第八章 動き出した敵

 葵は携帯を閉じると、バッグに入れた。

「坂本を交えて大丈夫なのですか?」

 村田が玄関に向かう途中尋ねた。葵は頷いて、

「はい。そうした方が、仕事がやりやすくなります。こちらの手の内をさらけ出すと見せかけて、相手の出方を伺うのです」

「なるほど」

 村田は納得して頷いた。

「お早いお帰りでしたね」

 玄関を入ると、ロビーで坂本が出迎えた。彼の言葉は、皮肉のように聞こえた。相変わらず気味の悪い薄笑いを口元に浮かべている。

「ちょうど良かった。坂本さん、一緒に私の部屋に来て下さい。三人で打ち合わせをしたかったのです」

 村田はそんな坂本の言葉をまるで聞いていなかったかのようにそう切り出した。坂本は一瞬キョトンとしたが、

「わかりました」

 エレベーターに向かう村田と葵の後を追うように歩き出した。


 美咲と茜は、トリプルスターとマネージャーに自分達の立てた作戦を説明していた。

「如月が付き人のフリをしてあなた方のリムジンに乗り込みます。そしてその後は警心会の思惑通りに動いて下さい。警心会の関係者が現れたら、私と如月で取り押さえます」

 美咲が話すと、マネージャーが不安そうに、

「でも、警心会は警察OBの団体ですよね。捕えたところで、どうにもならないのではないですか? むしろその後復讐されるのではないかと……」

「御心配なく。私達も警察関係には太いパイプがあります」

 美咲の返答に、マネージャーは嬉しそうな顔になり、

「それじゃあ、ウチの事務所は、あの団体の嫌がらせから解放されるんですね」

「そうです」

 美咲は力強く頷いた。トリプルスターの三人も、ホッとしてお互いの顔を見た。

「では出かけましょうか」

 美咲は立ち上がった。茜が続けて立ち上がった。そして、

「ちょっと待ってて下さいね。付き人風の衣装に着替えて来ますから」

 ニコニコしながらロッカールームに歩いて行った。美咲はそれを見届けてから、

「警心会に勘ぐられないように、あなた方は決して特別な行動はとらないで下さい。私達が警心会の連中を取り押さえるまで、絶対に無茶なことはしないで下さいね」

「もちろんです」

 マネージャーが答えた。トリプルスターの三人は、ただ頷いた。

「こーんな感じでどうでしょうか?」

 茜が黒いツーピースに黒いハイヒール、黒縁眼鏡で現れた。髪も妙な感じのおさげで、昨日田舎から出て来た新卒の社員という雰囲気になっていた。右手に持っている変に派手なハンドバッグも、お人好しな子の演出なのだろうか?

「すごーい! 如月さんて、変装の名人なんですか?」

 鑑が素っ頓狂な声で尋ねた。茜は「名人」という言葉に照れたのか、

「いやァ。そんなことはありませんよォ」

 赤くなって答えた。美咲が、

「では行きましょう」

 一同を促した。


 葵は代表執務室のソファで三者会談の最中だった。坂本は少々怪訝そうな顔で葵を見ていたが、決してそのことを口に出しはしなかった。

「私は新しく雇われた私設秘書という扱いで、代表の警護に当たります。その方が周囲に私の身分を探られずにすみます。それに何より、立場的に目立たない方が良いと考えました」

 葵が説明すると、坂本は無言のまま村田を見た。村田は大きく頷いて、

「了解です。それがいいでしょう。貴女が私の警護に当たっているということは、できるだけ外部の者に知られない方がいいし、党内でもわずかな者達に知らせておくに留めた方が良いでしょう。どうです、坂本さん?」

