エピローグ 戦いの終わり
葵と薫の頂上決戦は終わった。薫達は大原が率いて来た機動隊に確保され、手錠をかけられ、連行されて行った。彼女達は観念したのか、全く抵抗しなかった。
「大人しいもんだな。返って不気味だがな」
篠原は屋上の床にベタッと座って言った。一気に身体に負担がかかって来て、グッタリとしてしまった葵は、大原が用意してくれた担架に乗せられて運ばれて行った。美咲と茜は、それに付き添おうとしたが、二人共担架に強制的に乗せられ、同じく運ばれて行った。村田はしばらく大原にいろいろ尋ねられた後、機動隊に護衛されてその場を去った。
「水無月さん、随分お疲れのようでしたが、大丈夫なんですか?」
大原が尋ねた。篠原はニッと笑って、
「大丈夫だよ。王子様がお目覚めのキスをしてあげたんだからな」
「はァ?」
大原は篠原の不思議な答えに、キョトンとした。篠原は大原に手を貸してもらってよろけながら立ち上がり、
「さてと。もう一仕事だ」
「篠原さんこそ大丈夫なんですか?」
篠原は大原の肩をポンポンと叩いて、
「大丈夫だよ。お姫様に熱ーいキスをしてもらったからな」
大声で笑って、屋上から立ち去ってしまった。大原は慌てて篠原を追いかけた。
「篠原さん、事情を説明して下さいよ。一体どういうことなんですか?」
「あとでな」
篠原は大原の問いかけを無視して、その場から姿を消した。
「本当に、あの人達は頼りになるけど、謎が多過ぎるよ」
大原は腕組みをして不満そうに呟いた。
保志は、運び出される坂本の遺体をまるで廃棄物でも見るかのように冷徹な顔で見送った。
「坂本さん、急でしたね。どうされたんでしょうか?」
秘書が言うと、保志は、
「無理が祟ったのだろう。さっきも何か意味不明の言葉を吐いていたからな。改進党に潜入していて、相当なストレスを抱えていたのかも知れんよ」
平然として嘘をついた。秘書は頷きながら、
「そうかも知れませんね」
そして、
「私は長官の代わりに病院まで行って来ます」
部屋を出て行った。保志はそれを確認してから、ニヤリとして、椅子に腰を下ろした。
「これで後は橋沢だけか」
彼は狡猾な笑みを浮かべて、天井を仰いだ。しばらく彼は目を瞑って考え事をしていた。
( これで橋沢を追い落とせば、進歩党は我ら一族の意のままになる。日本を全て一族の手中に。そしてやがては世界にそのネットワークを張り巡らし、裏世界を牛耳る )
彼の野望は、果てしなかった。
そんな妄想にも近い事を考えていた時、ドアがノックされた。
「どうぞ」
保志はそれが誰なのかも確認せずに応じた。入って来たのは、岩戸老人とそのSPと思われるサングラスをかけた厳つい身体つきの、黒ずくめの男だった。
「おや、岩戸先生。どうされました?」
保志は作り笑いをして立ち上がり、岩戸老人を迎えた。
「どうぞおかけ下さい。今、飲み物を用意させますよ」
保志がインターフォンに手をかけると、岩戸老人はそれを遮るように、
「いや、そんな気遣いは無用だ。すぐにすむ用事なのでな」
ゆっくりとソファに腰を下ろした。SPの男は、岩戸老人の真後ろに立った。保志は苦笑いをして向かいのソファに座り、
「わかりました。どういったご用件でしょう?」
すました顔で尋ねた。岩戸老人は鋭い目つきをして保志を睨みつけ、
「ほしな、ほしかわ、ほし。何の事か、わかるか?」
「はァ? 何ですか、それは?」
保志は飽くまでとぼけるつもりだった。岩戸老人が入って来た時点で、彼は薫達が敗北した事を悟っていた。恐らく後ろにいるSPも、月一族の手合いだろう。彼はそう考え、二人共瞬殺するつもりだった。
( もはや政界に留まる事はできないようだ。それならば、こいつらを殺し、また一族再興のため、身を隠すだけの事……)
「先生、肩に何か着いていますよ。埃ですかね?」
保志は右手を岩戸老人の心臓の辺りに伸ばした。次の瞬間、保志のスーツの袖口から針が飛び出し、岩戸老人の左胸に刺さった。
「ぐっ!」
岩戸老人は呻き声を上げ、ソファから崩れ落ちた。
「先生!」
SPの男が仰天して、老人の前に回り込もうとした。
「お前も死ね!」
保志はSPの左胸にも針を打ち込んだ。
「ぐうっ!」
SPも呻き声を上げると、床に倒れ伏した。保志はそれを見届けると、携帯を取り出して、
「私だ。計画は失敗した。薫達は敗北の模様。私もここを脱出し、里に戻るぞ」
携帯を切った。その時、
「そうはいくかよ」
後ろで声がした。保志はギョッとして振り返った。SPの男が、立ち上がっていた。そればかりか、岩戸老人もソファに戻っていたのだ。
「な、何?」
SPはサングラスを外した。篠原だった。
「バカか、お前? 同じ手が何度も通用するかよ。坂本が心臓発作で倒れて死んだってお前の秘書から聞いて、すぐにピンと来たのさ。俺も、岩戸先生も、防弾チョッキ着用だよ」
「くっ!」
保志は身の危険を感じ、サッと飛び退いた。
「保志、往生際が悪いぞ。大人しくしろ!」
岩戸老人が保志を睨んで怒鳴った。保志は歯ぎしりして、
「こんなところで終われるか!」
走り出し、窓から飛び出そうとした。するとその保志の前に篠原が素早く回り込み、
「そうはいくかよって言ったろ?」
アッパーカットを放った。保志はそれをまともに顎に喰らい、一回転して床に落ち、気を失った。
「何だよ、弱過ぎるな。あの三姉妹の足下どころか、下っ端の連中にも及ばないボスだったな」
篠原がスーツの襟を正して言うと、岩戸老人が、
「そんなもんじゃよ。こういう奴は、姑息な手段でしか戦いをせんのさ」
と言った。
しばらくして、保志は大原達が連行した。篠原と岩戸老人はその足で葵達が入院している大学病院に向かった。
「里から連絡があって、お咎めなしなんだって?」
葵の病室に入るなり、篠原が尋ねた。葵は全身をギプスで覆われ、身動きができなくなっていた。
「今、そのわけがわかったわよ。あの技使うと、どんな罰より重い罰を受けるんだってね」
葵は憤然として篠原を見た。篠原は肩を竦めて、
「こいつはまるでエジプトのミイラだな。面白いな」
「うるさい! 冷やかしに来たのなら、帰ってよ!」
葵が怒鳴ると、岩戸老人が、
「それだけ元気なら、大丈夫みたいたな、葵ちゃん」
「すみません、わざわざおいでいただいて」
葵は申し訳なさそうに言った。岩戸老人は笑って、
「大した事じゃないよ。それより、早く退院できるといいね」
「ありがとうございます」
岩戸老人は気を利かせたつもりなのか、
「それじゃ、年寄りは邪魔だろうから、この辺で失礼するよ」
出て行ってしまった。葵と篠原は何となく赤くなり、顔を見合わせてしまった。しばらく沈黙が続いた。
「あ……」
葵が口を開いた。
「どうした? どこか痛いのか?」
「ち、違うわよ。ナースコール押して。看護師さんを呼んでよ」
葵は妙に恥ずかしそうに言った。篠原は不思議そうに、
「どうしたんだよ? 俺じゃダメか?」
「ダメ!」
「何で?」
「何ででも!」
「だから何で?」
「早く呼んでよ、漏れちゃうわ!」
遂に我慢の限界なのか、葵が叫んだ。篠原はプッと笑って、
「何だ、小便か。俺が尿瓶で取ってやろうか?」
「バカ! 後で覚えてなさいよ!」
葵は篠原をこの時ほど憎らしいと思った事はなかった。
何とか事なきを得た葵のところに、松葉杖を突きながら、美咲と茜がやって来た。
「やっぱり所長が一番重傷だったんですね」
妙に嬉しそうに茜が言うと、葵は、
「冬のボーナス、楽しみね、茜」
「ええっ? そんなこと、言わないで下さいよ」
篠原と美咲は呆れて顔を見合わせた。そこへ大原が顔を出した。
「皆さん、思ったより元気そうで良かったですよ」
大原が言うと、篠原が、
「お前、見舞いに来たわけじゃないんだろ? 何かあったのか?」
大原はハッとして篠原を見、苦笑いをして、
「敵わないな、皆さんには。そうなんです。悪い情報を持って来ました」
「悪い情報?」
茜が身を乗り出して尋ねた。大原は茜を見てから葵を見て、
「三姉妹が逃亡しました。手錠を外し、そばにいた警官を瞬時に気絶させ、護送車の鍵をいとも簡単にこわして、行方をくらませました」
葵達は顔を見合わせた。篠原が溜息を吐いて、
「ま、仕方ないな。あの姉妹をまともに監禁できる拘置所も刑務所も、日本にはないだろうからな。裁判にかけるのは、至難の業だぜ」
「そうかも知れませんね」
大原は腕組みをして頷いた。葵が天井を見たままで、
「ま、またいつか私達の前に現れるでしょうよ。その時は、今度こそコテンパンにやっつけてやるわよ」
「そいつはどうかな? あの女は、お前のように何か特殊な方法で戦っていたわけじゃないぜ」
篠原が言うと、葵は彼を睨んで、
「わかってるわよ。最近サボり気味だったトレーニングも再開するわ。星一族がまだなくなったわけじゃないし、あんたが倒した保志何とかも、それほど上の人間じゃないようだし。星一族が存在する限り、私は精進を怠らないわ」
言い返した。美咲が、
「里からのメールで、全国にいる里の者に連絡して、警戒に当たらせるとのことです」
「それより、父からも里の長老からも、お見舞いの言葉も何もないんだけど、私達の一族って、そんなに冷たいの?」
葵の言葉に、篠原が、
「お前は禁じ手を使ったんだから、そんなことを要求する権利はないよ」
「フンだ!」
葵は篠原から顔を背けた。美咲と茜は顔を見合わせて笑いを噛み殺した。
「無駄な事になると思いますが、三姉妹の行方は引き続き全警察の総力を挙げて追跡しますよ。僕はこれで」
大原は病室を出た。茜が慌てて、
「あっ、玄関まで送るわ、大原さん」
追いかけて行った。すると美咲が、
「あ、私もちょっと用事が……」
立ち去ろうとしたので、葵が、
「ちょっと、どこ行くのよ。このバカと二人にしないでよ。私が動けないのをいいことに、何するかわからないんだから」
「おいおい、俺のおかげでお前は助かったんだぞ。そんな言い方ないだろう?」
二人の言い合いに、美咲はすっかり呆れ果て、そっと病室を後にした。
風の葵 謀略協奏曲 神村律子 @rittannbakkonn
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