マラッカにて

 隠居二人はマラッカにたどり着いた。船から降りると同時にへたり込む秀隆と、目をキラキラさせながら少年のようなまなざしで街並みを見る信長。全く対照的であった。

 そしてお付きの人間も船を下りてくる。若干ふらつきながらなんとか自分の足で踏みとどまっている立花宗茂と、これも少女のように表情をほころばせる誾千代。信長と秀隆の嫁たちもしっかりとした足取りで上陸してきた。

 蘭丸の背に担がれて降りてきたのは佐久間信盛であった。もはや目がうつろである。

「殿、してルソンツボはどこに?」

「って信盛よ。ルソンはとうに過ぎておるぞ?」

「ええええええ!?」

「ここはマラッカじゃ。当家の影響下にある最西端じゃな」

「信長様。それは良いのですが、わし、ルソンツボを楽しみについてきたのですぞ…?」

「帰りに寄ればよい!」

「ひどい…」

「まあ、あれじゃ。問題ない!」

 信長の強引なしめはいつもの事である。それを知る信盛はがっくりと首を垂れた。髪もかなり白いものが多くなっている。それは若いころからこの主君兄弟に振り回されてきた結果であると信じて疑わなかった。


「あなた。異国とは珍しい場所ですね」

「そうだなあ。人々の顔つきも違う。だけど彼らも人じゃ。血も涙もある…な」

「南蛮人は肌が白くないものを神に祝福されぬ、悪魔の手先と言っているそうな。その狭量さがよほど野蛮だと思うがね」

「まことに」

 桔梗はにこやかにしている。そしてもう一人の妻、あさひはぽかーんとした顔で周囲を見渡していた。

「旦那様と一緒になって、退屈というものを感じる暇もありませんわ」

「秀吉も来たがっておったが、さすがにこれ以上顔ぶれが抜けるとなあ」

「そういうものですか。わたしは難しい事よくわかりませんけども…」

「まあ、我らが戻ったら交代で…だなあ」

「そうですね。兄上も喜びます!」

 ほんわかとしたあさひは年を経てもその長所はそのままだった。秀隆はその笑顔に癒されている。

 桔梗は商家の娘であり、さらに道三殿の孫でもある。時折はっとさせられるような鋭い意見を言うこともよくあった。そして直虎は元城主としての経験を活かし軍事面で秀隆を支えていたのである。

「おお。ここがマラッカか。ひなたよ、良いところじゃなあ」

「ええ、本当に。お義母様にも見せてあげたかったです」

「儂らの冥途の土産話としようぞ」

「そうですね。楽しみに待っていてもらいましょうか」

「うむ」

 そうしていちゃつきだす。さすがに秀隆も目くじらを立てることは無くなった。

「井伊の赤鬼も嫁の前では形無しか…というかお主ら、ここが最前線だと理解しておるか?」

「それゆえ高虎殿を配されたのでしょう。理解しております。そしてひなた、お前は儂が何があっても守る!」

「いや、何があってもなんて言わないで! お兄様がいなくなったらわたし…」

「ひなた! お前を置いて死ぬものか!」

「うれしい!」

 砂糖を吐きつつ秀隆は周囲を見渡すと、信長と帰蝶は二人だけの世界に来ていた。

「帰蝶、儂はついに唐の地を踏んだ。次は天竺じゃ!」

「日ノ本を飛び出すことになるとは思いもしませなんだ」

「どうじゃ、儂はすごかろうが?」

「まこと、最高の旦那様にございます、三郎さま」

「ぐフフフフフフ、もっと褒めるがよいぞ!」

「はいはい、わかっておりますよ」

 だめだこりゃ。秀隆は天を仰いだ。そしてむぎゅっと柔らかいものが押し付けられる。

「あなた。せっかくこのように良いところに来ているのです。わたしたちも楽しみましょう」

「そうですよ旦那様。それに娘があんな良い方に嫁いだのです。よい事ではありませんか」

「う、むむ。そうだな」


「のう、蘭殿。儂らなんか場違いじゃのう」

「私は上様のお世話をさせていただければそれで…」

「儂も嫁に会いたくなったよ」

 そういって信盛は空を仰いだ。戦場に立つ彼を知る蘭丸は信盛が今まで見せたことのないような穏やかな表情をしていることに気付く。今は亡き妻と心の中で会話しているようでもあった。


「佐吉さま。なんか周りの人、真っ黒ですよ!?」

「落ち着け、おりん。日ノ本でもおなじじゃ。奥州の者と九州の者では違うであろう」

「おお、なるほど! 佐吉さまは博識です!」

「やれやれ、お前も母親になったのだからもう少し落ち着きをだな」

「そんなもの狐にでも食わせておやりなさい。わたしはわたしです!」

「そうだな。おとなしいお前を想像したら違和感しかなかったわ」

 そうして妻と談笑する三成を見て、吉継と高虎はぽかーんとしていた。

「すげえ、あの鉄面皮の佐吉が笑ってるぞ…」

「俺も付き合いが長いが、あんな佐吉を見たことがない」

「やはり嫁か、嫁なのか!?」

「落ち着け平馬!」

「うるさい、嫁がいるお前に俺の気持ちはわからねえよ!」

 そう叫んで海岸線を走りだす。その直後に彼はぶつかってしまった現地の娘に一目惚れし、妻に迎えることとなるのだった。


 そんな平和な光景も一人の使者がやってきて破られる。北西の港町アチンが南蛮船の攻撃を受けているとの知らせだった。

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