閑話 利家の受難と成長
若き日の前田犬千代はその武勇を鼻にかけ非常にワガママ少年であった。永禄二年、利家は同輩のものといさかいを起こし、恨みに思ったものが衆を頼りに利家を闇討ちしようとたくらむ。
信長はその不穏な空気を察知し、先手を打って利家を罰した。その際には数を頼りに仕返ししようとしていた者を、卑怯であるとの理由で追放している。喧嘩両成敗の形をとったこととなっていた。
「おまつよう。儂はもう生きる望みを失ったぞ…」
「ええい、でかい図体して泣くのではありませぬ!」
「なれどお前を養うことはもうできぬ。信長様以外に仕える気もない」
「なればこそしっかりしなされ! この子のためにも…」
「なん…だと?」
「はい、身ごもっております。兄上様は父親になるのじゃ」
「お、おおおお、おおおおおおおおおおおお!」
利家は号泣した。自分よりも小さな妻にすがって泣いた。この時、利家は一生嫁に勝てなくなったのだとのちに述解している。
以前の伝手を頼り、元同僚や上役の下で陣借りをして糊口をしのいだ。それとなく助けてくれる者もおり、利家は世間の冷たさと友のありがたさを身に染みていた。おまつは元気な女の子を産み落とし、育児に励んでいる。とりあえず荒子の実家を頼り、兵の指南や、秀隆、藤吉郎から回してもらう仕事をこなして日を過ごす。
永禄3年、正月。秀隆からの呼び出しに応じ荒子近くの農家に入ると、そこには信長がいた。あわてて平伏すると信長から声がかかる。
「犬よ、反省したか?」
「はは! 我がふるまいの拙さ、骨身にしみております。今は我が妻と娘を養うに粉骨しております」
「なんと、子が生まれておったか。その祝いというわけではないが、儂が頼みを聞いてくれぬか?」
「はは、何なりと。我は禄はいただいておりませぬが、殿の家臣のつもりでおります。何なりとお申し付けくだされ」
「うむ、その心がけ殊勝なり。妻子のことは儂に任せよ。まずは、だが貴様と仲たがいして追放された近習どもを貴様が奴らを率いよ。今川が攻め寄せようとしておるにあたり兵が足りぬ」
「はっ、かしこまりました!」
「当面の禄としてこれをやろう。荒子にも儂から使者を出す。おぬしは尾張に入り込む他国者や間者を始末してほしい。影働きで、戦場で敵将の首をとる様な華々しい武功ではない。それでも良いか?」
信長から銭が詰まった袋を押し頂き、利家は涙をこぼしながら答えを返す。
「はは、粉骨の覚悟で勤めさせていただきます!」
「あ、その金子だが、おぬしの部下の禄も含まれておるのでな?」
利家はこけそうになったが何とか踏みとどまった。
利家は案内された先で、仲たがいした元同僚と顔を合わせる。そしてまずは土下座した。
「儂は心を入れ替えた。おごり高ぶったふるまい、どうか許してくだされ」
元同僚たちは顔を見合わせて困惑のまなざしを交わす。
「わしはのう、殿よりの務めを果たす以外には何も考えておらぬ。殿の役に立ちたいのじゃ。じゃによってお主らに助けてもらわにゃならぬ。だから後生じゃ。儂を許してくれ!」
利家の懇願に彼らも心を動かされる。もともと傾いたふるまいを好む主君に魅せられた者たちである。それにここで手柄を立てれば帰参が適うとの打算もあった。彼らはこれまでのいさかいを水に流し、利家を大将として認め、その下知に従うと申し出たのだった。
「ではのう、殿から預かった金子がある。それで大いに飲もうぞ。固めの杯じゃ!」
「「おおお!!」」
彼らは酒を酌み交わし、遺恨は水に流された。その後協力して任務に当たる姿が信長の目にもとまり、のちの帰参につながるのである。
長島の手先、服部左京が熱田にその手を伸ばしていた。利家たちはその手先を酔っ払いや無頼の喧嘩に見せかけて討ち取る。また三河方面の地勢を川並衆と協力して図面に記し信長に送る。
「ここはなんという?」
「おけはざま山にござる」
「太子が根の一本松が見えるな。この見晴らしなれば、儂が兵を率いるならここに布陣するわ」
「はっはっは、一回の素浪人が大きく出たのう」
