第三部(6、苗場山)

  苗場山 1974年秋


 宏幸の山行の楽しみの一つに温泉がある。特に秘湯

や露天、混浴と聞くと心が弾むようである。由美子と

の今回の山旅は、湿原の苗場山に登り、そこから南東

に下った赤湯温泉を目指した。秘湯とランプの宿とガ

イドブックに書かれてある。

 国鉄の湖西線が今年の7月に開通し、北陸周りの乗

換えが少なくなり、ちょっと便利になった。

 特急雷鳥で富山まで乗り、急行に乗り換え柏崎まで

乗る。信越線宮内から、上越線で越後湯沢に二人が着

いた頃には、午後五時をまわっていた。

「結構時間かかったわね。疲れたわ」

「工事中の北越北線が出来たら、もう一寸早うなると

思うけどな」

「座りっぱなしで、お尻が痛かったわ」

「そんなに皮下脂肪が厚うてもかいな」

 その日は、川端康成の小説雪国の舞台になった、越

後湯沢温泉に泊まった。

「トンネルを抜けると雪国だった、というトンネルは

無かったね」

「その場所は、関東方面から来て通る清水トンネルあ

たりがそうと違うか・・」


 次の日は、早朝なのでバスはまだ動いておらず、タ

クシーで、苗場のかぐらスキー場の祓川登山口まで入

り、登山を開始する。

 ゲレンデ内の登山道は、結構えぐられていて、かつ

泥濘も多くて歩きづらいようだ。30分も歩くと和田

小屋に到着。無人だが、頂上への案内が書いてある。

「山頂の遊仙閣は、予約が要ると書いてあるよ」

「そんなら、一気に赤湯まで足伸ばそか」

「山頂の池塘めぐりを楽しみにしていたのに。駆け足

になるの・・」

「ガイドブックのコースタイムでは約8時間半か、な

んとか5時までには赤湯に着けるやろ」

 再びスキーリフトの右側を登る。下の芝、中の芝、

上の芝を通り、約3時間で稜線に出ると、小松原湿原

の分岐がある。

「小松原は、苗場山頂よりも静かな湿原や。いつか行

こうや。今度は7月初め頃がええやろ」

「何の花が見られるの・・」

「トキソウやワタスゲが見事やそうな」

 神楽ガ峰(2030m)を越え、お花畑と水場のカ

ミナリ清水で小休憩。そこから急登すると、小松原分

岐から1時間半、広大な湿原が出現する。

 苗場山(標高2145m)の周辺は池塘の宝庫であ

る。

「草紅葉が綺麗ねえ」

「ナナカマドの実が赤く色付いてるようやし、白色の

サギスゲや、緑色の笹とのコントラストも素晴らしい

なあ」

 昼食を摂りながら由美子が、

「トンボの天国ね」

「アキアカネや。それに変った花が咲いとるな。花図

鑑出してくれるか・・」

 花の後ろに、曲がった尻尾が付いた格好である。

「宏幸くんでも、わからない花があるのね」

 調べると、キツリフネ、別名ホラガイソウである。

季節的にはもう終わり頃である。

「西へ下ると、秋山郷いうて、秋が最高の温泉郷があ

るんやけど、小松原湿原とセットでは季節が違うし又

の機会に考えようか。さあ、赤湯へ下るで」

 昌次新道を南東に湿原の端まで行くと急な下りにな

る。露岩の目立つ道を経て、尾根筋に入り、周りの樹

木がだんだんと高さを増す頃に、フクベ平に着く。頂

上から約2時間半、地図の標準コースタイムを上回る

ペースである。

 フクベ平から南へ下ること約1時間、清津川の鉄橋

を2回越えて、赤湯温泉山口館に着いた。受付を済ま

せ、部屋に案内される。

「うわさどおり、電気も来ていないね」

「暗くならないうちに露天風呂に行こうか・・」

 二人は、宿のゴム草履を借りて少し歩くと、温泉が

見えてきた。湯の色が黄色い。

「手前からの玉子湯と、薬師湯の二つが混浴。奥の青

湯が女性専用と書いてあるわ、よかった」

「混浴のほうに入ろうや」

「いやよ、水着も不可と書いてあるし、人が来たらど

うするのよ」

「泊まり客少ないから大丈夫」

 結局、由美子は人が来たら、直ぐ女性専用の露天風

呂に逃げ込めるように、真ん中の薬師湯に入った。

「川のせせらぎを聞きながらの入浴は、最高やな」

「ほんと、秘湯そのものね」

「写真撮ろか」

「綺麗に撮ってね。でもヌードはだめよ。私がいいと

言ってからシャッターね」

「ええよ、皮下脂肪の厚いお尻は写さへんから」

「何よ、これでも気にしてるんだから。高木くんのバ

カ」

 夕食もランプの下で、山菜料理を堪能した。

 そして二人は窓下に集く虫の鳴き声を聞きながら、

秋の夜長を心ゆくまで楽しんだ。



・・・伊吹山スキー 1974年冬 に続く。

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