第三部(7、伊吹山スキー)

  伊吹山スキー 1974年冬


 11月に入り、例年に無い寒い日が続いている。喫

茶店の窓から外を見ながら、由美子が宏幸に、

「もうクリスマスのイルミネーションが点き始めてい

るね」

「今年はクリスマス寒波が来そうやなあ」

「どうしてわかるの?」

「今頃から寒くなるのは、これからひと月ほどの周期

で寒暖が来る前兆や。きっと当たるで」

 12月に入り、一旦暖かくなったが、やはり19日

の気象予報で、発達した低気圧を伴う、気圧の谷が通

過してくると、発表された。

「予想どおり、クリスマス寒波が来るから、スキー行

くよ。由美子」

「22日の日曜日に行くのね。用意するわ」


 20日から関西に降り始めた雪は、22日になり小

降りになった。宏幸は、名神高速の深草バス停で由美

子を拾い、自家用車で伊吹山を目指した。

 カーステレオからは、宏幸の好きなフォークやポッ

プスが流れる。すべて、LPレコードから選曲録音し

たものである。

「かぐや姫と五つの赤い風船の曲が多いのね」

「こんな曲はどうや・・」

と、カセットを入替えると、平山美紀の「真夏の出来

事」が流れ出した。

「私この曲大好きよ」

と、由美子は一緒に歌いだした。

「♪・・海は、恋の終わりを知っていた」

「終わりにならんように願いたいね。・・歌うのに夢

中で聞こえてないか・・」

 彦根インターで名神高速を降り、米原から国道21

号線に入ると、左前方に、どっしりとした伊吹山が迫

ってきた。

「12月やからベタ雪やけど、初心者は伊吹山がええ

のや。いろんなコースが楽しめるしな」

「しっかり教えてね」

「任しとき。これでもスキーのバッジテスト2級や」

「1級は難しいの・・」

「ジャンプが入るからな。建築士の1級より難しいや

ろな」

 2級建築士は、昨年二人とも一発で受かった。1級

の受験は来年である。大学時代に、担当教授からは、

「2級なんか受けるな。四大卒は1級から受けるもん

や」

といわれたが、宏幸は、大学での設計製図は、いつも

可だったのでとりあえず受けた。

 8時半頃山麓に着く。三ノ宮神社横のリフト乗り場

は長蛇の列である。

「最近のウエアーって、結構派手になってきたね」

「そうやな、去年デモパンなるものが売りだされてか

らは、ファッション性が向上したように思えるな」

「宏幸くんもデモパン買ったのね」

 最近、由美子からの呼びかけは、高木くんから宏幸

くんに変わってきた。

「今まではトレンカを履いてたけど、靴の中に雪が入

って困ってたんや。これができたお陰で、思い切りこ

けても大丈夫や」

「それにしても、そのオレンジ色は鮮やかね」

「どこにいても、由美子が見つけやすいやろ」

 一合目までは、スキーを履かずにリフトに乗り、由

美子用のスキーを借りに行く。

「由美子は、身長155位やから、本当は170位の

長さが合うのやが、初心者やし短めにしとこか。16

5センチを貸して下さい」

「短いほうが滑りやすいのね」

「長いスキーは安定感があって、スピードも出る代わ

りに、ターンがやりにくいのや」

 ゲレンデに戻り講習を始める。

「今日のレッスンは、転び方、エッジの掛け方、山の

登り方、ボーゲン、ターンの仕方、それくらいかな」

「リフトは乗らないの・・」

「10年早いわ」

「先ず転び方や。これ覚えとかんとケガのもとや。転

ぶときは必ず山側に倒れること。最初は後ろに倒れる

ことが多いけど、体重が後ろに残るからや。姿勢は、

膝を前に出し少し山側に倒す。背筋を伸ばし、足元は

見ないで前方に目をやる。その格好を取ってみて」

「こうね」

「もっと膝を山側に押す。そうすると倒れそうになる

から、我慢するんや」

 こうして、初心者講習を進められていった。午前中

にボーゲンまでを、それなりに出来るようになった由

美子だが、どうしても、止まったままでの180度タ

ーンができない。

「思い切って足を上げ、板をひっくり返すんや。・・

もっと上げる」

「引っかかってできないわ」

「しょうがないなあ。ほんなら究極のターンを教えた

る。そのまま山側に倒れる」

 ドーンと由美子は倒れ込んだ。

「それから身体を上に向け、両足全体を持ち上げ、板

もそろえて反対に向ける」

 大分へばったきた由美子だが、なんとか出来たよう

である。

「やったなあ。今度はスキーを少し広げて、エッジを

利かせながら、ストックを軽く突いて立ち上がる。こ

れができたら昼飯や」

「もうへとへとで、汗びっしょりよ」

「とりあえず、風邪ひかんうちに、ストーブのある食

堂に入ろうか」

 午後からは少し雲間が開いてきた。

「さあ、今からは自由に滑らしたろか。まずリフトの

乗り方からや」

 宏幸はいきなり、由美子をスキー場の最上端の6合

目まで引っ張っていった。積雪量も2メートルを越え

ている。

「こんな急な所から滑るの、怖いわ」

「あとは身体で覚えよか。何回もこけるうちに、上手

うなるから」

 宏幸はさっさと降りていった。宏幸が、三合目まで

数往復するうちに、やっと由美子は三合目のホテル前

までたどり着いた。

「どうやらボーゲンだけで滑れて、止まれるようにも

なったな」

 午後も四時を過ぎると、肌寒くなってきた。

「そろそろ帰り支度しようか。スキー外したらクール

ダウンや。それに、ようストレッチ体操しとかんと、

明日トイレに行ってもしゃがめへんで」

「筋肉痛になるのね。今でも、腿と脇辺りがパンパン

よ」

「名物の伊吹もぐさでも買うて帰ろうか。おかんに土

産や。由美子にも帰ったら据えたろ」

「いやよ、年寄りくさい」

 帰りも宏幸の運転であるが、20分も行かないうち

に、社内の暖房と適度な揺れで、由美子は寝てしまっ

た。

「まったく、無防備な寝顔やな。大分汗もかいたし、

風呂でも入ってから帰ろう」

と思いながら、宏幸は国道21号線をもう少し走り、

米原付近の国道8号線沿いに在る、御休憩所に車を

辷りこませた。


章末注記

(1)伊吹山スキー場は、経営していた親会社の不祥

  事等が影響して売却されたが、2009年に営業

  を廃止。



・・・御池岳 1975年春 に続く。

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