第33話「まいちるはねを、ひろって」

 ラムちゃんが訪れた部屋は、静寂せいじゃくに満ちていた。

 旅立ちの前に、リリがおもむくように言ったのだ。

 午後の陽光が、カーテンの隙間から木漏こものように差し込む。外は雲海の高高度、そして減圧された室内では安らかな寝息が響いていた。

 ソーフィヤ・アルスカヤは戻ってくるなり、倒れ込むようにベッドで寝てしまった。

 激務が続くリジャスト・グリッターズのパイロットたちは、皆が過酷な毎日を過ごしている。忙しい中で誰もが、明日を信じて未来のために戦っていた。

 部屋主を起こさぬように、そっとラムちゃんは机の上に舞い降りる。

 出迎えてくれたのは、意外な姉だった。


「お疲れ様、ラムちゃん……よくきてくれたわ。ありがと」

「はっ、初めまして! リース姉様」


 白地に青いラインのエンジェロイド・デバイスが出迎えてくれた。

 真道美李奈シンドウミイナを主とするアイリスの双子、リースだ。

 大げさに頭を下げるラムちゃんに、リースは歩み寄って手を取る。姉の手は温かく、柔らかかった。弱々しく微笑むリースに、ラムちゃんは恐縮しつつ周囲を見渡す。

 ここは確か、違う姉の部屋の筈。

 不思議に思っていると、机の奥の方から声がした。

 そして、小さく鳴る車輪の音と共に二人の姉が現れる。


「よく来てくれたな、ラムちゃん。……こんな格好ですまない、失礼する」


 そこには、車椅子に座ったカムカちゃんの姿があった。

 付き添って押しているのは、双子のもう一人、白地に赤いラインのアイリだ。

 なにがあったのだろうか?

 なにかがあったとしか思えない。

 ラムちゃんは不思議と鼓動が早まるのを感じた。冷たい速度が脈打つ中で、心臓にあたる場所が痛む。

 そして、思った通りのことをつぶやきカムカちゃんは力なく笑った。


「私としたことが不覚を……両脚をやられた。マスターの前では立っているようにしてるんだが、ちと辛い」

「脚を……まさか、カムカ姉様!」

「……私はもう、飛べない。今は、まだ」

「そんな」


 姉妹の中でも有数の力を誇り、空中を自在に舞う大空の撃墜王……ハルピンの魔王こと篠原亮司シノハラリョウジ神柄かむからは、惑星"ジェイ"を一度脱出するための戦いで大破し、失われた。それでも、多くの支援者や子供たちにとっては、サクラのマークが点いたアーマードモービルは今でも大人気だ。

 だが、カムカちゃんはもう飛べないと言う。

 そんな彼女を元気付けるのは、いつも通りの元気なアイリだった。

 しかし、その様子も少しおかしい。

 すぐにラムちゃんは違和感に気付いた。


「まーでも、大丈夫っ! アタシがカムカちゃんの面倒はキッチリ見るから!」

「は、はい! カムカ姉様をよろしくお願いします、アイリ姉様」

「まかされてっ! うんうん、姉としてお世話しちゃうんだ……絶対にカムカちゃんを一人にはさせないから! もー、泥舟どろぶねに乗ったつもりでいてよ、ウハ! ウハハハハ!」

「あの……大船に乗ったつもり、では」


 ラムちゃんは勘付かんづいた。

 アイリの不自然な笑顔に、明るいハイテンション。

 それは空元気からげんきで、なにかを隠して覆う笑顔だ。

 その訳を知っているのか、双子のリースが肘を抱いて溜息ためいきこぼす。

 カムカちゃんも少し悲しそうにしていた。

 三人の姉たちになにがあったのか……ラムちゃんも心配で、気付けばまとうマントの端を握りしめてしまう。ボロボロの対ビーム用クロークは、あちこちにビームを相殺して溶けた跡の手触りがざらついていた。

