第七章 迫り来る影
美咲は茜と共に大原を送り出し、事務所のドアの鍵をかけた時、携帯にメールが入ったのに気づいた。
「所長からだわ」
美咲は着信音でそう判断した。彼女らしく、優雅なクラシックだ。茜には美咲のこの趣味が理解不能。所長には「ダースベイダーのテーマ」がピッタリよ、と思っている。葵が知ったら給料が大変なことになるだろう。
「何て言ってます?」
茜が携帯を覗き込んで尋ねた。美咲は真剣な表情で、
「大変。所長も誰かに尾けられてるみたい」
「えっ?」
茜はギョッとした。美咲は携帯をバッグにしまうとエレベーターに向かって歩き出した。茜がそれを追いかけるように歩く。
「取り敢えず、所長のマンションに行きましょう。後のことはそれからだわ。所長は今夜は村田代表の警護で戻らないらしいけど」
「村田代表って、男の人ですよね?」
ニンマリ顔の茜。美咲は茜を軽蔑の眼差しで見て、
「何を企んでるのよ、茜ちゃん?」
「大丈夫なんですかァ、男と女が二人っきりでェ」
茜はますますニヤニヤして言った。美咲はムッとして、
「所長はそんな人じゃないわよ。それに、仮にそんな雰囲気になっても、所長を尾行している誰かさんが、それを許さないでしょうね」
「誰かさんて誰ですか?」
茜はキョトンとして尋ねた。美咲は真顔になって、
「茜ちゃんも噂くらい聞いたことがあるでしょ? 四国のこと」
さすがに茜もその言葉にはビクッとした。
「そ、それって、まさか……?」
「私達とご同業の皆さんが動いているらしいのよ。里からのメールはそれだったみたい」
美咲はいたって冷静に淡々と話をしているが、それを聞いている茜はとても慌てていた。
「もしそいつらが尾行者なら、とんでもなく危険じゃないですか、私達は!」
「そうね」
美咲は相変わらず冷静そのものだ。茜はたまりかねて、
「大丈夫なんですか?」
美咲は茜を見ずに前を向いたままで、
「今のところはね。さっき襲撃犯を連行する大原さん達を送り出した時、何も気配を感じなかったから、今はこの辺りにはいないわ。所長のところにいるのかもね」
「あーっ、良かった」
茜は心の底からそう思っているようなトーンで言った。美咲は呆れ顔で茜を見て、
「酷いこと言うわね。自分が安全なら、所長はどうなってもいいの?」
「ち、違いますよ。所長はデタラメに強いですから、どんな奴が来ようと、大丈夫でしょ? 篠原さんに言わせると、アメリカ軍でも勝てないらしいですから」
茜は、私はそんなつもりで言ったのではないということを強調したいのか、必死になって弁明した。しかし美咲は、
「確かに所長なら、アメリカ軍には勝てるでしょうけど、四国の同業者はそうはいかないの」
「えっ?」
美咲の意外な返答に、茜は美咲を見た。美咲は前を見て、
「四国の同業者とは、千年以上も昔から勢力争いをしていたのよ。彼らは、江戸時代に入ると、急になりを潜めて、四国の山奥に籠ってしまったの。以来四百年以上も何も起こさなかったのに、どうして今になって動き出したのか、所長も篠原さんも不思議に思っているらしいわ」
「忍びのことを一番良く知っているのは忍び。同業者だからこそ、油断がならないんですよね」
茜は真顔になって応じた。美咲は黙って頷いた。
葵は村田と共に居酒屋を後にし、タクシーで党の車を降りたところまで戻った。
「さっきの話なんですが」
村田が切り出した。葵はわざと気づかないフリをして、
「何でしょう?」
村田は苦笑いして、
「教えたくないのはわかりますが、貴女は明らかに何かを警戒していました。一体何があったんです?」
葵はそれでもとぼけて、
「何のことですか? ああ、私がキョロキョロしていたことですか?」
「そうです」
村田は真顔で言った。葵はこのままとぼけた方がいいのか考えたが、
「タクシーを降りてからお話します」
村田は葵のその警戒ぶりに気づき、ビクッとしたが、
「わかりました」
と応じた。
やがて二人はタクシーを降りた。葵は村田に付き従うようにして歩いた。そして、
「先程お話した四国の連中が、居酒屋の中にいたようなのです。確実にそうとは断言できないのですが」
「そうですか」
村田は緊張した面持ちで答えた。そして携帯電話を取り出し、
「私です。さっき降りた場所まで来て下さい。党本部に戻ります」
と告げた。
「狙われているのは、むしろ貴女ではないですか、水無月さん?」
村田の推測に葵は小さく頷き、
