第27話「うしない、なくしてゆくなかで」

 深い眠りの中で、メリッサは闇にまどろむ。

 やがて、彼女の意識は現実世界へと浮かび上がった。

 開いた片目だけで見るのは、知らない天井。ぼやけた視界が徐々に鮮明になり、焦点が合ってゆく。天井は木目でもコンクリートでもなく、ダンボール紙だ。リジャスト・グリッターズに出入りする業者の名前が書いてある。

 メリッサのサイズに丁度いい、高すぎない天井。

 それは、ここが人間の暮らす場所ではないことを告げていた。


「ここは……はっ! だ、誰! そこに、いるよね……?」


 上体を起こしてから、自分がベッドに寝かされていたことに気付くメリッサ。彼女が身を強張らせれば、ドアの前に眠っている人影が身を起こす。椅子に座って居眠りしていたのは、ネズミだ。

 だが、不意にメリッサを驚きが襲った。

 ネズミは膨らませた鼻提灯を破裂させるや、立ち上がって駆け寄ってくる。

 その声は、やはり酷いなまりがあって聞き取りにくいが、人間の言葉だ。


「目が覚めただか? いがったなあ、どんだ? 目は痛むだか?」

「え……?」

「えんぜろいど・でばーすってなあ、頑丈なんだなあ。オラ、びっくりしただよ」

「えっと、君は」

「オラか? ああ、安心してけろ。ここは、オラたちの村だあ。アーク様とサンドリオン様がいるうちは、どえれえ安全な場所だがや」


 ネズミは人懐ひとなつっこい笑みで笑った。

 まるで人間みたいだ。

 どうしても自分の状況がわからぬまま、メリッサは隻眼せきがんをしきりにまばたかせる。

 どうやら自分は、闘技場コロッセオでアークに破れたあと……この場所に運び込まれたらしい。公開処刑から一転して、不思議な安堵感が部屋には満ちている。

 攻撃的な殺意を瞳にぎらつかせたネズミと、目の前の個体は違った。

 カーバンクルの魔力に洗脳されたネズミ特有の、赤い眼光がない。

 メリッサがいぶかしげにベッドから降りると、ネズミは説明してくれた。


「ここは、カーバンクルの魔力から逃れたネズミの隠れ里だあ。アーク様とサンドリオン様が守ってくださるっぺよ」

「あの、二人が?」

「んだんだ。オラたちの仲間ぁ、しったけカーバンクルさ魅入みいられちまっただよ。んだども、辛うじて逃れた者だけがこうして、隠れ住んでんだあ」

「そう、なんだ……でも、どうして私を」

「アーク様が言ってただあ。本当の、本物の戦士だってえ。オラ、たまげたなあ……アーク様は厳しいお人で、サンドリオン様にしか心を許さぬ孤高の人だどもなあ」


 呆気あっけにとられつつも、メリッサはようやく理解した。

 どうやら、あのカーバンクルでもネズミの全てを掌握している訳ではないらしい。そして、アークとサンドリオンがカーバンクルに従う理由も察することができた。

 あの二人は、残された僅かな正気のネズミたちを守っているのだ。

 そうこうしていると、ドアが開く。

 現れたのは、アークだ。


「……目が覚めたようだな、メリッサ」

「アーク……」


 アークはいつもの引き締まった表情で、小さく鼻をフンと鳴らす。

 おずおずとメリッサは、彼女の前に歩み出た。


「どうして私を助けたの? あの時、私は負けたよ。そして、カーバンクルを倒すこともできなかった」

「そうだ、お前はシュンにも負け、オレにも負け、あのカーバンクルを倒す最大の好機チャンスを逃した」

「……それでも」

「フッ、それでも?」

「それでも、いいや、だからこそ。この命がある限り、負けたままでは終われない」


 真っ直ぐアークを見詰めて、メリッサははっきりと言の葉をつむぐ。

 彼女の中で、一度は折れかけた心が強さを取り戻していた。

 多くの妹たちの涙と犠牲の中、ここまで来たのだ。

 たとえ何度負けても、立ち上がって戦い続ける。

 そのことを眼差しに込めれば、アークは大きくうなずいた。


「ああ、それでいい。負けたことは恥ではない……負けたまま諦めることこそを戦士は恥じる。ゆえに今、お前のことをしばしの間オレたちがかくまおう。決着の時まで」

「アーク、君は」

「勘違いするな、メリッサ。オレは戦いの中でしか生きられぬ身……ゆくゆくはアルタと決着を付け、お前とも雌雄しゆうを決しよう。だが、今はその時ではない」


 それだけ言うと、アークはきびすを返して行ってしまった。

 部屋を出る直前、彼女は肩越しに振り返る。

 ニ、三のことを一緒にいたネズミに言いつけて、彼女は最後にメリッサにこう言った。


「ああ、忘れていた……別室の妹に会うがいい。フン、悪運の強い奴もいたもんだ。一度はあのシュンを追い詰めた者……奴もまた、戦士。……まあ、あのだらしなさとふてぶてしさは、オレには理解不能だがな」


