北伊勢と美濃平定ー奇貨ー
永禄10年、織田家は滝川左近将監一益を先陣に北伊勢に乱入した。信長は美濃稲葉山に本拠を移し、城下の再建と城の修築の指揮を執っている。
尾張勢を率いるは、津田武蔵守信行と、副将に三十郎信包であった。軍監および旗本与力として前田利家が派遣されている。総勢5000を動員していた。
もともと北伊勢は猫額の地に多くの土豪が離合集散する地であった。神戸、関、長野などの諸豪族は抵抗の意思を見せたが、一益の巧みな采配に討ち破られてゆく。
伊勢中部の安濃津までを制圧し、ここでいったん兵を収めた。関氏が降ったことにより、近江、伊賀から北伊勢に張っていた六角氏の影響力は排除されたのである。
北伊勢八郡は織田の手に落ち、安濃津には長野氏に養子に入った三十郎信包が入り、名目上の領主となる。神戸氏には信長の三男三七丸が元服後その長女と婚姻を結び婿入りする形となった。
伊勢の国は伊勢神宮があることからも古くから重要な位置づけを持っている。伊勢に封じられた諸侯は名門として一段高い格式を持つことが多い。鎮守府将軍の家系である北畠氏は今も伊勢国司として君臨しており、南伊勢五郡は伊勢では最大の勢力であった。
伝統ある家を滅ぼしたとなれば、伊勢内部および国外の諸侯らの反発は大きくなる。名より実を取る方針で、平定を急いだのである。
信長は稲葉山を岐阜と改名した。周の文王、岐山より出でて天下を定めるとの故事に拠ったというが、実際は順序が逆で、正秀寺住職の択彦和尚にいくつかの候補を上げさせた。岐山・岐陽・岐阜の中から信長は岐阜を選んだ。単に呼びやすかったというのが理由のようである。地名の由来である岐山からの故事を聞き、それにより大いに喜んだという。
楽市楽座は信長の独創と思われているが、実はそうでなく、六角定頼が近江商人の振興を図り観音寺で楽市を開いたものが初出とされている。ほか、今川氏真が富士大宮で楽市を開いた。
斎藤道三も油座と対立し、自身の領内で座の特権を制限して城下の繁栄を呼び込んでいる。信長のやったことはこれを大きく広がった領国で大規模に行ったということである。
先日織田家は北伊勢を制圧したが、この地は小領主がひしめき合っており離合集散を繰り返していた。領地の境界線は入り組み多くのの関所が人の往来を阻む。そもそも自らの領外のことには関心がない、先祖伝来の土地を守ることにのみ汲々としているので、自らの権利のみにしか目がいかない。
そんな現状を圧倒的な戦力で踏みつぶした。土豪を土地から切り離し軍役に就かせる。領内の街道を整備し、余分な関を廃止する。これだけで統治の効率化と、商人の流入が起こり北伊勢は活性化していった。自身が治めていたころよりも生産が向上し、そこから収められた税より彼らの扶持が支払われる。場合によっては以前より生活が上向く者すら出ていた。
以降、滝川一益を先頭に伊勢南部への浸食を進めていくこととなる。しかし現在は新たな領土の地盤固めを早急に行う必要があり、情報収集程度にとどまっていた。
美濃の国は沸き返っていた。道三が国譲り状を信長に遣わしたという話はいつの間にか広まっており、信長の美濃支配は早急に固まっていった。長良川の戦場後には石碑が立てられ、それを見た油売りの老人が附子を含んだような顔をしていたそうである。その横には彼の孫である少年が付き従っていた。重責から解き放たれた少年は年相応の笑みを見せていたという。
「殿、奥方様の一門で、明智十兵衛というものが訪ねてきております」
近習の猪子兵介が夜更けにもかかわらず信長を訪れた。緊急時であれば四六時中の報告を許していたが、帰蝶との間に生まれた長男の吉法師を溺愛している信長は、家族団らんの時を邪魔されやや不機嫌な様子である。
「何用にて参ったと?」
「越前より新公方様のご使者として参ったと申されております」
「口上はあるか?」
「ぜひともお殿様に直接申し上げたいとのことでして…」
「ふむ」