 逆に坂本に尋ねた。坂本は苦笑いをして、

「代表がそうおっしゃるのなら、そうするべきでしょう。私には何も異存はありません」

「ありがとう」

 村田は坂本の真意を知ってか知らずか、ニッコリと笑って応じた。そして葵に目を転じて、

「では今日はこれで終了ということで。お疲れ様でした」

 すると葵は村田が思いもしなかった返答をした。

「何を言っているのですか。今日から私は代表の警護を仰せつかったのですから、代表と行動を共にします。一緒に参りましょう」

 葵の言葉に面食らったのは、村田だけではなかった。お茶を飲みかけていた坂本が、もう少しで噴き出すところだった。

「あ、いや……」

 村田はどう対処したものか分からない様子で、目を瞬かせていた。葵はソファから立ち上がり、

「代表はマンションに単身赴任されているのですよね? そちらに参りますか?」

 村田の手を取って立ち上がらせた。その上葵は村田と腕を組み、

「それでは坂本さん、失礼致します」

「は、はい」

 全く予想していなかった葵の行動に、坂本は呆気にとられてそれ以上何も言わずに二人を送り出した。

「失礼しました」

 葵はビルから出たところで村田から離れて頭を下げた。村田は照れ笑いをして、

「いや、失礼だなんてとんでもないですよ。私も意表を突かれました。坂本はもっとびっくりしていたでしょうね」

「ありがとうございます。こうした方が、何かと好都合ですので。設定的には、私はもう代表にすっかり魅了されてしまった女という感じです」

「ハハハ」

 葵がおどけてそう言ったので、村田は声を出して笑ってしまった。そして笑い終えると、

「ではここで本当にお疲れ様でした」

「何言ってるんですか? 私は本当に同行しますよ」

 葵はニッコリして村田を見上げた。村田はさすがに仰天して、

「いや、だから水無月さん、私は一人暮らしをしているので、それはいくら何でもまずいです。今日のところはお引き取り下さい」

「私も居酒屋で例の連中の気配を感じなければこんなお話をしていません。とにかく、ご一緒します」

 葵は真剣な顔で言った。村田は頭を掻いて、

「しかし、狙われているのは貴女なのでしょう? 私なら心配いりませんよ。マンションのセキュリティーは万全ですから」

「私達が狙われているのかどうか、まだはっきりとわかったわけではありませんから、そう断定するのは早計ですよ、代表」

「はあ」

 村田は葵の真剣さに押される形で、彼女の同行を許可した。

「奥さんにはきちんと連絡しておいて下さいね。私のことで揉められても困りますので」

「はァ」

 二人はタクシーに乗り込み、村田のマンションに向かった。


 トリプルスターはリムジンの後部座席、茜は助手席。彼女はそれが少々不満だったが、確かに付き人が後部座席はおかしいので、渋々承諾した。

「私は後ろからついて行くわ。茜ちゃん、お願いね」

「はい」

 リムジンがスーッと地下駐車場を出て行く。それに続いて、美咲の運転するミニバンも駐車場を出た。

「茜ちゃん、くれぐれも途中で暴れないでね。連中のアジトまで行かないと、意味がないから」

 美咲と茜はインカムを携帯に装着し、会話していた。

「そんなこと、わかってますよ。美咲さんてば、私をおバカだと思ってます?」

「そうじゃないわよ」

 茜の口を尖らせた顔を想像し、美咲は笑いを噛み殺した。

 まもなく2台の自動車はトリプルスターの所属事務所であるグッドカンパニーがあるビル付近に来た。表通りから一本奥の道なので、あまり幅はなく、夜遅いこともあり、人は歩いていないし、車自体もそれほど走っていない。確かに襲撃・誘拐にはおあつらえ向きの場所のようだ。

「どこにいるのかしら?」

 美咲は赤外線暗視装置付きのゴーグルを着け、付近を眺めた。どうやら警心会の手の者は、ビルの陰に潜んでいるようだ。目で確認できただけで三人ほどいた。

「動き出したわね」

 リムジンがビルの前で停止すると、陰に潜んでいた連中がゆっくりとリムジンに近づいて来た。美咲はゴーグルを外し、車を停止させた。

「やれっ!」

 一人の号令で、全部で五人の襲撃部隊が現れ、リムジンを取り囲んだ。

「来たわね」

 茜は助手席の窓からそいつらを観察していたが、

「さっき言った通り、ここは素直に捕まって下さい。こいつらを取り押さえるのは、アジトに到着してからですから」

「はい」

 マネージャーとトリプルスターは茜の言葉に大きく頷いた。

「降りろっ!」

 乱暴にリムジンのドアが開かれ、茜達は外に引きずり出された。

「きゃっ!」

 茜の叫びは少し芝居かがっていたが、襲撃犯にはそれはわからなかったようだ。五人は後ろ手に手首を縛られ、目隠しをされ、猿ぐつわを噛まされて、襲撃犯が乗って来た大型のワンボックスカーに押し込まれた。茜は何とか体勢を整えようとしたが、無理矢理押し込まれたために、トリプルスターの三人の下敷きになってしまい、動けなくなった。

「ううっ」

 その時、茜は妙な音を聞いた。何かが漏れ出るような音だった。

( 何、今の音? )

 それは睡眠ガスだった。茜はガスを吸わされてぼんやりしていく意識の中で、必死にトリプルスターの面々がとうしているのか確認しようとしたが、ついに睡魔に勝てず、眠ってしまった。しかし全面スモークの車のため、美咲にはその状況がわからなかった。やがてワンボックスカーは走り出した。美咲のミニバンがこれを追いかけた。

「茜ちゃん、茜ちゃん?」

 美咲の呼びかけに茜が反応しない。

「何かあった?」

 美咲はアクセルをより強く踏み込んだ。

「茜ちゃんが返事をしないということは、予期せぬ事が起こったということね」

 美咲は呟いた。

 襲撃犯のワンボックスカーは、工場跡地がある町外れに来た。美咲は距離を取りながら、茜のバッグに忍ばせた発信機の信号を頼りに追跡を続けた。

「ここに入ったようね」

 美咲はいくつかある廃工場の一つの敷地にミニバンを滑り込ませた。犯人達のワンボックスカーは、工場の入り口のそばに停められていた。美咲はミニバンを別棟の小さい建物の陰に隠して、忍び装束( 見た目はレトロっぽいが実はハイテクなバトルスーツ )に着替えてから工場に向かった。

 周囲に気を配りながら、素早い動きで入り口に近づくと、彼女は茜の発信機の信号を小型の携帯用受信機で確認した。

( この建物の中に間違いない。敵もここにいる。あの襲撃犯の他にもいると、ちょっと厄介かも )

 美咲は攻撃のシミュレーションを頭の中でしながらゴーグルを着け、中に入って行った。

「気配がしない」

 入ってすぐの広々とした工作機械がたくさん並んでいるところには、人がいる様子がない。機械はほこりを被り、酸化した油の臭いや、腐りかけたようなグリースの臭いが立ち込めていて、美咲はゾッとした。

( 所長ならパスしそうなひどい臭いね )

 彼女は奥に事務所のような壁で仕切られた小さめの部屋があるのに気づいた。と同時に、その脇に鉄製の階段があるのにも気づいた。階段は随分と錆びているようだが、崩れ落ちてしまうほどではなく、十分人の上り下りに耐え得るようだ。美咲はまず事務所らしき部屋の方に近づいた。

「!」

 壁の一部に窓があり、中が覗けた。その中には、目隠しと猿ぐつわをされた茜が横たわっていた。

「茜ちゃん!」

 美咲は他に人の気配がないのを確認し、中に飛び込んで茜に叫んだ。しかし茜は反応しない。

「茜ちゃん!」

 美咲は茜の身体を揺すった。死んではいない。身体は温かいし、呼吸もしている。どうやら眠っているだけのようだ。美咲は猿ぐつわを外し、目隠しをほどいた。それでも茜は目を覚まさない。

