第17話「さいやく、さいあく」

 その部屋は真昼だというのに、丸い船窓せんそうから差し込む日差しがない。

 分厚いカーテンがしめられ、照明も落とされた室内は薄暗かった。

 この部屋には確か、母一人子一人の親子が住んでいたはずだ。五歳くらいの小さな女の子が、メリッサの妹のマスターだ。

 だが、人の気配がない室内で、同じエンジェロイド・デバイスの息遣いが感じられない。変わって空気に満ち満ちているのは、肌がひりつくような緊張感だった。


「ひょーちゃん、気をつけて……なんか、いる」

「敵、かも……?」


 マントの端をぎゅむと握って、ひょーちゃんはメリッサに身を寄せてくる。その背に巨大な大剣『グラスヒール』が背負われていた。単分子結晶たんぶんしけっしょうの刀身に二丁のビーム拳銃がセットされた、マルチプラットフォームウェポンだ。

 なかば切っ先を引きずるようにして、ひょーちゃんはビクビクと眠たげなジト目を周囲に向ける。


「メリッサ、なんか……変。この部屋……誰も、いない。人も、いもーとも、いない。のに、いる……なんか、いる」

「うん……とりあえず、備え付けの机にあがってみよう」


 士官室の間取りはどれも一緒で、固定された机が壁から突き出ている。その横には親子によってフックが沢山貼り付けられており、鞄や帽子がぶらさがっていた。

 そうしたものをよじ登るようにして、メリッサはひょーちゃんと机の上を目指す。

 だが、もう少しで登頂という時……背後を何かが通過した。

 何かが、背をかすめるようにして、下へと落ちていった。

 何だかったは見えない、確認する暇もなかった。

 だが、続けて二度三度とそれは床へばらまかれた。


「なんだ……!? ひょーちゃん、急いでっ!」

「メリッサ、先に行って……わたし、運動、苦手……」


 えっちらおっちら藻掻もがくように登るひょーちゃんを一度振り向いてから、メリッサは全身の瞬発力を爆発させた。まるで弾かれたように、四肢の力で断崖を登りきる。

 机の上は乱雑に散らかっており、画用紙にクレヨンが散らばっていた。

 他には母親のものだろうか? 裁縫道具を入れた小箱がある。

 まるでそこは、廃園となったテーマパークのようだ。

 そして、暗がりの中で奇妙な気配がメリッサを出迎えてくれた。

 同時に、何かが飛んでくる。

 咄嗟に避けつつ、メリッサは油断なくアサルトライフルを身構えた。


「誰だっ! ……そこにいる奴、出てきて! ッ!?」


 再び何かが飛んできた。

 今度は避けず、抜き放ったフェンサーブレードを左手に握る。上手く刃を寝かせて、飛来する物体を叩き落とした、その時だった。

 メリッサの表情は戦慄に凍りついた。

 メリッサめがけて投擲された、それは……だ。

 細くしなやかなエンジェロイド・デバイスの腕が、机の上に転がっていた。

 そして、薄闇の奥からゆらりと人影が立ち上がる。

 耳をおかして汚すような、湿しめるままにまとわりついてくる、声。


「ハハ、遅かったね。ボク、待ちくたびれたよ……メリッサ」

「だっ、誰だ! お前は……それより、これは! もしかして……私の妹を!」

「妹? ああ……これかな? 彼女、とてもよかったよ。四機四種の再現のために、余剰パーツが多かったからね。それに、一番欲しかったコレも手に入った」

「な、なにを言ってる! ……妹になにかあったら、許さないッ!」

「なにかあったら、ねえ? うーん、もうないよ……ほら、!」


 大きめの部品が投げつけられた。

 咄嗟に武器を捨てたメリッサは、両腕で受け止める。

 そして、わずかな明かりの中で自分を見上げてくる表情に、絶句。メリッサが受け止め抱いたままのそれは、両手両足を引きちぎられた妹の姿だった。