「信長様に付き従っておれば間違いはない。いつかは大名にもなってやろうぞ」
利家の意気は上がる。今のこの働きが織田の勝ちにつながり、信長様は天下への道を切り開くに違いないと信じていた。
「利家殿、ちと頼みを聞いてくださらぬかの?」
「おう? なんじゃ村井殿?」
「儂はな、おぬしの心意気に惚れたのじゃ。どうか家来にしていただきたい」
「は? わしゃあただの素浪人じゃぞ? 当然禄も出ぬ。おぬしほどの武勇であれば引手あまたにござろうが」
「なればこそ、わしは利家殿を見込んだのじゃ。利家殿が帰参適ったら家来にしていただけるか?」
「わかった、そこまで言われるならそうしよう」
「おお、ありがたい、ありがたいぞ。殿、これよりよろしくお頼み申す!」
「こそばゆいのう。まあ、至らぬ主であるが、こちらからも頼りにさせてもらうぞ、長頼よ」
「はは、この村井長頼、粉骨の覚悟にて付き従いますぞ!」
「そうか、なれば主従の契りとして何かしてやれねばなあ…儂の名は又左ゆえ、おぬし又兵衛と名乗るがよい。どうじゃ?」
「おお、殿の武勇にあやかれとの仰せですな。ありがたきお言葉…あり…がたき…」
「又兵衛よ、泣くでない」
「おお、これは相すみませぬ。感極まりましてなあ」
「これより苦労もかけるが、面白きこともたくさんあろうて。わが名を分け与えたは、今の儂にはこれしかできることがないからじゃ」
「殿の真心はようわかってござる。我は良き主君に巡り合えました」
長頼の絶賛に利家は照れて鼻先をポリポリとかいた。彼らはこれより生涯を共にするのである。
桶狭間の合戦の折、利家率いる遊撃隊は熱田の守りについていた。副将格は祝三十郎で、元信長の馬廻である。200ほどを率い、海上から熱田湊へ服部左京の手勢が攻め寄せる。と言っても熱田の制圧ではなく、嫌がらせの焼き討ちと略奪が目的であるが、ここで熱田に被害が出ては信長の面目が潰される。利家は手勢を叱咤し、油断なく構えさせる。
遮蔽物のない海上を進む船に火矢が放たれる。火が燃え移っても海上ゆえにすぐ消火されるが、兵に突き立ち、海中に没してゆく。そしてさらに近づく敵兵を水際で迎え撃つ。又左の槍はその威を振るい敵兵の命を刈り取ってゆく。織田家への帰参がかかる遊撃隊の戦意は高く、服部の手勢を次々と討ちとっていった。四半刻ほどの戦いで服部左京は逃げ出す。長頼が弓を引き絞り放った矢が服部左京の肩に突き立ち、手傷を負わせた。
利家は敵兵を撃退したことを見届けると、負傷兵などが中心だが、留守居の兵を残して東へ駆け出す。今も激戦のさなかにいる主の助けにならんとして、はやる気持ちを抑えて進む。
そして太子が根のあたりに差し掛かった時に、遠くから勝鬨を聞いた。その声がどちらのものかはまだ不明で、利家一行は足を速める。坂道を上り、眼下に広がる戦場を見下ろす。そこには織田木瓜の旗印のもと、戦勝に沸き返る織田軍がいた。今川との戦には間に合わなかったが、熱田を守り抜いたことは利家の手柄となった。秀隆の口添えもあり、利家は追放される前の待遇で帰参が適う。
「犬千代よ。よくやったな」
「はは、皆がよく働いてくれました」
「ほう、おぬしが槍を振るって敵兵を切り伏せたこと、聞き及んでおる」
「いやあの…」
「おぬしを大将任じたはそういった粗忽なる振る舞いを改めさせるためじゃ。どうも、まだわかっておらんようじゃな」
「と、との…?」
「ふっふっふ、折檻じゃ、覚悟いたせ」
「ッアーーーーーーー!」
深夜の清州城に利家の悲鳴が響き渡る。なんか、んほおおおおおおおとか聞こえてきたが、秀隆は聞かなかったことにした。そういえば、史実では利家と信長っておホモ達だったよなあ…とひとり呟くが、それは誰の耳にも入らず虚空へと消えた。
そういえば今回の遊撃隊の面々は利家の郎党になったそうだ。ただの駄犬から猟犬に格上げしてやろうと秀隆は一人つぶやいた。
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