閑話 ルイス・フロイス

 永禄12年、4月3日。ルイス・フロイスは内心の緊張を必死に押しとどめていた。先年京に現れた新たな支配者、織田弾正忠信長との対面を控えていたのである。

 正月に起きた本圀寺の変で洛中はいまだざわめきが収まってはいない。織田弾正忠が公方様を守る城を建てると宣言し、2万の人夫や諸国の大名、その家臣たちが忙しく立ち働く。信長自身が鋤を片手に歩き回り、身分が低いというも今更な地下人たちと言葉を交わし、自ら石を運ぶ。その姿を見た者は当然のように目覚ましい働きをし、4月にはすでに完成も間近の状態だった。

 フロイスは和田惟政の勧めに従い、彼の伝手を頼ってこの面会の日を迎えた。信長は堀切にかけられた橋の上で工事を見守っている。そこに惟政と佐久間信盛の案内で人夫たちが見守る中橋の上を歩く。

 信長の隣には彼と面差しの似た青年がおり、親しく言葉を交わしている。

「おう、よう参られた」

 信長は白い歯並みを見せにこやかな顔でフロイスを迎えた。

「はじめてお目にかかりマス。イエズス会のルイス・フロイスと申しマス」

「おお、日ノ本の言葉が達者でおられるな」

「オソレイリマス」

 そこからフロイスは信長と言葉を交わした。打てば響くようなやり取りに信長は上機嫌に会話を続ける。

 隣の青年は特に言葉を発さず、微笑を浮かべて二人の会話を聞いていた。

 半刻余りのち、フロイスは信長のもとを辞去する。京においての布教の許可と、教会建設の援助を約してくれた。大きな成果であると喜びを隠さず、信長に感謝の意を伝える。その時隣の青年が口を開いた。

「フロイス殿。我らが織田家は天下泰平のためにある。仏の道も貴公が申すデウスの教えも、ともに衆生の救済の教えであろう。それゆえ先に申し渡す。九州で起きていることが織田の分国内で起きたら、我らは容赦せぬ。そう覚えておくがよい。何のことかわからぬというならばヴィレラ殿に問うがよい」

 フロイスは内心大きな衝撃を受けた。なぜこの方はヴィレラのことを知っているのか?

 ヴィレラは彼の同僚であり、今でいう白人優越思想のようなものを持ち合わせていた。生まれたときに洗礼を受け神の加護を受けているものと、未開の蛮人どもとは違うという思考だ。それゆえにヴィレラの布教はあまりうまくいかず、フロイスのような成果を上げることができないでいた。自分を一段高みに置き、見下すような態度が透けて見えていたのである。

 京でともに布教していた時期もあったが、わずかな期間でヴィレラは九州に落ち着いたと先日知らせが届いた。そのことをなぜ知っているのか? 九州で起きていることとは何か? フロイスは困惑したまま信長の前を辞去したのである。

 翌日、フロイスはヴィレラのもとに書簡を出した。信長に会ったこと、布教許可と教会建設の援助を得たこと。そして文末に九州での所業に織田の殿が怒りを覚えているが、当方には心当たりがない。事実を知りたいと。

