第六部(3、転勤)

  転勤 1979年冬


 転職以来宏幸は部署は何度か変ったが、ずっと京滋

支店の大津営業所勤務だった。しかし、この度京都の

三条河原町上ルにある、京滋支店の京都中央営業所に

異動させられた。

 11月にその辞令を伝えられた時、「左遷かな。で

も特に何かをやったという覚えもなく、日ごろから、

上司にずけずけと物言う性格が疎んじられたのかな」

と、彼は納得した。

 12月から異動する京都中央営業所の責任者は、今

までは、近くの京都北営業所の所長が兼任していたの

だが、成績も芳しくなくて今回の異動で所長を解任さ

れ、一介の営業担当に戻された関係で、空きができた

から所長代理で行ってくれと、もっともらしく聞かさ

れた。

 すぐにではないが承諾の返事をしてしまったのは、

繁華街に近くなると共に、何よりも鬱陶しい大津営業

所長の顔を、毎日拝まなくてもすむとの思いもあった

からかもしれない。

 二年ほど前から、由美子に内緒で軽く社内ラブして

いる伊藤紀子からは、

「いいじゃない。カントリーボーイからシティボーイ

になれて。それにあそこの女性スタッフは二人とも二

十代で、ちょっとしたハーレムじゃない。でも浮気し

ちゃ駄目よ。私の通勤途中の駅だし、これからしょっ

ちゅう帰りに寄るから」

と釘をさされてしまった。

「おいおい勘弁してくれよ、お前とはそこまで行って

ないでしょう」

と、紀子には聞こえないように、小声でつぶやいた。

 そもそも男と女の出会いでは、身近にいる関係で結

ばれるのが多い。由美子と結婚してからは、平日に夫

婦が顔を合わす時間は睡眠時間を除けばせいぜい4、

5時間。それに引き換え、オフィスでの紀子との時間

は外出しない日は9時間以上。必然的に親しい関係に

なってくる。

 紀子は宏幸が結婚していることを知っているので、

私的な会話もずけずけと出てくるし、きわどい話もし

ている。

 去年の春のある日の事、紀子は朝から沈んだ表情で

いて、宏幸のからかいにも乗ってこない。

でいて、宏幸からのからかいにも乗ってこない。

「どないしたんや」

「なんでもないし・・」

「そやけど元気ないな。紀子らしくないよ」

「ちょっと、ショックなことあったん」

「何があったんや」

「今は話せないわ。仕事終えてからでも私の愚痴聞い

てくれる?」

と言う事で、二人は大津駅前の居酒屋で7時に落ち合

った。

 焼き鳥とビールで始めると、

「実は、今朝ショックな所を見てしまったんよ」

「職場の中の話やないな」

 紀子は生ビールを一気に飲み、

「うち、半年程前に彼氏と別れたんやけど、今朝方、

烏丸鞍馬口のバス停でバス待ってると、前をその元の

彼が車で通って行ったんや。中央線寄りを通って行っ

たから私には気付かなんだらしいけど、その横に女の

人乗せてたんや」

「知り合いか?」

「総務の浅海順子や」

「確かかいな・・」

「お昼休みに、順子を屋上に呼んで確かめたんや。そ

したら認めたわ。しかも、もう1年近くになる言うの

よ。あいつ、私と別れる前から二股かけとったんや。

それを思うと悔しくて悔しくて・・」

と言いながら、涙ぐんで来た。

「そやけどもう別れた相手やろ。気にすんなよ」

「順子は私より二つも若いから、余計に腹がたつわ。

お兄さん生おかわり」

 運ばれてきた生ビールを、又一気に飲み始めた。

「おいおい、無茶すんなよ」

「今夜はとことん飲んでやる」

「飲んでばかりは体に悪いで。食べることもせな。こ

この焼き鳥美味いやろ」

 あれやこれやの愚痴に、二時間も経ってしまい、紀

子が相当酔ってきたので、

「もうそれくらいで止めとき。出よか」

「奥さんの顔早う見たいんでしょ。だめ、もう一軒付

き合ってよ」

「無理すんなよ」

 店を出て、紀子が歩き出す。

「何よ、高木さんだから愚痴聞いてくれる思うて打ち

明けたのに。最後まで面倒見てよ」

「最後までてどういう意味や」

「最後は最後や。それ以上言わさんといて。それより

又トイレ行きとうなったわ、早よ探して」

と言いながら、どんどんと駅から反対方向の、琵琶湖

方面に歩きだしていく。

「そんな事言われても、そっち行っても公衆トイレ無

いで」

「あそこにホテルが見えてきたでしょ」

「そんなとこ・・」

「意気地なし」

と紀子が先に入ってしまったので、宏幸は仕方なくと

いうか、後ろめたい気持ちとうれしい気持ちの半々の

中途半端な状態で、そのラブホテルにトイレを借りに

入った。

 宏幸と紀子は、それ以来の中途半端な関係が、ずる

ずると今でも続いている。


 二人の女性スタッフとは、一人は大西実穂と言い、

元職が某有名外車ディラーで、トップクラスの販売員

であったが、仕事がハードで転職してきた。もう一人

は、かわいい系の事務員辻直美。ともに世に言う独身

花のOLであると、紀子が宏幸に報告してきた。

 着任して、実穂はちょっとお高いかな、直美は男

好きのしそうな娘だな、行くなら直美からかなと、宏

幸は、さっそく思案してしまった。

 仕事はちょっと変則で、土日はその営業所に来る顧

客は、二人のスタッフに任せてしま

い、もっぱら他のモデルハウスや宅地造成地の販売員

への設計支援で、出払ってしまう。

 従って、今までの土日休みから水木休みになり、月

火金の平日のみが事務所に居座れた。

 その平日は、実穂はフロントにいて、宏幸の目の前

には居らず、直美のみと事務室内で二人きりになる時

間が圧倒的で、最初のうち二人はぎこちない雰囲気だ

ったが、BGMに宏幸のお気に入りのピアノ曲を入れ

て気を紛らわしていると、実穂の方が気に入ってしま

い、

「いいですね、これモーツアルトですよね、好きなん

ですよ。チャイコフスキーのピアノ協奏曲のカセット

テープが有りますので、明日持ってきますね」

と。宏幸は、直美と協奏曲を奏でたいと思っているよ

うだが・・・。


 2月の最初の土曜日、車で移動途中に聞いたFMラ

ジオから「先週から円山公園はライトアップされてお

り、今日明日の二日間は、円山音楽堂で吾妻祥子ライ

ブコンサートも行われます」と、宏幸の耳に入り、

「これこれ、誘ういいねた発見」

 行き先の右京区にあるモデルハウスに着く前にさっ

そく電話を入れる。

「定時には少し遅れるけれど、待っていてくれないか

ぁ。今夜みんなで花見に行こうよ」

と誘うが、実穂は今日は習い事で不参加。直美はのっ

てきた。実穂の習い事のある日は事前に紀子からの調

査で、宏幸は知っていた。

 帰社が15分ほど遅れたが、直美が、

「実穂も行きたそうにしていたよ。二人揃う明日じゃ

駄目だったの」

と詰めよるが、明日は夕方から設計契約が入っている

ので、帰社時間が確定できないと宏幸は言い訳する。

 円山公園前までのバスは混んでいた。自然と直美と

は向き合った体を触れ合う形となり、宏幸の10セン

チほど下にある目と合う度に、二人の目元が緩んでし

まう。

 帰りは、宏幸が直美を送っていかない約束だったの

だが、公園から神宮道を通り、岡崎のご休憩所へ二人

は入っていった。



・・・宝剣岳、北横岳 に続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る