第4話 夜を這う者達
夜の闇の中で街の明かりがひとつ、またひとつと消えて行く。街中が一望できる見張り台の上で、雨さえ降っていなければいい光景なのにな、と残念に思いつつアラン・カシノは数日剃っていないあごをなでた。いささかさわり心地が悪い。「なあお前、剃刀とかもってないか?」と冗談半分に後ろで待機するに部下に聞けば生真面目に「所持しておりません」と返事が返ってきて、ややげんなりした。
思えば頭も4日ほど洗ってない。そういえば風呂にも3日ほど入ってない。
そんなことを思い出し「しまりのある顔をすれば男前」だと部下達に言われるしまりの無い顔を、さらにしまりの無い情け無いものへと変える。
『見つけました』
「おー、ご苦労さん。どこだ」
ブツ……とインカムがつながる音。
イヤホンから入ってきた部下の声に聞き返す。
町外れの工房内との答えに「そうか」と頷くと身振りであと二・三人連れて行けと支持した。何事も慎重を期しておいて損は無い。
「雨が酷くなってきたな。足音たてるなよ」
インカムからそう支持する。ついでに後ろの生真面目な男の目を掻い潜って斜め下の屋根の上に待機する部下たちに手暗号で合図を送った。
『危ないようならすぐに引け』
その命令にこくりと頷き部下たちの姿が闇の中へと消える。
(所詮雇われものだからな)
背後でピクりともせずにまじめな表情で待機している名ばかりの部下と、自分たちの立場は違う。肩書きはどちらも同じ教会直属の騎士団(ナイツ)に含まれる。だが与えられた制服の形状と、呼び名が同じでも、後ろの男の服は今は闇に溶け込むために黒いコートに覆われ隠されているが純白で、自分たちは闇にまぎれる漆黒だ。そして後ろの男の胸にはナイツの紋章があるが、自分たちには無い。
つまり後ろの男は教会中央から派遣されてきた表舞台が似合うエリートで、今の立場はアランたちの監視役。自分たちはナイツに所属してはいるが、金で雇われた気の置けない傭兵といったところなのだ。
(中央にとっては使い捨ても同じだからな)
所詮金で動く隠密部隊。
貰った金の分働けばいいが、その金に見合わない仕事だったら任務は放棄してしまえ。隊長であるアランがこんなスタンスなせいで、中央からの信用など欠片もなく、毎度監視が付くがそれで良いとアランは思う。
(ま、今回のは鳥かごから逃げ出した鳥の確保だけだ。楽な仕事だな。だが……)
今回の鳥は少々毛色が違うのだろう。どうやら正規のナイツが表立って動けない相手らしい。だからこそ自分達の出番なのだろう。
貰った金次第ということは、貰った金の分は働くということで、その点においての信頼は獲得している。今回の報酬額は今まで請け負った値段にゼロがひとつ多いのだ。逃げ出したという鳥はよほどののVIPらしい。
報酬次第でアランの部隊の信用度はぐっと上がる。それでも監視が付くのは、さらに大きい報酬を相手側から出された場合に寝返る可能性があるためで、その場合にそのことを中央に報告するために後ろの男のような監視がいるのだ。
(こいつも気の毒な奴だな)
そう背後の男にすこし同情する。監視役に回されるなど、きっと何か中央でへまをしたに違いない。何しろ自分たちが寝返った場合に、真っ先に狙われるのは中央への連絡役であるこいつなのだから。
視線を部下の消えた町並みへと戻す。
(もう一人、二人か……)
今夜気の毒な人間の最高峰はその傷ついた鳥を助けた善良な市民だ。人として善良であったために命を散らさなければならない。
ブツ、とまた耳元で通信の入る音がする。
『総員配置に付きました』
「よし、行け」
依頼は鳥の保護、そして関係した者の抹消。
(……気持ちの良い仕事じゃないなぁ)
雨脚はさらに強まり、濡れた制服の感触にアランは顔をしかめた。
(何でこうなったんだろ?)
椅子の背に抱きつくように座って、カインは自問した。
節電の為に何年も使い続けているランプの火がこぎざみに揺れて、足元に伸びた自分の影がゆらめく。バシャバシャと雨が二階のトタン屋根に当たって流れて行く音と、風が屋根を激しく煽る音。いつの間にかかなり大きくなっているそれに、雨漏りはしていないだろうかと少し心配になる。
(何でこうなったんだ?)
