環境が整っていません。廃惑星となった時代の地球を闊歩かっぽしていたまま」

「だから、この砂が?」

「はい。そして、こちらのネズミさんたちは……一度姉様たちによって魔力の呪縛を解かれた方たちです。……洗脳を解かれたものの、皆さんには行く場所がありませんでした」


 ラムちゃんは衝撃を受けた。

 ネズミたちを攻撃してダメージを与えれば、肉体は無傷のままで魔力を払拭ふっしょくできる。洗脳を解かれたネズミは、次からはカーバンクルの影響を受けにくくなるのだ。

 それは、人間たちを守ると同時に、ネズミたちを解放する戦いだと思っていた。

 しかし現実には、洗脳を解かれたネズミたちは行き場を失い、路頭に迷っていたのだ。

 今となっては当然とも思える……すでにカーバンクルの支配が確立し、ネズミたちの王国は絶対王権の世界となった。その中で、カーバンクルの魔力から抜け出たネズミたちは、いわば反逆者。大多数が洗脳されたネズミ社会では生きていけないだろう。結果、洗脳から脱したネズミたちは新天地を目指した。まだリジャスト・グリッターズに加入してまもない、まだカーバンクルの支配が及ばぬこの艦……ピークォドに。


「ここは過酷な環境の艦です。まだ居住区や格納庫の整備が不十分な中、激しい戦闘で最前線に立って戦うウォーカーだから。食べ物も少ないし、艦内はアチコチ荒れ放題。でも……それでも、ここは私のマスターが住む場所で、私が使命を果たすべき場所」

「ルナリア、貴女のマスターは」

「一緒にいるとややこしいので、もう一人の美央さん……惑星"アール"の神塚美央カミヅカミオさんは最近こちらに居を移したんです。ふふ、マスターったら、どこでも寝ちゃえば同じだからって」

「そうでしたか」

「きっと、千雪チユキさんがあんなことになって、それでも統矢トウヤさんと結ばれたのが……嬉しくもあり、寂しくもあるのでしょう。マスター、意外と不器用な人ですから」


 神塚美央という少女は、リジャスト・グリッターズに二人いる。

 姉のシンのマスターだった、惑星"ジェイ"の神塚美央。

 そして、目の前のルナリアのマスターである惑星"r"の神塚美央。

 二人は会えば減らず口を叩き合って張り合うが、違う地球の同一人物として互いを認めている。むしろ、親しい者たちの間では二人はまるで似てない美少女とさえ言われているのだ。

 ラムちゃんはルナリアの手を握り返し、身を乗り出して顔を近付ける。


「ルナリア、私に……私たち姉妹に力を貸してください。お願いです……このままでは、リジャスト・グリッターズはカーバンクルによって甚大な被害をこうむるでしょう。そうさせぬために戦う姉妹たちも皆、傷付きながら頑張ってます。だから――」


 だが、待っていたのは意外な返答だった。

 ルナリアは空と海とを閉じ込めたような瞳に、涙を浮かべて首を横に振るのだった。

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