第21話「はばむひかり、こえるひかり」

 妹たちを背に見送り、メリッサは走る。

 機関室を含めたふねの動力部は、艦尾に集中していた。そこはもうすでに、ネズミたちの領域テリトリー……せいて馳せるメリッサの脳裏を、悲観的なヴィジョンが過る。

 いつも、妹を信じている。

 いつでも、妹たちを信頼している。

 それでも、胸中を満たす黒い霧は広がる一方だ。

 そんなメリッサが走る横では、低くぶシャルが元気づけてくれる。


「メリッサねーちゃん、あと少しだぞ! この角を曲がれば――」


 だが、通気口の入り組んだ先へと進んで、メリッサは立ち止まった。

 先に角を曲がったシャルが、驚愕の表情で振り返る。

 そこには、光の壁があった。

 まばゆい輝きを放つ、光波の障壁……青くんだ色は、まるで極点を覆う氷河のよう。だが、それは全てを弾き拒む絶対守護の力。恐らく、ネズミたちの侵入を防ぐために……そして、すぐにメリッサの目に、強大な力を絞り出し続ける妹が飛び込んでくる。

 通気口の中央に両手を広げ、光を放つエンジェロイド・デバイスが立っていた。

 思わずメリッサは、その名を呼んで駆け寄る。


「君は……ジェネッ!」

「ジェネ、なにして……そんなに力を使っちゃ駄目だぞ!」


 メリッサとシャルの声だけが、虚しく響く。

 まばたき一つせず、褐色の少女が壁を生み出していた。壁の一部となって、その向こう側に立つ妹……ジェネ。スメルの姫巫女をほうじる神輿みこし、ジェネスをモデルに造られたエンジェロイド・デバイスだ。

 彼女は今、翠緑色ジェイドグリーンの瞳に虚ろな光を灯して全てを遮る。

 思わずシャルが、泣きそうな顔で近寄った。


「ジェネ、やめるんだぞ! メリッサねーちゃん、連れてきた! もう、大丈夫なんだぞ」


 だが、返事はない。

 恐らく、この通気口をふさいで敵を阻むため、持てる全てを障壁の構築と維持に使っているのだ。見開かれたうつろな瞳に、涙ぐむシャルの姿が映る。

 それでもシャルが手を伸ばした瞬間……不意に頭上がゆがんで眩い虹を広げる。

 次元転移ディストーション・リープの光と共に、シャルは突き飛ばされた。

 慌てて駆け寄るメリッサが抱き起こすと……二人の前に、巨大な剣を背負った姿が舞い降りていた。それは、次元転移によって全ての戦術を覆す存在。メリッサの妹でありながら、幻獣カーバンクルに付き従うエンジェロイド・デバイスだった。

 その名をメリッサは、悔しげに呟く。


「サンドリオン……君は、どうしてっ!」

「……このバリアに触れてはいけません、メリッサ姉様。シャルも。この力は、ジェネが命を削って広げる絶対防御の光。触れれば、無事ではすみません。このように――」


 物憂ものうげに目を伏せながらも、サンドリオンが手を伸べる。

 白を基調としてトリコロールに塗られた彼女の、細くしなやかな腕が光の壁に触れた。

 瞬間、スパークする光芒が濁流となってサンドリオンの手を包む。

 あっという間に、サンドリオンの右手がズタズタに引き裂かれた。

 この障壁は、触れる全てを拒んで砕く、ジェネが生み出した結界なのだ。


「……御覧のように、危険です。あのアークでさえ、この壁を突破することはできません。ですから、メリッサ姉様……? あの、メリッサ姉様」


 気付けばメリッサは、感情も思考も置き去りに駆け寄っていた。

 感じるより早く、考える暇もなくサンドリオンの手を取る。白い装甲は焦げて溶け落ち、その下で素体の綺麗な手にもダメージが及んでいた。

 一目でジェネの力がわかる。

 サンドリオンは表情こそ変えないが、大きな損傷の筈だ。

 メリッサたちの方では、ある程度の損傷ならば、ヴァルちゃんが直してくれる。魔生機甲レムロイドヴァルクを元に生まれた彼女は、魔生機甲設計書ビルモアで破損パーツから新武装まで、なんでも造ってくれる。

