第四部(7、九重山)

  九重山 1976年冬


 宏幸は、学生時代から冬山登山は避けている。装備

も大変だし、遭難率も高く、かつピークまでの時間が

読めないから、行動計画が立てにくいなど、色々理由

がある。

 しかし、年末年始の休みに由美子が佐賀の実家に帰

るというので、車に乗せて行き、ついでに二人で九州

の冬山をいくつか登る事になった。宏幸は、九州なら

雪の心配は要らないとも思った。

 九州の山は比較的低い山が多く、一番高い山でも九

重山の標高1791mである。従って、日帰りでも行

けることが多いが、北アルプスのような山小屋は少な

い。

 その九重を先ず目指した。

「春にはミヤマキリシマが咲いて、日本一の絶景にな

るのよ。高校時代に、やまなみハイウエーを通って一

度来たわ。でも、冬は初めて」

 由美子は地元に近いので良く知っている。

「温泉も麓だけではなく、山の上にもあるわ」

「法華院温泉やろ。明日、主峰の久住を登ったら帰り

に寄ろう。ところで、由美子はあんまり佐賀の方言が

出えへんけど、訳あんのかいな・・」

「実は、私の父が建設省の役人だったので、小学校か

ら3回も転校してね。最初に転校した時、方言がもと

でだいぶ苛められたの。だから、その後はできるだけ

気をつけて喋るようになったのよ」

「そうか、苦労しとるんやなあ」

「でも、転校する度に新しい友達ができて、それはそ

れで楽しかったわ」

「今、お父さんはどうしてるの・・」

「去年の春で定年退職して、天下り断って、鳥栖の町

外れで畑を買って百姓やり始めたわ」

「悠々自適、晴耕雨読やな。あこがれるわ」

「いままでやったら、家事一切をお母さんがしてたけ

ど、えらい変りようよ」

 年末だが、運良く国民宿舎に宿泊ができた。夜は九

州と言っても標高1200m余りあり、外気温は零度

近くになる。結局、次の朝は初雪が降り、なだらかな

九重も薄化粧した。

 登山口まで1kmほどだが車で行くことになった。

ワイパーが凍っており、宏幸はフロントガラスにお湯

をかけて溶かした。雪用タイヤは着けてはいなかった

が、積雪量も少なく、地道なので難なく着いた。

 駐車場からは、前方に三俣山(標高1745m)が

そびえる。久住は右奥でまだ見えない。

「絵になる山やなあ」

「国民宿舎のポスターに、九重のシンボルって書いて

あったわよ」

 林道沿いから離れ、三俣山を左に巻くように登るこ

と1時間余りで、すがもり越の峠に着いた。すこし下

ると、法華院温泉に行く道を左に分けて、平らな北千

里浜が始まる。

 そこから、久住別れを越えて、約1時間余りで久住

山に着いた。

「昔は祖母山(標高1756m)が、九州で一番高い

山と言われていたんやが、その後に、この久住が一番

ということが判ったんや。ところがまだ高い山が在っ

たんや」

「どこなの・・」

「ほら、向かいに見える山、中岳が4メートルほど高

いんや」

 その中岳を経て、二人は九州では一番高い所にある

法華院温泉に向かった。

 昼食は、温泉に浸かってからゆっくり摂った。こう

いうときは甘いものが良いというので、ビスケットと

水羊羹、それにドライレーズンの組合せである。

「チョコボールもあったやろ・・」

「途中で食べてしまいました。申し訳ございません」

「チョコレートは非常食にもなるから、少しは残して

おくもんや」

「私のチョコ好きは、知ってるはずでしょ」

「だから太るんや」

「ほっといて」

 その夜は、赤川温泉赤川荘に宿をとった。夕暮れ時

に部屋の窓から南西方面を見ると、

「ほら、阿蘇が見える。ちょうど、左を頭に釈迦が寝

ている姿に見えるそうや。宿の仲居さんが教えてくれ

たわ」

「そう言われれば、そのように見えるわ」

「そのようにいうて、お釈迦さん見たことあるんかい

な。仏教徒でもないのに」

「混ぜ返さないでよ。想像よ」

「俺は、由美子が横を向いて昼寝してるように見える

で。ほら、お尻の大きいところなんかそっくりや。明

日はあのお尻の下あたりから登るんや」

「失礼ね」

 こうして二人は、1976年の大晦日の夜を九州で

迎えたのであった。


章末注記

(1)九州の最高峰は、屋久島の宮之浦岳(1935

  m)



・・・大台ガ原 1977年春 に続く。

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