第11話「いのちのせんたく」

 宇宙戦艦コスモフリートに巣食い、艦内のどこかに潜んでいる敵……幻獣カーバンクル。惑星"ジェイ"と呼ばれるもう一つの地球で入り込んだ、暗黒大陸の希少な動物である。同時に、帯びた魔力で艦内のネズミたちを支配し、なにかをたくらんでいるらしい。

 だが、人間たちが気付かぬ深夜に、邪悪なる害意と戦う者たちがいた。

 美少女プラモデルの女神たち、エンジェロイド・デバイスだ。

 その姉妹たちの長女たるメリッサは、寝静まった中で闇に沈む厨房ちゅうぼうにいた。普段は渡辺篤名ワタナベアツナやミリア・マイヤーズといった、生活班の少女たちが切り盛りする明るいキッチン。笑顔が耐えないこの場所も、深夜はひっそりと静まり返っていた。

 いつも通り通気孔つうきこうから降りたメリッサたちは、注意深く周囲を見渡す。


「メリねえ、誰もいないみたい……ってか、先に来てるピジねえたちは?」

「えっと……あそこかな? ほら、少しだけ光がれてる」


 レイの操る飛行モジュールから飛び降りたメリッサは、ピカピカのシンクのふちを歩く。まるで銀色に磨かれた鏡のようで、毎日働く者たちの気持ちを映すようだ。そして、その輝きを浮かび上がらせる光が、床の方でほのかにともっていた。

 見れば、大きな冷蔵庫の扉が少しだけ開いている。

 光はそこから漏れ出ていた。

 早速メリッサは、レイとフランベルジュの三姉妹を連れ、床の上へと降り立った。


「おう、我が姉メリッサ……ひっく! 先にやっておるぞ……ひっく!」

「ごめんなさいねえ、メリッサ姉様。うみ姉様ってば一人で始めちゃったの」

「あ、うん……お酒、飲んでるんだ?」

「いいえ、うみ姉様が飲んでるのは梅昆布茶うめこぶちゃです。お湯も沸かせるので、温かい飲み物もお出しできますわ。私は紅茶を」


 メリッサたちを出迎えてくれたのは、空き缶の上に並んで座るうみちゃんとピー子だ。二人共ほんのり顔が赤い。

 そして妹たちは既に、メリッサを待ちきれずに始めてしまっていたようだ。

 今日はささやかながら、初戦闘と初勝利を祝う小さなパーティがもようされている。実は、この話を妹たちにしてくれるよううみちゃんとピー子に頼んだのは、メリッサだ。張り詰めた緊張の中、使命と責任だけで戦えば息が詰まる……それは、心を宿して魂を灯すエンジェロイド・デバイスにとっては、当然ともいえることだった。


「みんな、楽しんでるみたいだね。よかった」

「私たちはアルコールである必要はないですし、まさか酔うとは思ってなくて……ね、うみ姉様?」

「そうじゃぞ、メリッサ。おぬしも飲め飲めい! なにがいい? ジュースならオレンジにアップル、グレープフルーツもあるぞ。ひっく! ケチャップもマヨネーズも選び放題じゃあ」


 そうこうしていると、グランが飲み物を持ってきてくれた。

 よく見ると、冷たいジュースが入ったそれはペットボトルのキャップだ。密閉されたまま長期間の宇宙航行を行うこのふねでは、あらゆる素材が再利用される。ペットボトルのふたといえど、こうして洗浄済みの物がリサイクルされるのだ。

 人間が指先でつまむサイズのキャップも、エンジェロイド・デバイスたちにとっては大きな大きなさかずきのようなものだった。


「ありがとう、グラン。なんのジュース?」

「えっと、ゆずって買いてありました。ゆず、というのは」

日本皇国にほんこうこくを中心に栽培される、柑橘系かんきつけいのフルーツだよ。……うん、よく冷えてて美味しいね」

「ゆず……どんな果物なのでしょう。メリッサ姉さんは見たことありますか?」

「いや、本やデータでしか」

「私は、そういった知識すらありません。この艦の外の世界が……ちょっと、うらやましい。憧れるんです。きっと今なら、この耐圧耐衝撃超鋼の装甲を何層にも折り重ねた向こうに、大自然が広がってる。その中を、一度でいいから飛んでみたい」