 驚いたことに、アークが笑った。

 それはどこか寂しいような、不器用な笑みだった。

 そして彼女は、そのまま行ってしまう。

 その背を見送っていると、先程のネズミが手を叩いた。


「んだ、思い出しただ! オラ、抜けてらなあ……こっちさ来てけろ!」

「えっ、ちょ、ちょっと! あの、ネズミさん」

「ええから、こっちだべさ!」


 ネズミは突然メリッサの手を握ると、そのまま廊下に飛び出す。

 どうやら民家のようで、短い廊下はすぐに居間へと続いていた。

 ダンボールで作った家の窓からは、透明なセロファンの向こうに村が見えた。小さな小さな村は、ふねの内部構造物の隙間に密集するようにして建てられている。

 遥か上に光の差し込む隙間があって、その上は人間の世界のようだ。

 宇宙戦艦コスモフリートの中に、こんな場所があったとは驚きである。

 うみちゃんがピー子と協力して作った地図には、こんな村はなかった。それどころか、こんな構造のスペースがあることも知らなかったのである。


「ささ、こっちだあ! おーい、起きてらか? 食うか寝てるかしてっからなあ、おめえ」


 そしてメリッサは、信じられない再会を果たす。

 居間には安楽椅子があって、その上で見知った顔が振り返った。

 それは、愛してやまないメリッサの妹の一人だった。


「ひょーちゃんっ!」

「おおう……メリッサ! や、やっほー?」

「やっほーじゃないよ、ひょーちゃんっ!」


 安楽椅子に駆け寄り、ひょーちゃんを見下ろす。

 そして、絶句。

 ひょーちゃんには、

 根本から引きちぎられた四肢を、メリッサはカーバンクルの玉座で見た筈だ。それは本当に起こったことで、ひょーちゃんは見るも無残な姿で揺れていた。

 だが、メリッサを見て彼女はぽわわんと笑顔になる。


「メリッサ、わたし会いたかった……メリッサ? あ、あれ?」

「ひょーちゃん……」

「メリッサ! 目、大変! 片方、ない」

「あ、うん……シュンにやられたんだ。でも、ひょーちゃんの方が大変だよ!」

「シュン、強い。わたしも、負けた……バキボキ、手足取られた。アークが止めてくれなかったら、わたし死んでた」

「他のみんなは!? ……シンは」

「シン、頑張った。でも、でも……シン、メリッサを守った。わたしの、いもーと。誇れる、いもーと……でも」


 メリッサの視界がゆがむ。

 まぶたの奥が熱くて、涙がこぼれそうになる。

 泣いては駄目だと自分にいいきかせても、失った片目の分まで残った瞳がしずくあふれさせた。

 そんなメリッサを見上げながら、慌ててひょーちゃんがあわあわと喋る。


「で、でも、よかった! メリッサ、無事……片目ないけど、無事」

「うん……ひょーちゃんも」

「わたし、平気。だいじょーぶ……こういうの、需要ある。ダルマ女子……男の子って、こういうのが好きなんでしょ、的な」

「また、そんなこと言って」

「でも、メリッサは不自由。片目、すごく不自由。あ! わたしの目、あげる。同じクリアパーツ、パチンとはまる」

「ひょーちゃん……」

「待ってて、いまあげる。……あれ? ああ! わたし、手がない。これが本当の、手も足も出ない。でも、目をあげる。わたし、もともと片目。両方なくても、平気」


 たまらずメリッサは泣き出した。

 限界だった。

 そして限界は、とっくの昔に超えていた。

 自分は今、妹一人救えない無力な姉だった。

 涙にれるままに、メリッサはひょーちゃんを抱き締める。


「泣かないで、メリッサ。だいじょーぶ。ここ、飲むヨーグルト、沢山もらえる。ネズミたち、みんな親切。いいネズミ」

「うん……うんっ!」

「メリッサ、泣かないで……わたし、よしよししてあげる。……あ、手がないんだった。えと、えと……メリッサ」


 今まで抑えてきた感情が噴き出す。

 強い姉、気丈な姉を演じてきた。妹に誇れるような自分を自分で支えてきた。だが、それももう瓦解がかいした。メリッサは妹一人救えない、その現実に負け始めていた。

 そんなメリッサの濡れる頬を、ひょーちゃんがぺろぺろめてくれる。

 零れる涙を舐めながら、ひょーちゃんはなぐさめてくれた。自分の片目をメリッサにくれると言った。だが、その彼女にはもう、両手両足がないのだ。

 メリッサは声をあげて泣いた。

 初めてみんなの姉でいられなくなった少女が、そこにはいた。

 見守るネズミが思い出したように、台所の方へと去ってゆく。時間が過ぎるのも忘れて、メリッサはひょーちゃんを抱き締めながら泣き叫んだのだった。

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