九州の世代交代と外地進出
文禄2年夏。更なる訃報が舞い込んできた。
明智光秀が夏風邪をこじらせ、手当の暇もなく死去したとの報告である。家督は元々生前に移譲されており、十五郎光慶が明智家を名実ともに継ぐこととなり、補佐に明智秀満と斎藤利三が固めているため、特に混乱などはなく収まった。しかし、若輩故と九州探題の職を返上すると将軍家に申し出があり、織田信澄がその職に就くことが発表された。また明智家にはその分銭による俸給が支給されることとなり、中央ひも付きの家臣が送り込まれている。
光慶は光秀の軍事的才能を受け継いではいなかったが、政治に才を示した。家督を譲られて後、大きな混乱もなく領内を治め、税収は父の時代以上に引き上げている。義兄の細川忠興は武勇に優れ、さらに父から古今伝授を受けている知識人である。織田信澄は光慶を弟のようにかわいがっており、妹を嫁がせることで九州の織田親藩を増やそうとしていた。
島津は南方との交易で収益を上げており、その利益は南方開発に投入されていた。現在はいわゆる自転車操業状態であるが、琉球、台湾と、さらにルソンへの進出を始めており、イスパニアのコンキスタドールとの交戦もすでにある。しかしながら、本国からの大艦隊が大敗した情報が流れると活動はおとなしくなっていた。
フィリピン諸島を足掛かりに、東南アジアへの勢力拡大をもくろんでいる。明はヌルハチとの交戦が始まっておりそれどころではなく、逆に明の交易船を襲う私掠行為を長宗我部や九鬼の水軍と共同して行っていた。朝貢という名の交易が途絶えることで、ぜいたく品が値上がりし、中央の管理や地方軍閥はそれでもそれらの品を買い求める。とくに伊勢の真珠と越後のヒスイなどは非常な高値で売れた。それに伴って銭や金、銀がどんどん流出する。明がその状況に気付き、国内がすさまじいまでに物価上昇をしていることに気付くのはもうしばらく後の話であった。
一方北方の伊達家は、蝦夷の所領配分を行った。ただし、知行として与えるのではなく、あくまで代官職で、知行は銭で与えられた。ただし、税収からの歩合も出るため、交易の活性化や開発を推し進める。上がった収益は開発などの投資に回されたため、様々な産業が活性化してゆく。政宗の盟友たる戸沢盛安は沿海州を押さえ、かの地に巨大な港町を築き上げた。蝦夷地や本国からの交易品によって潤い、その利益は隣国の女真国に一部が流れる。ヌルハチはその利益を盾に、貧しかった部族を富ませることに成功し、女真族の7割をまとめ、王位についた。国号を金としたことは、中国本土への野心をうかがわせる内容であったが、さすがに露骨すぎたかと、後金と呼び名を変えた。内モンゴルにて存続する北元とは同盟を結び、蝦夷地から入る産物を流した。干物とはいえ魚介が食べられることは非常に珍しく、大きな収益を上げる。同時に毛皮や家畜を得て後金の国力をあげ、また北元が味方に付いたことにより、それに挟まれる形になっている部族が圧迫を受け、ヌルハチに従ってゆくのであった。
外地では日ノ本は順調に勢力を伸ばしてゆく。その姿に胸をなでおろし、安心したのであろうか、ある報告が日本を激震に叩きこんだ。
長年の家臣を見送り気落ちしていた信長が倒れたとの報告である。
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