 あか比翼ひよくの天使が、僅かに頬を染めながらはにかむ。

 だが、メリッサには今、グランにかけてやる言葉が見つからなかった。もし、本当に外の世界に出られたら……なんて素晴らしいことだろうか。たとえ人の世に人目を忍んででもいい、広い地球を旅してみたい。

 知識でしかない頭の中の全てに、経験と実感を結びつけてやりたい。

 だが、それも叶わぬ夢で、なによりグランはそのことをよく知っていた。


「ご、ごめんなさい、メリッサ姉さん。私、姉さんを困らせてしまいました」

「ううん、そんなことない。グラン、君が思い続けていれば、いつかそういう時が来るかもしれない。今、こうして姉妹で集まり自我と感情を持ってる事自体が、この艦に浸透しつつある幻獣カーバンクルの魔力の産物だからさ。だから」

「だから?」

「もし、そういう生き物が他にも多くいる暗黒大陸なら……ね?」

「あっ! そ、そうです! もしまたこの艦が、暗黒大陸に行くことがあれば」

「きっと、戦いが終わったらリジャスト・グリッターズのみんなは、それぞれ帰るべき場所へ帰るんじゃないかな。だから、その時もしかしたら、さ」


 グランは満面の笑みで、大きく頷いた。

 気休めにもならない希望敵憶測、なんの根拠もない妄想かもしれない。

 だが、人がそうであるように、心を宿した天使人形たちにも、望みと願いは必要だ。それは祈りにも似て、彼女たちをこれからも過酷な戦いの中でふるい立たせるだろう。

 そう思っていたら、目の前のグランが突然、ガシリ! と左右から挟まれた。


「わはは、グランお姉ちゃんっ! 飲んでる? それとも、飲んでる? もしかして……の・ん・で・る?」

「……ごめんなさい、グランお姉ちゃん。アイリ、酔ってる。この子……ソーダ水で、酔ってる。え? 私? ううん、リースは、酔ってない……ほら、酔ってない、酔ってない」


 グランの首に抱き付いて、アイリがにははと笑っている。逆にリースは「酔ってない、酔ってない」と繰り返しながら、べったりとにじり寄ってすり寄っていた。

 双子の妹に挟まれ、あたふたしてるグランの背後は、もっと賑やかだった。


「ツヴァイ、ドライ、皆様にお菓子も配ってくださいな。さあ、レイ御姉様もおあがりになって。ああ、少しバターを切ってきましょう。少しなら気付かれませんし、やはりビスケットは少し温めてバターとハチミツですわ」

「ね、ねえ……ツヴァイ」

「え、ええ……ドライ」

「フラン様が、キビキビ働き出したわ」

「なにを飲ませたのでしょう、ひょーちゃんは……」


 珍しくフランが、人の三倍はおっとりマイペースな彼女が、普段の三倍以上のスピードで働いていた。人間たちにバレない程度にお菓子や惣菜の残り物を集め、いよいよ宴会ムードが高まってゆく。冷蔵庫から光と共に流れる冷たい風でさえ、どこか今夜の熱気に心地よかった。

 因みにブレイはその間ずっと、「流石です、姉上!」と語りかけていた。

 彼女があぐらをかいて座り、膝を突きつけ合うように語らっているのは……姉妹のだれでもなく、ウサギの形をした塩や胡椒こしょうを入れておくビンだ。ブレイは先程からうんうん頷き泣きながら、流石です流石ですとウサギの瓶を褒めちぎっている。

 皆がそれぞれに、一時の憩いとやすらぎを満喫していた。

 その光景そのものが、メリッサにとってなによりの幸福だった。

 だが、うかれてばかりもいられず、背後にそっと立った人影に振り向く。

 発したメリッサの声が、硬く強張った。


「……緒戦は圧勝、もともと戦闘兵器であるリジャスト・グリッターズのエース機ばかりをモデルにしてるから、私たちの優位は揺らがないと思う。……今は、今だけは。そうなんだね? アルカちゃん」