「きっ、君は! ……ああ、なんてこと」

「ねえ、さま。メリッサ、ねえ……さま」


 妹を抱き締めたまま、メリッサはその場に崩れ落ちた。

 一番恐れていた事態が、ついに現実になった。

 それも、まだ出会ってすらいない妹との、別れ。


「……痛かった、よね? 私たちの感覚は今、人間たちとほぼ同じ……だから、君は」

「ねえ、さま……泣いて、る?」

「ごめん……本当にごめん! 私、遅かったね。駄目な姉だね……許してなんて、言えないよね」

「泣かない、で……ねえ、さま」


 息も絶え絶えのエンジェロイド・デバイスは、No.016……確か、惑星"ジェイ"のエークスが開発した人形兵器、トールをモデルにした娘だ。現行で一号機から四号機まで、四種のトールが運用されている。だから、彼女は四種の形態を持つコンパチブルキットなのだ。

 その妹が、裸同然で砕かれ割れた肌色をさらしている。

 生きたまま、手足をもがれ、パーツを剥ぎ取られたのだ。

 そのひび割れた表情に、メリッサの大粒の涙がこぼれた。


「ごめん……ごめんね、トゥルーデ。ごめん……!」

「わた、し、の……名前」

「No.016、私の大事な妹……みんなの大好きなトゥルーデ。迎えに来るの、遅くてごめん」

「あやまら、ないで……ねえ、さま」


 ピシリ、と音を立てて、トゥルーデの顔が無数のひびを走らせる。全身のいたるところで亀裂と亀裂が結びつき、既にその胴体と頭部もバラバラになりかけていた。

 だが、最後の力で彼女は笑う。

 静かに微笑み、肘から先の消失した両腕で……メリッサを突き飛ばした。


「ねえ、さま……忘れ、ない、で……わたしの、こと……みんなの、こと」

「トゥルーデッ!」


 次の瞬間、後ろにへたり込んで倒れたメリッサの目の前に……巨大な光の奔流ほんりゅうが突き立った。戦略兵器レベルのビームが、その光芒こうぼうの中にトゥルーデを吸い込んでゆく。

 そして……邪神ロキの如き悪意の塊が高らかに嘲笑わらった。


「んー、いい感じさ! やっぱボクには粒子砲がないとね……ほら、陽電子砲? だっけ? 似たようなもんだし、大砲がついてればボクはなんでもいいかなっ」


 集束してゆく光の向こうに、立ち上がる影。

 冷たく響く声は、不自然な程に無邪気で、無垢であるとさえ言えた。飾らぬ生まれたての姿と心に、満ちて広がるのは邪悪……禍々まがまがしいまでの美しさで、一人の少女が歩いてくる。

 その顔や身体、全身を構成するパーツにメリッサは見覚えがあった。


「お前は……その身体、まさか!」

「そうさ。パーツを融通するのに時間がかかったけど、おかげで満足のゆく身体を得られたよ。カーバンクル様の祝福に感謝、だね。っと、これを探してるんじゃないかな? ほーら、大事な大事な……これ、なーんだ?」


 可憐な美貌を歪めて、ぎの少女は笑う。その足元に転がる大きなパーツは、ボーナス特典として付属するアルジェント用の部品だ。それを彼女は、片足でたやすく砕いて踏み潰す。

 アルジェントの集めるボーナスパーツが、木っ端微塵に砕け散った。


「その姿……私の妹たちのパーツを! それに、今のは!」

「ボクはシュン、はじめまして。そしてさようならだ。フフッ、ダルマにされた妹を見たぐらいで、笑えるくらいに動揺しているね? 次はメリッサ、キミがダルマになって妹たちを震え上がらせる番だ。じゃあ、バイバイ」


 肩に担ぐように構えていた陽電子砲を握ったまま、シュンと名乗った敵は剣を抜刀する。それは、メリッサが皇都スメラギミヤコに作られた時に余った、予備パーツのフェンサーブレードだ。アサルトライフルとフェンサーブレードの両方を装備させるために、都は二振り目を箱に大事にしまっていたのだ。

 それが今、敵の手にあるという事実。

 そして……それをメリッサの知らぬ間に、敵が都の部屋から持ち出していたという現実。

 メリッサは声にならない絶叫と共に、立ち上がった。

 捨てた武器を拾うという考えすらなく、怒りに燃える拳を握って、レッグスライダーが展開接地するや走り出す。


「激情に身を任せてたける、か……そんなキミも美しいよ、メリッサ。早くバラしたいな! 生きたままパーツ単位でバラして、取り込んであげるよ! ボクと一つに、なれっ!」


 だが、鈍色にびいろに光る刃をシュンが振り上げた、その瞬間……彼女の足元に赤い影が走った。文字通り体を浴びせるように、全力でぶつかってゆく一人の小さなエンジェロイド・デバイス。彼女は鋭い爪の光る両手で、シュンの脚に抱き着いた。

 そしてそのまま、稚拙な攻撃で吼える。

 足元への攻撃を嫌がるように、シュンは愉悦ゆえつとろけた笑顔を歪めた。


「チィ! さっき潰したガキかっ! パーツを取る価値もない、ケダモノのように幼稚な! ボクはね……ボクを恐れない奴が嫌いなんだよ!」

「ンギギ……あたし、許さないもん! お前、悪い奴……トゥルーデねーちゃんを! 他のねーちゃんたちも! あたし、許さないもんっ!」


 シュンが怯んだ、その瞬間に既にメリッサは冷静さを取り戻していた。

 しかし、その加速は止まらず……逆に疾駆の領域へと高まる。

 引き絞った拳をふりかぶって、メリッサは構わず叩きつけた。


「アレコレとパーツを継ぎ接ぎしたから……その脚っ、まだ合ってないッ!」


 怒りの鉄拳がシュンを穿うがつ。

 もんどり打って吹き飛ぶシュンが、何度も机の上にバウンドした。彼女はそれでも、クレヨンの散らばる画用紙の上でゆらりと立ち上がる。まるで、糸が切れた操り人形マリオネットのよう……ただ良質なパーツだけを集めて無作為に組んだゆえに、あちこちで関節が干渉していびつな音を立てていた。

 さながら、びついた歯車がかしいでくような、不協和音はまるで悪魔のなげきだ。


「クッ、メリッサアアアアア! いいよ、すっごくいい! 興奮してきたよ……アハッ、たぎるねえ! みなぎるねえ! さあ、やろうよ。殺し合おうじゃないか。そのチビもとろとも消し飛ばしてやる!」


 シュンが再び陽電子砲を構える。

 その時にはもう、武器を拾った小さな少女がメリッサへと駆け寄っていた。先程の少女は、メリッサの顔を見て安心したのかワンワン声を上げて泣き出す。


「うう、メリッサねーちゃん、ごめん……ごめ~ん! あたし、あたし……守れなかった。トゥルーデねーちゃんを守るって……シンねーちゃんと約束したのに。約束、守れなくて」

「君は……No.018、シャル! 『真星のディセイバー ~PROJECT HEAVEN'S GATE~』のシャルだね? ……ありがとう、泣かないで」


 シャルは、今の地球で……惑星"アール"で最も売れてるコミックの一つ、『真星のディセイバー ~PROJECT HEAVEN'S GATE~』に搭乗する魔竜とのコラボモデルだ。まるで水着のような、フラットな肢体を浮かび上がらせる胴体とは裏腹に、両手両足にはいかつい鱗が天然の装甲をかたどっている。強靭な尾と翼は、まさしく竜の化身だ。

 だが、その中央で大粒の涙を流すのは、年端もぬかぬ小さな少女だった。

 そんな彼女の頭を撫でながら、メリッサは力強く前を向く。


「大丈夫だよ、シャル! もう誰も、絶対に泣かせない……その涙、私が止めてみせる!」


 よろけて震えながらも、シュンは腰を落として陽電子砲を放つ寸前だ。その表情が恍惚こうこつと狂気にいろどられる。

 必殺必中の距離だったが、メリッサはシャルを抱き上げ動かない。

 そして、陽電子砲の眩い光が濁流だくりゅうとなってメリッサたちを飲み込んだ。

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