第23話「むねにとうし、こころにしし」

 メリッサは戦慄せんりつに身を硬くした。

 限界を超えた領域へと、シュンは危険なダンスでシンを誘ってゆく。二人は激しく火花を散らしながら、離れていった。あとを追おうとするメリッサの前に、ネズミの群れが立ちはだかる。


「くっ、どいて! シンが!」


 ネズミたちは既に、中世程度の文明を持っていることが明らかだ。手にした剣は、もはや人間たちの生活から拾い集めた廃材ではない。どうしたのかはわからないが、ちゃんと鍛造された金属の刃だ。弓矢や鎧もそう、ネズミたちは道具や武器を既に作り始めている。

 焦るメリッサは、乱戦の中で次々とネズミたちを撃破していった。

 次々とカーバンクルの魔力から解放されたネズミが、鳴きながら逃げてゆく。

 だが、数が多過ぎた。

 倒せば倒すほどに、二倍三倍と敵意が膨れ上がる。

 その時、頼れる声が戻ってきた。


「ジェネ、メリッサねーちゃんがピンチだぞ!」

「お任せください、シャル姉様……わたくしとメリッサ姉様の仲を引き裂こうとする、邪悪なるカーバンクルの尖兵せんぺい。許しませんわ……絶対に許しませんの!」


 真っ赤な弾丸が瞬発力を爆発させた。

 戻ってきたシャルは、すぐさま臨戦態勢で光の筋を引く。小さな翼が羽撃はばたけば、直線状に群がっていたネズミたちが次々と宙を舞った。無数の敵意を蹴散らしながら、メリッサの元へと彼女はやってきた。

 周囲を睨んで鼻息も荒く、小さな紅蓮竜ディセイバーが真っ赤に燃える。


「シャル! ジェネも」

「メリッサねーちゃん、助けにきたぞ! こいつら、また機関室に……追い出してやるぞ!」

「メリッサ姉様、有象無象うぞうむぞうはわたくしとシャルが……シン姉様を!」


 ジェネがかざした褐色の両手から、静かに澄んだ光が広がってゆく。強力な魔力がほとばしり、光の壁と壁とが左右へ屹立きつりつした。ネズミたちがその障壁に押されて、次々と機器の下へ突き落とされてゆく。

 シャルの突出した突破力に加えて、ジェネの守りに特化した力。

 二人はメリッサを援護しつつ、送り出してくれようとしていた。


「二人共、ありがとう。急いでシンを……うっ!」


 追いすがるネズミをフェンサーブレードで薙ぎ払って、メリッサはシュンとシンを追う。二人は機関室に並ぶ巨大な機械群の中で、互いの足場を奪い合うように飛び交っていた。光と光がぶつかり交わって、そのたびに二人は激しく相手と削り合う。

 急いで援護に向かおうとしたメリッサは、その時……強烈な殺気に貫かれる。

 一瞬で脳裏に、自分が木っ端微塵になるヴィジョンが浮かぶ。

 強張る全身を投げ出せば、一瞬前まで自分がいた場所に暴力が弾けた。

 極小サイズのマイクログラヴィティミサイルが、一秒前のメリッサを重力場の奈落ならくへ吸い込みぜる。飲み込まれれば大ダメージは免れない、危険な攻撃。

 そして、恐るべき魔人が再びメリッサの前に現れる。


「……今のを避けたか、メリッサ。流石さすがだと言っておこう」

「アーク!」


 次元転移ディストーション・リープの光と共に、メリッサに立ちはだかるようにアークが舞い降りた。見る者の畏怖いふ畏敬いけいの念を掻き立てる、禍々まがまがしくも神々こうごうしい闘気。まさしく戦神マルスの如き威容を前に、油断なくメリッサは身構えた。

 そして、アークに寄り添うようにサンドリオンも現れる。

 先程と同じように、サンドリオンの美麗な表情はうれいを帯びてはかなげだ。

 そんな彼女を背にかばうようにして、アークが前に出る。


「サンドリオン、メリッサに彼女たちを返してあげてくれ。……素晴らしい戦士たちだった。だから、全力で戦い、叩きのめした。それが、オレの戦士への敬意」

「アーク……貴女は」

「心配しなくていい、サンドリオン。大丈夫だ……オレは、こんなところで立ち止まれない」


 舞い降りた二人の周囲に、ドサドサと何かが続けて落ちてくる。

 それを見たメリッサは、見開く瞳の瞳孔を収縮させた。

 メリッサのためにと戦ってくれた、妹たち……その誰もが、傷つき震えながらアークとサンドリオンの足元に横たわる。

 思わず名を呼び、メリッサは駆け寄ろうと地を蹴った。


「グラン! アイリ、リース! メディ子にアルタも!」


 まだ、みんな生きている。それが、苦しげな呻きでわかる。

 だが、全く損傷の見られないアークと違って、誰もがボロボロだった。皆、メリッサのために血路を開いてくれた妹たちだ。それが今、この場に投げ出されて尚、戦おうと震える身を起こす。

