第六部(8、エピローグ)

  エピローグ 1982年春


 宏幸は、明日は紀子の誕生日であることを忘れては

いない。仕事中にバースデーのメモを渡すと、

「どこで美味しいもん食べさせてくれはるの・・」

と返してきた。別のメモで、待合せ場所を指定すると

OKの返事がくる。

 宏幸は、待合せ場所の大津駅前にある喫茶店に5時

半に入ると、紀子は先に来ていた。

「ストレートティー」

「高木さんはいつもストレートティーね。私、チョコ

パ追加してええかな」

「食事前の別腹かいな。感心するわ。そやけど今夜は

止めとき。せっかくの豪華飯が入らんようになるで」

 二人は。大津駅からタクシーを東に走らせ、近江大

橋を渡り北上する。日没まで1時間近く間がある。

「ここのレストランから見る夕日が綺麗やねん。思い

出に残るで」

 湖岸道路を挟んで、すぐ琵琶湖の南湖が見え、その

向こうの比叡山系が湖面に写る。

「比叡は昔一回登ったけど紅葉の秋が最高や。琵琶湖

や反対の京都の眺望も良いしな。そやけど、近くにい

るといつでも行けると思い、逆になかなか行けんもん

や」

「そうね、古くからドライブウエーが有るのに一度も

行ったことないわ。見頃はいつ頃かしら」

「10月の下旬から11月中旬がピークかな。少し早

く行けば黄色い花のオタカラコウが咲いてるかもな」

「今年は連れてってよ」

「ええやろ。そやけど車やないで。登山靴で歩き廻る

からな」

「下から登るの」

「坂本側からも京都の八瀬からも昇るケーブルカーが

あるが、やっぱり片方は歩こう。日吉神社の横から登

れるはずや」

「どれくらいかかるの」

「大比叡(848m)までゆっくりで3、4時間ほど

かな」

「比叡山と言えば、信長が焼き打ちした所ね。信長っ

て残虐ね」

「大量虐殺は戦国の習いや。肯定はせえへんけど、ど

んな武将でも大なり小なりやったがな。残虐と言うな

らアメリカの原爆投下は至上最悪の虐殺や。しかしよ

お信長のこと知ってるな」

「私、戦国お宅よ。何でも聞いて」

「以外やな。じゃあ坂本の城作ったのは」

「明智光秀」

「正解」

「その城の石垣築いたのは」

「穴太衆」

「どんな石垣や」

「穴太積み言うて、自然の石をそのまま加工せずに積

むやり方ね。幻の安土城もこの積み方だったはずよ」

「まいりました。そやけど安土城の石垣は穴太積やな

いと言われているんや。石垣は残っているから見に行

ってみるとええが、結構加工された石が多いのや。恐

らく隣の観音寺城からも持ってきたと思うが、その石

垣は馬渕衆が積んだとも言われているのや」

 二人は、パイの包み焼きビーフシチュ-で赤ワイン

を傾ける。真っ赤な夕日が比叡に沈む頃、

「とうとう売れ残りのクリスマスケーキだわ」

「25歳か、まだまだ・・・」

「まだまだ何よ。この頃高木さんとこうやって過ごす

時間が多いけど、このまま実りのない関係をいつまで

続けるのかと考え込むこともあんのよ」

「最初は割り切っていたやないか。新しい彼氏見つか

らんのかいな」

「今の職場を見渡しても、高木さん以上の男性は見つ

かんないわ」

「職場、変えたらどうや。紀子みたいな気だてのええ

子はどこでも採用してくれるで」

「そうね、一度真剣に考えるわ。チョコパ頼んでいい

かしら」

「切り替えが早いな。そうくると思うて、さっき紀子

が席はずした時に注文しといたわ」

 宏幸が軽く手を挙げると、時を移さずして高さ30

センチも有ろうか、超特大のチョコパフェが運ばれて

きた。

「誕生日のケーキ代わりや。食べるとこ写真撮っても

らうさかいな」

「感激、前に置くと顔が隠れそう」

 紀子の至福のひと時が過ぎていく。

「さあ、今夜ももうひと頑張りや」


 4年経った。結局、宏幸は、紀子とは3年前に彼女

の結婚を機に別れた。

 今は一人の娘がいる夫婦だが、二人で出かけても、

街ゆく直美や紀子似の若い娘にふと振り返ることもあ

る。

 そして、宏幸はこんな歌を思い出した。

・・あなたと片寄せ歩いていても、前に誰かと歩いた

ような・・

「あなたどこ見てるのよ。もうそんな年でもないでし

ょう」

・・・そうです。今年で36歳。でも体はついてこな

くとも気持ちだけでも浮気させてよ。由美子、お願い

だから・・・



  第6部 完

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微熱時代 雨箭 山月 @QUEGOU

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