第四部(6、涸沢)

  涸沢 1976年秋


 宏幸と由美子は、この年の秋は、北アルプス涸沢の

紅葉を目指した。涸沢に限らず、北アルプスの紅葉は

初雪と紙一重でやってくる。ところが、必ずしも色鮮

やかな紅葉が見られる補償は無い。しかし、人々はそ

れが見られることを期待してやってくる。

 二人は、10月の第一の土日にポイントを絞り決行

した。アプローチの時間を稼ぐために、自家用車で直

接乗り入れることも考えたが、昨年から実施されてい

るマイカー規制で、それもままならず、結局、夜行の

ちくま1号に乗った。松本駅で松本電鉄に乗り換えて

新島々へ。更にバスで上高地に6時半を過ぎた時刻に

到着した。

 宏幸にとっては上高地は三度目である。二度目は学

生時代の秋に佐知子と来た。それも、訪なう人が少な

くなった秋口だった。

 五千尺ロッジに泊まり、明神池や大正池等を巡り、

2泊後に帰ろうとした時に台風が通過して、梓川下流

の釜トンネル付近で土砂崩れが起き、2日延泊したこ

とを思い出した。

 上高地バスターミナルで朝食を済ませて、7時半出

発。昨年架け替えられた河童橋は人もまばらで、岳沢

を見上げれば、朝日に照らし出された上部が色づいて

いる。

 梓川左岸の広い道を歩くこと一時間で明神、更に一

時間で徳沢に着く。

 そこから10分ほど行き、梓川にかかった新村橋を

渡ると、登山者はほとんどいなくなるルートがある。

 横尾廻りより短距離だが急登が続く。しかし、静か

で紅葉が綺麗なコースで、パノラマ新道と呼ばれてい

る。

 梓川右岸を離れ、10分もすると、由美子は立ち止

まり、

「けっこうきついね。もう汗だくよ」

 後ろから由美子を見上げながら、宏幸が、

「セーターは脱いで、キスリングに挟んどこか。秋山

は重ね着が難しいんや。朝晩は気温が零度以下に下が

るから、下着に限らず綿のものは絶対駄目。化繊の下

着にウールの中着、そしてセーターを羽織る。そして

いざという時は、雨カッパスタイルが定番や」

「夏山と違い、キスリングの中は、衣類が多くてパン

パンね。ところで全然登山者がいないね」

「静かでええやろ。このコースは最近開かれたんや。

だからちょっと古い山地図には載ってないんや」

 途中、ナナカマドは赤くたわわに色づき、ダケカン

バも黄色に萌えている。

 12時前に、やっと涸沢が見下ろせる屏風のコルに

着いたので大休憩を取る。宏幸は、岩陰でメタに火を

付けて、ポリタンの水を沸かす準備を始めた。その間

に、由美子は胡瓜をスライスして塩を振る。湯が沸け

ばレトルトのカレーを放り込み、5分ほどで引き上げ

た残り湯は、アルファ米の袋に入れ、しばらくすれば

ランチが始まる。

「このアルファ米は自家製や」

「どうやって作るの・・」

「簡単や。冷や飯を、ラップをかけずに冷蔵庫に入れ

て、バラバラになったら出して、陰干しすれば出来あ

がり」

「今度は私もそうするわ」

「前は登山専門店で買うてたけど、作り方覚えたら、

買う気がしなくなったわ」

 食後のストレートティも、色づいた紅葉の下で飲め

ば、格別の暖かな味わいになる。

「さて、午睡をちょっとしたいな。由美子、膝枕」

「10分たてば交代よ」

 宏幸は、由美子の膝、いや腿がやわらかくて気持ち

よくなる。見上げれば、青い空と、午後の鰯雲が綺麗

で、本当に眠たくなってきた。しかし、由美子の胸の

膨らみ越しに見上げると、つい下から膨らみを押して

しまった。

「これッ、見られるよ。人が登ってきたから」

 屏風のコルからは一気に下り、涸沢小屋に午後3時

に到着。1泊2食3000円の宿泊申込を終え、部屋

に荷物を放り込んでテラスに出ると、そこは素晴しい

景観が待っていた。涸沢カール一面を見るやいなや、

宏幸が、

「ゴブラン織りの絨毯が敷き詰めてあるやないか」

「素晴らしい景色ね。あの上で寝転んでみたいわね」

 そしてその上の方には、薄化粧を施した北穂高(標

高3106m)、涸沢岳(標高3110m)、奥穂高

(標高3190m)、前穂高(標高3090m)と、

三千メートル級の山が、ぐるっと取り囲む。

「絵葉書でみた、ヨーロッパアルプスのようやな」

「ヨーロッパアルプスも何時かは行きたいわね」

 二人は、蜂蜜を少したらした紅茶をゆっくり味わい

ながら、白雲を飽きずに眺め、至福の時間を過ごす。

「ますます涸沢が好きになったわ。来年も、再来年も

来ようね」

「穂高はいつか登りたいけど、涸沢だけは格別やな。

ところでお願いがあるんや。もし俺が由美子より先に

死んだら、灰をこの涸沢に撒いてほしいんや」

「あなたって結構ロマンチストね」

「この景色が言わせるんや」

「いいわよ。でも私が先に死んだら、あの一番高い奥

穂高岳に灰を撒いてね」

「相変わらず、負けず嫌いやなぁ」


 次の日はパノラマ新道を戻らずに、横尾谷廻りで帰

る。

「ここも、ダケカンバの林が綺麗や」

「ちょとしたプロムナードね。対岸に屏風みたいな岩

があるわね」

「文字通り、屏風岩と名付けられているよ」

「去りがたい風景が一杯ね」

「上高地あたりで、もう一泊しようか・・。どうせ夜

行列車で帰っても、明日は休み取ってるのやろ」

「それはそうだけど・・」

「決まりや」

 横尾前の梓川にかかる幅1mほどの板橋を渡れば、

あとは川沿いに3時間余りで河童橋である。

 結局、宏幸にとっては思い出の五千尺ロッジに宿を

取った。

 部屋に入るなり、

「貴方、前にここのロッジに泊まったことあるでしょ

う」

「当たり。なんでわかったのや」

「あてずっぽよ。学生時代に、台風のあと二日ほど講

義に出てこなかった事あったでしょう。さっちゃんも

同じだったので、問い詰めたら白状したのよ。あなた

と一緒だったって」

「まいりました」

「本当は妬けたわ。実を言うと私それ以前から貴方の

こと好きだったの。でもさっちゃんがいたから、遠く

から眺めているだけで我慢していたの」

「そうやったんか」

「だから、貴方と再会できて、こんな形で一緒に旅行

できるなんて幸せよ」

 宏幸は、由美子の両肩を引き寄せ抱きしめた。二人

の会話はそこで途切れたが、

・・危ない、危ない。こんなに思いつめられては、浮

気もおちおち出来ない。裕子とはしばらく会わないで

おこう・・


章末注記

(1)横尾の吊橋は、1999年完成の立派な1億円

  の吊橋になっている。


(参考文献)

アルパインガイド 上高地槍穂高   1975年版

                   山と渓谷社

夏山JOY    1975年6月号他 山と渓谷社

山と渓谷     1988年8月号他 山と渓谷社



・・・九重山 1976年冬 に続く。

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