第26話「メリッサの、なみだ」

 とらわれのメリッサを待っていたのは、死刑の宣告だった。

 しかも、多くのネズミたちの前で、さらし者にされた挙句に殺されるのだ。

 それまでの短い時間を、メリッサは牢獄の中で過ごした。そして今、四方を熱狂的な声援で囲まれ、光の中にいる。巨大な円形の闘技場コロッセオは、見渡す限りにネズミたちがひしめいていた。その数、一万や二万ではない。

 インナー姿のまま、メリッサは左右に立っていたネズミたちに手枷てかせを解かれた。

 そして、一番メリッサが驚いていた出来事を再確認させてくる。


「お前、ここで死ぬ。処刑」

「お前たち、姉妹。俺ら、仲間、いじめた。沢山、いじめた」

「許されない、カーバンクル様、許さない」

「ここでお前、終わり。バラバラ、なれ」


 ネズミたちは既に、言語を習得するまでに進化していた。衣服を身に着け、二足歩行で歩いている。驚くことにもう、カーバンクルを中心とするネズミの王国が出来上がっていたのだった。

 手首をさすりつつ、メリッサは隻眼せきがんで玉座を睨む。

 遥か上の高みで、周囲に黒い乙女たちをはべらせカーバンクルが笑っていた。やはり今日も、傍らには甘えたようなシュンが恍惚こうこつの笑みを浮かべている。

 メリッサは槍を持つネズミたちに言われるまま、闘技場の中央へと歩み出る。

 そこでは、意外な処刑人が彼女を待っていた。


「来たか、メリッサ」


 腕組み待ち受けていたのは、アークだった。彼女は今、メリッサの最後の戦いの相手として立っている。その力は圧倒的で、少し離れた距離にいても、メリッサの肌をビリビリと闘気が震わせた。

 静かに見詰めてくるアークの目には、迷いも躊躇ちゅうちょもない。

 ただ、なにかを期待する輝きがじっとメリッサを見詰めていた。

 そして、メリッサ自身がまだ絶望を受け入れていない。妹たちのため、なによりリジャスト・グリッターズの人間たちのため……マスターたちのために。今、ここでは終われない。ただで終わる訳にはいかない。その気持ちだけが、メリッサを奮い立たせていた。


「君が相手なんだね、アーク」

「ほう? 大したものだな……この状況でまだ、平静を保っていられるか」

「私は諦めない。絶望なんか、してやらない」

「それでこそだ。さあ、死合ろうか……!」


 アークが両腕で構えた。

 握った拳と拳とが、一層アークの強さを大きく見せる。

 エンジェロイド・デバイスの範疇を超えた、恐るべき力の持ち主……アーク。ひたすらに己の強さを追求する、修羅の化身だ。だが、その瞳に邪気は感じられない。

 メリッサもまた、油断なく構えて腰を落とす。

 その時、目の前になにかが突き立った。

 それは――


「ッ!? これは……グラスヒール!」


 目の前に今、ひょーちゃんが以前持っていた巨大な剣が刺さっていた。

 そして、不意に視線を外したアークが遠くを見やる。それを目で追って、メリッサは目撃した。カーバンクルが座る玉座の側で、グラスヒールを投げ込んだ少女が見詰めてくる。その双眸そうぼうは、片目を失ったメリッサにもはっきりとうるんで見えた。


「サンドリオン……これを、私に?」

「……使え、メリッサ。今のお前では、オレを前に無力! 脆弱! それに、だ……オレは無防備で無手のお前を倒したとて、なんの満足も得られない」


 だが、そう言ってサンドリオンを見詰めるアークの表情が凍る。そこには、怒りを仮面の下へと忍ばせた激昂げきこうが見て取れた。

 サンドリオンは、妖しく笑うカーバンクルが手を向けると……黒い乙女たちに連れられて奥へ消えた。恐らく、メリッサにグラスヒールを貸したことを、これから咎められるのだろう。それを見送るしかできぬアークが、握る拳の内側に爪を食い込ませる音が聴こえそうだった。

