第5話 鉛の雨

 部屋の奥まで吹き込んできた雨が頬に当たる。

 ぞろり、とぽっかりと開いた穴から入り込んでくる黒い塊。何か判別の付かなかったそれは、二人の前でゆっくりとその姿を伸ばし、明確に人の形を取った。

 その数、十数人。

「―――っ逃げろっ!!!」

(教会神聖騎士団だ……!)

 ベットから飛び降り、足に走った激痛に顔をゆがめながらシンは目の前で立ち尽くす体に向かって叫んだ。

 その声にビクリと肩を揺らし、明らかに自分へ向けられた殺気に、反射的にカインは手にしたままだった銃を突如現れた男たちに向ける。

 次の瞬間、男たちは音もなく床を蹴り行動を開始した。

「さがれ! 」

「うわっ! 」

 後ろから駆け出してきたシンの腕に腕の付け根を取られ、ぐい、とカインは後ろへと引き寄せられる。視界に自分が貸し与えた黒いシャツが広がった途端、チ……、と微かな音をたてて自分のジャケットの肩をナイフが掠め、重い音を立てて背後の床に突き立った。

「くっ……何なんだよ一体!?」

 その音に我に帰ると、駆け寄ってくる数人の男たちを狙い、自分を引き倒したシンの影からカインは銃の引き金を引く。神経を研ぎ澄ませ、息をつく間も無く二発目。

(プロかよ……! )

 銃口を向けた途端に黒尽くめの男たちはその身に纏った殺気を倍にする。自体を全くと言っていいほど把握できていないが、四の五の考えている時間は無いことだけはわかった。

 殺らなければ殺られる。

 それだけはスラムでの経験からわかった。

 

 

 ダン、ダァン……!

 カインの放った弾に一人、二人と男たちが正確に眉間を打ち抜かれ倒れる。

(――上手い! )

 その銃の腕にシンは目を見張る。

 そして左方から回り込んできた男に気づくと、シンは目の前に迫ってきた男の眉間をにらみつけた。

「うぐっ……! 」

 次の瞬間、男は目を限界まで見開き足を縺れさせ床に倒れこむ。

 続いてその背後から跳躍し、飛び掛ってきた男をいなすと、首筋をすばやく押さえ込み昏倒させた。

「うちのシャッター壊しやがって……!」

 起き上がり体制を立て直したカインが息巻いて悪態をつく。

 怒ると一気に気性が荒くなるらしいと、シンの脳裏を数刻前の少年の剣幕がよぎった。

「……」

 シンたちの抵抗に、シャッターに開けられた穴の前で仁王立ちし様子を覗っていた中の一人が右手を挙げて他の者たちに合図を送る。

 その途端に男たちはそれぞれの手に銃を取った。

(まずい……!)

「こっち!」

 ふいに腕を引かれ、広い作業部屋の奥に置かれた鉄製の航空機の裏に駆け込む。

 駆け込んだ途端に鋭い音を立てて、雨のように打たれた弾が鉄板にあたり弾ける。胴体部分のみのガラクタだが、弾をよけるのには最適だ。

(銃を使う気は無かったらしいが……)

 上がった息を整えながら、鉄板の隙間から侵入者たちを見やる。

 どうやら男たちにとって予想外の抵抗だったらしい。

 逃げることで力を使い果たしてしまった子供一人にこれだけの人数を投入してくることすら驚きだが、その自分を助けた一般市民が訓練を受けたナイツの動きを見極め、仕留めるほどの銃の腕を持っているとは思っていなかったのだろう。実際、隣で荒く息をついている少年が、これだけ場慣れしている事はシンにとっても驚きだった。

(力技に切り替えたか……)

 侵入者たちは事を大事にしないために、銃の使用を控えていたらしいが、それも諦めたらしい。

 ここはスラムに近い様だった。スラムで起こる乱闘などに比較的慣れている付近の住民は、この騒ぎに気づいても恐れて近くに寄ってくることはないだろう。もし通報するものがいても、通報先は彼らの主である教会だ。