 翌日、フロイスは本能寺に呼び出された。昨日の教会の件で話がしたいと。

「フロイス殿。ようこられた」

「ハハ、お殿様にはご機嫌ウルワシュー」

「おう、見事な礼節よな。うちの息子度もに見習わせたいわ」

 そう言い呵々大笑する信長。そして昨日の青年も脇に控えている。

「そういえば。喜六郎よ、自己紹介もせずに言いたい放題言うのは礼節に反しておらぬか?」

「おう、うわさに聞くフロイス殿にお会いできて我を忘れたようですな。織田喜六郎と申す。兄上が世話になる」

「まて、なんで儂が世話になると?」

「まあ、これから…ね」

「ぐぬぬ、まあよい。フロイス殿に一つ頼みがある。当家の家臣どもにおぬしの博識を披露していただきたい。朝山日乗は知っておろう。あ奴と法論をし、勝つのじゃ」

「ハイ、いつでも」

「即答か。ふむ」

「日を置けばどうなるというものでもないデショウ」

「道理であるな。では追って日時を伝える」

「ハイ、カシコマリマシタ」

「うむ、おぬしの知識を持って当家の石頭どもを開眼させてやってくれ」

「ハイ。そういえばデスが、昨日のお言葉の意味を知りたくオモイマス」

「言葉?」

「九州で何が起きているかデス」

「おお、そういえばそんなこと言っておったな。喜六郎、どういうことじゃ?」

「なれば、わが手のものが探り出した情報ですが。日ノ本の民が奴隷として売られております」

「食い詰めたとかで奴婢に落ちたのではないのか?」

「いえ、九州の大名どもが鉄砲や弾薬と引き換えに自国の領民を売り飛ばしているのです」

「…んだと?」

「ソレハマコトにござりますか!?」

 血相を変えた二人に秀隆は詰め寄られる。

「南蛮人から見れば珍しいのでしょうな。あまりにひどいものについてはわが手のものが救出しましたが」

「すべては無理か、それはそうだな」

 信長の形相にフロイスは内心の震えを隠し切れない。尾張の王は残虐非道にて無道をなす。とのうわさは一面では真実であったのだ。

「いま私の方でも事実を確認しております」

「無意味だ。フロイス殿の良識は信じよう。だが、修道士や司祭とて商人が勝手にやっている取引を取り締まる術はあるまい。それにな、腐った権力者というものは道理など通じぬよ」

 秀隆のあまりに無情な、それでいて正鵠を射た言葉にフロイスは黙り込むしかなくなる。

「フロイス殿。デウスの教えは日ノ本の停滞しきった仏教にくらべまだ建前が出ておる。だがの、十字軍の惨禍も儂は知っておる。宗教という名の正義がどれほどの被害をもたらしたか。同じ教えを信じなければそこにいるのは人の形をしたケダモノというのであれば、我らも同じだ。そなたは人に非ずと断ぜざるを得ない。そのことをよく覚えておいてほしいものだ」

「ハハ、肝に銘じマス」


 悄然と辞去するフロイスを見送る。

「で、その十字軍とは何ぞ?」

 秀隆は宗教戦争の名を借りた経済戦争の有様を伝えた。そして、かかとまで異教徒の血に浸かり、妊婦の腹を裂くような所業を高らかに正義であると謳いあげる有様に信長は衝撃を受けた。

 キリスト教のわずかな教義の違いに分裂し、互いが互いを攻め立てあうありさまもである。どこかで聞いた話よなと皮肉を言う程度に理解した。

「まあ、彼奴らもおなじ人ということか」

「十人十色と言います。よき南蛮人もおれば、悪人もおりますよ」

「そうだのう。なるべく悪人は少なくなった方が、結局良い世になるんだがなあ」

「まことに」

 二人のため息は虚空に消える。先の道のりの長さにぼやきたくなることもあるものだ。


 その後宿舎に戻ったフロイスは秀隆の存在に大きな畏怖を覚えていた。十字軍の話など、ヨーロッパにいなければまず知ることはない。だが彼はそれを当たり前のように話した。それはどこからか、しかもかなり知識のある者が秀隆についており、彼に内情を話したということである。

 フロイスは疑心暗鬼に陥りかけたが、信長はフロイスを害する意思はないように見えた。フロイスを利用し、仏教の権威を相対的に落とすことで、自領の支配を固めようとしている。そこまでは読み取った。

 秀隆は絶対に敵に回してはならない。そのことを日本にいるイエズス会の者に徹底させ、九州への書簡を追加で送った。奴隷貿易は秀隆の怒りを買う。それは彼らの破滅を意味すると強い文面で書き、少しでも秀隆の怒りが和らぐように。辺境の蛮人とフロイスの意識の中にあった優越感は強い畏怖に取って代わられていたのであった。


 半年後、九州で大友家の煙硝蔵が火災で焼失した。同時に港に停泊していた南蛮船が唐突に爆発四散した。船長は桟橋で首を切られていたが、もともと評判の悪い人物であったため犯人探しもとくにはされなかった。

 ヴィレラはその報を受け慌てて日本を出国し、元亀3年ゴアにて死去したという。

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