京都市左京区、深夜にラーメン
深夜太陽男【シンヤラーメン】
第1話
時計の表示が午前に変わりだいぶ経つ。それにしてもよく冷える夜である。京都の寒さには慣れたつもりでも深夜帯のそれは特に応えるのだ。雪でも降るんじゃないだろうかと思わせる温度。
京都市左京区修学院、叡山電鉄線路沿いの小さなアパートの一室はエアコンの故障で外と大して変わらぬ状況であった。室内なのに白い息が立ち込める。私たちはこの狭い部屋の面積をほとんど占める炬燵に体を押し込みながら、さらにアルコールの類をちびちびと摂取し体内をほどよく温めていた。彼女は深夜アニメをほろ酔い加減で実況しつつ、私はそれを眺めている。これ以上の幸せはないと隠れてほくそ笑む。
「ラーメン!」
彼女が叫ぶ。確かにテレビ画面には二次元のラーメンが映っていた。
「ラーメンが、食べたい!」
子供のような発言に可愛げを感じながらも私は炬燵から体を離すのが億劫なのでやんわりと否定する。
「また今度にしましょうよ」
「今、すごく食べたい!」
彼女は自分のスマートフォンでラーメンの画像検索結果一覧を見せつけてきた。黄金に輝く宝物の数々。私の胃袋は収縮し口内は唾液が分泌される。頭が体を支配しているのではなく体が頭を支配することを実感する希な瞬間だ。アルコールでも乾きを満たせない体は油分と水分と旨みと炭水化物を求めている。うん、負けました。
上着を羽織って外に出れば、空気が氷の塊のように私たちの頬を撫でて戦慄する。ラーメンで盛り上がった気分は半減だ。
「あー、無理無理無理。また今度にしましょうよ」
「何を今更!」
彼女は体を密着させて私の右腕を引っ張る。温もりと上着越しでもわかる胸部の豊かな感触に興奮したのは内緒だ。
徒歩五分ほど。刻みネギをいくらでも無料で盛れるのとたくあん食べ放題の行きつけのラーメン屋は深夜零時で閉店だったのをすっかり失念していた。しかしもう少し歩けば深夜でもやっているラーメン屋などいくらでもある。
「とりあえず一乗寺のほう行ってみる?」
私たちは北山通りを少し引き返して東大路通りを南へ下ってみる。昼と夜で店名が変わる行きつけその2のラーメン屋も、学生証提示で替え玉おかわりとコロッケ無料サービスの行きつけその3のラーメン屋もこの日に限って定休日であった。
「どうしよっか? 知らないお店ならやってるみたいだけど」
「うーん、そんな勇気はない」
「私も」
私たちのラーメンマップなど誰かに連れて来られたところばかり、冒険をする気はない。
「もうちょっと歩いてみよっか」
北大路通りを東へ、白川通りに戻ってみる。こってりラーメンで有名な行きつけその4総本店は人がいっぱい過ぎてとても入れそうにはなかった。さすがは人気店、残念である。
「諦めきれません!」
すっかり酔いも覚めてしまい体が芯のほうから冷え始めた私たちはラーメンゾンビと化し、ただラーメンが食べたいという本能のまま理不尽な寒さに耐えつつ白川通りを南へさ迷い進む。
普段なら歩いて行くことは滅多にない、刻み肉と太麺の台湾ラーメンの行きつけその5は閉店時間のため店を閉め始めていた。振り返り対面の行きつけその6(学生に優しい)の店内を覗いてみるが同様だ。深夜三時、さすがにほとんどのラーメン屋は営業していない。
「無念!」
私たちは当てもなく歩き、気がつけば百万遍の交差点で呆然と立ちすくんでいた。人はまだ多く、ファーストフード店の明かりがやたらと眩しい。京都大学の立て看板は相変わらずアナーキーだ。
「どうする? テキトーなところで飯食べちゃうか、四条とか京都駅のほうまで頑張っちゃうか」
「なぜこの時間には電車もバスもないのだ」
「こんな時間まで運転手さんを働かさないでよ」
「ラーメン、食べたかったなあ」
「おうちに帰ろう」
結局、来た時間と同じくらいの時間をかけて私たちは帰路を歩く。二十四時間営業のスーパーで食材を買い、インスタントの鍋ラーメンをすする。凍えきって動かなくなった体が徐々に熱を取り戻していった。
「これはこれでいいかもしれない」
「今度は失敗しないように時間に気を付けよう。あと他のラーメン屋も開拓しよう」
「しかし深夜にラーメンって罪深いよねえ。健康に悪いものって美味しいねえ」
「控えないとすぐに太るから」
「あなた全然太らないじゃない!」
私の体は余分を蓄えない性質らしい。反対に彼女は胸部や臀部が強調されていく。同じ女性でこの差はなんなのだ。愛しさと切なさとなんとかかんとか。
「あっ、雪降ってきたよ!」
「どうりでよく冷える」
「ちょっと行こうよ」
「えー」
野を駆ける犬のごとく、彼女は私を連れ去っていく。
京都市左京区修学院、叡山電鉄沿いのアパートの一室、朝日が差し込む。
京都市左京区、深夜にラーメン 深夜太陽男【シンヤラーメン】 @anroku
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