 そこには、備蓄用のカロリーカムラッドばってら味を食べる、アルカちゃんがいた。彼女はいつものとぼけた笑顔で、しかし目だけが笑っていない。

 そして、なるべく他の姉妹たちだけは楽しく過ごしてもらえるよう、メリッサと一緒に少し明かりの前を離れた。その先にはもう、うみちゃんとピー子が来ていた。


「メリッサ、悪いのう……ひっく! ちと、気になることがあるのじゃ、ひっく!」

「……私もさっき、アルカちゃんから聞きました。ネズミたちは……今でこそ取るにたらない相手ですが、常にこのまま戦闘が進むとは限らないと。ですね? アルカちゃん」

「そだヨ! ……因みにボクが初めてネズミたちと接触した時、彼らは四足歩行で動いていた。今は後ろ足で立って、前足を手のように器用に使い、武器や道具を駆使する。ボクの言ってる意味がわかるカナ?」


 ――敵は、ネズミたちは進化した。

 そして、これからも恐らく進化するだろう。

 原始的な石器レベルの道具に、投石といった粗野な攻撃手段。統率こそとれているが、まだまだ戦術的なドクトリンもない状態のネズミたち。だが、これから先はどうだろう? その答をしみじみとうみちゃんが語り出した。


「……人間は、争いがある度に進化し、戦争によって文明の叡智を高めてきた。そういう業の深い歴史的背景があるのう? もしや、ネズミたちも」

「待って、うみちゃん。じゃあ、今後は……もしかしたら。いや、多分」

「そうじゃ、メリッサ。奴らはやがて鋼の鎧と剣を持ち、火薬で銃を生み出すだろう。やがて……人間が宇宙を目指したように、この艦を飛び出てゆくやもしれん。そしてなにより、ネズミの発展を促す幻獣カーバンクルの魔力は勿論……原動力となる闘争には事欠かん。なにより、


 悲しい話だが、現実だ。人間が闘争本能を忘れられず、欲望を制御する術が未熟なように……一度ひとたび文明と文化に目覚めたネズミたちが、同じ道を辿たどっても不思議ではない。

 だが、悲観する気持ちを胸に沈めて、精一杯の笑顔をメリッサは作る。


「アルカちゃん。うみちゃんもピー子も。この話、しばらく伏せておいてくれないかな。いずれわかるだろうし、そのために対策はする。戦うほどに強くなる敵だとしても、私たちはネズミたちより強く、そして上手く立ち回らなければいけない。絶対にこの艦からは出さないし、ずっとこの艦で……普通のネズミでいてもらう」


