第30話「しんじつの、そのさきへ」

 狂喜に身をやつした邪悪の化身、ロキ。

 その前に今、荘厳ですらある気品と風格でフランが立ちはだかる。

 すぐにその周囲を、ステーギアたちが取り巻いた。一糸乱いっしみだれぬ統率とうそつのとれた動きは、まるで意思を感じない。カーバンクルの悪意が糸となってからまりるす、操り人形マリオネットにも等しい兵士たち。

 だが、周囲の包囲をちらりと見て、最後に再びフランはメリッサを見た。

 見詰めるしかできないメリッサに、彼女は大きく頷く。


「最後に一度だけ……シュン、悔い改めて悪行をおやめなさい。わたくしの妹たちをあやめた罪を、わたくしと共につぐないましょう」

「共に償え、だって? ハッ、笑える言い草だ」

「妹たちを死なせてしまった……それが、わたくしの罪ならば。わたくしは今、戦うことであがないましょう。己を燃やす業火で、邪悪をき尽くします!」


 フランの悲壮な決意が叫ばれた。

 同時に、周囲のステーギアが一斉に攻撃を開始する。

 様々な武器を持った黒き姉妹たちは、全方向から同時に襲いかかった。まるで精密な機械そのもの……あらゆる可能性を演算の果てに潰す、詰将棋つめしょうぎのような戦い。

 フランに逃げ場はなく、万策は尽きたかに思えた。

 だが、フランは炎そのものとなって逆巻く縦巻きロールを優雅にたなびかせる。

 その場で踊るように一回転、ヒュンと彼女の手が宙に弧を描いた。

 そしてメリッサは見た。

 彼女の手が、燃え盛る紅蓮のほのおを宿していることを。

 そして、触れてもいないのに全てのステーギアが停止、一拍の間を置いて次々と爆発する。無数に乱れ咲く爆炎の花が、フランごとシュンを包み込んでぜ狂った。

 その中から、空へとジャンプでシュンが逃れる。


「クッ、なんて力だ! フラン……食えない娘だよ、お前は! 楽しくなってきた、なあ! ハハ、どう壊してやろうか……いい声でかせてや――ッ!?」


 高々と中を舞うシュンが、表情を凍らせた。

 離脱したシュンがぶ空に……その先に、

 目を疑うような光景は、フランに力を使った形跡が見られない。

 あくまで優美な姿で見えない大地に立って、彼女は力を込めた様子もなく手を伸べる。烈火をまとてのひらに触れられただけで、シュンは吹き飛ばされて大地に激突した。

 周囲のネズミたちが逃げ始める中、メリッサも言葉を失う。

 その時だった。

 飛行モジュールに乗って降りてくるレイを見て、耳元でひょーちゃんが呟く。


「メリッサ……今、チャンス。すっごい、チャンス」

「ひょーちゃん……?」

「メリッサ、逃げて。わたし、ここに残る。足手まとい。手足はないけど、足手まとい」

「ひょーちゃんを置いていけないよ! ……もう、ヤだよ。誰も、失いたくない」


 だが、ひょーちゃんはコツンと額をメリッサに押し付け、そして再度「置いてって」と言い放った。いつもの抑揚に欠く声が、今はなんだか切なげで……そして、有無を言わせぬ強さに凍っている。

