第五章 防衛省統合幕僚会議情報本部の男其の弐
辺りが夕焼けに包まれ始めた頃、葵は、指定された場所に着いた。
「何よ、ここ?」
彼女が見上げたのは、明らかにある一定の目的がある男女のみが利用するホテルであった。妙にきらびやかなネオンが瞬いている。
「普通の場所かと思ったら!」
葵は呆れ果ててクルリと踵を返すと、スタスタと元来た道を歩き始めた。すると、そのすぐそばの車道に停車していた白のワゴン車から男が顔を出して、
「ここだ、葵」
その男は角刈りの厳つい身体で、黒系のスーツを着ていた。知らない人にはそちらの筋の方に見えるかも知れない。
「護! 何よ、嘘の場所を教えて!」
葵はプリプリしながら男に近づいた。彼の名は篠原護。防衛省の情報本部に籍を置く男だ。葵とは幼馴染みで、彼は葵のことを恋人として接しているようだが、葵は表立ってはそれを嫌がっている。
「嘘なんか言ってないぞ。ホテルの前で待ってるって言ったんだよ。お前が聞き間違ったんだよ。いつもいつもそういうことばかり考えてるからさ」
篠原はヘラヘラ笑いながら言ってのけた。葵は赤くなって、
「そういうことってどういうことよ! あんたこそいつも考えているんじゃないの?」
反論した。篠原は真顔で、
「いや、俺はいつも考えてはいない。お前と会った時だけさ」
「ふざけてるのなら、私帰るわよ」
葵は仁王立ちで言った。篠原は苦笑いして、
「悪かったよ。とにかく乗ってくれ。話は移動しながらする」
「わかったわ」
葵はワゴン車の助手席に乗り込み、篠原はエンジンをかけ、車をスタートさせた。
「四国に動きがあったって、本当?」
葵は正面を見たままで尋ねた。篠原も正面を向いたまま、
「ああ。たまたま仕事で香川に行っていてな。そこにいる連中から聞いた。そのうち里からもお前のところに連絡があるだろう」
「そう。美咲が感じたのは、まさかそいつらの……」
「美咲ちゃんがどうかしたのか?」
篠原はハンドルを切りながら尋ねた。葵は彼の横顔を見て、
「実はね……」
経緯を話した。
大原は、茜から何回も着信があったことを知り、顔面蒼白で電話中だった。
「本当にごめん、茜ちゃん。会議中でどうしても携帯に出られなかったんだ」
大原は電話の向こうの茜に、見えるはずもないのに必死で頭を下げていた。しかし茜は陽気な声で、
「いいのよ、大原さん。仕方ないわ。それよりすぐに事務所に来て。大変なお土産が届いたの」
「お土産? どこから?」
大原は何のことかわからず、真顔で尋ねた。すると茜のクスクス笑う声が聞こえて、
「警心会からよ」
「警心会から?」
大原は仰天した。そして、
「何が送られて来たの? 爆弾? カミソリ? それとも、猫の死体?」
「そんなんじゃないわよ。間抜けな脅迫者が三人」
「えっ?」
大原はますますわけがわからなくなった。彼はしばらく考えてから、ようやく、
「わかったよ。これからすぐ行く。詳しい話は、そちらに着いてから聞かせてくれるかな?」
「オッケー!」
終始ご機嫌な茜に、大原は少々面食らっていた。
「どうして茜ちゃんは、あんなに嬉しそうだったんだろう?」
いくら考えてもわからない大原であった。
茜はニコニコしながら携帯を切り、制服のポケットに入れた。美咲はそれをクスクス笑って見ていた。茜は美咲の様子に気づき、
「何ですか、美咲さん、ニヤニヤして。気持ち悪いな」
「ニヤニヤなんかしていないわよ。茜ちゃんこそ、随分嬉しそうじゃない?」
美咲の突っ込みに茜はギョッとして汗をかき、
「そんなことないですよ。別に普通ですよ」
「そうかなァ」
美咲は微笑んだままでパソコンに目を落とした。そして、
「所長に里からメールが届いてるわ」
「里から? 早く篠原さんと結婚しろって言って来てるんですか?」
茜は興味深そうにディスプレイを覗き込んだ。しかし美咲は、
「所長への個人的なメールだから、このまま所長の携帯に転送するのよ。見たりしないでね」
すると茜は苦笑いして、
「見ないですよ。後でバレたら、どんなこと言われるかわかりませんからね」
肩を竦めた。美咲はメールの転送をすませると、気を失っている三人の男に目を転じた。
「あまり時間がかかると、警心会の方で不審に思って、別の動きを始めるかも知れないわね。大原さんは、何時頃来るの?」
茜はウーンと思い出しながら、
「すぐ来るとは言ってましたけど。警察庁にいたのなら、そんなに早くは来られませんよね」
「そうよね」
二人が顔を見合わせた時、ドアフォンが鳴った。
「えっ?」
茜はまさかと思ったが、
「大原さんですかね?」
美咲に尋ねた。美咲は監視カメラの映像を呼び出した。何とそこにはさっきまで茜と携帯で話していたはずの大原が映っていた。
「ええっ!?」
二人は再び顔を見合わせた。茜が、
「本物かしら? いくら何でも早過ぎるわ」
美咲は映像を拡大して、
「でも偽者とは思えないわ。顔の特徴を今データと照合してみたけど、本人に間違いないみたいよ」
「ホントですか? 一体どうやってこんなに早く来られたんだろう?」
茜は首を傾げながらドアに近づき、開いた。
「ごめん、茜ちゃん、遅くなって!」
大原は挨拶もそこそこに手を合わせて入って来た。茜はキョトンとして、
「そんなことより、どうやってここまで来たんですか? 車でもこんな短時間で来られませんよ?」
すると大原は苦笑いして、
「実は着信に気づいてすぐにここに向かったんだ。さっき電話したのは、地下の駐車場からなんだよ」
「何だ、びっくりさせないでよ、大原さん」
茜は満面の笑みで言った。大原は茜がご機嫌なのにホッとしたのか、ニコッとして、
「こいつらだね、お土産って?」
「ええ。どうしたものかと思いまして」
美咲も席を立って大原のそばに来た。大原は三人の目隠しを外し、顔をジッと見た。
「こいつら、どこかで見たことあると思ったら、警察庁の犯罪者リストに載っていたんだ。三人共、相当な数の犯罪歴の持ち主だよ」
「そうなんですか」
茜はニコニコしながら大原を見ている。大原はそんな茜の様子に気がつかないのか、
「ところが最近、こいつらを始め、何人もの犯罪者が行方不明になっているんだ。殺されたとか、拉致されたとかの類いではないということだったけど、その連中のうちの何人かが警心会絡みで動いているとすると、行方不明は偽装で、警心会が連中を利用するためにどこかに匿っているのかも知れないな」
真剣な表情で話した。茜はそれでも大原と話せるのが嬉しいのか、大きく頷いて応じていた。
「警察関係の情報屋に聞いてみましょう。何かわかるかも知れません」
美咲が言った。大原はびっくりして彼女に目を向け、
「えっ? そんなルートも持っているんですか? 水無月探偵事務所はすごいなァ」
美咲は微笑んで、
「警察庁のような機動力はありませんが、大きな組織では探れない部分が、私達の得意分野ですから」
「なるほど」
美咲と大原が楽しそうに話しているので、茜は二人の間に割って入り、
「大原さん、こいつらどうします? ここにずっとおいておくわけにいかないでしょ?」
強引に話を変えてしまった。大原は茜が何を怒っているのか不思議だったが、
「そうだね。どの所轄署も警心会の影響下だから、警察に引き渡すわけにはいかないし」
大原にも妙案はないらしい。三人は顔を見合わせて、思案した。
「なるほど。そいつは根が深いな。ヘタをすると、警察組織全体を敵に回すぞ」
篠原は葵の話を聞き終わり、感想を述べた。葵も頷いて、
「そうなんだけど。もし、四国が警心会と繋がっているのだとすると、かなり厄介なことになるわね。利権に目が眩んだ警察OBなんか何人かかって来ようが大した問題じゃないけど、四国の連中が関わっているとなると、そんな簡単にはいかなくなるわ」
篠原はハンドルとシフトレバーを操作しながら、
「只俺は四国は警心会とは関わっていないと思う」
「どうして?」
葵は篠原の顔を見た。篠原はチラッと葵を見て、
「根拠はないが、連中はそんな簡単によそ者と繋がりを持ったりしないはず。世間との接触を嫌って、四国の山奥にこもっていたんだからな」
葵は正面を見て腕組みをし、
「だからこそ、どうして今になって動き出したのか、わからないのよ。何か理由というか、きっかけがあったはず」
「そうだな」
その時葵の携帯にメールが届いた。
「事務所からの転送メールね」
「里からじゃないか?」
「たぶん」
葵はメールを開き、内容に目を通した。
「里からだったわ。父も四国の動きを把握しているみたい。目的が不明なため、全国にいる一族に連絡を取っているらしいわ」
「そりゃまた、大袈裟だな。あいつらにそれほどの力があるのか?」
篠原が疑問を呈すると、葵は再び篠原を見て、
「そこよ。どこかの誰かと、繋がりを持ってそれをきっかけにして動き出したんじゃないかな?」
「どこかの誰かって、誰?」
篠原が意地悪そうな言い方で尋ねた。葵は顔を背けて、
「それは……」
篠原はフッと笑って、
「警戒するに越したことはないが、大山鳴動してねずみ一匹ってことになるかもな」
「それならそれでいいわ。あの一族は、昔は私達の先祖と拮抗した勢力だったのだから、あまり見くびらない方がいいと思う」
葵はいつになく慎重だった。彼女は小さい頃からその四国にいる一族に関して、父、祖父、曾祖父にこんこんと話を聞かされている。身体にしみついているのだ。その一族に関して、決して気を緩めてはならないという教えが。
「まァ、お前の親父さんのことだから、何か理由があるんだろうけどな」
篠原は車を停止させながら言った。そして、
「着いたぞ」
外を見た。葵も車のすぐ横に建っているビルを見上げた。「改進党」という大きな看板が屋上に建てられていた。
「ありがとう。また連絡するわ」
葵はバッグを手に持ってワゴン車を降りた。すると篠原が、
「一つ情報を提供するよ。改進党党首の村田は、酷く女癖が悪いそうだ」
「あんたより?」
葵は皮肉を込めて尋ねた。篠原は苦笑いして、
「俺は女癖は悪くないよ」
「あっ、そうか、あんたは手癖が悪いのよね」
葵がニマッとして言った。篠原はムッとして、
「それ、ちょっと
「噂なんでしょ?」
葵は全然信用していないようだ。篠原は肩を竦めて、
「そりゃそうだけどさ。事務局の女の子が何人もホテルに誘われて退職しているって話だ。もちろん、進歩党が流しているデマの可能性もある」
葵は背を向けて歩き出した。篠原はその背に向かって、
「俺はお前のことが心配だから言ってるんだぞ! 少しは真面目に聞けよ」
「はいはい」
葵は振り返りもせず、建物の中に入って行ってしまった。篠原は溜息を吐いて、
「まァ、葵にはそんな心配は無用か」
車をスタートさせた。
葵は玄関を入ったロビーの奥に、不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている坂本に気づいた。
「時間に正確ですね、水無月さん。お待ちしていました」
「時間厳守が当事務所のモットーですから」
葵は愛想笑いをして答えた。坂本はニヤリとして、
「では代表のところにご案内します。どうぞ」
エレベーターへと歩き出した。周囲を歩いている党職員達は、全員坂本に怯えているように見えた。
「あっ」
エレベーターホールの前に着くと、そこに立っていた職員全員が坂本に気づき、サッと身を退けた。
( 何よ、これ? 主席秘書がここまで職員に恐れられてるなんて。いえ、警戒されているのかしら? )
葵は職員達の過敏なまでの反応に少々戸惑っていた。しかし当の坂本は全くそんな周囲の様子を気に留めていないのか、何の関心も示さずにエレベーターのボタンを押した。
( 職員も職員なら、こいつもこいつだわね )
葵は坂本がすでに職員達の反応に慣れているのに呆れてしまった。
「あっ!」
エレベーターの扉が開いた。中にいた職員達が、坂本が乗ろうとしているのに気づき、慌ててエレベーターを降りた。坂本は葵を見てニッと笑い、
「さっ、どうぞ」
扉を止めながら言った。
「どうも」
葵は会釈してエレベーターに乗り込んだ。振り返ると、職員達が並んでこちらを見ているのが視界に入った。彼らは、葵が何者なのか知らないようだ。酷く不思議そうな目で見ているのがわかった。坂本が丁重に接しているので、どういう存在の女性なのか、量りかねているのだろう。彼らは扉が閉まり切る寸前に、エレベーターの前から離れて行った。
「随分と職員の皆さんは無口な方達なんですね」
葵が皮肉を込めて言うと、坂本はニヤリとして、
「申し訳ありませんね。外部の人間がほとんど来ないので、挨拶もロクにできない連中でして」
「そうなんですか」
あんたにビビって硬直していたんじゃないの、と葵は思った。
ほどなくしてエレベーターは五階に到着した。
「こちらです」
坂本は先にエレベーターを降り、廊下を足早に移動した。葵はショルダーバッグを肩にかけ直し、坂本に続いた。坂本は「代表執務室」というプレートが据え付けられたドアの前に来ると、そのドアをノックした。
「どうぞ」
中から村田代表の声が答えた。坂本はドアを開き中に入って行った。そして、
「探偵の水無月葵様がいらっしゃいました」
葵を見た。葵は頷いて執務室に入り、
「水無月探偵事務所の代表の水無月葵です」
村田は皮張りの椅子から立ち上がり、
「改進党代表の村田です。こんな時間に申し訳ありません。どうぞお掛け下さい」
ソファを指し示した。葵は坂本に会釈して前に進み、ソファに腰を下ろした。村田は向かいに腰を下ろした。
「それでは私は自室に戻っております」
坂本はさっさと執務室を出て行ってしまった。村田は
「わかりました。ご苦労様」
答えただけで、引き止めることはなかった。葵はほんの少しだけ不安になった。
( ゲッ……。もう行っちゃうの? 二人っきりにされちゃった……)
篠原の言葉を信じたわけではないが、あんなことを言われるとさすがに二人になるのはちょっと気まずい。
「取り敢えず、今後の警護のことについて段取りを決めたいと思うのですが」
葵は探るように切り出した。村田はニッコリして、
「わかりました。私のスケジュールを確認して下さい」
スーツの内ポケットから手帳を取り出して、葵に渡した。
「!」
それには小さい字で、
「盗聴の恐れあり。もう少ししたらここを出ます。私に話を合わせて下さい」
書かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます