第四部(8、大台ケ原)

  大台ガ原 1977年春


 宏幸が裕子と付き合いだして1年余り、会う機会は

少ないが、まだ続いている。彼女に対しては、おっと

りした性格だが、芯はしっかり者といった感じを持っ

た。体付きはやや細めであどけなさが残っているが、

凹凸は結構あった。


 五月に入り、薫風香る季節となった。

 下旬のある土曜日、裕子がシャクナゲが見たいとい

うので、大台ガ原に行こうということになった。

 電車とバスで行くことも出来るが、宏幸は自由が利

くマイカーにした。大台ガ原に着いたのは11時過ぎ

だった。駐車場から西に下り、シオカラ谷から大蛇嵓

へ登る途中で、

「ここがシャクナゲ坂。大群落になり、斜面一杯に咲

いてるやろ。正木ガ原から、東の大

杉谷に下る途中にも、大群落があるそうや」

「枝の先一箇所に、花がいくつもかたまって豪華ね。

それに葉っぱが特徴的で、すぐ覚えられそう」

「関西では、他にシャクナゲの名所は、滋賀県日野町

の鎌掛や」

 森林へ入れば甘い香りが二人を包む。

「森の匂いも気に入ったわ。これが森林浴ね」

「フィトンチッドと言うて、気分を落ち着かせ、大脳

の働きを高める作用が有るんや」

 大蛇嵓はアケボノツツジが咲き、眺めが良いところ

で、野菜サンドと、梅干しのおにぎりでランチタイム

になる。

 そこから東へ1時間ほどで正木ガ原で、写真にもよ

く出てくる、トウヒの立ち枯れた白骨林がここで見ら

れる。

「宏幸さん、たくさん鹿がいるよ」

「あの鹿が、この白骨林になった原因やそうや」

「どうしてなの・・」

「うそかほんまか知らんけど、鹿がトウヒの皮をむし

り取って食べるから、樹の上まで栄養が届かずに枯れ

るそうや」

「それで木に金網が巻いてあるのね。悪さするのは、

人間だけやないんやね」

「悪さと考えるより、動物が生きていく為の自然の摂

理かな。それにしても、先っき通ってきた所にあった

銅像は最悪。景観のぶち壊しやで。なんでこんなとこ

に、あんなもん建てなあかんのや」

「鹿が、あの銅像もかじってくれたらエエのになぁ」

「異議なし」

 最高峰日出ガ岳(1695m)に着いた。南方の展

望が良く、吉野や大峰の山々が連なり、尾鷲湾も見え

る。

 帰りは小処温泉に立ち寄ろうということになった。

 ここは山あいの小さな温泉で、宿も1軒しかない。

 宏幸が湯上りに休憩どころで待っていると、裕子が

赤い顔をしてしんどそうに出てきた。

「どうしたん」

「ちょっと湯あたりかな。しんどいの」

「少し横になるとええよ、宿の人に頼んでくるわ」

 2時間もすればようやく落ちついたが、夕方5時を

過ぎていた。

「今夜は泊まろうや。明日は日曜日だし」

 裕子はちいさくうなずいた。

 夕食は山菜料理と、珍しい鹿肉の刺身である。

 その夜の裕子は、宏幸の腕の中で、何時までも聞こ

えてくる川のせせらぎを聞きながら、眠りに就いた。



  第4部 完

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