 その中でも、白い装甲の少女がアークの脚にしがみついた。

 なりふりかまわず、文字通り足を引っ張るようにすがりつく。


「待てよ、アーク……アタイはまだ、負けちゃ、いない……まだッ! 戦えるッ!」

「……無様な。己の散り際さえわきまえぬか」

「どれだけ無様でみっともなくても、アタイは戦う! 戦える! こんなアタイを妹だと言ってくれた、みんなのために戦い続けるッ!」

「オレと貴様では、神と人ほどの力の差がある。勝利など、万に一つもあるものか」

「例え那由多なゆた彼方かなたであろうと……アタイには勝利が見える! お姉ちゃんたちの勝利のために……アタイは人のままでも神とさえ戦う。戦うなら、人であるだけで十分だッ!」


 だが、無常にもアークはアルタを蹴り飛ばす。

 何度も床に弾んでバウンドすると、アルタはそのまま動かなくなった。グランも、アイリとリースも、メディ子も同じだ。アークの周囲を、苦しげな息遣いだけが満たす。

 それは、メリッサの怒りを沸点へと引き上げた。


「アークッ! 何故……どうしてカーバンクルの側につく! サンドリオンも!」

「私は……ごめんなさい、メリッサ姉様」

「サンドリオン、下がってろ。奴はオレがやる……そんな顔をするな。オレがもう、そんな顔はさせない」


 立ちはだかるアークは、サンドリオンを下がらせるなり全身から覇気を解放した。周囲の空気を一変させる闘志に、ネズミたちでさえ怯えたように場所を空ける。

 ネズミの軍勢たちの中央に、突如として出現した闘技場コロッセオ

 その中をアークは、まっすぐメリッサへと歩み寄ってくる。

 ちらりと視線を走らせれば、シュンとシンの戦いは苛烈を極めていた。

 機関室の天井を、光と光がひらめき走って、衝撃音が無数に交錯する。

 早く助けに行かなければ……だが、目の前のアークから逃れる術など、ない。

 まるで獲物を前にした猛虎の如く、アークの存在感は圧倒的だった。


「メリッサ、覚悟はいいか? オレと戦え……オレを満たしてみせろ!」

「アークッ! 君の相手をしている暇は」

「戦いだけが、オレの存在理由の全て。戦いでしかオレは、オレの女を守れない。だから!」


 瞬間アークの姿が不意に滲んで消える。

 輪郭を空気へ溶かし込んだアークは、目に追えぬ機動でメリッサへと迫っていた。メリッサもまた、歯噛みしつつも身を屈める。レッグスライダーが唸りをあげて、二人は激しくぶつかりあった。

 アークは先日とは違って、背に巨大な太刀を背負っている。

 常人ならば抜くことすら困難に見える、長大な太刀が引き抜かれた。


「オレにコイツを抜かせるとはな、メリッサ! ……方舟の太刀、すさべ!」

「くっ、やらせない! 力ずくでもどいてもらうよ、アークッ!」


 その大きさからは想像もつかぬスピードで、アークの振るう刃が風を切る。ギリギリで見切って回避するメリッサの、遅れてたなびく髪が細切れに宙を舞った。さながら妖刀の如き切れ味で、アークの太刀筋には迷いがない。

 ――このままでは、追い込まれる!?