「恐らくそうでしょう。私の部下のところに現れた者と、さっき居酒屋に現れた者が同一人物かは断定できませんが、どちらも私達を狙っていたのでしょうね。大きなカラクリが見えて来たような気がします」
「カラクリ?」
村田が鸚鵡返しに尋ねた。葵は村田を見上げて、
「随分と回りくどいやり方ですが、警心会も、坂本秘書も、元を辿れば、同じ黒幕がいるのではないかと考えています」
「同じ黒幕? 一体誰です?」
村田が問いかけた時、党の車が到着した。
「その答えは、この一件が解決してから、お話します。今は連中を全員おびき出すことが先決です」
葵は小声で村田に告げた。村田は小さく頷き、
「わかりました」
後部座席のドアを開いて葵を先に乗せた。
「出して下さい」
村田の指示に運転手は無言で頷き、車をスタートさせた。
( 私の勘が当たっていれば、この一件、全部繋がるはず。そして黒幕はあの男しか考えられないわ )
葵はジッと窓の外を見たままで思索に耽った。村田はそんな葵の様子に気づき、話しかけては来なかった。
美咲と茜は地下駐車場に到着し、ミニバンに乗り込んだ。
「所長のマンション、先回りされていませんか?」
茜が不安そうに呟いた。美咲はエンジンをかけながら、
「その可能性は否定できないけど、ここにいても安全というわけじゃないわよ」
「それはそうですけど……」
茜は同意しながらも、まだ何か不満があるようだ。美咲はミニバンをスタートさせて、
「どこが安全ということなら、この車の中が一番安全かもね」
「そ、そうですね」
茜は周りを見渡して言った。確かに、ハイテク満載のこのミニバンなら、ミサイルでも射って来られない限り、まず大丈夫だろう。
「きゃっ!」
出入口に差しかかった時、きわどい距離を強引に入って来たリムジンに出くわし、美咲は思わず叫んで急停止してしまった。茜がケラケラ笑いながら、
「そんな声出したって、ここには
「茜ちゃん!」
美咲はムッとして茜を睨んだが、しばらく走って停止したリムジンを見て、
「あの車、何かしら? 凄いスピードで入って来たけど」
「ちょっと文句言って来ますよ」
茜は美咲が止める間もなくリムジンに向かっていた。茜はリムジンに近づきながら、ナンバーを確認して仰天した。
「こ、このナンバーは!」
彼女は立ち止まって何故か震え出した。美咲は茜の異変に気づいて、
「どうしたの、茜ちゃん?」
ウィンドウを開いて尋ねた。茜は美咲の方に振り返って、
「こ、この車!」
叫んだきり、何も言わない。美咲は妙に思ってミニバンを通路の端に寄せて停め、運転席から降りた。
「あっ!」
その時美咲も、どうして茜が何も言えなくなってしまったのか理解した。そこには三人の若い女性が立っていた。一人は切れ長の眼に長い髪をゆったりとした巻き毛にした女性、もう一人はショートカットの髪を真っ赤に染めている、円らな瞳の女性、そして最後の一人は、ツインテールの髪に、クリッとした眼の女性。芸能界に疎い美咲でも、彼女達のことは知っている。リムジンから降りて来たのは、茜が「会えたら死んでもいい」とまで言っているトリプルスターの三人だったのである。ただ三人は上下紺のジャージという出立ちなので、テレビや雑誌で見るような華やかさはない。
「すみません、危ない運転で。急いでいたもので、つい」
運転席から、ボサボサの髪をしてシワクシャのスーツを着た、マネージャーと思しき男が降りて来て茜に詫びた。茜はニッコリ笑ったまま凍りついたように動かない。美咲はその様子に気づいて歩を進めながら、
「どうされたのですか? 確か、トリプルスターのお三人ですよね?」
マネージャーも美咲に顔を向けて、
「実はこのビルに探偵事務所があると知りまして、相談に来たのですが、ご存じですか?」
「えっ?」
美咲はそんなことを聞かれるとは夢にも思っていなかったので、虚を突かれたように目を見開いた。マネージャーはそれに気づいたのか、
「どうされました? 何かご存じなのですか?」
「あ、その、私達、その事務所の者なんです」
今度はマネージャーとトリプルスターの三人がびっくりして顔を見合わせた。
「そ、それはまたタイミングが良かったみたいですね。危うく誰もいない事務所に行ってしまうところだったんですか」
マネージャーがホッとしたように言った。するとやっと凍結から解放されたのか、
「ようこそいらっしゃいました! さ、事務所は五階です。ご案内致します!」
