第21話「はばむひかり、こえるひかり」
妹たちを背に見送り、メリッサは走る。
機関室を含めた
いつも、妹を信じている。
いつでも、妹たちを信頼している。
それでも、胸中を満たす黒い霧は広がる一方だ。
そんなメリッサが走る横では、低く
「メリッサねーちゃん、あと少しだぞ! この角を曲がれば――」
だが、通気口の入り組んだ先へと進んで、メリッサは立ち止まった。
先に角を曲がったシャルが、驚愕の表情で振り返る。
そこには、光の壁があった。
通気口の中央に両手を広げ、光を放つエンジェロイド・デバイスが立っていた。
思わずメリッサは、その名を呼んで駆け寄る。
「君は……ジェネッ!」
「ジェネ、なにして……そんなに力を使っちゃ駄目だぞ!」
メリッサとシャルの声だけが、虚しく響く。
彼女は今、
思わずシャルが、泣きそうな顔で近寄った。
「ジェネ、やめるんだぞ! メリッサねーちゃん、連れてきた! もう、大丈夫なんだぞ」
だが、返事はない。
恐らく、この通気口を
それでもシャルが手を伸ばした瞬間……不意に頭上が
慌てて駆け寄るメリッサが抱き起こすと……二人の前に、巨大な剣を背負った姿が舞い降りていた。それは、次元転移によって全ての戦術を覆す存在。メリッサの妹でありながら、幻獣カーバンクルに付き従うエンジェロイド・デバイスだった。
その名をメリッサは、悔しげに呟く。
「サンドリオン……君は、どうしてっ!」
「……このバリアに触れてはいけません、メリッサ姉様。シャルも。この力は、ジェネが命を削って広げる絶対防御の光。触れれば、無事ではすみません。このように――」
白を基調としてトリコロールに塗られた彼女の、細くしなやかな腕が光の壁に触れた。
瞬間、スパークする光芒が濁流となってサンドリオンの手を包む。
あっという間に、サンドリオンの右手がズタズタに引き裂かれた。
この障壁は、触れる全てを拒んで砕く、ジェネが生み出した結界なのだ。
「……御覧のように、危険です。あのアークでさえ、この壁を突破することはできません。ですから、メリッサ姉様……? あの、メリッサ姉様」
気付けばメリッサは、感情も思考も置き去りに駆け寄っていた。
感じるより早く、考える暇もなくサンドリオンの手を取る。白い装甲は焦げて溶け落ち、その下で素体の綺麗な手にもダメージが及んでいた。
一目でジェネの力がわかる。
サンドリオンは表情こそ変えないが、大きな損傷の筈だ。
メリッサたちの方では、ある程度の損傷ならば、ヴァルちゃんが直してくれる。
だが、カーバンクルが従える者たちには、そうした恩恵があるとは思えない。
だからメリッサは、きょとんとするサンドリオンの手を握る。
「駄目だよ、サンドリオン! ……痛くない? なんて無茶を」
「あの、メリッサ姉様。私は」
「ジェネの力は、こうしてネズミたちの侵入を防いでるんだね。触れる全てを拒む力……接触すればただではすまない」
不思議そうにサンドリオンが、タレ目気味の瞳を瞬かせる。
だが、構わずメリッサはサンドリオンの手を握った。自分にできることはない。サンドリオンの手はまだ、熱い。その手に手を重ねることで、彼女は敵である妹さえも気遣いいたわった。
そのことがサンドリオンには不思議なようだった。
だから、無茶な妹へとメリッサは語りかける。
「サンドリオン、君は今……シャルを守った、
「! そ、そうだぞ! あたし、ジェネのバリアに触ろうとしたから」
「……偶然です」
三者三様の視線が、壁の向こうへと投じられる。
透き通る清水のような青い光の向こうでは、ただ力を絞り出すために意識も意思も閉ざした姿が立っている。
その悲壮な姿を見て、シャルがぽつりと零した。
「みんな、メリッサねーちゃんと合流したがってたぞ。でも、ここはちょっと遠いから……あたしが連絡役で出たあと、ジェネが道を塞いだんだぞ! みんな、この奥で待ってるんだぞ!」
この奥に、
しかし、これでは先に進めない。
確か、機関区を走る通気口は、無数に入り組みつつ、ここだけが一本道になっている。そうした要衝は艦のアチコチに少数ながらあって、ネズミたちとの競り合いも激化している筈だ。
他にルートがないことを再確認して、メリッサは意を決して振り返る。
「サンドリオン! ……君は、君だけはこの先に行ける。そうだね?」
「あ! メリッサねーちゃん、頭いいぞ! サンドリオンねーちゃんは、えと、あの、あれ、なんだっけ……」
「私なら、次元転移で向こう側に行ける……誰でも、なんでも送り込める」
「そう、それだぞ! そのデストーソンリープってのだぞ!」
大きく頷くシャルも、恐らく本能的に感じているのだろう。彼女は幼い容姿と言動ばかり目立つが、とても賢い妹だ。
シャルは、無意識にサンドリオンが敵ではないと感じているのだ。
それはメリッサだって同じだったが、気にかかる。
どうして、正規品のエンジェロイド・デバイスである彼女が、カーバンクルに?
