石山開城

 本願寺攻めは大詰めに入っていた。外部からの補給は断たれ内部では疑心が渦巻いている。怪しげなふるまいをしたということで、農民の男が斬られた。だが彼は自分の知人を集め、寺のために戦おうと鼓舞していたのだった。だが、謀反のための集会とみなされたのである。傭兵たちの中にも厭戦気分が広がり、夜陰に紛れての逃散も起き始めていた。彼らは行きがけの駄賃と言わんばかりに、武具や食料、財貨を持ち出す。無論見つかれば首を斬られるが、結局織田に攻め殺されては同じと思い詰め、斬首されても抑止効果は薄いものであった。

 顕如は寺内の有様こそ地獄であると思い詰めている。互いをいたわる心もなく、互いに疑いのまなざしを向け、自分より誰かが得をすることを許さない。わずかなきっかけでいさかいが起きる。そしていさかいがきっかけで血が流れる。

 もともと本願寺は後発の宗派であったがゆえに、より伝統の長い法華宗などからの弾圧を受けた。石山の地に寺を作るまで、何度も土地を追われた。門跡の地位を得るために様々なはかりごとも巡らせた。それはすべて門徒を、衆生を救うためであった。

「われらはどこで間違ったのか…」

 顕如の嘆きを知る者はごく限られた側近だけであったが、それを口に出しては親兄弟を討ち死にさせてまで戦ってきた門徒を裏切ることとなる。そうなれば今度こそ本願寺は、一向宗は終焉を告げることとなるだろう。

 虐げられた農民がいた。乱世という状況があった。応仁の乱のときの土一揆は彼らの怒りが頂点に達したためだ。そして、他力本願を唱える一向宗は、彼らの自治を促し、ついには国主を討ち取るに至った。それがそもそもの間違いであったのではないか? なまじそこで一国を取ってしまい、ことがあれば一揆などの武力蜂起ですべて解決しようとしてきた。問答無用の態度には問答無用の蜂起で対抗してきた。だが今日ノ本を統一しようとする大きな流れが起きている。流れの源流には織田信長がいた。

 長島で、尾張で、近江で、越前で、加賀で、織田の軍は一揆と戦ってきた。だが信長が怒りを向ける先はおごり高ぶり、民を虐げている寺と坊主だった。比叡山も高野山もそういう意味では変わらない。宗教の聖地は堕落の極みを見せていることは顕如もよく知っていたのである。

 迷える衆生を救っているのは、仏の教えではなく、キリストの教えでもなく、織田信長である。民の生活を豊かにして食い詰める者を減らし、流れ者をより集めて新たな街を作る。新たな田畑を開墾し、人々の腹を満たす。そして民の支持からなる力で強い軍を持って、国民を守る。

 信長が回復した朝廷の荘園は数知れない。だが寺はそういった荘園すら横領していた。人としてどちらが正しいのか。より国民のためになるのはどちらか、もし顕如が門跡などでなく、一人の僧侶であったなら、迷わず信長の麾下にはせ参じただろう。そして、彼の広げた寺子屋や孤児院の政策に賛同し、その一助となったであろうと。


「門跡様。織田家から使者が参りました」

 坊官の下間仲孝が現れた。珍しく泡を食っているそぶりである。

「そうですか。誰が来ましたか?」

「そ、それが…」

 珍しく口ごもる。これは何かあったかと顕如にも緊張が走る。

「うん? よほどの方が来られたのですね?」

「はい、使者は正使が織田信長、副使が佐久間信盛。ほか護衛の方々です。介添えは近衛前久様です」

 あまりの顔ぶれに驚愕を隠し切れない。そして恐れが走る。彼らを害することがあっては本願寺は草の根一本残さず焼き払われる。

「なんですと!?」

「いかが…致しましょうや?」

「大広間に通しなさい、そしてくれぐれも武装せぬようにと皆に申し伝えなさい。この指示を破った者は破門と申し伝えなさい」

「わ、わかりました!」

 仲孝は慌てて立ち去った。半刻後、広間に主要な幹部が集まる。

 信長自らが現れたということで、不安がよぎる者、怒りを抑えきれぬ者、反応は様々だ。

 そして、近衛様が先頭に立ち、信長、佐久間信盛、そして僧形の男が一人。ほか、護衛と思われる武者が数名。

「織田様、此度はいかなるご用でありましょうや?」

「うむ、単刀直入に言おう。この地を明け渡されよ。代替えの地として京に土地を与える。そうだな、山科の地はどうか?」

 山科の地名を聞いて周囲がざわめく。法難を受け破却されたのち、この石山の地に移ってきた。本願寺としてはある種の聖地ともいえる場所である。

「移転は良いとして、その後また破却の憂き目にあってはたまりませぬ。それについてはいかがか?」

「ふむ、条件は付けさせていただくが、当家の保護下に入れよう。その限りにおいて無体な真似はせぬと我が名に置いて誓おう」

「ですが、私は良いとして、ほかの者が従うかはわかりかねます」

「左様か。わしは誠意を尽くした。山科の地の話もそなたらのことを学んだつもりであった。ここで話ができぬというのであれば是非に及ばず。弓矢をもって存分に語り合おうではないか」