妙にハイテンションの茜が会話に入って来た。美咲は慌てて、
「ちょっと、茜ちゃん!」
茜を呼び止めた。茜はムッとして美咲を睨み、
「何ですか、美咲さん?」
「今はそんなことしている場合じゃないわよ。申し訳ないけど、どんな依頼も今は受けている余裕はないわ」
美咲は小声で茜に忠告した。茜は不満そうな顔をして、
「それはわかってますけど……」
そんな二人の会話を察したのか、マネージャーが、
「申し訳ありません、お取り込み中だったようですね。明日、出直します」
トリプルスターの三人をリムジンに戻らせて帰ろうとした。すると三人の中のツインテールの女性が身震いして、
「でも、警心会は待ってくれないわよ、マネージャー」
呟いたのを美咲と茜は聞き逃さなかった。二人は異口同音に、
「警心会ですって?」
と叫んだ。
葵は改進党のビルの前で車から降りたところだった。
( 美咲からだ )
葵は携帯を開いてメールの内容を見た。
( トリプルスターの事務所が警心会に脅迫されている? )
「どうしました?」
車が車庫に走り去っても、車寄せに立ったままで携帯を見ている葵に気づき、村田は歩きかけたのをやめた。葵はハッとして携帯をしまい、
「あっ、いえ、別の案件で連絡があったので。申し訳ありません」
村田に近づきかけた時だった。
「!」
葵はまた背後にあの視線を感じた。
( また? )
彼女は周囲に神経を集中した。しかし、その視線は再び消え、どこからもその気配は感じなくなった。
( 消えた。何が目的なの? )
葵は今は村田代表の警護に集中しようと考え、その思いを断ち切った。
「取り敢えず、中に入りましょう。坂本さんも交えて、ご相談したいことがあります」
「えっ? 坂本もですか?」
葵の思わぬ提案に、村田は唖然とした。しかし葵は、
「はい、そうです」
ニッコリして応えた。
美咲と茜は警心会が絡んでいると知り、トリプルスター一行と共に事務所に戻った。
「一体どういうことなのですか?」
美咲はソファに腰を下ろしながら尋ねた。トリプルスターの三人はソファの後ろに立ち、マネージャーだけが美咲と向かい合って座った。そして、
「実は、ウチのタレントのスキャンダルをもみ消してもらったことがありまして、そのことをネタに脅迫して来たんです」
「脅迫の内容はどんなものですか?」
美咲が身を乗り出して尋ねると、マネージャーは口籠ってしまった。
「どうしたんですか?」
美咲は不思議に思って言葉を促そうと問いかけた。マネージャーは美咲を上目遣いに見て、
「それが、貴女達の事務所を陥れるために協力しろと言って来たんです」
「ええっ?」
美咲と、そして飲み物をトレイに載せて給湯室から戻って来た茜が同時に叫んだ。
「それは一体?」
美咲は口籠るマネージャーにではなく、地下駐車場でマネージャーに小声で訴えたツインテールの子に眼を向けた。その子は美咲を見てから残りの二人を見て、
「どうすればいい?」
すると切れ長の眼の子が、
「全部話しましょう。この人達は、信用できるわ」
トリプルスターは息の合った三姉妹のグループである。多分この子が長女の薫ね、と美咲は思った。そしてツインテールの子が三女の
「心配なさらないで下さい。私達は日本一強い探偵事務所のメンバーです。誰が相手でも負けはしません」
茜がオレンジジュースの入ったグラスをテーブルに置きながら言った。鑑がそれを見て、
「あっ、それは!」
嬉しそうに言った。茜もニッコリして、
「お三人の大好物の天然果汁100%のオレンジジュースですよ」
「いっただきまーす!」
言葉と同時に鑑は素早くグラスを手に取った。すると薫が、
「こらっ! はしたないマネしないで!」
その行動をたしなめた。鑑は剥れて、
「いいじゃない、どうぞって言われたんだからァ」
「鑑!」
次女の篝も鑑を睨んだ。鑑は肩を竦めて、
「わかったわよ、うるさいなァ」
「何、その言い草は?」
篝が鑑に掴みかかった。薫は、
「いい加減にしなさい、二人共。ここは私達の家じゃないのよ。少しはわきまえなさい」
篝と鑑は途端におとなしくなってしまった。薫の声に美咲はすっかり驚き、薫を見つめてしまった。茜は別反応で、まるで自分が葵に怒鳴られている錯覚を起こしたのか、ギクッとした様子で薫を見た。薫は美咲に見られていたことに気づいて顔を赤らめ、