 そして、そんなメリッサの前にアークとサンドリオンが並び立つ。


「メリッサ、ひょーちゃんのことはオレに任せろ。悪いようにはしない……お前は姉妹たちに合流するがいい。……再びこのオレと、雌雄しゆうを決するその時のために」

「メリッサ姉様、私がひょーちゃんを守ります。……それしか、できそうもないから」


 決断の時は来た。

 周囲のステーギアがライフルを向ける空に、無数の光が乱舞する。その中をレイは、その身一つで危険なマニューバに踊っていた。

 フランもまた、シュンとの戦いを加速させてゆく。

 メリッサは、一瞬の躊躇ちゅうちょに身を凍らせ、そして前を、上を向いた。


「ごめん、ひょーちゃん! アーク、サンドリオンも。ひょーちゃんをお願い」

「任せろ、メリッサ。そして約束しろ……生きて再び、オレと戦うと」

「私とも……メリッサ姉様。もう一度会えるなら、誓います。ひょーちゃんは私たちが守ります」

「デヘヘ、アークもサンドリオンも、優しいから、好き……ヨーグルト、沢山くれる」


 ひょーちゃんを預けて、メリッサは走り出した。

 その呼吸に合わせて、レイが急降下で真っ逆さまに落ちてくる。対空砲火が密集する中、失速寸前の危険な機動が低空を駆け抜けてきた。

 その上から伸ばされる手を、メリッサは跳躍と同時に握る。


「メリねえっ!」

「レイ!」


 握った手と手が、あっという間に高い天井へと舞い上がる。

 そして、肩越しに振り返るメリッサは見た。

 笑顔で見送るフランの姿を。

 彼女の右手に宿る炎が、真っ赤に燃えて光を膨らませた。そのまま彼女は、輝く流星となって拳を引き絞る。対するシュンもまた、肩に担いだ陽電子砲を構えた。

 その最後の声が、入り乱れる配管の奥へ翔ぶメリッサの耳に残る。


「ハハッ! 読めたよ、フランッ! その力……長くはもたないんだ、そうだろ! お前はツヴァイとドライのパーツで、短時間に強力な力を引き出せる。そう、僅かな時間だけ!」

「それが例え一秒に満たぬ一瞬の刹那でも……わたくしには十分です! シュン、覚悟なさい!」


 レイの飛行モジュールが、真っ暗なパイプの一つに飛び込んだ。

 そして、メリッサの背中で空気が沸騰して熱に変わる。

 熱く灼けた風に背を押されて、メリッサは目に浮かぶ涙を振り払った。

 多くの妹たちが、自分を逃がすために……それは全て、長姉である自分を頼って信じるからこそだ。その信頼に応えるためにも、今は悲しみに立ち止まってはいけない。

 悲痛な決意を胸に、メリッサが前を向いた、その時だった。

 隣のレイが、ゆく先をにらんで目元を険しくする。


「メリねえ、ここにも! ……よりにもよって、厄介なが!」


 真っ直ぐ続くパイプの中で、進む先に闇がよどんでいる。

 暗黒を凝縮したような黒き乙女が、その瞳に獰猛どうもうな輝きをともしていた。

 妹のジェネに瓜二うりふたつな、ジェネとは異質のただれた情愛をくゆらす邪気。


「あは……メリッサ様、逃しませんわ。逃げるほどに追い詰めて、なぶりながら愛し殺す……嗚呼ああ、なんて甘美な純愛なんでしょう!」


 行く手を遮るのは、エルだ。

 ジェネと同じ力を持つ、危険な背徳と禁忌の乙女……その手が、次々と闇の中に邪悪の気配を満たしてゆく。彼女が呼ばう怨嗟えんさ憎悪ぞうおが、次第に受肉じゅにくして密閉空間に満ちていった。