「待たれよ!」

 顕如が慌てて信長に声をかける。だが信長は知らぬそぶりで傍らの信盛に問いかける。

「信盛。本願寺の継戦可能な期間はどの程度と見積もる?」

「左様ですな。持って3か月かと」

 傍らの下間頼廉が眉を顰める。これにより、佐久間の予想がかなり正確であることが顕如にも感じられた。無言で頼廉を見るが彼は小さく首を横に振る。抗戦は不可能という答えである。

 そこで僧形の男が声をかけてきた。

「お初にお目にかかる。拙僧は不識庵と申す」

 彼の名乗りにざわめきは最高潮に達した。

「ほう、貴公がかの越後の龍ですか。織田殿に降ったと聞き及んでおりましたが」

「さよう。儂よりいくさに強い故な。我が殿と呼ばせていただいておる」

 謙信の言葉に衝撃を受けた者は数知れない。

「儂も勘違いしておったのだがな。いくさの強さとは戦場で決する者ではない。戦場に臨んだ時にはほぼ勝敗は決しておるのじゃ。わしは手取川までおびき出された時にはすでに敗北しておったのじゃよ」

「それはいかなる理由で?」

「まず誤解を恐れずに言えばだが、戦は数じゃ。集めた兵が多いほうが有利である。わしは越中、越後、上野を分国としておったが、その時点で織田家はその数倍の国力を持っておった。信濃から越後を、飛騨から越中をそれぞれ攻撃可能で、儂は本拠たる春日山から遠く離された地で戦術的にも戦略的にも包囲を受けたのじゃ。その絵図を描いたは殿である。故にわしは降ったのじゃ」

「なれば我らにはもっと勝ち目がないですね。日々の食にも事欠き始め、各地の寺との連絡もたたれた。門徒も離反を始めています。そもそも門徒に見放された時点で我らは天に見放されたということです」

「門跡様、何を!?」

「皆聞きなさい。我らは敗れました。ですがそれは戦にという意味ではない。正しさで負けたのです」

 しんと静まり返る。顕如が何を言い出すのかと固唾をのんで見守っていた。

「南無阿弥陀仏。この経文の前に我らが集ったのはなぜですか? 虐げられた衆生を救うため、他力を集めて本願となすためです。ですが、武士を倒して、支配者となったとき、我らもまたそれを忘れ衆生を苦しめる側となってしまった。身に覚えがある者もおりましょう?」

 加賀門徒衆の坊官の一部はうつむきうなだれている。長島の生き残りも同様であった。

「尾張では孤児院というものがあるそうです。いくさで孤児になった子を養い、手に職をつけてもらえるそうです。兵にならずとも良いと言われるそうです。そして寺子屋では住職をはじめとした坊主が子供に手習いを教え、算術を教えています。字が読めれば役人になる道が開けます。算術ができれば商人にもなれます。農地を継げない子供たちはそうやって食い扶持を稼ぐ力を身に付けます。住むところのない民を集め、同じように教えを施し、農地開墾などの仕事を与えるそうです。そして国民として保護をします。食うに困らず、わけもなく人が死ぬこともない。厳しい刑罰によって不届き者が幅を利かすこともない。わたしはいっそここが極楽でないかと思いました」

 尾張の現状を知る長嶋門徒衆は顕如の言葉の真意を図ろうとする。

「私は織田殿に降ろうと思います。それは織田殿の導く世がより正しいと思えるからです。無論みなにも思うところはあるでしょう。ですが、私に従うと申し出てくださったのであれば、そこを曲げて降伏に賛同していただくよう、この顕如、伏してお願い申し上げる」

 そう告げると上座を降り、土下座して意思を示す。場はしんと静まり返っていた。

 土下座したまま顕如はさらに言葉を重ねる。

「私の命で多くの人々が命を落としました。皆の親類縁者もいたことでしょう。ですが、これ以上死者を出したくないのです。能うならば私の首一つで赦免を申し入れたく思います!」

「赦す。だがそれは顕如殿を含めてじゃ。ここで和議が成るのであれば、それ以上の流血は我も望むところに非ず」

 信長の即答と、寛大に過ぎる返答に場はさらにざわつく。

「あー、盛り上がっとるとこすんませんが、もう一つありましての。ここに主上からの綸旨がおわしますのや」

「近衛さま、それはまことか!?」

「こんなことで嘘つきますかいな、まあ、話がほぼ本決まりになりそうだったんでな、これで踏ん切り付く人もおるんじゃないやろか?」

 前久の言葉が決め手となった。ここに織田と本願寺の和議はなり、門徒たちは一月後の退去が決まった。寺領の受け取りは佐久間信盛が行い、石山包囲戦線の指揮官として最後の仕事となったのである。

 そして山科の新たな本願寺建立の責任者となっていた時、休暇を取ろうとしていた信盛は崩れ落ちたのであった。

 ここで新たな寺院の建立が遅れたりすると和議がつぶれかねない。信頼はもとより非常に危うく、そもそも10年近く干戈を交えた間柄である。ここで下手を打つと信長自らが出張った交渉が水泡に帰す恐れすらあるのだ。信盛は深いため息をついた後、山城の責任者たる明智光秀に相談を持ち掛けるべく丹波亀山城へ使者を出すのであった。

 信長は山科の地で新たな本願寺領を用意し、織田の名において不入権を認める禁制を出した。これよりのち顕如は織田の民政に関わる顧問として、織田政権に力を貸すこととなるのである。

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