第7話 憂鬱な朝
冷たい朝の空気に身震いする。
けぶるようなと形容するに相応しい庭の花々は、昨夜断続的に降った雨の雫をその花弁に受け、キラキラと朝の光に輝いている。
花々の咲き誇るこの庭。その中を奥へと続く質素なつくりだが歴史を感じさせる回廊。そしてその先にある大聖堂。全てが教会の偽装であると知っていても、綺麗なものは綺麗なのだとアラン・カシノは徹夜続きでぼんやりとしている頭でそう思った。
教会本部ルヴェナ大聖堂。トスカネル南部に位置する町、リヴル中央にひたすら高く建つ建造物だ。今は内部にいる為見渡す事が出来ないが、町の外から町を見れば大聖堂の背後。荒野に面した場所に巨大なビルが建っている事が分かる。
ヴァーラスキャールヴ。そう名付けられた超高層ビルは、教会の軍事研究の中心施設となっている。その外観からただ『塔』と呼ばれることもあり、トスカネル内一、いや、各国一ともいえる最先端の技術が研究されている場所と言っていいだろう。近未来的な透明な光を発する側面の反対側は焼け焦げ煤けた色を呈していて、戦いの爪痕を物語る。
戦い。
およそ三百年前に起きた全世界を巻き込み、一説にはこの星さえも壊しかけたという戦争の事だ。アランの居る回廊も大聖堂、そしてヴァーラスキャルーヴも、元はその戦争前、旧時代の遺跡を補修・改築したものらしい。
遺跡は旧時代の一宗教の布教施設で、その荘厳な趣を利用しそこから『教会』や『ナイツ』の名称も引用されているが、実際の所、宗教的な関わりは『教会リシュヴェール』には無い。『教会』という組織は、最近勢力を拡大しつつあるとはいえ、一国家内の一地域の統括を任された一組織でしかなく、その歴史は極最近に始まったものだ。
(中心の頭が若いかっていうと、それもまた違うんだけどなぁ)
これから諮問されるアランは、顔を付き合わせることになるだろう評議会の老人たちの顔を思い出し、ため息を付く。
今は割と落ち着いているが、昔は相当斜めに構えていたせいか、それとも元来我慢強くない性格のせいか、色々面倒になってくるとそれが顔に出てしまう。
(じいさん達に睨まれないようにしないとなあ)
沈み込んだ気を取り直すように大きく息を吸い込めば、冷えた空気は幾ばくかの清涼感をアランにもたらしてくれた。鼻の奥がつんと冷える。
止めていた足取りを進める。カツカツと鳴る靴も、普段は着ることの無い純白の正装も慣れず、心地が悪い。
(……ん?)
ふと、きしんだ音に前を見ると、聖堂へと続く大門から同じ白いコートを着た青年が出てくるのが見えた。向こうもこちらに気づき、軽く手を挙げて歩み寄ってくる。歩く姿勢も制服の着こなしもアランとは違い堂に入ったものだ。
「また大きなヘマをやらかしたもんだね、君も。黒のアランと恐れられる君が、随分な失態だ」
青年は嫌味な位にこやかで清々しい笑顔を向け、アランへ辛辣な言葉を投げつけた。
「評議会のおじいちゃんたちが凄いしかめっ面してるよ」
「…………」
何も言わずに顔を顰めたアランを見ておかしそうに笑う。銀がかった髪は短く、丸いめがねを掛けた優男風の彼、エミール・ヴィルヘルムが、外見の清々しさとは正反対の食わせ物だと言うことはナイツの高官なら誰でも知っていて、そんな彼に鉢合わせした事をアランは内心酷く嘆いた。
ナイツの統括を任されているエミールは、事実上のナイツ最高責任者だが、黒い制服を着込むナイツ傭兵部隊『黒(ノアール)』はまた別統括のため、アランとエミールの間に上下関係は存在しない。
「で、これから失敗の弁明かい?」
「いいえ、報酬の上乗せと、被害手当ての要求ですよ」
にっこりとした笑顔に負けないように笑顔でそう答えてみる。だがエミールはさらに微笑み三割増しにする。手ごわい。