 だが、カーバンクルが従える者たちには、そうした恩恵があるとは思えない。

 だからメリッサは、きょとんとするサンドリオンの手を握る。


「駄目だよ、サンドリオン! ……痛くない? なんて無茶を」

「あの、メリッサ姉様。私は」

「ジェネの力は、こうしてネズミたちの侵入を防いでるんだね。触れる全てを拒む力……接触すればただではすまない」


 不思議そうにサンドリオンが、タレ目気味の瞳を瞬かせる。

 だが、構わずメリッサはサンドリオンの手を握った。自分にできることはない。サンドリオンの手はまだ、熱い。その手に手を重ねることで、彼女は敵である妹さえも気遣いいたわった。

 そのことがサンドリオンには不思議なようだった。

 だから、無茶な妹へとメリッサは語りかける。


「サンドリオン、君は今……シャルを守った、かばったね?」

「! そ、そうだぞ! あたし、ジェネのバリアに触ろうとしたから」

「……偶然です」


 三者三様の視線が、壁の向こうへと投じられる。

 透き通る清水のような青い光の向こうでは、ただ力を絞り出すために意識も意思も閉ざした姿が立っている。

 その悲壮な姿を見て、シャルがぽつりと零した。


「みんな、メリッサねーちゃんと合流したがってたぞ。でも、ここはちょっと遠いから……あたしが連絡役で出たあと、ジェネが道を塞いだんだぞ! みんな、この奥で待ってるんだぞ!」


 この奥に、神牙シンガのシン、オーラムのラムちゃんがいる。

 しかし、これでは先に進めない。

 確か、機関区を走る通気口は、無数に入り組みつつ、ここだけが一本道になっている。そうした要衝は艦のアチコチに少数ながらあって、ネズミたちとの競り合いも激化している筈だ。

 他にルートがないことを再確認して、メリッサは意を決して振り返る。


「サンドリオン! ……君は、君だけはこの先に行ける。そうだね?」

「あ! メリッサねーちゃん、頭いいぞ! サンドリオンねーちゃんは、えと、あの、あれ、なんだっけ……」

「私なら、次元転移で向こう側に行ける……誰でも、なんでも送り込める」

「そう、それだぞ! そのデストーソンリープってのだぞ!」


 大きく頷くシャルも、恐らく本能的に感じているのだろう。彼女は幼い容姿と言動ばかり目立つが、とても賢い妹だ。

 シャルは、無意識にサンドリオンが敵ではないと感じているのだ。

 それはメリッサだって同じだったが、気にかかる。

 どうして、正規品のエンジェロイド・デバイスである彼女が、カーバンクルに?

 そのことを問いただそうとした時には、既にサンドリオンは視線を反らしてうつむく。それは、童話に出てくる気丈な灰被りシンデレラとは違って、か弱くはかない美しさに飾られていた。


「サンドリオン。君はどうして、この先にネズミたちやアークを……なにより自分を次元転移させないんだい? ……あいつに、シュンに言われたんじゃ」

「私は……」

「君は、なにか事情があるんじゃ……私、相談に乗れないかな? ね、サンドリオン!」

「……いけません。このことを、誰にも……ですが、メリッサ姉様」


 不意にサンドリオンが、メリッサへと手をかざす。たちまち虹の光が周囲に広がり、メリッサを包み込んだ。

 驚くシャルすらも、次元転移の波動が取り込み飲み込んでゆく。

 シャルと共にメリッサは、悲痛なサンドリオンの声を最後に聴いた。


「お願いです、メリッサ姉様……ジェネを、止めてあげてください。この先は、ジェネの力で覆われた結界の内側。私の次元転移も、四次元座標の跳躍精度に歪みが。でも」

「待って! サンドリオン! ……君もおいで!」

「……それは、できません。私は……あの子を、アークを一人には……できません」


 瞬間、眩い光条がメリッサとシャルを包んだ。

 不思議な感覚の中で、次元転移によって二人は運ばれてゆく。

 目と鼻の先、ジェネがバリアを張ったその背後へと吸い込まれてゆく。だが、永遠にも思える一瞬の次元転移で、二人が再び通気口の床を踏んだ時……確かに小さな異変があった。それは、背後で声を聴くのと同時。

 ここはバリアが張られた、その内側。

 ぼんやりと光る通路の向こうで、声がする。


「やれやれ、ボクの大砲でもびくともしないや。ジェネ、困っただね。でも、その力……いつまで持つかなあ? 随分と消耗著しいみたいだけど」


 嘲笑を交えたシュンの声だ。

 何故?