「仕方ないか」

 美咲は深呼吸してから、バシンと茜の頬を叩いた。

「うっ」

 呻いて、ようやく茜は目を覚ました。そして美咲に気づき、

「あっ、美咲さん。ここはどこなんですか?」

「町外れの廃工場の中よ。他の四人は?」

 美咲の問いかけに茜は考え込んでから、

「わからないの。車に押し込まれた途端、睡眠ガスのようなものを吸わされて眠っちゃったんで。トリプルスターの皆さんはいないの?」

「ええ。少なくともこの中にはいないわ。困ったわね」

 美咲の言葉に茜はビクッとして、

「一緒じゃないって、それ、まずいじゃないですか、美咲さん! あいつらの狙いは、トリプルスターを使って、最終的に私達を誘拐犯に仕立てる事なんですよ」

「とにかく、探しましょう、彼女達を」

「はい」

 茜は自分の失態を悔やんでいるようだが、今はそんなことを考えている暇はない。一刻も早くトリプルスターを探し出し、ここを脱出しないといけないのだ。

「上に行ってみましょう。別の部屋があるみたいよ」

「ええ」

 茜はふらつきながらも立ち上がり、バッグの中から忍び装束とゴーグルを取り出して着替えると、美咲に続いた。

「大丈夫、茜ちゃん?」

 フラフラしている茜を気遣って、美咲が立ち止まって振り返った。茜はファイティングポーズをとって、

「大丈夫ですよ。行きましょう、早く」

 美咲を追い越して階段を駆け上がった。美咲は、

「茜ちゃん、不用意に走ったら危ないわよ」

「平気ですよ」

 二人は二階のフロアに辿り着いた。二階と言っても、機械が設置されている部分は吹き抜けになっており、工場の壁沿いに人がすれ違える程度の廊下のようなものがあるのみだ。但し、茜が倒れていた事務所の上には、同程度の広さの部屋があった。

「おかしいわね。この中からは人の気配がしないわ」

「ええ。誰もいないんでしょうか?」

 二人は顔を見合わせてから頷き、せーので中に飛び込んだ。しかしやはり人がいる様子がない。

「この建物にはもう誰もいないみたいですね」

 茜が呟いた時、美咲が、

「いえ。人はいたわ。気配がしなかったのは、あれが原因ね」

 部屋の隅を指差した。茜はそちらに目を向けて、ギョッとした。不自然な格好で倒れた五人の男がいたのだ。どう見ても生きているとは思えない体勢だ。

「殺されたんでしょうか?」

 近づきながら茜が尋ねる。美咲は死体の一つをじっくりと観察してから、

「そのようね。自分で自分の首をねじ曲げて自殺できる人はいないでしょうから」

「これって、とてもまずいですよね」

 茜は美咲を見た。美咲は窓の外に目を向けて、

「シナリオ通りに警察が到着したようよ」

 茜も窓に目を向けた。美咲が、

「茜ちゃん、ゴーグル外して! サーチライトが点けられるわ」

「!」

 二人はゴーグルを目からずらし、強烈なライトのの光に備えた。次々に工場敷地内にパトカーが入って来る。何台来たのかわからないほどだ。

「私達、どんな凶悪犯の設定なんですかね?」

「さあね」

 やがてサーチライトが工場に向けられ、あちこちが照らし出された。

「脱出するわよ」

「はい」

 警官隊が列をなし、工場内に突入して来た。隊は二手に分かれ、一隊は下を、もう一隊は二階を調べ始めた。

「今よ!」

 美咲と茜は、窓を開いて二階から隣の建物に飛んだ。

「美咲さん、ミニバンは?」

 茜はその建物の脇に停まっているミニバンを見て尋ねた。美咲はさらに隣の建物に目を向けて、

「大丈夫。あの子はお利口だから」

「そ、それもそうですね」

 二人は昇り始めた月の明かりに照らされて、次々に建物の屋根を飛びながら、工場跡地から脱出した。

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