ちょうど傍にいた帰蝶に十兵衛なる者の素性を訪ねると、分家の末端の倅ではないかという返答だった。明智本家は義龍に滅ぼされており、明智の一族と名乗ってもとがめだてする者はいない。帰蝶の母は明智一族の出であり、母とともに明智城に赴いたとき幼い彼女をあやしてくれた少年がいたことを不意に思い出した。
「まあよい、その十兵衛とやらに会ってみよう。帰蝶、そなたも同席せよ」
「はい、かしこまってございます」
猪子兵介はいったん自分の屋敷に戻り十兵衛を連れてくることとなった。夜も更けていたので翌朝に会うと伝え、信長は四男の吉法師とともに眠りについた。
翌朝、猪子兵介は身なりの良い武士を伴って岐阜城に登城した。岐阜城でも奥まった場所で、重臣すらめったに立ち入れない座所に呼び入れる。かの十兵衛は古式の礼をもって信長に平伏した。
「おぬしが明智十兵衛か。こなたへ寄るがよい」
「はは!」
衣装を捌き、膝行して近づき、再び額を畳に擦り付ける。纏った蘇芳には足利家の紋が入っていた。
「おぬしは新公方様の御家来とか」
「左様にござります」
「どのような伝手でそうなったのかの?」
「は、一色義龍により明智の城を攻め滅ぼされ、諸国を回ることとなりました。その後越前朝倉家の寄り子となりました。一向宗との戦の折、鉄砲隊を任され、五百貫の地行をいただく身上となりました」
「ほう」
「公方様が越前に参られしおり、細川藤孝殿のご推挙をいただき、公方様の御家来となりました。現在は朝倉を退去し禄も返上しております」
「ほう、新参の身で鉄砲頭となるを返上したとな。面白き奴じゃ」
「恐縮にござります」
「して、何故朝倉を離れたのか?」
「それがし朝倉の家風に嫌気がさしたのでござる。当主たる義景公は女色にふけり、政務もおろそかにて、御家中の風紀は乱れ、先行きはなきものと思いました」
「ふむ、それゆえ朝倉に見切りをつけ公方様についたか」
「左様にござります」
信長はこの男に興味を持ち始めていた。立て板に水を流すがごとき弁舌と、有識故実に通じた振る舞い。今後京都に上るにあたり、朝廷や公家、将軍家との折衝に当たるものが必要となる。しかしそれだけでは家中は納得しない。さらにこの男の付加価値を見出す必要があった。
「さればその方、鉄砲の心得はあろう?」
「は、砲術の心得はあります」
「なればその手並み、我が前で示せるか?」
「お望みとあらば」
「なればついてこい。今より鉄砲稽古をいたす! 支度せよ!」
「「はは!」」
座所の周辺から複数の返事があり、周囲があわただしく動き出す。主君の一声で規律正しく動く織田の気風に触れ、光秀も感じ入っていたのである。
信長は早足に玄関を出て角場に向かう。角場とは鉄砲や弓の稽古を行う場所であった。すでに多くの小姓が立ち働いており、的の用意をしている。別の者が手入れの行き届いた銃を用意し、信長の前で捧げ持つ。
「15の的を用意させておる、弾ごめはこ奴らがいたしおる故続けざまに放つがよかろう」
「はっ!」
光秀の手並みは見事だった。最初の一発は的の端だったが、それ以降の射撃はすべて的の中央を撃ち抜いている。その手並みを見て小姓たちからも感嘆の声が上がった。
「うむ、見事!」
「ありがたきお言葉にございます」
「さればその方、我が家来となれ。扶持は当面朝倉と同じ五百貫じゃ。後は働きに応じて加増して遣わす」
「はは、向後はお殿様のもとにて犬馬の労も厭いませぬほどに」
「さて、そちの用件だが、公方様上洛の介添えでよいか?」
「はは、おっしゃるとおりにございます」
そういうと懐から書簡を差し出す。
そこには儀礼を尽くして自身の上洛と将軍職に就くための助力を依頼する文が書かれていた。偽書ではないかとの確認をしたがどうやら本物のようである。
この機に上洛を果たし、天下への道を切り開く。奇貨居くべしとつぶやくと信長は承諾の返答を返書にしたため、光秀に持たせ復命させた。
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