「お恥ずかしいところをお見せしました。私達、テレビで顔が随分知られるようになってはいますが、まだ鑑は十六歳、篝も十八歳、私にしてもまだ二十二歳です。どうか大目に見て下さい」
頭を下げた。美咲はその薫の言葉に感心していた。
( さすが長女ね。私より年下なのに、私よりずっと大人びているわ )
美咲は促すように薫に頷いた。薫もそれに応えて頷き、
「警心会は私達を利用して、貴女方を誘拐事件の犯人に仕立て上げようとしていたのです」
「誘拐事件?」
美咲が鸚鵡返しに尋ねた。薫は続けた。
「私達が事務所を訪れ、貴女方に警護の依頼をします。そしてその後、私達のプロダクションのあるビルまで同行してもらい、その途中で私達を警心会の連中が誘拐します」
美咲は隣に腰を下ろした茜と共に真剣に聞き入っている。
「貴女方は私達を連れ去った車を追いかけて、ある場所で追いつきます。そして追いつめた建物の一室で私達を発見しますが、そこへ警察が現れ、貴女方を犯人として逮捕する、という筋書きでした」
薫が言うと、茜が呆れ顔で、
「そんなの、三流週刊誌の三文小説にも書かれないような、ベッタベタな内容ですね。警心会って、あんまり頭よくないのかな?」
美咲を見た。美咲はマネージャーを見て、
「今の話、警心会からはどのようにして伝えられたのですか?」
マネージャーはハッと我に返って、
「ああ、その、警心会の事務所に社長と私が呼ばれまして、警心会の幹部二人から直接話をされました」
「ということは、文書とかは残っていないのですね?」
法律家らしい美咲の顔が覘いた。マネージャーは首を横に振り、
「何ももらっていません。何度も同じ話を聞かされ、復唱させられました。一言一句間違えずに言えるまで、反復させられて」
身震いしながら話した。美咲は考え込むように顎に手を当て、
「脅迫の証拠がありませんね。そんな話はしていないと言われれば、どうすることもできません」
「警心会の幹部は、そのことを言っていました。警察OBはその点抜かりはないのだと」
マネージャーの言葉に、美咲は胸が悪くなる思いだった。元警察官が口にする台詞ではない。
「でも、警心会は皆さんが間違いなく私達を陥れるために協力する担保をとっているのでしょうか? 先程のスキャンダルもみ消しがそうですか?」
美咲がそう尋ねると、マネージャーは俯いて、
「そうです。それが明るみに出れば、ウチの会社はおしまいです。そのくらい大きなスキャンダルなんです」
どんなことなのだろうと思ったが、マネージャーの様子から、どうあっても話してくれそうにないと感じた美咲は、質問を変えた。
「警心会とは、何がきっかけで関わりを持つようになったのですか?」
美咲の問いかけにマネージャーは顔を上げて彼女を見た。マネージャーは辺りをはばかるような小声で、
「そのスキャンダルをどこかで掴んで、近づいて来ました。始めのうちは親切な感じでしたが、やがて高額な警備システムを売りつけたり、関係のある警備会社にガードマンを頼むように強制されたりと、段々金品を搾り取り始めました。そしてとうとう、犯罪の手助けまで強要して来たんです」
茜はムッとした顔で、
「美咲さん、そういう奴はぶっちめてやりましょうよ。警察の権力を、完全に悪用してますよ、あいつら!」
大声で言った。美咲は考え込んでいたが、
「警心会は一体どこで待ち伏せすることになっているのですか?」
マネージャーに尋ねた。マネージャーはハッとして、
「ウチの事務所のあるビルの前です。そこに潜んでいると言っていました」
「これからそこに行くと、警心会の人達がいるわけですか?」
「はい。もう準備している頃です」
マネージャーは腕時計に眼を落として答えた。美咲は、
「一度所長に確認を取りますので、少しだけ時間を下さい」
携帯で葵にメールを送信した。そして、
「もう一つお尋ねします」
「はい」
マネージャーとトリプルスターの三人は一斉に美咲を見た。茜も美咲を見ている。
「改進党の坂本という方をご存じですか?」
「坂本?」
四人の訪問者は異口同音に言った。どうやら知らないらしい。美咲は頷いて、
「わかりました。今の質問はお気になさらないで下さい」
葵からの返信メールを見た。葵の返答は、
「罠でも構わないから、細心の注意を払って乗ってあげなさい」
というものであった。
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