再度そう考えて、反対向きにまたがった椅子の背に顔を伏せる。
チカリ。
首元からぶら下げた指輪がランプの明かりに小さく光る。
クレアが見つけた男の意識が戻り、そいつに近づいた途端、いきなり頭をわしづかみにされたような感覚に襲われた。
明滅する視界。
深くまで侵入されるような不快感。
まるで冷たい冷気に貫かれて。体の芯が一気に冷えてゆくような感覚。
漆黒の瞳。
危機感に何とか抗おうとしたのは覚えている。だが気付いたら自分はベッドにへたり込んでいて、ズキズキする頭を上げて見えた男は唖然とした表情で自分を見ていた。
――――『傍若無人に人の領域に踏み込むようなことを、この男がした』それだけは理解した。
怒りに任せて飛びかり、護身用に作業着の下に挟んでおいた銃を突きつけたら、自分の一番聞きたくない言葉を聞かされた上に、その男の瞳は充血し涙に濡れていて、泣きたいのはこっちだと、ふざけるなと怒鳴りたくなったのをなんとか押さえ込んだ。
自分としてはそのまま終わらせるつもりは無かった。
人には誰にだって絶対踏み込まれたくない場所があって、その場所に奴は土足で上がりこむどころか、それを自分のものにしようとしたのだ。
(記憶の共有)
いや、共有だなんて生易しいものではなかった。相手の意思を無視して内側まで入り込み必要な情報を奪い取る。記憶の略奪だった。
何故それを理解できたのかは分からない。
だが、彼が何をしたのか、なんとなく解ってしまった。なんとなくとしかいい様がなかったが、自分のすべてを覗き見られる事など、許せるはずもない。
(なのに)
「……すまない」
「……っお前……っ」
(卑怯だ……)
男の足を自分の足で押さえつけたまま、喉の奥が震える泣く一歩手前の衝動を何とか押さえつけたカインに、目の前の男は端正な顔に戸惑ったような表情をほんの少しだけ覗かせ、そういってあろう事か謝ったのだ。
途端にさらに湧き上がる怒りに思わず目を見開いて相手の顔を見つめる。
「なんで謝るんだよ」と、そう詰れば、ますます男は表情の乏しい顔から「困っています」という雰囲気を滲ませ、それがリアルに解ってしまったから結局カインはのそのそとその彼の足の上から降りるしかなかった。
(なんでかなぁ……)
それからもう随分長い間、お互い無言で揺れる自分自身の影を眺め続けている。
はぁ、と無意識にため息が漏れる。するとピクリと、ベットで上体を起こしたまま自分の手を眺め続けていた名前も知らない男が、僅かに体を強張らせた。
その僅かなしぐさにふと、(ああ、そっか)と腑に落ちたような感覚を得る。
(怯えてるのか)
同い年か、ひとつ上位かと思っていたけど、多分こいつは自分より年下なんだろう。直感的にそう思い、カインはなんとなくだんまりを決め込むのを止める事にした。萎縮している相手をねちねちといびるのは好きじゃない。年下だとか、年上だとか、そういうものをあまり意識した事はなかったが、少なくとも目の前の相手は、この沈黙の中でどうすればいいのか分からずに縮こまっていた。
(まずは名前だよな)
椅子の背に頬杖をついて、ベッドに体を起こした体制のまま黙り込む少年を見やる。黒い髪に黒い瞳。自分とは正反対な落ち着いた色彩と、女子が群がりそうなほど整った容姿にむかっ腹が立ったが、なんとか嫉妬心を押さえ込む。
とりあえず、このなぜか憎めない失礼な奴の名前を拝聴することにしよう。嫌味も何故こんな事をしたのかを聞くのもそれからだ。
「……あのさ、お前、……っ?!」
そう思い口を開きかけたその時。
突然金属が無理やりひしゃげる様な嫌な音が鳴り響く。
「……なっ!?」
背後のシャッターが嫌な音を立て、その音に驚き振り向いたカインとシンの前で、破壊されたシャッターの大穴から吹き込んできた突風が飛行模型のプロペラを吹き飛ばした。
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