第十四章 星一族最強の女

 薫の発言は葵にとって衝撃的だった。

( こいつら、政界の連中を利用しているの? )

 葵の訝しそうな顔を見て、薫はフッと笑い、

「様々な階層にそれと知られずに潜伏するのは、何もお前達の専売特許というわけではない。我が一族も、各界に潜伏している」

「!」

 葵、美咲、篠原、茜の4人は、ほぼ同時にビクッとした。

「まさか、あんた達一族の者が政界にいて、そいつが黒幕だというの?」

 葵が尋ねると、薫はニッとして、

「さァ。それには答えないでおこうか。仮に答えたとしても、もうすぐ死ぬお前達には、必要のない知識だからな」

 葵はカチンと来たが、今の状態で自分達に勝ち目はほとんどなかったので、どうすることもできなかった。

「篝(かがり)、水無月葵は後回しだ。その女を先に殺るぞ」

 薫は美咲に目を向けて言った。篝はまだ美咲の手を振り解けないでいたが、

「ええ、姉様」

 美咲は、身体全体に冷たいものが伝わるのを感じた。彼女は意を決して、

「えーい!」

 篝の両手を捻り上げた。

「ギャッ!」

 篝の叫び声が屋上に響いた。彼女の両手は反対を向いてしまい、ブラーンとしていた。

「よ、よくも……」

 篝は憎しみの目を美咲に向けた。薫はそれでも冷静だった。

「どけ、篝。そいつの始末は、私がする」

 篝は薫に駆け寄り、

「でも姉様、このままでは私の気が収まらない。こいつは私に殺らせて!」

 篝の願いも虚しく、薫は彼女を押しのけ、美咲に近づいた。

「……」

 美咲は薫が近づいて来るのを黙って見ていた。篠原はようやく身体を起こしたところだった。彼は茜を見て、

「茜ちゃん、大丈夫か?」

「はい」

 茜は力を溜めているところだった。一気に放出して、薫に一撃を見舞う。例えそれがほとんど効果がないとしても、葵の戦いの助けになれば、と機会を探っていたのだ。篠原にもそれがわかった。

( 葵は、最後の賭けに出るつもりのようだ。もしそうなったら、命がけであいつを連れ戻さないとな )

 命がけで連れ戻すとは、どういう意味なのだろうか?


 怒りの形相の坂本が現れたのは、首相官邸だった。

「俺を捨て駒扱いするのは、自分も命取りになるのだ、ということをわからせてやる」

 坂本は止めようとした警備の警察官達を睨みつけて追い払うと、まるで政府の要人のような態度で、官邸の中に入って行った。

「おや、坂本さん。どうしたんだね、怖い顔をして?」

 坂本がロビーに入った時、進歩党の幹事長が声をかけて来た。橋沢首相と何か密談でもしていたのだろうか? しかし坂本は幹事長に見向きもせず、そのまままっすぐ奥へ歩いて行ってしまった。

「何だ、あいつ、偉そうに……」

 幹事長はそう毒づいたが、彼も坂本に面と向かってそんなことは言えない人間である。それほどの実力者である坂本を捨て駒にする人物とは、一体何者なのか?


 葵は薫が美咲に近づくのを見ながら、何もできない自分に怒りを感じていた。

( 情けないわ。私は今、美咲を犠牲にしようとしている。作戦としては間違っていないけど、そして美咲も多分それを考えて動いたのだろうけど、私は納得できない。そんな戦い方、無理だわ。できない! )