 そして、カーバンクルの足元でひざまずいて膝に頭を載せたシュンが、甘えたような声で叫ぶ。


「さあ、ショータイムだよっ! フフ……わかってるよねえ? アーク。手加減してると、次は君の番になるよ? その前に勿論、彼女もバラバラさ……アハハハハ!」


 瞬間、メリッサは目の前のグラスヒールへと駆け寄る。

 そのまま引っこ抜くなり、大振りな一撃を袈裟斬りに放った。

 鈍い音が響いて、単分子結晶たんぶんしけっしょうの刀身が震える。

 アークは避けずに、肩口へとひびを走らせた。


「……避けない? アークッ、君は!」

「気が済んだか……?」

「えっ!?」

「この痛みは、お前の妹たちの痛み……何万分の一にも満たぬ、戦士たちの傷み。グラン、メディ子、ラムちゃん……お前の妹たちは皆、勇敢で気高い戦士だった」

「過去形で語るなっ! アーク!」

「フン……では、始めようか! 我が宿敵アルタの前に、お前たち姉妹を潰す! それこそが、オレの求めて極める道! 修羅をも超える悪鬼羅刹となりて……全てを粉砕する!」


 アークから吹き出す闘気、そして覇気。

 圧倒的な存在感に気圧けおされ、メリッサは咄嗟とっさに離れてグラスヒールを構え直した。

 普段から使うアサルトライフルやフェンサーブレードと違って、重い。ひょーちゃんは引きずるようにして振り回していたが、これしか武装を持たなかった理由が今はわかる。二丁のハンドガンをセットされた、マルチプラットフォームの大剣……それは、オール・イン・ワンのオールマイティではなかった。

 慣れぬメリッサは持て余すが、それでも妹の剣を敵へと向ける。

 目の前に今、アークがいる。

 だが、彼女ではない。

 彼女とはまだ、語り終えていない。

 交わす言葉が、伝えてわかりたい気持ちがある限り、敵ではない。

 真の敵……それは今、一番の高みでメリッサになぶるような視線を注いでくるカーバンクルだ。


「そこをどいてもらうよ、アークッ! これは、チャンスだ」

「ほう? チャンス……万に一つも勝機のない、この状況で好機だと?」

「そうさ、アーク。たとえ那由多なゆたの果てへゼロを無限に連ねても……その先に、必ずチャンスがある。見えないそれを感じる限り、私は決して諦めないっ!」


 グラスヒールを連れて引きずり、メリッサは走り出す。

 全身のアーマーが全て砕かれ脱がされた今、レッグスライダーによる高速疾走の恩恵はない。しかし、踏みしめる一歩に妹たちの痛みを思い出せば、自然とメリッサは風をまとって加速した。