 不安が募るラムちゃんに、底抜けの明るさでアイリが笑う。


「そだ、ラムちゃん! ヴァルちゃんから武器とかもらった?」

「あ、はい……とりあえずライフルとシールドだけ。バックパックはもう少しかかるって言ってました。ヴァル姉様、あまり寝てないみたいでした……心配です」

「そかそか、頑張ってるんだなあ。……ふふ、ヴァルちゃんはああ見えて真面目なとこあるからね。アタシとは大違い、かなあ」


 ふと、アイリが遠い目をして視線をそらした。

 その横顔が、驚くほどに大人びて寂寥せきりょうかげっている。

 そして、意を決したようにカムカちゃんが語り出す。彼女の声ははっきりと明朗で、負傷した身とは思えないほどに力が満ちていた。


「……アイリ姉様。私のことは大丈夫です。だから、ラムちゃんを――」

「だっ! 駄目だよ!  アタシ、カムカちゃんの側にいるから。お世話するから!」

「姉様が責任を感じることではありません。私にすきがあった、油断があったのです」

「でも、それは誰だって同じだよ! カムカちゃんをアタシが上手くフォローできなかったから……いつもアタシ、リースにフォローされてるだけだから」


 どうやら、カムカちゃんの両脚の破損はアイリが原因らしい。空戦組は一緒に行動することが多いが、最近はネズミたちとの戦闘も激化している。

 あのエースのカムカちゃんが撃墜されるような敵が、すでに存在しているのだ。

 そして、業を煮やしたようにリースが口を開いた。


「アイリ……カムカちゃんの言う通りだよ? ラムちゃんと、行こ? 先に、前に進まなきゃ。メリッサお姉ちゃんも探さなきゃいけないし、姉妹のみんながピンチなんだよ?」


 返事はない。

 だが、ラムちゃんは見た。

 硬く握られたアイリの拳は、震えている。

 そして、搾り出した声も僅かにかすれていた。


「でも、ほら……アタシはカムカちゃんの面倒を――」

「しっかりして、アイリ! ……怖いんだよ、ね? 凄い数だったし、もうネズミたちは銃も持ってる。でも、それでも……アイリ!」

「そうだよ! アタシ怖い! ……もう、戦えないよ。カムカちゃんでもとされちゃうんだよ? アタシなんて、リースが背中を守ってくれてなかったら、今頃」

「だから、守るよ? ずっと、守る。いつも、いつまでも守る。だから……二人で一緒に」

「無理だよ! ……もうアタシ、戦えない……戦いたく、ない」


 うつむき肩を震わせて、アイリは泣いていた。

 ラムちゃんは会うのは初めてだが、話はかつて機関室で一緒だったシンやジェネ、シャルから聞いている。とても快活で闊達かったつで、無鉄砲で向こう見ずで……でも、誰よりも熱いハートを持った翼だと。空を引き裂く双子星ジェミニは、常に姉妹たちの進む先へと輝き馳せると。

 だが、ラムちゃんの目の前にいるのは、心の翼をへし折られた少女だった。

 見かねたカムカちゃんが、難儀しながら車椅子の車輪を回して近付く。


「アイリ姉様。それでも、私はアイリ姉様に飛んでほしいんです。リース姉様と一緒に、空を」

「もう、無理だよぉ……怖くて、ほら……震えてる。アタシはもう……もうヤだよっ!」

「あっ――!?」


 アイリは背を向け走り去ろうとした。

 それを追うように手を伸べ、身を乗り出したカムカちゃんは……そのまま車椅子からずり落ちて床に倒れた。小さな悲鳴を振り返るアイリは、すぐに引き返して妹を抱き上げる。

 やはり、カムカちゃんの脚はもう動かない。

 ラムちゃんもはっきりと見た。

 膝から下が大きくひび割れ、所々が欠けている。

 そんな脚でも、カムカちゃんはこの部屋で立っていた。いつも疲れて戻るマスターのため、笑顔で迎えるために立ち続けていたのだ。ソーフィヤのプラモデルとして……彼女が慕うエースの機体を模したエンジェロイド・デバイスとして。

