閑話 一方そのころヨーロッパでは
1586年
ジパングに送った船団が帰還したと聞き、フェリペ二世は歓喜の声を上げた。だが報告は全くの逆で、艦隊が全滅したとの報告である。報告を聞いたフェリペ二世はその場で昏倒した。詳細は海戦でほぼ全滅し、旗艦をはじめとして200あまりの艦隊のうち、帰還できたのはわずか10隻余りで、乗員も疫病によって死んでゆき、人手の足りなくなった船を廃棄して人員をまとめ何とか帰ってきたとのことである。
「どういうことじゃ!」
フェリペ二世の怒りの矛先は、そもそも報告を上げたカブラルは海戦で死亡。同じく指揮官クラスの人間も戦死か、帰り着くまでに病死しており、ぶつけどころがない状態であった。
黄金の山を載せて帰ってくるはずの艦隊が戻ってきたら未帰還率9割以上である。あまりの損害の大きさに王宮は頭を抱えた。艦隊派遣のためにかなりの無理をしており、オランダを巡るイギリスとの紛争も抱えていた。要するにスペイン王室の資金は枯渇を通り越して火の車であった。
その資金難を解決する起死回生の一手であったはずが、見事なまでに裏目に出たのである。そしてカトリックの保護者としてフェリペを支持していたローマ教皇が見事なまでの掌返しを見せた。無謀な遠征で多くの将兵を異郷の地に送り、死なせた無能な王として糾弾を始めたのである。さらにジェノバ、ヴェネツィア、ナポリなどの商人が、借金の返済を求めてきた。
「ない袖は振れぬ。バンカロータじゃ!」
「陛下、教皇猊下より不許可だと。もしそれを行うならばネーデルラントの領有権を放棄せよと」
「ばかな!? そんなことができるはずがない!」
「どうもイタリアの商人が手を回しているようで、金貸しの力を借りねばどうしようもないのは当家のみに非ずと言うことではないでしょうか…」
「むう…」
そしてさらに悲報が飛び込む。ネーデルラントの代官がイングランド女王エリザベスに寄り独立宣言を発布する。これによりネーデルラントからの税収が途絶えた。それを阻止するための戦力はジパング遠征により失われている。フェリペ二世にはなす術がなかった。
そして以前より新大陸から財貨を運んでくる艦隊がイギリスの私掠戦に襲われる被害が続いているが、フェリペの頼みの綱になっていた輸送艦隊が、フランシス・ドレーク提督率いる艦隊の襲撃を受け、ラスパルマス沖で全滅するという報告を受ける。フェリペはまたもや昏倒した。
悪い事は重なるもので、フランスから流行が始まったペストがスペインにも蔓延しており、フェリペ2世もそれに感染していた。
一方そのころイギリスには遠くジパングから、ルイス・フロイスの紹介状を持った使者が訪れていた。ジパング王の弟ヒデタカからの使者は洗礼名ジョンと呼ばれる男で、流ちょうに英語を話していた。ジョンという名前にエリザベスはやや眉を顰める。イギリスにとって汚点と言っていい名前だからだ。だが遠いジパングの人間がその意味を知るとも思えず、表面上は平静を保って話をした。
「なんと、ペストとはネズミを媒介にして流行するというのか?!」
「はい、海を隔てていることにより、この地へはそう簡単に蔓延はしませんが、船の検疫を確実に行うことにより感染を広げることを防ぐことができましょう。また、感染地域から来た船の船員の上陸は発症するかしないかの見極め期間を設けることにより、病気の侵入を防げます」
この方針はすぐに各主要な港に伝えられ、船の鼠は徹底的に駆除された。また、都市の公衆衛生の概念も持ち込まれることで、イギリスの病気の蔓延は目に見えて低下し、ペストの発症者もかなり少なく抑えられた。これにより、イギリスの人口はほかのヨーロッパ諸国に比べ増加著しくなる。増大した国力によってプロテスタント諸国の明主となり、ヨーロッパの覇権を争う大国となる。イギリス発展の基礎を築いたエリザベス女王は名君として称えられることとなった。
また、防疫と衛生についての知識はイギリスの繁栄とともにまずその同盟国から広まっていった。疫病の流行が抑えられたことにより、暗黒の忠誠を脱するきっかけとなってゆくのである。
だが、カトリックとプロテスタントの対立と抗争はこの先も続くどころか激化してゆく。病死する人間が減った代わりに戦死する人間が増えていったのはある種の皮肉でもあった。
フェリペ二世は高熱にうなされながら何を間違ったのか必死に考えていた。レパントの海戦やそのあとに続く幾多の戦争で勝利を収め、スペイン王国最盛期を築き上げたのは間違いないのだ。だがジパングの黄金に惑わされ全ての歯車が狂った。
「黄金に目がくらんだが我が過ちであったか…無念」
フェリペの末期の言葉は誰にも聞かれることなく宙に消えた。フェリペ二世の死とペスト蔓延に寄りスペインの繁栄に影を落とす。ジパング遠征の失敗を転機に「スペインの世紀」は終わりを告げたのである。
注:バンカロータ(バンカロータ:徳政令のこと。借金棒引きでフェリペ二世はその治世で4回やらかしてます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます