第十一章 敵は何人?

 辺りが白々と明るくなり始めた頃、大原が美咲達のいる現場に到着した。彼は信頼できる警察の人間を選び、鑑識課を率いていた。

「もうすぐ担当の刑事も到着します」

 大原はまだ泣いている茜を慰めながら美咲と篠原に告げた。篠原は、

「お前も気をつけろよ。警心会絡みだとしたら、いくら警察庁のエリートでも、やばいからな」

「ええ、わかってますよ」

 大原はニッコリして答えた。彼は自分の立場や安全より、悲しみにうちひしがれている茜の身を案じていた。

「大丈夫、茜ちゃん?」

 大原は涙で目が腫れぼったくなってしまった茜の顔を覗き込んで尋ねた。すると茜は顔を隠して、

「見ないで、大原さん。私今、すっごく不細工になってるから!」

 背を向けた。すると大原は、

「何言ってるのさ。茜ちゃんほどの美人なら、いくら泣いたって大丈夫だよ。隠さなくても平気さ」

 大原のその言葉に、篠原と美咲は思わず顔を見合わせて噴き出してしまった。

「ホント? 大丈夫?」

 茜はヒクヒク嗚咽を上げながら、顔を大原に向けた。大原は大きく頷いて、

「ああ。大丈夫だよ。全然気にすることないさ。むしろ今まで奇麗過ぎてまともに見られなかったくらいなんだから」

「ホントに?」

 茜はやっとニコッとした。大原はそれを見てホッとしたのか、

「良かった。ようやく笑顔を見せてくれたね」

「大原さん、ありがとう」

 茜は泣き笑いしながら、大原に抱きついた。大原はひどく驚いた様子で、救いを求めるように篠原と美咲を見た。しかし篠原はヒューヒューと口笛を吹くマネをし、美咲は微笑むばかりで何も言ってくれない。

「茜ちゃん」

 大原は困り果てて茜を押し戻した。茜はキョトンとして、

「どうしたの?」

「あ、いや、鑑識の人達も来ているから、ちょっとね」

 大原が言うと、茜はクスッと笑い、

「大原さん、かっわいい! 照れてるの?」

「あ、いや、別にそういうわけじゃないけど……」

 二人がそんなことを言い合っているところへ、黒のセダンが走って来て停止した。中から降りて来たのは、保科警部だった。美咲はギョッとした。彼女は保科の顔を見たわけではないが、暗がりの中で逃げながらチラッと見た刑事に似ている気がしたのだ。

「大原君、遅くなってすまなかったな」

 保科は大原を見つけるなり声をかけた。大原はビクッとして保科の方を向いて、

「いや、まだ自分もここに来てそれほど経っていませんから。保科さん、申し訳ありません、お忙しいのに」

「お互い様さ。現場を見させてもらうよ」

 保科は白の手袋をはめながら、鑑識課員に近づいて行った。そして何かしきりに小声で尋ねていた。篠原はそんな保科を訝しそうに見ていた。大原がその篠原の視線に気づき、

「どうしたんですか? 保科警部をご存じなんですか、篠原さん?」

「いや、そうじゃないんだが。以前どこかで会った気がしただけさ」

 篠原は本当のことを言わずに誤摩化した。

( こいつ、どこで会ったんだ? 俺は一度会った人間を忘れることなんてないんだが )

 篠原は保科をジッと見た。しかし保科は鈍感なのか、その視線に全く気づく様子もなく、現場検証を続けていた。

「全員喉元をザックリ斬り裂かれているな。こりゃ、プロの仕業だぞ」

「プロ?」

 大原はその言葉にピクンとし、保科に近づいた。篠原や美咲も、保科の言葉に注目していた。茜は大原が離れてしまったので、膨れっ面で保科を睨んだ。

「斬り口が一様なんだよ。素人にできる斬り方じゃないね。剣の達人、あるいはどこかの軍隊の特殊部隊で、殺人術を教え込まれたような連中の仕業だな」

「あるいは、忍者とか?」

 篠原が皮肉めいた口調で口を挟んだ。保科はその声に反応して篠原を見た。そして大原に、

「この方は?」

 大原はハッとして、

「ああ、紹介がまだでしたね。この方は自分の知り合いで、防衛省統合幕僚会議情報本部の、篠原さんです」

「情報本部の?」

 保科はギョッとしたようだ。篠原は会釈して、

「初めまして、でよろしかったですかね? 篠原です」

「保科です」

 保科は篠原の言ったことがよくわからないと言う顔で応じた。そして、

「貴方の意見も当たっているかも知れませんね。確かに忍者にならできるでしょう。現代にいれば、の話ですが」

「なるほど」

 篠原は作り笑いをした。保科はトリプルスターが担架に乗せられて運ばれて行くのを横目で見ながら、

「マネージャーだけ助かったっていうのは、何か意味があるのかな?」

 ビルのそばでしゃがみ込んでいたマネージャーが、その声を聞いてギクッとして立ち上がった。

「わ、私は何も知りません。三人が目の前で斬られて、そのまま気を失ってしまっただけで、何も知りませんよ!」

 彼は興奮気味に叫んだ。保科はマネージャーに歩み寄って行き、

「何も知らないとはどういう意味でしょうか? 逆に何か知っている人がどこかにいるということですかね?」

「そ、それは……」

 マネージャーは口籠った。この二人のやり取りに、美咲達も注目していた。

「あの刑事、何を探り出そうとしているんだ?」

 美咲のそばで篠原が呟いた。美咲は篠原を見て、

「篠原さん、あの人を疑っているんですか?」

「いや。そういうわけじゃないが、何か引っ掛かるんだよ」

 篠原がそう答えると、美咲は、

「あの人、トリプルスターが誘拐された時に、工場跡地に来た刑事だと思います。確証はないのですが」

「へェ、そいつは興味深い話だな。警心会と繋がっている可能性があるわけか」

 篠原のその言葉に、大原が答えた。

「それはあり得ませんよ。僕が信頼を置いている警察官の一人です。あの人は警心会とは繋がりはありません。むしろ警心会を嫌悪している人です」

 篠原は大原の大真面目な反論に苦笑いして、

「わかった、わかった。お前がそういうなら、信用するよ」

 肩を竦めた。

「それにしても、どうして彼女達は襲われたんだろうかね。思い当たるフシはありますかね?」

 保科が再びマネージャーに質問を始めた。篠原と大原はその声に応じて保科を見た。美咲はそばに来た茜を気遣いながら、保科とマネージャーの会話に耳を傾けた。

「警心会じゃないでしょうか? 私達は警心会に脅迫されていたんです。その脅迫に応じなかったので、殺されたのではないかと……」

 マネージャーは恐る恐る言葉を吐き出した。しかし保科は眉を吊り上げて、

「それは妙ですね。それだと貴方が助かった理由がわからない」

 保科の指摘にマネージャーはギクッとして彼を見た。

「そ、それは、私には何とも……」

「ま、可能性として考えましょう。今日はもうお引き取りになって結構ですよ。明日、会社の方に伺いますので」

「は、はァ」

 マネージャーは気の抜けたような返事をし、他の刑事の誘導に従ってパトカーの一台に乗り込み、その場を去った。それに続いて、トリプルスターを乗せた大型のワゴン車も走り去った。保科はそれを見届けてから、美咲達の方に近づいて来た。

「お尋ねしたいことがあるのですが」

 彼は美咲の前に来てそう言った。美咲は目を茜から保科に向けて、

「何でしょうか?」

 保科は咳払いをしてから、

「貴女方はあの芸能人達とどういうご関係なんですか?」

「私達の事務所のクライアントでした」

 美咲は名刺を差し出した。保科はそれを受け取って、

「みなづき探偵事務所? かんなづきみさきさんとお読みするのでしょうか? 探偵さんですか」

 もう一度美咲を見た。美咲は小さく頷いた。保科は茜を見て、

「そちらは?」

「如月茜です」

 茜は間髪入れず答えた。彼女はどうも保科のことが嫌いらしい。保科はそんな茜の答え方でそれがわかったのか、苦笑いして、

「そうですか。皆さん月がつくんですね。珍しいですな」

「!」

 美咲はその言葉にビクンとした。茜もキッとして保科を見た。大原は別に反応しなかったが、篠原もさらに疑惑を深めた様子だった。美咲は、

( この人、まさか? )

 さらに考えを巡らせた。そんな美咲達の思惑を知って知らずか、保科は会釈してその場を離れ、鑑識課員達に何か指示した。

「篠原さん、まさかあの人?」

 美咲が小声で言った。篠原は保科の行動を観察しながら、

「だろ? あいつから、四国の臭いがプンプンして来るんだよ」

 大原がそれを聞きつけ、

「えっ? 四国ですか? 保科警部は、長野県出身と聞いていますが」

「ああ、そう」

 篠原は作り笑いをして応じた。


 一方葵は、慣れない手つきで食事の用意をしていた。

「フーッ」

 彼女はあまり汗をかいたりしないのだが、全く普段したことのない料理をして汗まみれになり、ひどく疲れていた。もちろん、脇腹の痛みもあったのだが、それはほとんどなくなっていたので、精神的なダメージのようだ。

「しつけないことはしない方がいいわね。美咲を呼べば良かった」

 葵はキッチンのテーブルにドタッと寄りかかり、イカのようにダランとした。

「おはようこざいます。早いですね。もう食事の用意ができたんですか」

「きゃっ!」

 葵はまさか村田が起きて来るとは思っていなかったので、思わず叫んでしまった。

「ほォ。なかなか和風ですね」

 村田はテーブルに並べられた料理を眺めて言った。そこには、御飯、みそ汁、何だかわからない焼き魚、うまく切れていないお新香、小鉢中ベタベタになった納豆があった。どれもあまり見た目が良くない。葵は真っ赤になって、