 そんな健気で気丈な姉が悲しくて、誇らしくて、でもやっぱりかなしくて。

 ラムちゃんは思わず駆け寄ろうとしたが、そっとリースに手で制される。

 カムカちゃんを抱き上げたアイリは、弱々しい笑みを強く抱き締め泣いていた。


「ゴメン……ゴメン、カムカちゃん! アタシ、怖くて、恐ろしくて……カムカちゃんの世話を言い訳に逃げてるんだ! でも、もう……逃げるとこさえないなら、アタシは!」

「アイリ姉様、泣かないでください。アイリ姉様には、空があります。広く高い、天が」

「カムカ、ちゃん」

「私も今、ヴァルちゃんにパーツをお願いしてます。私の場合はアーマーパーツもろとも素体部分もダメージを受けているので、すぐにとはいきませんが。でも、だからこそ……アイリ姉様」


 むせび泣くアイリのおでこおでこをくっつけると、カムカちゃんは微笑んだ。


「私が再び飛ぶ日まで……アイリ姉様に空を守って欲しいんです。リース姉様と二人で、このふねを……リジャスト・グリッターズのみんなを、守ってください」

「……アタシは、アタシは……ううっ! アタシはっ!」

「すぐになんて言いません。でも、私は知ってます。例え心の翼が手折たおられようとも……魂が羽撃はばたく瞬間は誰にも止められません。それは、砕けた想いを誰かが必ず拾うから」

「カムカちゃん……ゴメン、ゴメンッ! アタシ、アタシッ!」


 ラムちゃんを止めたリースも、唇を硬く噛み締め我慢している。

 決壊しそうな涙腺の中の星海なみだき止めている。

 だから、ラムちゃんはそっと歩み出た。羽織はおるマントの端を千切りながら、アイリの前で静かに微笑む。


「アイリ姉様、これを」

「……ラム、ちゃん?」

「お守りです。結んでおきますね」

「これ、ひょー姉ちゃんの」


 目を瞬かせるアイリの腕に、ラムちゃんはマントの切れ端を結んだ。そして、二人でカムカちゃんを車椅子に座らせてやる。

 この時初めて、ラムちゃんは理解した。

 旅立つ前に何故、リリがこの場を訪れるように言ったのかを。

 今、エンジェロイド・デバイスの姉妹たちは危機にさらされている。

 長姉メリッサという絶対的なカリスマが不在で、勢いを増すカーバンクルとネズミたちに対抗できなくなっている。戦線はあちこちで分断され、多くの姉妹たちが孤軍奮闘でその場しのぎの戦いに傷付いている。

 そのことを今、リリははっきりとラムちゃんに見せたのだ。

 そして、知る……誰もが強くはいられず、最初から強い者など存在しない。

 だからこそ、牙なき者たちのために牙となるのが、リジャスト・グリッターズだ。

 それはエンジェロイド・デバイスの姉妹たちも同じなのだ。


「アイリ姉様、リース姉様。それに、カムカ姉様も。私、行きます! 行って、やっつけてきます!」

「ラムちゃん、あ、あの」

「安心してください、アイリ姉様。姉様が笑って飛べる空を、私が取り戻します!」

「……ゴメン。なんか、本当に……ゴメン。アタシ、情けない姉だ……駄目な姉だ」

「そんなことないです! 誰だって調子の悪い時があるんです、本当ですっ! だから、そういう時のために私が、姉妹が、仲間がいるんですから。ねっ、アイリ姉様」


 泣きじゃくるアイリを抱き締め、優しく背を叩く。背後ではリースも、声を殺して泣いていた。カムカちゃんも、黙って己の脚へと拳を叩きつける。

 ここにいるのは、傷付いた鳥たちだ。

 その止まり木になれればと、ラムちゃんは微笑む。

 一時、僅かな時間とはいえ、三人は三者三様になにか得た筈だ。それがいつか、勇気ある羽撃きを取り戻すとラムちゃんは信じていた。

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