 隻眼に見えない炎を燃やしながら、身を低くメリッサは馳せた。

 待ち受けるアークもまた、拳を繰り出してくる。

 盛り上がる観衆のネズミたちは、足元を踏み鳴らして喝采を叫ぶ。

 ――激突。

 両者は闘技場の中央で、真正面からぶつかり合った。

 押し込む力と力との間で、空気を震わす言の葉が短く行き交う。


「メリッサァ! どうしてそこまで戦えるっ!」

「そんなの、わかんないっ!」

「いずれこのふね自体をカーバンクルは飲み込み覆う! それなのにお前は!」

「私は一人じゃない……未来はまだ、決まってない!」

「お前は、お前たちだというのなら!」

「最後の一人になっても戦う……誰の明日も、誰にも渡さない!」


 その時アークは、珍しく真っ向勝負を嫌ってメリッサの太刀筋をそらした。

 常に力に力で応えたアークが、技を駆使していなしさばいた。

 その間隙に攻め手を緩めぬメリッサは、奇妙な違和感を拾う。

 そして、そのことを口にすればアークは笑うだけだった。


「アークッ! その腕……ラムちゃんとの時に! まだ、君は」

「戦士とは常に、傷を背負って戦うものだ。この傷みもまた、オレの強さの証となる! 遠慮は無用、かかってこい!」

「……どうして、その高潔さを上手に使えないっ! 君の気持ちはこんなにんでいるのに! アーク!」

「愚問だな……己の力こそが全て、そういう生き方こそがオレに相応しい。そしてオレには、その全てを捧げて守るべき女が、いるっ!」


 ごう! と、メリッサのすぐそばを豪腕が突き抜けた。

 拳圧だけで風が、気流を生んで逆巻く。

 一瞬前のメリッサを殺す拳。

 回避したメリッサを追う長髪が、アークの拳で風に舞う。

 よく見ればアークは、今日は背に無数の武器を背負っていた。いつぞや使った長大な太刀の他に、銃火器も見受けられる。だが、彼女は拳のみでメリッサを追い詰めた。

 メリッサは機会を伺いつつ、グラスヒールと死地に踊る。

 危うい輪舞ロンドは加速する中で、次第にメリッサを更なる領域へと引っ張ってゆく。

 極限状態の集中力と精神力が、研ぎ澄まされてゆく感覚。

 それを肌で感じたのか、アークが口元をマスクで覆って神妙に呟く。


「この状態で、さらにスピードが……メリッサ! 絶体絶命の中で……強くなっている!」

「私に絶望は許されないんた……私は、みんなの! 姉だから、お姉ちゃんだからっ!」


 次第にグラスヒールが、軽くなってゆく感覚。

 徐々にだが、重さと大きさをメリッサは掌握しつつあった。

 脳裏にひょーちゃんを思い出し、そのイメージに自分を重ねる。

 巨大な刀身は時に武器であり、防具。

 そして、スピードを乗せた重さは相乗効果で破壊力を増大させるのだ。

 次第にメリッサが、アークを圧倒し始める。

 周囲で見守るネズミたちは、気付けば静かになっていた。

 メリッサはアークを強引に押し込み進んで、壁際へと追い詰める。肩越しに壁を振り返って、アークはその上から注がれる視線に表情を硬くした。

 上からはカーバンクルが、無言で威圧的な視線を放っている。


「アークッ! 私の勝ちだよ……この一撃でっ!」

「見事だ、メリッサ! このオレを下らせ退かせ、追い詰めた……その闘志に敬意を込めて! オレもまた、オレたちのために放とう。本気のっ、一撃を!」


 大上段に巨剣を振り上げ、メリッサがぶ。

 それを迎え撃って、アークが拳を振り上げた。

 天を衝く勢いで竜巻を生む中、アークの拳がメリッサの腹部に鈍い音を連鎖させる。強烈なアッパーカットが、メリッサを吹き飛ばした。

 だが、必殺の一撃を放ったアークの表情が……驚愕きょうがくに凍る。

 メリッサは吹き飛びながら宙を舞って、笑っていた。

 その手が、握るグラスヒールの鍔から銃を抜き放つ。


「私の、私たちの敵は……カーバンクル、ただ一人っ! せめてここでッ!」


 全身の痛みに耐え、流れ出すことを知らぬ血潮を燃やす。あるはずのない、全身の血液が沸騰するような感覚の中……メリッサは照星しょうせいに玉座のカーバンクルを捉えた。

 全てが静止する一瞬の中、シュンの目が見開かれる。

 絶叫する彼女の声も、黙ってしまったネズミたちも、メリッサの意識から遠ざかる。

 ただ、黙って悠然と動かぬカーバンクルは……わらっていた。

 おびやかされる己の命すら、カーバンクルには大した価値を持たないのか? だが、傍らのシュンの慌てふためいた顔が、命は一つと教えてくれる。そして今、必中の間合いで銃口が火を拭いた。

 粒子のつぶてが、穿うがつ。

 ビームは音を引き裂いて、カーバンクルの脇をそれた。


「外したっ!? ……そうか、目が! 私の、片目が」


 永遠にも思える一瞬が、終わった。

 力なく闘技場の大地に落ちて、倒れたままメリッサは動けない。

 乾坤一擲けんこんいってきの一撃を外して、決して折れぬと誓った心が揺らぐ。

 悔しさに涙で滲む視界が、狭くなってゆく。今になってアークの一撃が、自分の力を全て奪ってゆく感覚で痛みも遠のく。薄れ行く意識は、カーバンクルをたたえて歓呼かんこするネズミたちの声に消えていった。

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