第6話  忙しい夜

 暗い夜空を大きな雲の塊が千切れながら流れていく。上空はかなり風が強いらしい。夕方から雨を落とし続けた雲は、身軽になり軽快に流れ、四散していく。

 姿を現した月は、少しだけ欠けた形で光々と夜の街並みを照らしだしたが、直ぐに流れてきた雲の中に消えた。

 その暗闇に乗じてか、不意にオフィスビルの屋上に数人の人影が姿を現した。

 数は五。

 全員が身体にフィットした暗色のスーツを着込んでいる。デザインよりも機能性を重視したらしいその服の背や腰に、硬く冷たい銃器が収められているのは、見る者が見れば気がついただろう。

 だが生憎街は彼らの思惑通り、夜の闇に包まれ、通りには人一人見当らなかった。

「ふう、久しぶりに肉体労働すると疲れるわね」

 幾分ハスキーな声。だが、凹凸のあるカーブを描くスーツのラインはスレンダーな女性のものだ。

 その彼女は身軽な動作で屋上に備え付けられた給水塔の上にかけ上がり、ぐるりと辺りを見回した。瞳はやや複雑なゴーグルの様な物で隠され、表情を伺う事は出来ないが、今のこの状況を楽しんでいる雰囲気が全身から滲んでいる。

「『ハローロビン、もがれた翼の調子はどう? ハロー世界で一番大嫌いな人。心配ご無用、すぐに生えるさ……♪』――ん~風が気持ちいい」

 小さく歌を口ずさむと、夜風を胸いっぱい吸い込んで伸びをする。

「もっとも、このマスクは暑苦しくていけてないけど」

 口元を覆った布を引っ張る。少し厚みのある、桃色の唇が一瞬みえて、また布の中に消えた。

 辺りへと首を巡らす。

 彼らの居る場所は丁度オフィスビル群の中心部だ。だがオフィスビルといってもこの街はトスカネル国の首都からは遠く離れた、さほど大きくも無い街で、一番高いビルでも十階止まりだ。その為建造物の高低差があまり無く、視線を巡らせばかなり遠くまで見渡すことができる。

 四、五階建てのビルはゆったりと街の中央広場から四方に伸びる街道沿いに並び、その町並みも広場から離れるにつれ住宅地に変わり、道は細くいりくみ複雑化していく。

 外縁の方が中央よりも高い位置にある、盆地の中に作られたこの町は坂が多いようで、角度のついた雨に濡れた路面が街頭に照らされてオレンジに光っていた。

「……んー、あそこね」

 ちらりと街で一番高い見張り台へ視線をやり、給水塔から飛び降りる。

 そして下で待っていた百九十はありそうな男へゆっくりと歩み寄った。

「オッケー、ジェフ。情報通りみたい。見張り台が司令塔だわね。キャシーのスコープは精度抜群だわ。指揮官の間抜け面までばっちり」

「『君』は?」

 歩みよった屈強な体つきの男がそう聞く。その顔もゴーグルに覆われ、その眼の部分に付いたレンズの奥で、機械的な光がチカチカと点滅した。

「『オウジサマ』の居場所は分かんないわね」 肩をすくめる。

「ま、ナイツの奴らがそろそろ動くで……」

 ダァアアアン……!

「……っとぉ」

 突然静かな夜の空気を切り裂くように、一発の銃声が鳴り響いた。

 動きを止めた彼女たちの耳に、立て続けに何かを追い立てるような銃の音が続く。

「あらー、また随分と派手に動いたもんね。それに……オウジサマもちょっとは抵抗してるっぽいわね」

 一発で殺されなかった所をみると。

(力があるのは姉だけだと聞いていたけど、弟もそれなりには抵抗できるらしい)

 まあ、こうでないと引き込みがいがないわ、と彼女は心底楽しそうな笑顔をマスクに覆われた口元に浮かべ、屋上を囲むフェンスへと駆け寄る。

「あっちか」

「急ぐぞ」

 彼らはフェンスに軽やかによじ登ると、手首に装着された小型の装置からワイヤーを隣のビルまで渡し、躊躇なく飛び移る。

 その間も街の端から響く騒音は鳴り止むことがない。急がなければならない様だ。

(面白い、……んだけど、あたし肉体労働タイプじゃないのよねー……)

 覗いたフェンス下は落ちたら死ぬのは確実なそこそこの高さ。

 遅いと手を振って促す同僚たちにため息をつくと、彼女は勢いをつけてワイヤーをはり隣のビルへ移動する。

 小さな町だ。数分も走れば街の端へと出ることができ、すぐにナイツたちのもとへ乱入して目的の人物を連出す手はずだった。


―――だがその時、眩い閃光があたりを切り裂くように一点で弾けた。




「……っ」

 最初に見えたのは青い、どこか緑がかった色だった。

 内側からの白い光に、どこまでも澄み切った光の本流。

 湧き上がる光の渦。

「……な、にが」

 ぼやけたピントがようやく合って、次の瞬間カインは驚きにびくりと体を揺らした。

 銃弾を体の何箇所かに受けたのは記憶していた。衝撃に仰向けになり瞬時に自分の死を自覚したが、それでも、無我夢中でクレアを落とし、そして自分を撃ったものたちへと銃口を向けた。

 その、左腕が。

 前に突き出したままの自分の腕は、銃を握ったままの状態でエメラルドの光に包まれ、うねる文様を浮かび上がらせながらキラキラと光っていた。

 いや、『結晶化していた』。

 透明な結晶に包まれた腕は、幾重にも羽が重なった様な形状で、それらが集まり銃のような形態をとっていた。だがそれも、自分の目の前でリィン……リィン……と透明な音を立てて割れ、細かい破片へと崩れていく。

(……何が……起きたんだ……)

 どうすればいいのか分からず、微かに聞こえた物音に緩慢に顔を上げると、破壊されたガレージのシャッターから、侵入者たちが悲鳴を上げて逃げていくのが見えた。

「……ま、え」

(……え?)

 ふいに聞こえた声に後ろを振り返る。

 見下ろすように自分を見つめる黒髪の少年。

 その視線の位置に自分が作業ガレージの床に座り込んでいる事にも、その視線が険を孕んでいる事にも気づいたが、自分の体に起きたあまりの事に助けを求めるように彼を見上げたカインは、その事を瞬時に後悔した。

「お前はっ」

「うあっ」

 ガッと、いまだ光を放つ腕を掴まれ、その瞬間に走った激痛に思わず声を上げる。全身を駆け抜けるような痛み。どこか怪我をしているのかと戦慄が走る。

だが、その悲鳴は彼には届かなかった様で、青年は険しく潜めた瞳でカインの腕を凝視し、うめくようにつぶやく。

「お前は……、何なんだ」

「……離せよ。痛い」

 はぁ、と震える息を吐き出して痛みに耐える。ぎりぎりと握り絞められた自身の腕はずきんずきんと鈍痛を訴えていて、そのせいか吐き気までこみ上げてくる。

「痛い……なあ、離してって!」

「っ……」

 混乱に涙まで出そうになって、のどを突く不快感に堪えながら彼を見上げれば、ようやくカインの叫びに気づいたのか、彼は何とも言えない複雑な色の滲んだ目でカインを見つめた。

 ゆっくりと、ふたりの間で光が消えてゆく。

 ふわりと浮かぶように徐々に光を失い始めていた結晶が、最後の儚い音をたてて砕け、空気に溶ける。  

(……なにが……)

何が起きた。

 沈黙の中で、どこか余裕を失った様な自分の息づかいが聞こえる。

 あたりを照らすのは天窓からの月の光だけになり、作業場は青白い光に沈み込む。

「……うわっ」

「……っ」

 ふと視線を自分の腕に戻せば、捕まれたままの腕には赤く火傷が残っていた。その酷さに思わず声を上げれば、そんな状態の腕を握り締めている事に驚いたのか、黒髪の少年は自身の腕を勢いよく放し、爛れた腕がベリと嫌な音を立てた。

 そしてどうしようもない鈍痛。

「……っ、このっお前……っ」


『凄いもの見ちゃったわ』


 どれだけ自分を怒らせれば気が済むんだと、思わずカインが怒鳴ろうと口を開いたその時、――辺りに飄々とした声が響いた。

「精度が良すぎるのも考え物ね。あんな光みたら、眼が痛くなっちゃう」

 音もなく背後の暗闇から姿を現したのは体にぴったりとしたスーツを着た五人の男女で、場違いな声を発したのは最後に現れた女性だった。彼女は驚く二人の視線を気に留める事なくぶつぶつと何かを呟くと、彼らの中の一人が抱き上げた小さな少女の元へと歩み寄る。

「……っクレア!」

 その姿にはっとして立ち上がり、駆け寄る。

 力なく垂れた細い腕。

「医者を……」

 医者を呼ばなきゃ。

 静かに目を瞑った少女の口元からは一筋の赤が流れていて、思わずその頬に手を添える。

 だがそれだけでぐらりとその首はあらぬ方向へと傾いだ。

「……そんな……」

 絶句する。

 小さな、小さな体。

 ほんの数刻まで生意気で可愛い笑顔を見せていた、妹の様な少女。

 その体から、何故かゆっくりと温もりが引いていく。

「……首を折られてるわ」

「……そんな……そんな、酷、い」

 どうしてこんな事に。

 思わず喉が、震える。

 無意識に首にかけた指輪を握る。ひんやりと手のひらに冷たい感触を伝えてくる、青い石のついた指輪。欲しいと言っていた。駄目と断っても本当は彼女がもう少し大きくなったら、あげてもいいと思っていた。なのに。

「この子、ご両親とかは?」

「……孤児、なんだ」

「そう、わかった」

 頷いた彼女が一言二言告げると、少女を抱き上げた男は、少女のくしゃくしゃな髪を数度撫で、無言で外へ出て行く。

「クレアは……?」

「心配しないで。ちゃんと埋葬するわ。貴方の大切な子みたいだから、後で希望を聞かせて頂戴」

 安心させる様にかけられた声に何も言えずに頷くと、彼女は小さく頷きかえし、そして視線をその背後へ向けた。つられて振り返ると同時に、小さな呻きが聞こえた。

「……俺は」

 そう言っただろうか。黒髪の少年は少女の亡骸が運ばれていった方をじっと見つめていた。

 ぎり、とかみ締めた歯が鳴る。

「シン・エドナーね?」

「……」

 警戒を解かない厳しい表情のまま彼が頷くと、彼女の背後に立っていた男たちが一斉に跪き、頭を垂れた。一人だけ立ったままの彼女に、男の一人から「リズ」と咎めるように声がかかる。だがリズと呼ばれたその女性は膝を立て叩頭した男達を一瞥すると肩を竦めた。

「悪いけど私はやらないわよ。柄じゃないの」

 そう言ってシンに向き直り、ゴーグルとキャップを取る。ふわりと現れたのはオレンジがかった金のツインテール。

「私はリズ・コールマン。審判者の片割れを迎えに来ました。目的はそれだけなんだけど、思わぬ拾い物をしたみたいだわ」

 少々眠たそうにに見えるブルーの垂れ眼がにっこりと、そして多少不敵に微笑む。

「シン・エドナー、そしてそこの君」

「……え」

 腕を押さえ、進んで行く事態にあっけに取られていたカインは、突然自分に声がかけられビクリと肩をゆする。

彼女はそんな自分を何故か楽しそうに見やり、その唇を開いた。


「―――ご同行、願えますか?」

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