 決断をためらっていた葵だったが、ついに最後の一歩を踏み出す決心をした。

「フーッ!」

 葵は凄まじい勢いで息を吐き出し始めた。薫はその葵の様子に気づき、

「何だ、あれは?」

 足を止めた。篠原がこれに気づき、

「まずい、葵はまだ……」

 立ち上がろうとした。

「まだそんな余力があったの?」

 両手を折られた篝が、篠原の背後に立った。

「くっ!」

 篠原は篝の方を向こうとしたが、篝の方が早かった。

「グハッ!」

 篝のハイキックが篠原の後頭部を直撃した。篠原はそのまま前のめりに顔から倒れてしまった。篝は、折られた手首を脇に挟み、

「グオオオッ!」

 雄叫びを上げながら、元に戻してしまった。そして、

「姉様、その女は私に殺らせてよ。お願い!」

 すると薫はフッと笑って、

「ええ、そうするわ。水無月葵が、時間稼ぎをするつもりだったようだから、この女は貴女に任せる」

「ありがとう、姉様」

 篝は言うと、美咲に向かって走り出した。美咲はヨロヨロしていたが、篠原や茜よりは動けると自分で思っていた。

「もうほとんど死んだも同然のあんたに、とんだ不覚を取ったわ。その礼、キッチリさせてもらうわよ!」

 篝はスッと美咲の視界から消えた。美咲は目で追うのを止め、気配を探った。

「ハッ!」

 彼女は一瞬の差で篝の後方からの回し蹴りをかわし、逆に篝の軸足をスライディングの要領で払った。

「うわっ!」

 篝はバランスを崩して倒れかけたが、そのまま前転して美咲から離れ、再び突進して美咲にハイキックを見舞って来た。美咲はその脚を捕え、

「うおおっ!」

 彼女らしからぬ叫び声を上げて、篝を振り回した。

「ヌアアッ!」

 篝は遠心力で顔を引きつらせて叫んだ。それでも美咲は篝を回し続けた。

「エーイッ!」

 スピードが乗って来たところで、美咲は手を放した。

「グアアアッ!」

 投げ飛ばされた篝は、フェンスに激突し、めり込んでしまった。薫はその様子を黙ってみていたが、

「さすが、月一族最強の三人だ。かがみだけではなく、篝まで倒されるとはな。だが、お前達の負けはもう確定的なのだ。私はこの世の誰よりも強いのだからな」

 葵を睨んだ。葵は歯ぎしりしたが、何も言い返さなかった。

( まだ足りない。こいつを倒すには、後もう少し気を……)

「もうこれ以上時間は稼がせないと言っただろう?」

 薫が葵に突進したその時、茜が動いた。

「ムッ?」

 薫は茜の突進に気づき、

「小賢しいマネを! 死んだフリをしていたのか!」

 茜の方に向き直った。

「ハァッ!」

 茜はジャンプして薫に向かった。薫はフッと笑い、

「空中ではかわす事もできないだろう?」

 飛び、茜に襲いかかった。するとその茜は、スウッと消え、忍び装束が薫に向かって来た。

「何?」

 茜の秘技である。薫は騙された事を知り、忍び装束をコンクリートの床に叩きつけた。

「こちらに避難していて下さい」

 美咲はその隙に村田を屋上の出口に誘導していた。

「大丈夫なんですか、水無月さんは?」

 村田は遠くにいる葵を見て尋ねた。美咲は微笑んで、

「大丈夫です。所長は、地上最強の女性ですから」

と答えた。

「そこか!」

 薫は茜の気配を察知し、走った。

「今度は目くらましは通用しない!」

 薫の一撃が茜を捉えた、かに見えたが、それは茜ではなく、縛り上げられていた星川だった。

「ウゴッ……」

 星川は薫の正拳をまともに喰らい、そのまま後ろに倒れた。

「くっ!」

 薫は茜が忍び装束に仕込んでいた幻覚を引き起こす粉に惑わされている事に気づいた。

「いくら強くても、相手がどこにいるのかわからなければ、どうしようもないでしょ?」

 茜の声が四方八方から聞こえて来る。

「おのれ……」

 薫は目を閉じた。そして、

「お前の気配はもうわかっている。理由がわかれば、対処の仕方はいくらでもあるのだ」

 一気に茜が立っているところに走った。

「えっ?」

 鎖帷子姿の茜は防御する暇もなかった。彼女は薫の突きを腹に喰らい、数メートル飛ばされて倒れた。

「茜!」

 葵が叫んだ。

「茜ちゃん!」

 美咲が駆け寄ろうとした。篠原も血だらけの顔を上げて、

「茜……ちゃん……」

 呟いた。薫は次に駆け寄って来た美咲に襲いかかった。

「キャッ!」

 美咲は何とか防御はしたが、それも虚しく、薫はその防御をはね除けて、美咲の顎にアッパーカットを食らわせた。美咲は一度中を舞い、そのまま頭から床に落下した。

「美咲……」

 葵は身体の中から凄まじい怒りがわき上がって来るのを感じた。

「ついに、始まるか、最強同士の戦いが……」

 篠原は葵がとうとう恐れていたところまで行ったのを理解した。薫も、葵から放出される気が全く異質のものになったのに気づいた。

「何をした、水無月葵?」

 薫が初めて身構えた。葵の強さが変化していくのを感じ取ったのだ。

「よくも私の大切な仲間を……。しかもあんたは、自分の妹達さえ犠牲にする事をためらわなかった。人間のすることじゃないわ」

 葵は凄まじい気を発しながら、ゆっくりと薫に近づいた。薫は先手必勝と考えたのか、

「この世で最強なのは、この私だ!」

 葵に向かって突進した。薫の右の手刀が葵に襲いかかった。ところが葵はその手刀をガシッと左手で受け止めた。

「!」

 薫が右手を引っ込めようとするより早く、葵の右正拳が薫の顔面を捉えていた。

「グッ!」

 薫は勢い余って後ろに仰け反った。葵はこの機を逃さず、薫の顔面を正拳で連打した。

「グフッ!」

 薫はぐらつきながらもこれに耐え、反撃に出た。

「ウオオッ!」

 薫の右の回し蹴りが炸裂した。しかし、それも葵は受け止めてしまった。

「何?」

 薫は唖然としてしまった。葵は薫の足首を掴んで、勢いをつけて薫の頭に頭突きを見舞った。

「ウワッ!」

 今度は薫も後ろに倒れてしまった。そこへ葵が飛びかかった。薫は素早くそれをかわし、もう一度反撃に出た。

「ハアッ!」

 薫は葵の懐に飛び込み、彼女のボディを連打した。しかし、葵は全く効いていないのか、逆に薫のボディを連打した。

「クッ!」

 薫はすぐさま飛び退き、葵から離れた。

「妙だな。葵が本気で殴っているのに、何故あの女は倒れない? 何かある……」

 篠原は、薫がまだ奥の手を用意しているような気がした。薫は顔の痣を撫でながら、

「私の顔をここまで殴り、ボディを連打したのは、お前が初めてだ。だから、私も本気を出す」

「?」

 葵は訝しそうな顔で薫を見た。薫はフッと笑って、

「但し、これは私も多大なリスクを背負う。何しろ、プロテクターを外すのだからな」 

 忍び装束を脱ぎ捨てた。それは、ズシンという重い響きを立てて、コンクリートの床にめり込んだ。

「……」

 葵はその光景に驚愕した。コンクリートが砕けるほどの重量のプロテクターを着けて、あれほどの速さで動いていた者が、それを外したらどうなるのか。確かに身体がむき出しになる分、防御力は下がるが、移動速度は飛躍的に高まるのではないか?

「さァ、これで本気が出せる。本当の私を見せてやる。お前達が、多分、最初で最後だ」

 薫は、忍び装束の下には、光沢のある特殊な樹脂のようなものを着ていた。素材は不明だが、特に防御力が高そうには見えない。葵は、薫が結構プロポーションがいいのに気づき、闘志がより湧いて来た。

( こいつはやばいぞ。葵の攻撃力は、もう限界に近い。だが、あの女の攻撃力はまた大きく上がった。勝てるのか? )

 篠原の額を汗が流れた。

「里の長老達の罰は後でいくらでも受けるわ。今はこの忌ま忌ましい女をぶっ潰す事だけ考える!」

 葵はさらに大きく息を吸って、フーッとゆっくり吐き出した。篠原が仰天した顔で、

「やめろ、葵! そこまでするな! 俺が援護するから!」

 立ち上がりかけた。しかし葵は、

「手助けなんかいらないわよ。この女は、私が倒す!」

 言い放った。薫は立ち上がりかけた篠原を一瞥してから、

「まだ力の差がわかっていないようだな。実際に肌で感じないと、わからないほどの愚か者だったとはな」

 葵を見た。彼女はその瞬間、葵から発せられる異様な気を感じ取った。

「な、何だ?」

 薫は一歩下がった。本能が危険を察知したのか、彼女は全身に汗をかいていた。

「しょ……ちょう……」

 美咲が血だらけの顔を少しだけ上げて、葵の方を見た。

「何……?」

 茜もやっと身体を動かして、葵の方に顔を向けた。村田はドアのところに立ち尽くし、二人の女の壮絶な戦いの行方を見守っていた。

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