#30 方舟の襲撃
十二月三十一日の朝。
イデアルフロートの住民たちが待ちに待った〔慈愛祭〕の日がやって来た。
エリア1、セントラルシティでは早朝だというにも関わらず人で溢れたお祭り騒ぎで、島のシンボルである《慈愛の女神》がタワー頂上からから地上に作られた特設広場へと移され参拝する住民や島外から来た観光客で行列を作っている。
場所は変わりエリア3。
人が出払い静まり返った学生寮、マコトとトウコの部屋。
小鳥の囀ずる気持ちのいい朝だと言うのにマコトの気分は酷く重たい。
二日前から下腹部に鈍い痛みを感じているというのもあるが、問題はそんなことではなく別のことにある。
「トイレ、トイレ……ん?」
急ぎ駆け込むマコトは不意に何処からか音がしたの気付いて玄関のドアの方へ近付く。何者かが走り去る音を聞いて出てみるも、既に廊下には誰もいなく静かだった。
少し周りを確認しただけで追いかけるのは面倒だった。
マコトはボサボサの頭を掻きながら部屋に戻ろうとドアノブに触れると、そこには何かが吊るされていた。
“誕生日おめでとう。”
“直接渡したかったのだが忙しくこんな形になってしまったのは本当に済まないと思っている。”
“君の今後の活躍に期待するよ。ゼナス・ドラグスト”
リボンの結ばれた袋の中身を確認すると、入っていたのはゼナス直筆の短い文面の手紙と星の形の飾りが付いたヘアピンであった。余程、急いでいたのか文字が走り書きで汚い。
「三日遅れのプレゼント。でも、嬉しい……けど」
マコトの心は揺れ動いていた。
自分は今月限りで学園を自主退学するつもりだった。
そう言ってしまったものの、心の何処かには学園に残りたいという気持ちに揺らいでいる自分がいた。
「……トウコちゃん」
彼女は既に出掛けてしまっている。何でも〔慈愛祭〕に関わる重要な仕事があるらしい。詳しくはマコトも知らなかった。
本当は二人──親友でもあるヨシカも含めて三人──で祭りをあちこち見て回りたかったが願いは叶わず心底、残念である。
「クヨクヨしてても仕方がない。私も祭りを楽しみにいかなくちゃね」
ここに居ない二人の分も今日は最後の思い出作りに精一杯、遊び倒してしまおう。
マコトは急いで外出する準備に取りかかった。
シャワーで浴びて全身を清め、下着も新品な物を履き、いつもは無造作に跳ねている髪も整髪スプレーを使って真っ直ぐ整える。
「……よし!」
鏡を見ながら身だしなみをチェック。服の乱れはない。眼鏡に曇りは無し。ゼナスから頂いた星のヘアピンも早速、髪に付けてみた。
「さて、では出発だ」
財布その他諸々をカバンに詰め込んで、いざ部屋を出た瞬間だった。
ドアの影から飛び出した何者かに布のような物で口を塞がれる。
「むぐっ?! んー……んぐー……んぅっ?!」
相手の顔は全く見えないが自分よりも遥かに大きい男の腕である。全身の力を振り絞って必死で抵抗するマコトだったが、相手方の力は比べ物にならないほど強く、蹴りなど反撃にはびくともしていない。
「うっん…………んん………………」
ガーゼか何かから放たれている強烈な薬品の匂いに鼻腔が刺激され、マコトはどうにも耐えることができず最後には気絶した。
薄れゆく意識の中で何故か思い出されたのは、左目に傷を持つ青年ガイの姿であった。
◇◆◇◆◇
どれだけの時間がたったのだろうかマコトにはわからなかった。
まだ意識がぼんやりし、目の前は真っ暗闇で何も見ない。
あれから数分、数時間、もしかすると年を越してしまったあとなのかもしれない。
「まだ2057年十二月三十一日、正午だ。サナナギ・マコト君」
「アイマスクとっちゃいなァ!」
「…………は?」
男と少女の声に反応するマコト。
気付けば誘拐のお約束のはずな手足が縛られているなどの拘束されていなかった。声に従ってゆっくりと目元のアイマスクを外す。
「はい眼鏡ァ」
「ありがと、シアラちゃん…………シアラちゃん?!」
マコトは眼鏡を掛けて思わず二度見する。
いつの間にか大きな窓からセントラルシティを一望できる広くて綺麗な会議室に連れてこられていた。
マコトのすぐ隣にはニコニコと笑顔のヤマダ・シアラが立っている。
