石山降伏と戦後処理
天正8年、石山本願寺が降伏し、広大な寺領が織田の支配下に入った。
安土城天守、評定の間にて。
「石山攻めにおいて、長年戦線を保ち、開城交渉において多大な功あり。佐久間信盛こそ功一等である。何なりと望みの褒美を述べよ!」
諸将の羨望のまなざしが向く。長年にわたって休みなく本願寺を押さえ、ついに開城にこぎつけた。場所が場所だけに畿内の安定は本願寺封じ込めにかかっていたといって過言ではない。本願寺という名の巨木の根を切り、枝葉を払い、幹に切りつけた。長きにわたる信盛の苦労はここに報われたのである。
「されば、我が望みを申し上げる。家督を倅、甚九郎に譲り、尾張にて隠居の地を与えていただければと」
「であるか。許す。那古野のそばに1万石を与える」
「ありがたき幸せ。さればもう一つ。倅ですがまだまだ未熟。佐久間の所領はお返し申し上げる。して倅がそれにふさわしい功を上げたとき、改めて褒美を与えて下さい。功なくばそれ相応の扱いをしていただくようお願いいたします」
信盛のあまりの予想外の言葉に場は静まり返る。彼の功績は織田の筆頭家老にふさわしく、それ相応の領土、摂津、河内、和泉の三国を望んでも受け入れられるであろうというものであった。
「狡兎死して良狗煮らると言いたいか?」
「私を韓信と? それは光栄にござるな!」
朗らかに信盛は笑う。だが目はまっすぐに信長を見つめていた。
「はっはっは、だがそなたは我が股肱である。それは今も変わらぬぞ」
「それはありがたきお言葉。末代までの誉れにござる」
「のちに褒美の名物を贈ろう。尾張でゆるりと暮らすがよい」
「はは、ありがたきお言葉似て御座います」
「うむ、信盛。最後に一つだけ命ずる」
「はは、何なりと」
「儂が天下を統一するまで死んではならぬ。体をいとえ。その時の宴で真っ先にお主に杯を与える。わしはその日を楽しみにしているでな」
「は、はは!」
平伏する信盛はしばらく頭を上げられなかったという。畳には湿った後があったが誰も見て見ぬふりをした。というか、盛大にもらい泣きをしている権六とかがいたという。
その日の夜。安土城信長居室。
「殿、今までお世話になりました」
「貴様だけ先に楽になりよって、儂はまだこれから苦労が続くであろうに」
「殿ならばいかなる敵も蹴散らします。かの不識庵殿が申されたようにですな」
「はっはっは、世辞が過ぎるわ。だが、尾張の小童のころからの付き合いよな」
「はい、草草のことがありました」
「あの時から貴様は真面目くさって、平手の爺の手先であったな」
「殿は尾張のうつけと有名でしたからなあ。主がうつけでは困ると家中頭を抱えていたものです」
「やかましいわ。だがまあ、儂もそれなりになったであろうが」
「そうですなあ。殿はうつけです。ですが尾張を飛び出して天下一のうつけになられた」
「なに!?」
信盛のいいように信長も目を見開く。そして腹を抱えて笑い出した。
「うわっはっははははははは! そうか、儂は天下一のうつけか!」
「左様にござる。稲生の戦の折に思いました」
「懐かしい話じゃの。あのころは前途が全く見えぬ日々であった」
「あの時は正直見捨てられたと思いましたぞ」
「ちゃんと救援に行っただろうが」
「ええ、ですからわしはこうして首がつながっております」
「であろうが」
「そしてあの時思い知らされたのです。うつけ者とは、阿呆のことでなく、人の考えの及ばぬふるまいをするからであると。常人の理解が及ばぬゆえに、理解できぬ者に対してそう呼んでいただけだと」
「む、こそばゆいのう」
「いまだから言える本音ですよ。殿のもとで戦えたこと、これこそが末代までの誉れにござる」
「っく、半介。泣かすでない。ぐっ…」
信長の目に涙が浮かぶ。信盛も目を潤ませている。
「殿…」
そしてそこに闖入者があらわれる。
「湿っぽい話はそこまでです」
「秀隆様!?」
「まあ、ある意味わたしも当事者ですがね」
「ふ、台無しじゃな」
湿っぽい雰囲気はどこかに吹き飛び、笑いが部屋を満たす。
「そうそう、兄上。家臣を一人増やしたいのですが?」
「そうか、許す」
「では、尾張那古野1万石の佐久間信盛殿。これより我が家臣としてよろしくお願いいたす」
「え? は? ちょ??」
「そういえば、尾張は今秀隆に任せておっての、そなたの知行も秀隆が出しておるのじゃ」
「はい??」
「よって信盛殿は我が家臣となります。よろしいか?」
「は、はい」
「では今後ともよろしく!」
「あー、信盛。秀隆はある意味儂より人使いが荒い。心して仕えるのじゃぞ」
「え…私の優雅な隠居生活は?」
「天下が治まった後好きなだけすればよいではないですか!」
「そんなああああああああああああああああああああああ!!!」
深夜の安土城に悲痛な叫びが響き渡った。南無。
旧石山の地は城代として秀隆の嫡子、六郎信秀が入る。その付け家老として佐久間信盛が付き従っていた。また信秀の与力と馬廻として佐久間甚九郎が任命された。信盛は新たな働きの場を得て、目が死んでいたという。
「いやあ、有為の人材をを生かさぬは天下の損失ですな!」
とは秀隆の言葉であったとかなんとか。
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