そのことを問いただそうとした時には、既にサンドリオンは視線を反らして
「サンドリオン。君はどうして、この先にネズミたちやアークを……なにより自分を次元転移させないんだい? ……あいつに、シュンに言われたんじゃ」
「私は……」
「君は、なにか事情があるんじゃ……私、相談に乗れないかな? ね、サンドリオン!」
「……いけません。このことを、誰にも……ですが、メリッサ姉様」
不意にサンドリオンが、メリッサへと手をかざす。たちまち虹の光が周囲に広がり、メリッサを包み込んだ。
驚くシャルすらも、次元転移の波動が取り込み飲み込んでゆく。
シャルと共にメリッサは、悲痛なサンドリオンの声を最後に聴いた。
「お願いです、メリッサ姉様……ジェネを、止めてあげてください。この先は、ジェネの力で覆われた結界の内側。私の次元転移も、四次元座標の跳躍精度に歪みが。でも」
「待って! サンドリオン! ……君もおいで!」
「……それは、できません。私は……あの子を、アークを一人には……できません」
瞬間、眩い光条がメリッサとシャルを包んだ。
不思議な感覚の中で、次元転移によって二人は運ばれてゆく。
目と鼻の先、ジェネがバリアを張ったその背後へと吸い込まれてゆく。だが、永遠にも思える一瞬の次元転移で、二人が再び通気口の床を踏んだ時……確かに小さな異変があった。それは、背後で声を聴くのと同時。
ここはバリアが張られた、その内側。
ぼんやりと光る通路の向こうで、声がする。
「やれやれ、ボクの大砲でもびくともしないや。ジェネ、困った
嘲笑を交えたシュンの声だ。
何故?
先程はいなかった者の声は、シュンだけじゃない。
シュンと会話しているのはアークで、他にも無数のネズミたちの声が聴こえる。
「アーク、サンドリオンに言ってこの先へボクたちを次元転移させよう。もう少しだよ……母なるカーバンクル様にたてつく、エンジェロイド・デバイスたち。早く刻んで砕いて、取り込んであげなきゃ、アハ!」
「言ったはずだ、シュン。オレもサンドリオンも、自分の意志で戦うべく、お前たちの側についた。便利に使うのはオレが許さない。サンドリオンが望むならいざしらず、力だけを利用したいなら」
「怖いなあ、アーク。でも、キミが頼めば嫌とは言わないよね? サンドリオンは」
なにやら揉めているらしいが、その中に清らかな声音が入り交じる。
その声は、妹のジェネだ。
「ここより去りなさい、邪悪な力に
「おや? まだ喋れるんだ。さっきこのバリアを張った瞬間から、もう意識はないものと思ってたけどね」
「シュン、そしてアーク……何故、こんなことをするのです。サンドリオン姉様まで巻き込み、なにを」
少しのやり取りのあと、シュンとアーク、そしてネズミの軍勢は行ってしまった。
どうやら、彼らは持久戦でジェネの力が尽きるのを待つらしい。そして、その場所にはサンドリオンだけが残った。
慌ててメリッサは、シャルと共に駆け出す。
暗がりから出ると、そこには肩越しに振り返るジェネの姿があった。
「……メリッサ、姉様? どうして、ここに……内側に」
「ジェネ、大丈夫だよ! もう大丈夫……私が来たから、大丈夫。それ以上、強過ぎる力を使わないで。私のかわいい妹、ジェネが擦り切れちゃう」
「ジェネ、それ以上駄目だぞ! あたしの方がおねーちゃんなんだから、言うこと聞くんだぞ! ……疲れちゃったら、みんなで笑っていられないんだぞ」
瞬間、巨大なバリアが霧散して、同時にジェネがふらりと倒れ込む。
だが、妙だ。
サンドリオンの一言で、メリッサの疑念は確信に変わる。
「やはり、少しずれたようですね。でも、よかった……メリッサ姉様、ジェネは休ませてあげれば大丈夫です。この奥に、シンとラムちゃんも……皆を、お願いします」
「……君は、そしてここは……少し過去だ。ジェネがバリアを張ってすぐの、少し過去の時間軸! どうして、どういうことだ! サンドリオン!」
リジャスト・グリッターズの人間たちも、次元転移の謎をいまだ解明していない。パラレイドと呼ばれる謎の敵が使う、次元と空間を跳躍するワープ技術……しかし、その副作用なのか、次元転移は多くの場合、時間のズレを伴う。次元転移が一瞬で終わっても、外の世界では多くの時が流れたり、巻き戻ったりしているのだ。
その謎を今、メリッサは自分で体験した。
そして、サンドリオンは確かにその謎を知っているようだった。
「メリッサ姉様、そしてシャル。今いるこの時間から半時間ほど後、貴女たちはここに駆けつけます。さあ、奥の妹たちと合流してください」
「サンドリオン、君は!」
「……姉様、そして妹たちは皆、
それだけ言うと、サンドリオンは次元転移の光と共に消えた。
呆気にとられるメリッサだが、隣でジェネを背負うシャルは落ち着いていた。まるで、自分で自分に言い聞かせて、冷静を装ったように瞳が揺れている。
「メリッサねーちゃん! 今は先を急ぐんだぞ! ……ジェネ、よかった。少し休めば元気になるぞ。そして、奥のシンねーちゃんやラムを助ける! 絶対に助けるんだぞ!」
頷くメリッサは、再び走り出す。
機関室が近付き、巨大な動力炉の駆動音が響き出した。
その先へと急ぐ中で……不思議とサンドリオンの悲しげな声が耳に残った。
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