 焦りに手の中に汗が滲んで、メリッサはフェンサーブレードを握り直した。

 意を決して、身を投げ出すような攻勢で突破するしかない。

 決死の覚悟を心に決めた、その時だった。

 声が、走る。

 りんとしてすずやかな、妹の声だ。


「メリッサ姉様! ここは私にお任せを! シャル姉様、ジェネ姉様、そしてシン姉様。遠く別の地で戦われていた、全ての姉様。今、お助けしますっ!」


 不意にアークが、全てを蹴散らす突進をひるがえした。

 彼女が大きく回避してとどまり、メリッサの進路から飛び退く。

 そこには、光の剣が突き立っていた。

 その輝きが照らす、金色の女神が舞い降りる。

 投擲したビームサーベルを手にして床から抜き放ち、彼女はメリッサを背にアークへと向き直った。その姿に思わず、メリッサは悲痛な思いを叫ぶ。


「ラムちゃん! ……だ、駄目だよ、どうして! その身体!」

「助けに来ました、メリッサ姉様。間に合ってよかった。私も戦います。今までシン姉様たちと戦ってきたから……姉様たちと一緒だから、戦えます!」


 肩越しに振り向くのは、オーラムをモチーフに造られた第二弾の末妹すえっこ、ラムちゃんだ。彼女はメリッサに笑顔を向けてから、再び片手でビームサーベルをアークに突きつける。

 そう、片手だ。

 ラムちゃんは、

 まだ、未完成……作られている最中なのだ。

 よく見れば、下半身にしかアーマーがない。

 柔らかな曲線のボディラインは、素体のインナーも顕で防御力がなかった。

 その姿を見て、アークが片眉を跳ね上げる。


「……そんな無様な姿で、オレと戦う気か」

「マスターは、十六夜イザヨイかぐや様はお忙しいのです! それでも、笑って……笑顔で御門晃ミカドアキラ様と、私を作ってくれる。ゆっくりでも、少しずつでも……だから、私は戦えます!」

「話にならないな……このオレを愚弄ぐろうする気か! 黄金に輝く鎧もなく、武器も満足に持たず、胸に誇って飾る獅子すらない。そんなお前が、オレと戦うだと?」

「戦います! 戦えるんです。例え武器も防具もなくとも、お相手します。この胸に、心に獅子の誇りライオンハートがある限り……貴女のような人には負けません!」


 メリッサは、ラムちゃんを無茶だと思った。

 止めなければ、死んでしまう。

 アークの強さは誰もが知るところで、この魔人を止めるすべをエンジェロイド・デバイスたちはまだ持ち得ない。そんな最強の敵を前に、未完成の状態でラムちゃんは挑むと言うのだ。

 だが、その時……アークが笑った。


「フン、小気味こぎみよい娘だ。……退かぬか?」

「退く理由が私にはありません」

「今のお前をオレは、一秒もかからず消し飛ばすことができる」

「例え一秒に満たぬ時間でも、メリッサ姉様がその間にシン姉様を……みんなを助けてくれます。その時間を稼ぐためなら」

「なるほど、それがお前の……お前たちの強さか。ならば!」


 突然、アークは「ハァッ!」と目を見開いた。

 彼女を包む漆黒のアーマーが、全て残らず弾け飛ぶ。アークは突然、ラムちゃんを前に全ての装甲を脱ぎ捨てた。そして、自ら右手で左腕をつかむ。

 悲しげに眉根を寄せるサンドリオンの前で、アークは……自ら自分の左腕を引っこ抜いた。


「サンドリオン、持っててくれ」

「……はい。アーク、どうして……どうして、自分を大事にしてくれないの?」

「オレは、お前以外に大事な、大切なものを知らない。ただ、戦いのみがオレの生き様! そして……戦いにおいて恥ずべきは、敵への敬意を忘れておごること! ラムちゃん……お前を戦士と認める! これがオレの偽らざる気持ちだ!」


 片腕になったアークは、ヒュン! と方舟の太刀を翻す。

 ラムちゃんもまた、静かにビームサーベルを身構えた。


「今です、メリッサ姉様! 行ってください……シン姉様を助けてあげてください」

「ラムちゃん、でも」

「大丈夫です、私は死にません。マスターに完成させてもらって、もっと姉様たちのお役に立ちたいです。だから、死ねません! それに……アークさんは、私には悪い人には」


 それだけ言うと、ラムちゃんが地を蹴り光になる。まばゆい輝きを放つ、地上の流星となってせる。とても未完成、攻撃力も防御力も皆無のエンジェロイド・デバイスとは思えない。その先でアークもまた、方舟の太刀を肩に担いだ。


「ラムちゃん、だったな。その名もまた、オレの心にきざもう。気高き戦士よ」

「アークさんっ! 貴女が武で語るというのなら、私が武でもっておこたえします! ……絶対にもう、コスモフリートも姉様たちも、やらせないっ!」


 激しい激突を背に、メリッサは走り出す。

 その先で今……苛烈な光がほとばしった。

 陽電子砲の暴力的な光の濁流が、シンを飲み込んでゆく。その光景を見た瞬間、メリッサの中で見えないリミッターが怒りと共に弾けて消え失せた。

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