 皆が皆、頷いた。そこには、メリッサの可愛い妹たちと、協力者のアルことアルカちゃん……運命を共にする仲間の、頼れる笑顔があった。

 そして、話は終わったとばかりに皆が緊張を解いた、その時だった。

 背後でどよめきがあがる。

 なにごとかと振り向けば、少し開いた冷蔵庫の中から、ひょーちゃんが現れた。

 彼女は今、大きな瓶を一生懸命押しやっている。下で見上げる姉妹たちは、誰もが指差し声をあげた。


「おーい、ひょーちゃーん! 危ないよー、飲み物ならお姉ちゃんがとったげるからさ!」

「それ、なに? 牛乳?」


 だが、得てして最悪の自体というのは、あっさりと簡単に訪れる。なんの悪意も持たぬ者の元へ、なんの前触れもなく唐突に。

 ひょーちゃんはボトルキャップのグラスを手に、白い液体の詰まった瓶を開封した。

 だが、勢い余ってそのまま瓶ごと落下してしまう。

 思わず駆け寄りひょーちゃんを受け止めたメリッサも、他の姉妹全員と共に大惨事に見舞われた。瓶の中身が床にぶちまけられてしまったのだ。


「うわーっ! ちょ、ちょっと、なに? なんなの?」

「まあ! ツヴァイ、ドライ、これは? なんでしょう」

「ううっ、流石です……流石ですぅ、姉上ェェェッ!」


 一瞬、メリッサの脳裏を過る、阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図という単語。

 どうやら、ひょーちゃんが飲みたくて飲みそびれて、姉妹たちにぶっかけられたのは……それは、その白濁はくだくとした重みのあるドリンクは。


「……わたし、飲むヨーグルト……しゅき……男の子ってこういうのが、好きなん、でしょ? ……おいひぃ」

「ちょ、ちょっと? ひょーちゃん、もぉ! みんなズブ濡れだよ!」

「レイ、怒ってる……ヨーグルまみれ……ヨーグル子……ぺろぺろ」

「ひあっ! な、舐めないで、ちょっと! ひょーちゃん! だ、駄目なんだから」


 メリッサもアルカちゃんやうみちゃん、そしてピー子と一緒にヨーグルトまみれになってしまった。だが、その時人の気配が近付いてくる。咄嗟とっさにメリッサは姉妹たちに声をかけ、同時に瞬間的なフル加速を爆発させる。

 レッグスライダーを鳴かせて最大出力、咄嗟に冷蔵庫のドアを閉めた。

 真っ暗になった中、姉妹たちと一緒にテーブルの下に潜り込む。

 サーチライトのような光がキッチンを巡って照らしたのは、ほぼ同時だった。


「あれ? どうしたんですか、亮司リョウジさん」

「いや、物音がした気がしてな……ユート、お前はなにか感じなかったか?」

「どこの空母にもネズミくらいいるよな、って。経験則的にそんなもんだと思ってましたけど。あ、でも、この艦は宇宙戦艦か。じゃあ……宇宙ネズミ?」

「さあな。だが、バルト大尉も言ってたが、ちょくちょく小さい単位で資材や機材が失われる案件が続発している。おおかた、配給される食料等に不満を持つ難民たちの仕業だと思うが」

「……民間人のみんなは、無事にどこかに落ち着いて艦を降りて欲しいんですけどね」

「ああ。この艦は軍艦、そして俺たちは超法規的独立部隊ちょうほうきてきどくりつぶたいだ。死は常に側にいる……今、この瞬間に撃沈されても不思議じゃない艦だからな」


 懐中電灯を片手に厨房に現れたのは、篠原亮司シノハラリョウジとユート・ライゼスだった。彼らは艦内のパトロールをしてるらしく、一通り厨房を見て回る。テーブルの下に隠れるメリッサたちの頭上で、光の帯が闇を切り裂いた。

 だが、ユートが零れたヨーグルトのボトルを広い、床を拭いてくれた。

 そうして二人は「つまみ食いか」「みたいですね」と、肩をすくめあって出てゆく。

 その背は、確かな緊張感でネズミ一匹逃さぬ気概に満ちていて、それでいて緊迫の空気に慣れ過ぎた人間の落ち着きを感じさせた。


「そうだ、ユート……お前、プラモデルは得意か?」

「は? 亮司さん、言ってる意味があんまし……まあ、適度に適当に、たしなむ程度には」

「……最近な、ソーフィヤが凝ってるんだよ。以前、俺の実家にソーフィヤが虹雪梅ホンシュェメイと来たことがあってな。その時……日本の文化に興味を引かれたらしい」

「あの人、ツンと澄まして無口で無表情だけど……意外とこう、仲がいいですよね。アカリさんやミヤコさん、エリーさんとも。千雪チユキさんともよく一緒にいるし」

「千雪とは仏頂面ガールズだしな。ま、それでな……あいつ、俺になんかプラモデルを押し付けてくるんだよ。俺に作れってさ。訳がわからない」

「……亮司さん、それ……マジで言ってるんですか。俺……少し、残念でがっかりです」


 なんだか和気あいあい、部活の先輩後輩といったノリで二人は行ってしまった。その背を見送り、妹たちにもう大丈夫だとメリッサは手を振る。ベトベトな姉妹たちは結局、その後シンクの中で大入浴大会となった。

 お湯が出てみんなで温泉気分になるまで、ひょーちゃんはずっと姉たちのヨーグルトをぺろぺろ舐め続けていた。

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