「なんで?任務失敗しちゃったんでしょ?」
「任務内容が提示されたものと大分違ったもので。難度と報酬が釣り合わないですよ、あれじゃ」
「ふむ」
顎に白手袋をした手を添えて笑う。
「どうやらそうみたいだね。面白いことになってるみたいだけど」
「……知ってたんですか。面白く有りませんよ。こっちは部下を四人も消されてるんだ」
「面白い」と言う。まだ二十代半ばでナイツのトップに上り詰めた男の瞳がめがねの奥で光り、アランはその様子に暗澹たる気分になった。
(こりゃ絡んでくるな、白の方々も)
厄介ごとは勘弁して欲しいが、昨夜見た淡い緑の閃光は部下の運命と共に自分をも何かに巻き込んだ。そんな気がする。
「で、貴方は?」
早く会話の矛先を自分から逸らそうと、アランはエミールに聞き返せば、社交辞令のようなその問いに、エミールは
「ああ、ちょっと塔に行ってたんだ。他にも面白い事があってね。でもまだ君には教えてあげないよ」
「……なるほど」
にこり、と青年はめがねの奥で笑う。
「ああ、そろそろ行くから。交渉頑張って」
そういうとコートの裾を翻しアランの脇を通って去って行った。
「そりゃまた意味深なことで……」
その後ろ姿を睡眠不足でぼんやりとした瞳で追うと、もう一度深呼吸し、アランは評議会のご老体たちと一戦交えるために大聖堂へ続く大門へと向き直った。
クレアの遺体はスラムの外れの木の下に埋葬した。雨上がりの夜風の中、空には星が一面に出ていた。
したたかで、どこか自分に似た妹のような子。
孤児に墓石など与えられもしないから、以前遺跡探査に行った際見つけた水晶の固まりを、せめてもと少女の墓の上に置いた。首に掛けた指輪も一緒に置いていこうかと思ったが、すこし考えて自分の首にかけ直した。これだけは、何故か手放してはいけない気がした。
埋めている最中に、一緒にベッドに横になって、窓からのぞく夜空を眺めた夜をぼんやりと思い出した。
「いきましょうか」
そう静かに、だが確実な強制力を伴ったリズの声。思わず睨み付ければ小さな苦笑が帰ってくる。
「牙を剥きだしにされても困るわ。私達の目的は君じゃない。君たち……その亡くなった子も、言ってみればただ巻き込まれただけよ」
ただし、とリズはそのウォーターブルーの瞳を細める。
「君たちは関係ないから、といって解放するほど私達はお人好しじゃないの」
「……実験でもするのか?」
カインははっ、と鼻で笑って立ち上がる。
「私達は教会とは違うわ。……といっても調査位はさせてもらうけどね」
「俺は何も分からない。言っておくけど、俺は小さい頃の記憶がないからね。覚えてるのはせいぜいスラムで暮らしてた頃からで、それより前の事には答えられない」
リズの言葉にそう答えながら、ささくれ立った気分を落ち着かせる。実際、カイン自身の記憶はスラムで暮らしていた七つ頃のものが最初で、それ以前の記憶はない。だから先ほど自分に身に起きた変異に関して聞かれても何も答えられないし覚えもないというのが、現状である。
「んーまあ、それはまた後でいいわ。まずは貴方の怪我を治さなくちゃね。痛いでしょ?」
そう言われて自身の腕に負った火傷の存在を思い出す。じくじくとした痛みを先ほどまで訴えていた紅い爛れは、今はそれほど感じなくなっている。
「火傷……」
腕を上げる。夜の僅かな明かりの中で、患部を見つめ、カインは小さく息を飲んだ。
「……なんで」
「……あら」
リズが僅かに笑みを潜めた声を漏らす。
「大分治ったみたいね」
紅く爛れていた肉は、今軟らかそうな色で、――再生していた。
沈む気分を振り払うようにタラップを勢いをつけて駆け上がる。
硬質な金属の音。
外部に通じる穴は、補修用の確認孔だろうか。少し重い丸窓を押し開ければ、ぶわりと冷たい空気が顔にぶつかってきた。体当たりして来る強風に髪を煽られ、その髪を反射的に押さえようとして手を離したが、今自分がいる場所を思い出し慌てて手すりを握りなおす。
青い空。どこまでも続く、白い雲海。
そのまま暫くその青に見とれる。昨夜から一睡もしていないせいで少々疲れ気味だった瞳に、その明るい色はとても鮮烈だった。
ぐるり四方を見渡しても見えるのは空の青と雲の白だけで、ちらりちらりと雲の合間から見える地上は紅茶色をしている。カインのいたブレンの町から、北西に移動した辺りにある荒野だろうか。
轟々と耳を風の音が支配するが、足元の振動に誰かがタラップを上がってきていることに気づき下を見ると、昨夜自分を良く分からない事態に巻き込んだ張本人がひょっこりと自分の隣から顔を出した。
「……っ! 」
顔を風の真正面に出してしまった彼は重い風の塊の直撃を顔面に受け、痛そうに顔を背ける。その様子に思わず軽く笑ってしまうと、強風のせいで声は聞こえないものの、笑われたことに気づいたシンがなんとも複雑そうな顔を向けてきた。
むっとするでもなく、何かを言いたそうな顔をする彼へ「なんだ?」と首を傾げ、それでも何も言わない相手に少しいらっとして顎をしゃくり促す。自分は愛想の良い方だと自負しているが、どうもこの少年に『気にするな』と笑いかけてやる程人間が出来てもいない。自分が彼を家に連れてきたが為に事件に巻き込まれたも同然で、従ってそれは彼のせいでは無いのだろうが、直ぐさま笑って話すなど出来そうに無かった。
シンは少し逡巡したようだが何かを言おうと口を開いた。だが彼ははっとしたように足元に目をやり、タラップを降りて行く。何事かと視線をやると、リズと名乗った女性が眠そうな顔で(とはいえそうでない顔を見たことがないので、これが地顔なのかも知れない)コチラを見上げ、手まねきしていた。
階段を下りればどうも音が籠もったように聞こえ、思わず繭を顰める。
「あー、んー。耳がおかしい……」
「あんなとこに出るからよ。落っこちても知らないから」
口の端に笑みを浮かべてリズが言う。そして
「手当てしたげるからこっち来なさい」
そういって踵を返しすたすたと所々板の張られた鉄の通路の上を歩き出す。
小型高速戦闘艇『コマドリ』
これが今カイン達の乗っている船の名らしい。
船内は絶えず何処からか機械の機動する音がしていて騒々しい。だが不快な音ではない。小型と言っても数十人が寝泊まり出来るだろう船だ。頭上を見上げれば、高見に組まれた鉄骨上で、作業員らしき姿が上層通路をゆっくりと歩いていた。どのようにこの船が造られているのか気になって、幾ばくか気分が高揚しているのに気づく。あんな事があったのに随分と図太い神経だと、内心自嘲する。
「俺エアシップなんて初めて乗った。……駆動機関見せてもらってもいいか?」
「ま、いいわよ。後でね」
リズの返答に頷けば、背後から自分を見つめる視線を感じカインは振り返る。
案の定自身の後ろを歩いていたシンは、自分を見ていた様でほんの少し目を見開いて驚いた様な顔をした。この少年は感情が読み取りにくい。
「で、何?」
「?」
「さっき。何か言おうとしてただろ?」
「ああ……傷、が」
傷。
そう言うとカインは少し目を細めて足を止め、シンもそれに伴い立ち止まる。エメラルドの相貌は静かにこちらを見据えていて、シンは何故だか心が泡だった。
何を言われるかすでに理解している顔だ。
昨夜の光景を思い出す。衝撃を受け後ろに傾いだ体と、飛び散った赤い飛沫。
「……お前は弾を受けていた」
「……」
「致命傷だった筈だ。あの傷は、どうした」
シンの言葉に、目の前の少年は視線をそらしほんの少し視線を泳がせる。何か自分をごまかせる気のきいた言葉はないか捜していたようだが、直ぐに諦めたようにため息をつき腹部に手をやってみせた。ぐいと押し、顔をしかめる。
「おい……っ」
「……押すと痛い。―――だけどそれだけだ」
困ったように笑う。
「なんでだろうな」
歩き出しながら静かに呟いた彼の声は僅かに掠れていて、シンはそんな疑問を投げかけたことを少し後悔した。
高度2300フィート。それが今カインがいる場所だ。
昨夜あのままリズの誘いに乗り、町を離れた。得体の知れない彼らを怪しまなかったわけではもちろんない。だが、シンを追って来ているのは紛れもなく勢力を持った「教会」で、あの力を晒し、教会の人間を文字通り「消した」今、カイン一人で行動していては教会の詮索は逃れられない。つかまるのは時間の問題だと思った。
得体の知れないリズたちの集団と、普段から心象悪く、クレアを殺した教会の者たちとでは、まだリズたちの方に付いていった方がいい。
同じように得体の知れない能力をもったシンという少年もリズたちに付いて行くことに決めたらしい。それらを総合して考えた末、カインは彼らと行動を共にすることにした。
(きっと断っても結果は同じだ)
誘いを断っていたとしても、きっと無理矢理連行されていただろう。リズと名乗った女性の口調は柔らかいものだったが、有無を言わせぬ静かな迫力があった。否と言ったならば、その場で部下らしき男達に拘束されていたのだろう。
何が起きているのか自分でもよく分かっていないが、この力が驚異的なものであることだけはカインにも分かっていた。
とんでもない事に首を突っ込んでしまったと言うことも、そしてそれが今でなくとも、遅かれ早かれ自分に訪れた事かも知れないという、――予感も。
雨上がりの湿った空気の中、大穴が開いたシャッターの突き出た亀裂に「closed」の看板を引っ掛け闇にまぎれて町を出た。昼にも通った裏門から荒野にでて、止めてあったジープに乗り込み黒々とそびえた廃虚ビルの裏手に回る。そこでカインがみたものは闇に溶け込みそうな赤をした小型のエアシップだった。小型といっても数十人単位で乗ることができる住居をかねたものだ。
エアシップは珍しい。
めぼしい旧時代の遺跡を発掘するには、かなりの用意が必要になる山岳地帯へと乗り出さなければいけない上に、最近では幾つかの遺跡では教会が発掘に関しても通行パスを要求してくるようになってしまった。一般人には高過ぎるほどの通行料。教会の手が着いていない遺跡で、万一エアシップを発見したとしても、搬出作業などには多大な人力と人件費が必要となる。
そんな理由で、資金力のある教会などが、発掘したエアシップを根こそぎ確保してしまっている状態である。その為一般人がシップに触れたり、乗ることが出来るほぼ無いと言っていい。
――過去の英知の結晶。
赤い機体には、すでに滅びた文字が書き込まれ、何の用途だか分からないランプがちかちかと瞬いていた。そして経年の錆と、リズ達が手を加えたのだろう鉄板の修理後。それらが合わさって何とも不思議な雰囲気を醸し出していた。
こんな機体が昔は空を縦横無尽に飛び回っていた。今のような、闇に沈む空の中ではなく、色とりどりのネオンと、ハイウェイの明かりの中で。
月明かりに鈍く光る機体は、すでに崩れ、コンクリートの塊となったハイウェイを背に鈍く光っている。そのシルエットに、普段前向きすぎるといわれるカインでさえ沈んでいた気分が少し上昇し、「こんなときに……」とカインは自嘲した。
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