 それはまるで、死者をもてあそ屍術師ネクロマンサーのよう。

 あっという間に行く手を、醜い肉塊のうごめきが遮った。

 そしてメリッサは、隣で覚悟を決めた声を聴く。


「……よしっ! メリねえ、行って。ここは私が食い止める!」

「レイ? な、なにを……レイはだって」


 レイは今、メリッサと同じく素体状態の丸裸だ。

 脱いだアーマーを合体させて飛行モジュールを使っている時、基本的にレイは無防備になってしまう。その戦闘力はいちじるしく低下し、特に防御力などないも同じだ。

 だが、彼女は自分を包む鎧の結晶をでる。

 まるで意志あるイキモノのように、しなる銀翼ぎんよくは小さく揺れた。


「いい子だね……メリねえを乗せて真っ直ぐ飛ぶんだよ? いいね?」

「レイ!」

「大丈夫だよ、メリねえ。みんな、待ってるから。メリねえのこと、待ってる。みんなと一緒にメリねえは私を助けに来てくれる。だから……信じてるから」


 エルの召喚した醜悪な下僕しもべは、剥き出しの筋肉をぬめらせながら襲い来る。その中を突っ切った時、既に隣にレイはいなかった。

 加速してゆく飛行モジュールの上で、絶叫と共にメリッサは振り返る。

 小さなナイフ一振りで戦うレイの背中が、あっという間に闇の向こうへ見えなくなった。

 飛び続ける飛行モジュールが無言で、メリッサを脱出へと運んでゆく。

 かなりの距離を飛んで、徐々に弱まる中で……レイの飛行モジュールは失速して墜落した。バラバラにパーツが弾けて転がる中、メリッサも固い金属に投げ出される。

 なんとか身を起こすと、そこにはレイのアーマーがパーツとなって散らばっていた。


「レイ……だ、駄目だっ! ここで立ち止まったら、みんなの想いも無駄にしてしまう!」


 くじけそうになる心を、奮い立たせる。

 そうして、奥へと続くパイプの中を歩き始める。

 その先に、小さな小さな明かりがあった。外の光だと気付いた時には、メリッサは走り始める。

 そして……陽光の中に立ちはだかるシルエットを目にした。


「おっ、きたきたー! やっほ、メリッサ! あたし、もぉ待ちくたびれたよー!」

「君は……ウォー子!」


 三女であるピー子と全く同じ笑顔が、無邪気な殺意に燃えたぎっていた。漆黒の装甲に悪魔像を頂く美貌が、ギラつく笑みを浮かべている。


「さ、やろ? 殺し合いだよっ、メリッサ。戦争だぁ!」

「ま、待って。君は……君たちは」

「あ、そっか。メリッサ、裸だもんね。んー、わかったよぉ! ちょっと待ってね」


 不意にウォー子は、アーマーを次々と脱ぎ出した。

 メリッサと同じ素体だけの状態になると、彼女はニパッと笑う。


「ほら、互角の勝負だよ! おーし、張り切っちゃうもんね……ガンガンやろー、ガシガシ削り合おー! ふふ、戦争大好きっ、闘争最高ぉ!」


 シュッシュとウォー子は、はちきれんばかりの笑みで見えない相手に拳を繰り出してシャドーに踊る。もはや戦うことは手段ではなく、目的……ただそれだけを喜びとする少女はあまりに無垢むくで、故に恐ろしい。

 メリッサは、張り切っているウォー子に無防備に近付いた。


「あーっ、待って待って。メリッサ、構えて! もっとる気、出してよぉ!」

「ウォー子……私は君たちと、君とは戦えない」

「えっと、武器いる? あたしが持ってきたのでよければ、使っていーよ!」

「そういう問題じゃないんだ。私はカーバンクルを倒して、リジャスト・グリッターズのみんなを守りたいんだ。だから――」

「だから、あたしと敵対してんだよね! そゆの、すっごくいいよ! じゃ、やろ?」

「ウォー子!」


 声を荒げたメリッサに、ビクリとウォー子は身を震わせた。そんな彼女の横を通り過ぎて、メリッサは光さす中へと歩む。

 不思議とウォー子は、攻撃してこなかった。

 不思議そうに小首をかしげて、振り向くメリッサのあとをついてくる。


「ねね、メリッサ……どして? そんなに強いのに、なんで? 戦うの、嫌い?」

「私たちはエンジェロイド・デバイス、バトルを前提に作られたプラモデルだから。競うのは好きだし、バトルでみんなが楽しんでくれる。でも……命のやり取りはしない」

「なんでさー! おかしいよ、それ! コノヤローとか、アンニャローとか、ないの?」

「ふふ、ウォー子にはわからない?」

「わかんない! ……カーバンクル母様より難しいこと言う。母様はすっごく単純だよ? 敵をやっつけろって言うもん!」


 プゥ、と頬を膨らまえせながらも、ウォー子はじーっとメリッサを見詰めてついてくる。もうすぐ外、光の溢れた空の下だ。だから、メリッサはその眩しさの中へ飛び込む前に、言い放つ。


「単純な話はね、ウォー子。とてもわかりやすくて、心地よいよね。でも……本当に気持ちいいことは、自分で探さなきゃわからない。……そういうこと、知りたい?」

「えーっと……知りたい! なにそれ、面白そう! あたし、知り殺す!」

「はは、そういうんじゃないんだ。殺すとか倒すとか、そういう単純な話じゃないんだよ。だって……自分で探す、探してなければ作り出す。そういうのは、心と心、気持ちと気持ちの話だからね」

「心……気持ち? むぅー、難しいよお! メリッサ、難しい……ずるい、わかんない。お、教えてよ、それ。わかるようにして!」


 ぶーたれるウォー子からはもう、殺意は感じられなかった。

 そして、光の中へと歩みだしたメリッサは絶句する。

 何故、妹たちの決死の救出作戦が困難だったか。

 どうして、ネズミたちのあの村が、どこにあるのかわからなかったのか。

 その秘密が今、真実となって目の前に広がっている。


「こ、これは……ウォー子、ここは! そう、この場所は……まさか」

「あれ? 知らなかった? ふーん、そっか。そだよ、母様の宮殿はここに、このふねにあるの。ニシシ、どーだー! ビックリしたかー!」


 目の前に今、。並んで速度を合わせているのは、リジャスト・グリッターズ三番艦の愛鷹あしたかだ。少し離れた大地には、四番艦のピークォドも並走している。

 メリッサが今、立っているのは……そう、風の中で太陽を浴びているのは。

 その場所は、

 言葉にならないメリッサの絶叫を、青い空が吸い込んでいった。

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