第二章 警心会

 そのビルは、警視庁と警察庁のビルを見渡せるお堀の近くにある。地上十階、地下二階、屋上にはヘリポートまである、巨大なビルである。そのビルこそ、葵達が話していた「警心会」が所有するビルだ。

「村田代表には、キチンと届いているのですか、声明文は」

 十階の一室、警心会の総帥室の中で、ソファに腰を下ろして話している男二人。一人は羽織袴姿で、真っ白な総髪。もう一人はチャコールグレーのスリーピース姿で前髪とモミアゲが白くなっている。年齢の割には目つきが鋭いのは、警察OBの特徴であろうか。

「それはもちろん。連中、代議士の岩戸を通じて、私立探偵を雇ったようです」

 スリーピースの男が言うと、袴の男が、

「私立探偵? 何のために?」

「今回の件、警察に連絡しても、取り合ってもらえないことがわかっているからでしょう。しかしよりによって岩戸に頼るとは、野党第一党の名が泣きますな」

「全くです」

 袴の男はソファから立ち上がり、「総帥」のプレートが立てられた机の、回転椅子に身を沈めた。

「もう少しきつい警告を与えないと、我らの警告が理解できないようですね」

スリーピースの男が言った。袴の男はスリーピースの男を見て、

「暴力はいけませんよ。我らは仮にも元警察官なのですから」

「もちろんです。暴力は使いません。私達は、元警察官なのですからね。私達は、暴力は使いませんよ」

スリーピースの男はニヤリとして言った。袴の男もフッと笑い、

「そうですか」

 スリーピースの男は立ち上がって、

「どんな理由で選ばれたのか知りませんが、その私立探偵の事務所は女しかいないようです。連中も働きがいがないでしょうが、ま、美人揃いの事務所らしいので、それで我慢してもらいましょう」

 バカにしたような口調で言った。袴の男もニヤニヤ笑いながら、

「女しかいない探偵事務所ですか? それはまた、物騒ですね。強盗でも入ったら大変ですよ。我が会の下部組織である防犯連合協会に、警報器の斡旋でもしてもらいましょうか」

 しかし、二人は数時間と経たないうちに笑っていられなくなるのだ。それはどうしてなのかは、お楽しみということで。


 茜は大原と共に葵の事務所に戻ると、葵、美咲を交えて、警心会のことについて話した。

「もし本当に警心会がその脅迫の黒幕だとすると、かなり厄介ですよ。何しろ、その手の問題を解決してくれるはずの警察が、全く当てにならないのですから」

 大原は茜と並んでソファに腰を下ろしながら言った。葵も自分の席から立ち上がって向かいのソファに座り、

「そうね。でもそれくらいなら、私らは何も困ったりしないから、心配いらないわよ、大原君」

「いえ、もっと厄介なことがあります。連中、裏で暴力団、それも全国レベルの団体と繋がっているという噂もあります。つまり、合法的な活動は自分達で、非合法な活動はそいつらに任せるという、役割分担をしているらしいんです」

 大原は真剣な顔で葵に話した。葵は肩を竦めて、

「暴力団が怖くて、探偵事務所なんかやってられないわよ」

「しかしですね……」

 大原は不安そうに茜を見てから葵を見た。彼は茜の身に何かあったらと心配しているようだ。すると美咲が、

「大原さん、例えば、警心会と繋がりがありそうな暴力団はどこと考えられているのですか?」

 大原はハッとして美咲を見た。そして、

「そうですね。主だった広域暴力団はほとんど該当すると思われますから……」

 あごに手を当てて考え込んだ。美咲はマウスをクリックしていたがやがて、

「当事務所に誓約書を提出している広域暴力団は、全部で十団体あります。その他、東京近郊の中堅クラスの暴力団も数多く誓約書を出しています」

「はっ? 誓約書、ですか?」

 大原は何のことかわからなかった。茜が、

「大原さん、水無月探偵事務所を舐めてもらっちゃ困りますよ。日本の暴力団で、ウチと喧嘩しようなんて勇気のあるところ、一つもありませんよ」

 得意そうに話した。大原は唖然として葵を見た。

「じゃ、じゃあ、誓約書っていうのは?」

「もちろん、水無月探偵事務所に忠誠を誓いますっていう誓約書よ。実物見てみる?」

 葵もニコニコしながら得意そうだ。大原はちょっとだけこの事務所が怖くなった。

「まさか、水無月さんが全ての暴力団を力でねじ伏せたとか....?」

 大原が恐る恐る言うと、葵はムッとして、

「そんなわけないでしょ! 私怪獣じゃないんだから!」

「でも、篠原さんが、キレたあいつには、アメリカ軍の海兵隊も勝てないって……」

 大原のその言葉に美咲と茜は顔を見合わせて笑いを噛み殺していたが、葵はますます剥れて、

「あのバカの言うこと真に受けないでよ。暴力団がウチに忠誠を誓っているのは、暴力でねじ伏せたからじゃないわよ」

「そうそう。全てじゃありませんよ、大原さん。一番大きいところをねじ伏せちゃえば、後は何もしなくてもって感じで……」

 茜が真相を暴露したので、葵はキッとして茜を睨んだ。茜はビクッとして俯いた。大原は大きく頷いてニコニコしながら、

「なるほど。そういうことですか」

「だから違うんだってば!」

 葵は半ベソ状態で反論していたが、

「もうどうでもいいわ。とにかく、警心会辺りがどう足掻こうと、私達は痛くも痒くもないわよ」

 諦めて話を先に進めた。大原は真剣な顔に戻り、

「しかし警心会は蛇のように執念深く、サソリのように危険ですからね。暴力団が使えないとしても、何か他に手を打って来ると思いますよ」

「大丈夫ですってば、大原さん。私達、日本で一番強い探偵なんですから」

 茜が右腕の力こぶを見せながら言った。大原は苦笑いをして、

「茜ちゃんが強いのはよく知っているけど、警心会は卑怯な手も使って来るからね。一筋縄ではいかないよ」

「そうなんですか?」

 茜は不安になって葵を見た。美咲も葵を見ている。葵は、

「ま、どんなことがあろうと、私達は負けないわよ。それが水無月探偵事務所ですからね」

「はァ……」

 大原は溜息を吐くように応えた。


 その当の警心会では、総帥とスリーピースの男が深刻な顔でソファで向かい合っていた。

「どういうことです? 全国の主だった暴力団が、揃いも揃って我が会の要請を断るとは?」

 総帥は苛立っていた。スリーピースの男は、恐縮した様子で、

「はい、全くもって情けない限りです。始めは乗り気なことを言っているのですが、探偵事務所の住所や名称を教えると、途端に及び腰になって、無理だと言い出すのです。一体その探偵事務所、どういう存在なのか……」

 総帥は鋭い眼をスリーピースの男に向け、

「こうなったら、あいつらを使うしかなさそうですね」

「あいつらですか? しかし、それはあまりに……」

 スリーピースの男は怯えたように言った。しかし総帥は、

「心配いりませんよ。あいつらは、我が同志が目こぼしをして逮捕を免れた連中です。しかも、ターゲットが若い女性と知れば、大乗り気で我々の要請に応じるでしょう」

「はァ……」

 スリーピースの男は、あまり気乗りしていないようだ。しかし総帥は、

「何も殺せとは言いませんよ。ちょっと脅かして、改進党の代表のボディーガードなどするな、と忠告させるだけです。貴方がそこまで心配する必要はありません」

 しかし「あいつら」とは、どういう類いの人間なのであろうか?


「エアコン、直ったみたいね」

 茜が大原を送って駐車場まで降りて行くと、途端に葵はそんなことを言い出した。確かに大原が来た頃から部屋の中は涼しくなり始めていた。

「不思議ですよね。何もしていないのに冷房が効き始めるなんて」

 美咲もエアコンを見上げた。葵はニンマリして、

「ま、これで美咲に注意されるような格好をしなくてすんで良かったわ」

「私に言われなくてもしないで下さい。篠原さんも呆れると思いますよ」

 美咲がまたたしなめると、葵はムッとして、

「あいつになんかどう思われようと構わないし、あいつに私のことをどうこう言われたくもないわよ。貴方と外務省の彼とは違うんだから、一緒にしないでちょうだい」

 すると美咲は途端に真っ赤になって、

「わ、私と神戸さんは別にそういう関係ではありません」

「ふーん。それ、外務省君の前でも言える?」

 葵はからかうように尋ねた。美咲はますます赤くなって下を向き、

「それは、その……」

 言葉を濁した。葵は勝ち誇ったような顔になり、

「言えないんだ、やっぱり。何だかんだ言って、美咲も彼のこと、好きなのねェ」

「所長!」

 美咲は滅多に出さない大声で叫んだ。葵はケラケラ笑って、

「冗談よ。そんな、本気で怒らないでよ」

「私は別に怒ってなんかいません」

 美咲は葵の言葉にプリプリしながらパソコンに視線を落とした。葵は自分の席に戻り、

「ところで、改進党のこと、何かわかった?」

 美咲はまだプリプリしていたが、

「いくつかメールが返って来ています。ご覧になりますか?」

 葵を見た。葵はそんな美咲を面白そうに眺めながら、

「ええ」

 立ち上がり、パソコンを覗き込んだ。メールは、葵が繋がりを持つ情報屋からのものだ。水無月探偵事務所には、数多くの情報提供者が存在する。政界、財界、裏社会と、様々な分野ごとにその道のエキスパートがいるのである。

「坂本は、進歩党のスパイだという説もあるのね」

「みたいですね」

 葵はメールを次々に読んで行った。

「代表は村田だけど、実権を握っているのは幹事長の烏川で、いくつかある旧派閥系の実力者の中で最も村田と対立関係にあるのは、大川副代表か。その上、影の代表は坂本だとも囁かれていて。進歩党もだけど、改進党も複雑ね」

「そうですね」

 葵はパソコンから美咲に目をやり、

「まだ怒ってるの?」

「どうしてですか?」

 美咲はムッとした顔で尋ね返す。葵は苦笑いをして、

「いえ、別に」

 彼女は美咲が拗ねるとタチが悪いのを知っているので、これ以上つついて藪蛇にならないようにしようと考え、話題を変えた。

「岩戸のおじいさんにもう一度メールして。坂本のことを詳しく教えてほしいって」

「はい」

 美咲はメールを作成しながら、

「坂本秘書がこの件に絡んでいるとお考えなんですか?」

 葵は自分の席に戻って、

「ええ。代表が狙われているにしては、全然心配していなかったわ、あの人。それに、進歩党との繋がりが完全に切れているわけではなさそうだし。だからこそ、岩戸のおじいさんに接触して来たのよ」

「なるほど」

 美咲はメールを送信して、葵を見た。

「後はどうしますか?」

 葵はしばらく考え込んでから、

「情報屋に警心会のことを尋ねてみて。この情報、辿ろうとするのは危険かも知れないけど、調べないことには対処のしようがないし、坂本が何を考えているのか探るためにも、警心会のことは知っておかないとね」

「はい」

 美咲は再びメールを作成し始めた。


 進歩党の最高顧問室で、岩戸老人は葵からのメールを読んでいた。

「さすが葵ちゃんだな。あいつの胡散臭さと、二面性に気づいたか」

 秘書は買い物に出かけており、岩戸老人一人である。

「坂本のことは、わしより詳しい奴が改進党にいる。元進歩党の衆議院議員だ。そいつに尋ねるといい」

 老人は喋りながら文字を入力した。そして、

「これがそいつのメールアドレスだ。わしからもメールを送信しておくから、後はうまく接触してくれ」

 続けた。


「岩戸先生から返信です」

 美咲が顔を上げて葵を見た。葵はすぐにパソコンを覗き込んだ。

「その衆議院議員にメールを送信して。で、貴女が会って。私は村田代表と約束があるから」

「わかりました」

 葵はフッと笑い、

「坂本が何を企んでいるのか、そして警心会が何を仕掛けて来るのか。どっちにしても、後悔させてあげるわ」

と呟いた。

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