第28話「やすらぎを、やすらかに」

 久方ぶりに迎える、戦いのない朝。

 やはりメリッサは、マスターである皇都スメラギミヤコと妹のことが気になる。だが、今の自分があまりにも無力で、それ以上に敗北の虚脱感は大きい。見えない傷痕きずあとはまだ、胸の奥で出血していた。

 それでも、そこに傷付いた妹がいる限り、笑顔をかげらせてはいられない。

 片目で済んだ自分と違って、ひょーちゃんは両腕両脚がないのだ。


「おーい、ひょーちゃん? 出かけるよ? ほら、起きて起きて」

「んっ、ヨーグルト……あは、うふふ……ふあ? 夢、だった。メリッサ、おはよ、おおおう?」


 安楽椅子で眠っていたひょーちゃんが、緩みきって寝ぼけた顔でまばたきをする。自分と同じ隻眼の少女は、目を丸くして笑顔になった。


「メリッサ、その服。いい……」

「ネズミさんがね、一晩で作ってくれたんだ。あと、眼帯も」

「うん! うんうん! いい……しゅごく、いい。需要、ある。しゅき……」

「はは、なにそれ。ほら、こういうのもあるんだけど」


 左目を塞ぐ眼帯をトントンと指で叩いて、メリッサは持ってきたひもを見せる。それで抱き起こしたひょーちゃんを背負って、赤子のようにおんぶした。紐で落ちないように縛って、家のネズミに声をかけて外に出る。

 村は小さくて、どのネズミも忙しそうに働いていた。

 畑ではカイワレダイコンが実っているし、男たちはカリに出るらしい。

 カリは『狩り』ではなく『借り』だそうだ。

 人間たちから少しだけ、色々なものを借りてくる。

 肉の切れ端に角砂糖、布切れや紙切れ、プラスチック片と様々である。

 メリッサはひょーちゃんを背負って、村の中を歩き出した。

 ネズミたちは皆、そんなメリッサを見て笑顔になる。

 気付けばネズミたちの表情が、自然とわかるようになっていた。


「あんれまあ、おめさま起きても大丈夫だか?」

「おはようございます。少し、外の風に当たろうと思って。この子も」


 たちまちメリッサは囲まれてしまった。


「んだが、へば広場さいってみろー?」

「村の広場さいけば、風呂屋も屋台もあるべ」

「へばまんず、小遣こづかいっこあげねばまいねーなあ」


 ネズミたちが次々とメリッサの手に、お金を握らせてくる。

 それはビーズで、色で価値が違うらしい。

 ジャラジャラと五、六粒ほどもらってメリッサは頭を下げる。

 ネズミたちは笑顔で畑仕事に戻っていった。


「ひょーちゃん、村の広場だって。行ってみようか」

「なんか、よかった……メリッサ、少し元気、出てきた」

「そう? なんか……色々あったからね。疲れちゃったのかもしれない」

「疲れたら、休む。これ、大事」


 メリッサは、白いワンピースをなびかせ歩く。顔を横切る黒い眼帯で、半分になった視界がかえってさっぱりとした。朝はお世話になってる家のネズミたちが髪をいてくれたし、貴重なお湯も使わせてくれた。

 思えば緊張の連続で、緊迫した戦いが続き過ぎていたから。

 だから、こんな穏やかな村にいる自分が、まだ少し信じられない。

 でも、背負うひょーちゃんの確かな重みが教えてくれる。

 まだ、生きている。

 また、戦える。

 きっと、みんなと再び会える。

 そうこうしていると、後のひょーちゃんが騒ぎ出した。


「メリッサ、あれ……屋台の、あれ! わたし、あれ食べたい。あれ!」

「もー、ひょーちゃんは食いしん坊だな。えっと、なにを焼いてるのかな」

「お米っぽい……なんか、タレを塗って、米粒焼いてるっぽい!」

「ひょーちゃん、ヨダレ! ヨダレが! もう」


 自然と笑顔になって、メリッサは歩調を速める。

 村の広場では、子供たちが遊んでいた。年寄りたちは集まって編み物をしているし、何件か並ぶ屋台ではお酒も出しているようだ。風呂屋と雑貨屋があって、あとは村の全員で使う集会場がある。そこでは今、前回のカリで借りてきたアレコレが、平等に村人たちに配られていた。

 なんて平和な光景だろうと、メリッサは思う。

 ネズミたちは恐らく、こうして長らくふねの中で暮らしてきたのだ。

 ネズミは害獣、病原菌媒体ウィルスキャリアである。

 だが、だからといって暴力的な魔力で支配されていい道理はない。

 そう思っていると、ふと耳を柔らかな声音が撫でる。


「あれ、なんだろう……歌? ひょーちゃん、聴こえる?」

「じゅるり……聴こえる。お米、おせんべみたいになってる……バチバチいってる」

「もう、屋台じゃなくて。ふふ、いいよ。さっきもらったお小遣いで買ったげる」

「エヘヘ、メリッサ好き……甘やかしてくれるの、凄い好き」


 屋台のネズミにビーズを渡して、適当に幾つか包んでもらう。米の一粒もエンジェロイド・デバイスやネズミたちにはちょっとした大きさだ。味も、醤油やソース、ポン酢なんかがある。店に飾ってある魚の大きなボトルは、時々業者が仕入れてくれる押し寿司についてきた醤油入れだ。

 紙包みをもらって、それとなく歌のことを聞いてみるメリッサ。


「ああ、この歌だか? サンドリオン様だあ。ほれ、この坂の上の墓地さいるだでよ」

「墓地……お墓?」

「んだ、この村は由緒正しいワシらの土地だでなあ」


 とりあえず、フーフーと吐息で冷ましてから、米を千切ってひょーちゃんの口に放り込んでやる。あぐあぐと夢中で食べる幸せそうな声を聴きながら、メリッサは坂道を登り始めた。

 ここからだと、振り返れば村がよく見える。

 艦の中では、どのあたりだろうか?

 艦尾方向なのか、それとも艦首方向なのか。

 右舷なのか左舷なのか、居住区からは遠いのか。

 気を失ってカーバンクルの玉座につれてこられたメリッサには、皆目見当もつかなかった。そして、目の前が開けると小さな墓地が墓石を並べていた。

 そこで大樹のこずえに腰掛け、一人のエンジェロイド・デバイスが歌っている。

 とても物悲しい、望郷の念を詩篇に連ねた歌だ。

 たゆたう歌声に聴き入りながらも、メリッサはひょーちゃんと米を食べる。

 外はパリパリ、中はもちもち、醤油もいいがソースもなかなかだ。

 やがて、歌い終えた少女はメリッサたちに気付いて降りてきた。


「やあ、サンドリオン。……悲しい、歌だね。君が?」

「……私の、故郷の歌です」

「故郷……」

「それは、ここではない時。今ではない場所」


 まるで謎掛けだが、伏目がちにサンドリオンはうつむく。長い睫毛まつげを濡らして、彼女は憂いを帯びた横顔で墓石群を見やった。その視線の向く先を目で追って、メリッサは奇妙なものを見つける。

 ならぶ墓石は皆、何かしらの金属片だ。

 空の薬莢やっきょうをそのまま立てたものもある。

 その中に、新しい墓が二つあった。

 花と供物で飾られたその墓碑銘ぼひめいを読んで、メリッサはサンドリオンを振り向く。

 彼女は長い銀髪を風に棚引かせて、弱々しく微笑んだ。


「あの人が……アークが」

「アークが? この、トゥルーデとシンのお墓を?」

「戦士の墓標だって。あの人、不器用だから」

「花も、お供えも」

「それもアークと、あとはネズミさんたちが」


 やはり、アークとサンドリオンはカーバンクルへの恐怖や心酔を持ち合わせていない。それなのに、何故? そのことを問おうとした、その時だった。

 背中でひょーちゃんが、おやつをギョクンと飲み込むや喋り出す。


「サンドリオン、アークのこと、好き。アークも、サンドリオン、好き」

「ひょ、ひょーちゃん!? あ、あの、ごめん、ひょーちゃんが」

「ふふ、いいんです……メリッサ姉様。ひょー姉様も。あの人は、優しいから。でも、私には想われる資格がない。だって、私は――」


 だが、翳りを見せるサンドリオンへと、ひょーちゃんが声を上げた。


「そんなこと、ない。サンドリオン、ちゅーしてた。アークとちゅーしてた……わたし、この村でかくまわれてる間、見た。沢山、ちゅーして、あーして、こーして」

「……私が甘えてるんです。あの人は、あの人の心は大きいから」

「サンドリオン、気にすることない。アーク、やなやつ。でも、アークは真っ直ぐ」


 サンドリオンはなにも応えなかった。

 ただ、グラスヒールを背負って肘を抱き、目を潤ませて黙ってしまう。

 その時、背後で声がしてメリッサは振り返った。

 噂をすればなんとやら、アークが花を手にやってきた。エンジェロイド・デバイスのサイズでは、小さな花も数輪で巨大な花束だ。それをトゥルーデとシンの墓に供えると、彼女は無言で跪いて手を合わせる。

 意外な光景にメリッサは驚いたが、立ち上がったアークはいつもの調子だった。


「メリッサ、フランとかいうのは……お前の妹だな?」

「え? あ、うん。……!? フランになにが!? なにかあったの?」

「ちょっとまずいことになった。今、お前を失いエンジェロイド・デバイスは統制を乱している。お前という姉がいたから、誰もが自分の持てる以上の力を発揮していた。だが」

「なにか、あったんだね」

「ピー子は突然暴走して、手当たり次第にネズミを攻撃している。単騎で無差別に。そして、艦の大半がカーバンクルに制圧された中……それでも、お前の妹たちは諦めようとしない。散発的だが抵抗を示していて、そしてさっき……フランがつかまった」

「つかまった!?」

「だと、思うんだが。その、どういう妹だ? あいつは、あの妙ちくりんな娘は、あのシュンを前に言ったんだ」


 アークは教えてくれた。

 居並ぶネズミの軍勢と、狂喜に見を震わすシュンの前に……フランは一人で歩み出た。

 そして彼女は、優雅な微笑みでこう言ったのだ。


「ごきげんよう、シュン様。わたくしを捕まえてくださいな、と……いや、オレも全く理解できん! 戦士ではない。奴は、理解不能だ。だが……放っておいては」

「うん、危険だ。あの子は、その、ぽーっとしてるから。……でも、強いよ」

「強い? あのチンチクリンなお嬢様がか?」

「凄く、強いんだ。私の妹だから」

「……それは、信用に値する言葉だな」


 だが、アークの説明でメリッサもひょーちゃんも理解した。フランは捕われ、カーバンクルの前に引きずり出されたという。そして公開処刑が決まり、今度はシュンの手で生きながら切り刻まれるらしい。

 メリッサはすぐに、自分が戻るべき戦場を思い出したのだった。

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