「すみません、勝手に材料を使ってしまって。ちょっと失敗しちゃいまして」

 ペコリと頭を下げた。村田は微笑んで、

「いやァ、女性の手料理なんて、何年ぶりかなァ。妻の手料理ももう随分食べていないので」

 席に着き、料理を見渡した。葵はお茶を用意しながら、

「お味の方は保証致しかねますので、ご容赦下さい」

「ハハハ」

 村田は御飯茶碗を持ち、箸で焼き魚の身を取ろうとした。

「あれ?」

 焼き魚の身は中まで真っ黒で、食べられるところはなさそうだ。葵もお茶を出しながらそれに気づき、

「あっ、そっちは私が食べる分でした。代表のはこっちです」

 慌てて皿を取り替えた。村田は葵を見て、

「貴女にはボディーガードを頼んだのに、朝食の用意までしていただいて、恐縮です」

「は、はい」

 葵は全く動じていない村田にホッとしたが、それにしても恥ずかしさでいっぱいだった。

( やらなきゃ良かったかな? )

「私はほとんど弁当かパンで朝食をすませています。今日はたまたま材料があったようですが、男の一人暮らしは長くなると悲惨ですよ」

 村田は焼き魚を食べながら言った。葵は向かいの席に座り、

「そうなんですか。奥様とお子様は、地元にいらっしゃるのですか?」

「ええ。子供が受験でしてね。妻はできれば私に政治家を辞めてほしいらしいんです。離婚も考えたようです」

「はァ」

 あまり重い話になってしまったので、葵は話題を変えた。

「何時にお出かけですか? 少し時間があるようでしたら、ちょっとその、シャワーをお借りしたいのですが」

「大丈夫ですよ。お使いになって下さい。今日はそんなに慌てて出かけなくても間に合います」

「ありがとうございます」

 葵がニッコリして言うと、村田は、

「覗いたりしませんから」

 まるでいたずらっ子のように笑って言った。葵は、昨日のお返しかな、と苦笑いをして、

「覗くほどのもんじゃありませんよ」

 切り返した。その時、彼女の携帯が鳴った。美咲からのメールだった。

( トリプルスターが襲われて死亡? 警心会の仕業かもですって? でも何故殺す必要があったの? )

「どうされました?」

 村田が箸を置いて尋ねた。葵は、

「別件で動きがあったみたいです。それから、ここに来た刑事が私の部下が関わっている事件の現場にも現れたようです」

「あの刑事が?」

 村田も保科に不信感があるようだ。葵は携帯をしまいながら、

「部下が関わっている事件と、あの襲撃犯に繋がりがあるかも知れません。それに、あの保科という刑事、どうも胡散臭いんです」

「ええ。私も妙な印象を受けました」

 村田は同意した。


 美咲と茜は、それぞれのアパートに戻るより事務所に戻った方が早いので、そのままグランドビルワンに向かっていた。篠原も一緒だ。大原は警察に行かなければならないので、後ろ髪を引かれる思いをしながら立ち去った。茜も実際寂しかったようだ。

「篠原さん、お仕事大丈夫なんですか? 皆勤賞なんでしょ?」

 茜が尋ねると、篠原は笑って、

「そんなもん、あるわけないだろ。葵に言った冗談がもう伝わってるのか」

「冗談なんですか?」

「皆勤賞なんて、学校か民間の企業しかないよ。あと役場とか市役所か。俺達のような職場は、皆勤は不可能だからね」

「なーんだ、つまんない」

「ハハハ」

 茜のリアクションに、篠原は笑うしかなかった。その時、茜の携帯が鳴った。大原からだった。

「どうしたの、大原さん?」

 尋ねた茜の顔が、見る見るうちに強ばって行った。篠原もその様子に気づき、茜を見た。美咲は運転に集中しながらも、茜の様子を気にしていた。茜は携帯を畳みながら、

「トリプルスターを搬送中の警察の車が、何者かに襲撃されて、そのまま盗まれてしまったそうです」

「何だって?」

 篠原はかなり驚いていた。美咲も、

「どういうことなの?」

 茜は、

「まだ詳細はわからないらしいです。わかり次第また連絡をくれるそうです」

とだけ答えた。


「お手間を取らせました。申し訳ありません」

 葵はバスルームから出て来て、リヴィングルームでくつろいでいた村田に詫びた。村田は立ち上がって、

「いや、それほど時間は経っていませんよ。水無月さんさえ差し支えなければ、一休みしてから出かけましょう」

「とんでもありません。もう出ましょう。これ以上私のせいで出かけるのが遅くなるのは非常に恐縮ですので」

 葵は慌ててそう言った。村田は微笑んで、

「わかりました。まだ早いですが、出かけましょう」 

 葵は携帯が鳴っているのに気づき、

「美咲?」

 しばらく彼女は話を聞いていたが、

「わかった。とにかく密に連絡を取って。今は、護の指示に従って。頼むわよ」

 携帯を切り、ポケットにしまった。村田が、

「どうしたのですか?」

「別件でまた動きがあったようです。それはそれでうまく動いてくれると思いますので、とにかく出かけましょう」

 葵は玄関に向かった。村田は、

「わかりました」

 葵を追いかけた。


 坂本は改進党本部の自分の部屋で、ソファに座り、考え事をしていた。

「トリプルスター、改進党、進歩党、そして警心会の連中の思惑。おかしい。俺の考えと違うことが起こり始めている」

 彼の額にベットリと脂汗がにじんでいた。

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