第三部(5、五色ガ原)

  五色ガ原 1974年夏


 今年の夏は、太平洋高気圧の軸が北に偏った、東高

西低型の気圧配置で、好天が続くことが予想されると

の長期予報をもとに、二人は夏山行の計画を練った。

そして、天気の周期と仕事の都合で、結局、盆前後が

良いということになってしまった。

 出発は、世間でいう盆休みの始まりであり、12日

の米原発の特急雷鳥1号は、何とか二人の席を確保で

きたものの満員だった。富山からは富山地鉄でたてや

まま駅で行き、ケーブルで美女平へ。そして、バスで

終点室堂に着いたのは午後4時頃になり、火口湖のみ

くりが池や、ブクブクと泡立つ地獄谷を巡ってから、

室堂山荘に一泊した。 


 翌日、まずは一ノ越を目指して歩き始める。石畳の

登山道を登ると小さな雪渓を横切る。緩やかな登りが

続き、一ノ越からは、雲が架かった槍や笠が展望でき

た。

 南下を始め、竜王岳(標高2872m)、鬼岳(標

高2750m)を過ぎると小雪田が現れた。

「足元濡れそうやし、オーバーズボン穿こうか」

 由美子はキスリングを下ろし、ごそごそしだす。

「そんなもんは直ぐ出せるように、上の方に入れとく

もんや」

「だって、朝に荷物整理した時いい天気だったもの」

 一方、宏幸は新しく買ったスパッツを着けた。

「それ便利そうね」

「昔はゲートル言うて、軍人が巻いていたものと同じ

発想のものや」

 獅子岳(標高2714m)からは、ザラ峠への長い

坂の下りで、ハシゴが2本待っていた。

「梯子の下りは、やっぱり恐そう」

「前に槍で教えたのを思い出そうや。降りる時は、ハ

シゴの縦枠を持つと危険や。汚れていても、ハシゴ段

をしっかり握れば大丈夫。先に降りるから、よう見と

くんやで」

 二、三段降りながら、

「下に着いたら合図するから、ゆっくりと取り付くん

や」

 無事、2本共通過。一息入れる。

「ザラ峠は、昔佐々成政が越中から三河に行く為に、

真冬に越えていったことで有名な峠や」

「なんでこんな所を通ったの・・」

「家康に、軍事応援を求めて行こうとしたけど、近江

から尾張廻りは、敵対する秀吉が盤居していて、ここ

しか安全なルートは無かったのや」

 木道を登りきって、五色ケ原山荘に、3時過ぎに到

着した。

「日が暮れるまで、まだ時間が有るし、周辺を見に行

こか・・」

 五色ケ原は、北アルプスでは弥陀ヶ原に次ぐ広大な

溶岩台地で、最盛期には、台地全体が花で埋まる。高

原は二段になっていて、下の台地には、コバイケイや

ミヤマトリカブト等が咲き乱れている。

 上の台地に入り、ハイマツ帯を巡ると、雷鳥の親子

が岩陰から出てきた。

「登山者が増えて、人間慣れしてきとるなあ」

「ちょっと違うのよ。ヨーロッパでは雷鳥を猟師が撃

ち殺していたから、人間を見たらすぐ逃げるけど、日

本の雷鳥は古くから神の使いとして保護されてきた歴

史があるんだって。だから、人間だけは怖がらない遺

伝子ができたらしいのね」

「よお勉強しとるなあ」

「腹は白いけど、背中は黒っぽい色ね」

「今は夏毛や。冬になる前に、冬毛の白い羽に生え変

わるんや」

 今日は晴れていて夕日が綺麗ですよと、小屋のご主

人に教えられたので、台地の西側に回り二人で並んで

座り、夕日を眺めた。

 やがてどちらからともなく見つめあうようになり、

長く伸びた二本のシルエットは、ひとつに重なってい

った。


 次の日は、チングルマの斜面を下り、雪解け水が洪

水のように流れ出ているところで休憩を取る。お湯を

沸かしていると、由美子がパステルを取り出して、花

の絵を描きだした。

「結構うまいもんやな。この桃色と橙色の配色が何と

も言えんがな」

「色使いは、その人の個性が出るから誤魔化せないの

ね」

「俺なんか、見たままの色に似せようとするだけで、

面白みの無い絵やと、中学生の時に先生によう言われ

たわ」

「第一印象でピンときた、色や形を一寸強調して書く

だけで、それなりに上手く見えるものなんよ」

「そんなもんかなぁ・・」

 30分休んでから出発する。シラビソやシラカンバ

の林を抜け、刈安峠を経ると黒部湖が見えてきて、急

降下して行くと、ヌクイ谷の沢音が聞こえてきた。平

ノ小屋で大休憩を取る。

「向かいが針ノ木岳。左へ続く尾根道が後ろ立山連峰

で、剣岳や立山、眼下の黒部川を見ながらの絶景コー

スや。ここから、対岸に船で渡れば、針ノ木岳に登れ

る。渡らずに右に道をたどれば上(かみ)の廊下や。

初心者には無理やけどな」

「どんな所なの・・」

「ヘルメットが要るし、流れに逆らって泳がなあかん

所もあるんや。それに比べて、この左の道を行き、黒

四ダムから下流の下の廊下は、道が整備されていて、

秋の景色は最高やそうや」

「と言うことは、高木くんは泳げないから、上の廊下

は一生行けない訳ね。泳げる彼氏に乗り換えようか

な・・」

「いっぺん、黒部湖に沈めたろか」

 西岸を北へ歩く。ほぼ水平な湖岸沿いを4時間、

ダムの堰堤が見え隠れするが、ええ加減に着いてくれ

よと二人が思う頃、やっと黒四ダムに到着した。

「平坦だけど結構かかったわね」

「平の船着場からやと、船で20分余りで来られるの

やけどなあ」

「ええ・・船に乗れるの。もっと早く言ってよ。意地

悪ね」


(参考文献)

夏山JOY    1975年6月号他 山と渓谷社 

ブルーガイド 立山剣黒部雲ノ平   1973年版

                  実業之日本社



・・・苗場山 1974年秋 に続く。



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