「チャオ!」
「チャオて……」
「やぁ、直接に話をするのは初めてだね?」
真正面、上座の席に座るはFREESの司令官であるガラン・ドウマであった。学園の入学式の挨拶以来だったが、その時に見た彼の恐持てな顔とは裏腹に柔らかい笑みを浮かべている。
「おめでとう、サナナギ・マコト。合格だよ」
「へ? な、何をですか?」
「そんなの決まってるさァ! ナナやんはFREESに入るんだよッ! これ書いて、判子を押すだけだからァ? 変な勧誘とかそんなんじゃないからァ!」
「いやいやいや、そんないきなり拉致られてそんなこと急に言われても困るよ」
「拉致? ……シアラ、君は彼女をどんな手段で連れてきたんだ?」
「いやァ、ドッキリってやっぱサプライズ感? 驚きと感動のエンターテナーだならねボクはァ!」
ふざけるシアラに呆れ果てるガラン。一体何がどうなっているのか、マコトはますます状況が掴めなかった。
「すまないね、後で叱っておく」
頭を下げるガラン。島の平和を守る特殊警察機構のトップだと言うのに丁重で腰が低くく、マコトは逆に底知れない怖いものに思えてしまう。
「さて、君にFREESへ入隊してもらいたいのは本当だ」
「でも私は今日で……」
「卓越した操縦技術によって学園のスコアを半年で塗り替えるほどの実力者……無くすのは惜しい。それに、話は一刻を争う」
ガランは立ち上がり窓に映る街の景色を眺めた。
いつも以上に人の流れの早さや交通量が多くなっているのが、ここイデアタワーの最上階からも見て取れる。
気になるのは都市を被うドームが第二天井まで展開されていることだ。
この第二天井を出す事態は激しい大雨や台風が来たときに限られる。今日は雲一つもない晴れた天気だ。太陽が真上に来る昼間と言えば日の光を浴びるために第一天井も解放される時間である。
「女神のトウコちんも大変だァね? まるで生き仏様だァ」
窓へ駆け寄るシアラが一際、人が集まっている場所をガラスをつつきながら指差す。
「女神のトウコちゃん? 何それ?」
「やっべ、いっちったァー! ってかあれ? 親友のサナやんには言ってなかったの? 黒須十子は《慈愛の女神》こと《ゴーイデア》の操縦者だってさァ」
「…………は? 本当に何なのそれ?」
二度聞き返すマコト。言葉の意味は分かるが上手く飲み込めない。
マコトの知る黒須十子と言う人間はクラスの同級生であり数少ない親友の一人だ。佇まいに気品を感じられるお嬢様という雰囲気の少女であるが、彼女のプライベートなところはあまり知らない。
「色々と言いたいことはあるだろうが時間があまり無いんだ。これは島の危機に関わる問題なのだ。君に島を救ってほしい……これは君の夢のためでもある」
サングラスの奥の真剣な眼差しをマコトに向けてガランは言った。
「私の……夢?」
戸惑うマコト。
すると突然、窓ガラスが大きく音を立てて震え出す。
その衝撃は建物の中にいるマコト達の体もビリビリと振動が来るほどである。
「あたァー?! 起こして!?」
そこまででもないのにシアラがわざとらしく転倒していた。仕方なくマコトは寝転がるシアラを抱き抱えた。
「来たか?! 想定よりも早いな……俺だ、部隊の展開を急がせろ」
机に備え付けられた通信機で連絡を入れるガランは、ドームに出来た大きなひび割れを唇を噛みながら睨んだ。
◇◆◇◆◇
「着弾は……したようだが、タワーに《女神》はいないのか?」
イデアルフロートから数十キロ離れた海域に統連軍の戦艦五隻が島へ向かって進行する。その上空で一機のSVが長い銃身のライフルを構えていた。
両肩に大きなシールドを装着した細身のボディ。目にゴーグルを装備した頭部は戦国時代の兜のようなデザインが特徴的なマシンだ。
『大佐、まだ敵の動きは無いようです』
「そうか、では《Gアーク・アラタメ》は空から先行して目標を叩く。各員は沿岸から島を制圧しろ。検討を祈る」
フットペダルを踏み締め、トキオの《Gアーク・アラタメ》はイデアルフロートの中心部へと飛翔した。
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