 先程はいなかった者の声は、シュンだけじゃない。

 シュンと会話しているのはアークで、他にも無数のネズミたちの声が聴こえる。


「アーク、サンドリオンに言ってこの先へボクたちを次元転移させよう。もう少しだよ……母なるカーバンクル様にたてつく、エンジェロイド・デバイスたち。早く刻んで砕いて、取り込んであげなきゃ、アハ!」

「言ったはずだ、シュン。オレもサンドリオンも、自分の意志で戦うべく、お前たちの側についた。便利に使うのはオレが許さない。サンドリオンが望むならいざしらず、力だけを利用したいなら」

「怖いなあ、アーク。でも、キミが頼めば嫌とは言わないよね? サンドリオンは」


 なにやら揉めているらしいが、その中に清らかな声音が入り交じる。

 その声は、妹のジェネだ。


「ここより去りなさい、邪悪な力におぼれた者たちよ」

「おや? まだ喋れるんだ。さっきこのバリアを張った瞬間から、もう意識はないものと思ってたけどね」

「シュン、そしてアーク……何故、こんなことをするのです。サンドリオン姉様まで巻き込み、なにを」


 少しのやり取りのあと、シュンとアーク、そしてネズミの軍勢は行ってしまった。

 どうやら、彼らは持久戦でジェネの力が尽きるのを待つらしい。そして、その場所にはサンドリオンだけが残った。

 慌ててメリッサは、シャルと共に駆け出す。

 暗がりから出ると、そこには肩越しに振り返るジェネの姿があった。


「……メリッサ、姉様? どうして、ここに……内側に」

「ジェネ、大丈夫だよ! もう大丈夫……私が来たから、大丈夫。それ以上、強過ぎる力を使わないで。私のかわいい妹、ジェネが擦り切れちゃう」

「ジェネ、それ以上駄目だぞ! あたしの方がおねーちゃんなんだから、言うこと聞くんだぞ! ……疲れちゃったら、みんなで笑っていられないんだぞ」


 瞬間、巨大なバリアが霧散して、同時にジェネがふらりと倒れ込む。

 咄嗟とっさに駆け寄り抱き留めたメリッサは、今しがたバリアが消えた向こうに、人影を見た。それは、自分たちを次元転移でこちら側に送ってくれたサンドリオンだ。

 だが、妙だ。

 サンドリオンの一言で、メリッサの疑念は確信に変わる。


「やはり、。でも、よかった……メリッサ姉様、ジェネは休ませてあげれば大丈夫です。この奥に、シンとラムちゃんも……皆を、お願いします」

「……君は、そしてここは……。ジェネがバリアを張ってすぐの、少し過去の時間軸! どうして、どういうことだ! サンドリオン!」


 リジャスト・グリッターズの人間たちも、次元転移の謎をいまだ解明していない。パラレイドと呼ばれる謎の敵が使う、次元と空間を跳躍するワープ技術……しかし、その副作用なのか、次元転移は多くの場合、時間のズレを伴う。次元転移が一瞬で終わっても、外の世界では多くの時が流れたり、巻き戻ったりしているのだ。

 その謎を今、メリッサは自分で体験した。

 そして、サンドリオンは確かにその謎を知っているようだった。


「メリッサ姉様、そしてシャル。今いるこの時間から半時間ほど後、貴女たちはここに駆けつけます。さあ、奥の妹たちと合流してください」

「サンドリオン、君は!」

「……姉様、そして妹たちは皆、ICアイシーチップのバグで魂と心を得た。でも、私に宿ったのは……だから、私は姉様たちとは一緒にいられない。いてはいけないんです」


 それだけ言うと、サンドリオンは次元転移の光と共に消えた。

 呆気にとられるメリッサだが、隣でジェネを背負うシャルは落ち着いていた。まるで、自分で自分に言い聞かせて、冷静を装ったように瞳が揺れている。


「メリッサねーちゃん! 今は先を急ぐんだぞ! ……ジェネ、よかった。少し休めば元気になるぞ。そして、奥のシンねーちゃんやラムを助ける! 絶対に助けるんだぞ!」


 頷くメリッサは、再び走り出す。

 機関室が近付き、巨大な動力炉の駆動音が響き出した。

 その先へと急ぐ中で……不思議とサンドリオンの悲しげな声が耳に残った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る