閑話 唐入りその後
天正12年
信長は石山本願寺跡に城を築くことを命じた。堺町衆も石山に移転を命じられる。大阪湾の交易による収益を集約する狙いもあり、北陸往還から近江の街道、湖上の交易、さらに京を経由して大阪に至る。さらに瀬戸内海の水運により九州に及ぶ一大交易路の中心に位置することとなる。
明との講和によって今まで密貿易によってやり取りされていた産物が大手を振って入ってくるようになった。これにより、長崎、博多が大いに栄える。しかし当時の博多港はまだ規模が小さく、秀隆の助言と出資により、立花家が博多港の大幅な増築と海底の浚渫を行った。同時に在地の商人にも出資を依頼した。そして。出仕した資金に応じて株式を発行し、その持ち株に応じて税の減免や、領主から売り渡される商品の値引きなどが行われた。これは事前告知なしで工事が完了した後で報じられた。
これにより神谷宗甚や島井宗室らは振興商人に出し抜かれる形となり博多における商売規模と影響力の縮小を余儀なくされてゆく。ただし、この株式は一代限りとされ、発給された本人が死去すれば返却を義務付けられた。これにより特権の集中を防ぎ、いい意味での自由競争を促すものと期待されたのである。
朝鮮半島は釜山など南部に日本人が入植していった。ただし現地人との差を設けず、工事などを行う際は同じ日当が支払われる。税なども同じ比率とされ、同化政策を進めることとなった。いくさが終わったことは、戦時体制の終焉であり、膨大な量の消費が宙に浮くということである。兵も必要とされる規模が減少し、様々なところで余剰が発生する。そもそも、戦死者が大きく減ることにより、人口爆発が起きる懸念があった。国土の広さでいえば、日本すべてにほぼ匹敵するが、人口はいまだ少ない朝鮮半島は格好の入植先であり、いまだ未開発の土地が多いことも好都合であった。本土に生じた余剰の投資先としてである。
まずは街道の整備を行い、人間と物資の移動を円滑にすること。同時に治水事業が行われ、薩摩産の南蛮漆喰はここで大いに用いられた。尾張時代から秀隆にこの手の工事を丸投げされていた羽柴兄弟は、「昔を思い出すのう」「まさに、やはり私はこのような仕事が向いております」と笑顔で働いていたという。
さて、長く為政者に圧迫されていた朝鮮国の民衆は公正な統治に触れ、最初は戸惑っていた。役人は自分たちをだますものと思い、そのように接していたが、困りごとを解決してくれたり、盗賊をすぐに討伐してくれたり、暮らしが便利になり次第に豊かになるにつれて日ノ本の統治を受け入れ始める。しかし、以前の役人の怠慢で半ば放置されていた刑罰も厳格に執行されることとなり、私腹を肥やしていた有力者などはきっちりと没落した。このことに一般の民衆は快哉を叫び、治安は急速に安定してゆく。
これらの改革は後ろで織田家が糸を引いていたが、表面上は新たな朝鮮王、李舜臣の功績とされた。彼はもとより乱れた政治に憤りを持っており、さらに同じく乱れた政道を正さない父を嘆いていた公主と恋に落ち、民を守らない王家に見切りをつけて倭国に降った。そののち倭国より独立を勝ち取り公主を妻に迎えて王となる。もともとの王家と同姓であったこともあり、あからさまなでっち上げであるにもかかわらずこの話は好意的に受け入れられた。そもそも異常なまでの搾取がなくなり、税率がまともになったこと。街道や治水などの整備がされ、生活が向上したこと。様々な要素があって、生活がよくなるならこの建前でいいじゃないとなったことが、ある意味全てである。
台湾、高雄にて。
「えーと…どうしてこうなった?」
いきなり台湾国王に任じられた伯陽は自身の転変に思考がついていかなかった。
「さあ? わかりませんが伯陽様がよき政治を行ったからだと思いますわ」
木蘭はにっこりとほほ笑み、彼女の夫となった伯陽を見上げる。
「そういうものか? だが木蘭、君はこれでよかったのか? なんかなし崩し的にこうなってしまって…」
当然のように膝の上に載っている木蘭を遠慮がちに抱きしめる。
「もちろん! むしろ大歓迎です。そもそもですね、好きでもない殿方にくっついてこんなところまで来るとお思いですか?」
膝の上に乗るのは日ノ本の作法ですと日ノ本国王の弟に吹き込まれた木蘭はスリスリと夫にくっついてゆく。そうまで言われて伯陽もなにがしかの覚悟が決まったようだ。遠慮がちだった態度が改まり、力強く妻を抱きしめる。
ちなみに、即位の礼と婚礼の宴とが同時に行われ、いまが新婚初夜であった。この期に及んで、ここまでされてようやく覚悟が決まるあたり、実にヘタレである。のちの世でいう草食系であった。
「木蘭、今後ともよろしく」
「不束者ですが、末永くお願いしますね、あなた」
唐突に替えられた呼び方と、妻の笑顔に何かを撃ち抜かれた伯陽は、その晩草食系から肉食系に変貌したようだった。
安土城を信忠に譲り、信長はほぼ隠居状態となった。大阪城の普請が始まり、ひとまず居館を先に建造してそちらに移っている。天下政権の最高責任者として様々な案件が持ち込まれるが、信忠直臣たちが成長を見せ、何とか切り回している。50を回っても鍛え抜かれた体はいまだ若々しく、鷹狩や遠乗りを続けていた。
「あれ、天下様がいらっしゃった」
「おお、奥方もご一緒じゃ」
「睦まじいのう。平和になったということじゃ」
信長は帰蝶を馬に乗せ、自らその轡を取って歩いていた。
「どうじゃ、よき眺めであろう。何にも煩わされずに野良仕事ができる」
「本当に、殿は良き仕事をされました」
「わしはの、そなたに褒められるが生き甲斐であるのだ。だからもっと称えてもいいんじゃぞ?」
「あらあら、いくつになっても殿はうつけ者にございますなあ…」
「ふん、まともな奴にはできまいよ。儂は天下の大うつけだからの!」
「うふふ、そうですね」
大名をしていた時には見せることのない力の抜けた笑顔を見せる信長。抜き放った刃のような雰囲気は鳴りを潜め、老齢に差し掛かりつつある年相応の穏やかな姿である。
「じじさまー」
「おお、吉法師」
松姫が3歳になる信忠の嫡子を抱いてやってきた。孫になつかれ相好を崩す姿は、魔王とか呼ばれた面影は見る影もない、デレデレの孫馬鹿ジジイである。
人並みの幸せを遅くなっても感じられた信長を見て、帰蝶は静かに微笑んでいた。
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