(九分九厘、助けは来ない)

 ナイツ。教会直属部隊であるその騎士団の、彼らは暗部というべき「noir」部隊であることは明白だった。

(どう逃れる……)

「腕が蜂の巣になるな……」

 残りの弾数を確認しながら、カインがつぶやく。

 隙あらば狙おうとしているらしいが、弾幕を張られ腕を出すことも儘ならないのだろう。それはシンにとっても同じで、敵を催眠にかけて昏倒させるには、一瞬でも相手の瞳を正視しなければならなかった。今の状態では到底できそうに無い。

「クレア……」

 あせりの滲んだカインの声。

 二階のカインのベッドで寝ているはずの少女のことが気がかりで、思考をめぐらす。

 ……巻き込んだのは、自分だ。

 弾幕は途切れることが無く、雨の中で鳴り響く。

(こちらの弾と力が尽きるのを待っているのか)

 彼らは自分をまだ殺すわけには行かない。

 こちらの余力が尽きたところで距離を詰めて自分を回収するつもりなのだろう。

 ほかの二人を殺して。

(……だが、あそこに引き戻されるわけには行かない)

 だが、彼らを巻き込んだままでいいはずも無かった。

「……さっきから後ろを気にしているのは、裏口でもあるのか」

「あ、ああ地下が。そこから外に出られる。……でももう回り込まれているかも……」

「いや、気配を感じない。まだ気づかれていないはずだ。――俺が前に出る。地下から出て、隙をみてあの子を」

「えっ、おい、無茶だ!」

 静止の声を無視し、痛む足に顔をゆがめながら立ち上がる。彼らには自分を殺せぬわけがある。ならば、きっと銃弾が止んだその瞬間に隙があるはずだ。

『投降する、撃つのをやめてくれ』

 そうシンが声に出そうとした、その時

 

 どさりと、作業場の中央に小さな体が落ちて、タン…と跳ねた。


(…………っ……!!!)

 吹き抜けとなった二階から落とされたその少女の体はあらぬ体勢に曲がっていて、びくびくと細かく痙攣していた。

 膝の関節が痙攣で床に打ち付けられコトコトと軽い音をたてる。

 ひゅっと、シンの隣で息を吸い込む音が聞こえた。

「………………っ、クレアぁああああああ!!」

 少年は駆け出す。その小さな体へと。

「カイン待てっ!!」

 咄嗟にその名を呼ぶと、その背中を追ってプロペラ機の後ろから飛び出す。

 複数の銃口がカインに狙いを定め、カインは走りながらシャッターの前に立つ隊長格の男に銃を向けた。

(間に合わない……!)

 一斉に、弾が放たれる。

 被弾したカインの体がシンの目の前で不自然に跳ねて後ろに傾ぐ。

「…………っ!!!!」


 チカリと、彼の胸で何かが光った。

 月の光と、鮮明で一呼吸の百分の一にも満たない、一瞬の青。

 彼の記憶の中で、硬く閉ざされた扉の向こうにほんの一瞬か今見えた、その言葉。


『―――Alastor』



 それを口にすれば、確実に逃れないようの無い何かが始まり、そして止ようの無い歯車が動き出すのだと、シンはその刹那に悟った。

 


 ―――キラキラと、赤い飛沫が視界で光る。

 仕事机の上に置いておいたランプは、銃弾に割られてしまったのかとっくに消えていて、仰のき崩れようとしているカインの瞳に天窓から差し込む月の光が見えた。

 

(雨、やんだんだ)

 

 ゆっくりと飛散する赤い色。

 月の光で血の飛沫が輝いているのだと、朦朧とした意識の中でぼんやりと思う。

 

(何でこうなったんだろう)

 何がどうなったんだろう。

 今分かることはひとつきりで、どうやら自分は死ぬらしい。

(酷い、なぁ)

 まだ物語は何も動いてない気がするのに。


 床に倒れこむ直前、誰かが自分を呼んだ気がした。

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